ローズ・マダー

題名INDEX : ラ行 223 Comments »

スティーヴン・キング著

ズーット前から本屋さんの棚に随分な比重を占めているこの作家が気になっていました。
映画が好きな人も大抵は彼の名に馴染んでいますよね。
それなのになんかボタンを掛け違ったように彼の「本」とタイミングが合わなくて・・・。先日やはりめぐり合い損なっていた浅田次郎さんの作品を読んだのを一つのきっかけにスティーヴン・キングの作品を何か読んでみようかな?と思いました。
図書館でズーット見ていたのですが、映像で先に見ちゃったものが多いのです。私は映画も本もホラーとオカルトは苦手です。
「スタンド・バイ・ミー」「ミザリー」「シャイニング」「グリーン・マイル」「ニードフルシングス」「ランゴリアーズ」「IT]・・・などは見てしまっています。「シークレット・ウィンドウ」って言うのも原作は彼だったでしょうか?
半分は後味が悪くて、見ちゃったのを後悔しましたけれど、「スタンド・バイ・ミー」と「グリーン・マイル」は割合に好きでしたから・・・迷いました。
でもよく考えてみればこのどちらもある種の感動はありましたが、本当に気持ちがいいという類の作品ではありませんでしたね。
「グリーン・マイル」のトム・ハンクス演じる看守は死ねないのですよ。死ねないなんて、そんな恐ろしい罰は無いでしょう?夜、布団の中でもし永遠に死が訪れなかったら・・・って考えて御覧なさい。永遠に眠れないのと同じくらい、いやそれ以上に苦痛で恐怖で・・・眠れなくなりますよ?
ところが怖いもの見たさっていう気持ちって、やはりあるんですね。
で、ままよ?と上の映像作品を除いていったら「ローズ・マダー」って言う作品が目に飛び込んできたのです。
全く聞いた事も無い、だから先入観も全く無い作品だったのです。だからこれを選びました。

そしてやはり半分後悔しました、「読み始めて!」
そして「読み終わって」、読んだことを半分後悔しています。
怖くて怖くて目が離せなくなっちゃったんです。だから読み終えてしまったのですけれど。
映画だったら思わず目をつぶるところで、本に喰らい付いちゃったのです。
どうなるんだろう?逃げおおせるのだろうか?と頭はズーット囁き続けて、しかもローズの、ノーマンのそれぞれの心を描写している部分に猛烈にがんじがらめに移入させられて・・・
一体どうしてこんな言葉が、的確すぎて恐ろしい言葉の数々が繰り出せるのだろうかと思いながら一語一語にぐるぐる巻きにされていく感じでした。
ノーマンの頭の中を書き記す部分は濃い印刷になって、ローズの部分とくっきり分けられているのですが、そのノーマンの部分ですっかり参ってしまいました。
男が女を罵り貶める語彙のあきれるほどの多さと、汚さとに嫌悪感、吐き気を催すほどの嫌悪感を感じていました。
ローズの「ローズ・マダー」の絵が動き始める所から「あー、これがキングの世界だ!」と思ったのですが、その辺りで「こんな作品の虜になったら駄目だよ!」という自分の声も聞こえなくなりました。
全く先が読めないのですから、先を先をとただただ読み進みたかったのです。
最近日本のホラーがハリウッドでも通用するとか、あちらに無いタイプの恐怖だとか聞くようですが、私は怖いので「リング」も「螺旋」も読みも見もしていないのですから分からないのですけれど、「なんかヤッパリこれは私のタイプじゃない!」と警告する声を横に夢中になってしまいました。
人間の本質そのものがここではホラーなのです。
そして読み終わった今一番怖いと思っているのは連鎖ということです。
ノーマンは父親の彼への「体と心への暴行」の中で育って、今度は妻への「心と体への暴行」で生きてこられました。だからその対象を失った衝撃が彼を狂気に追い込んだのでしょう?
そして14年もの間夫の「恐怖支配」の中で生きてきたローズは、それから逃げ切ってロージーになれたはずなのに、ようやく訪れた穏やかな日の中で「暴行に走りたい、誰かに報復したい」意識に支配されかけます。
だからこの物語世界には本当の安らぎは一片も、これっぱかしもありません。
あの絵の中に広がる異次元は二人の狂気・異常心理のせめぎあいのリング・戦場なのでしょうか。
どこかおどろおどろしい雰囲気があって、決してただの救いには思えませんでした。
キングの世界は不思議な終末・物語の奥行きを異世界への広がり・で見せましたが、現実世界ではこの連鎖を逃れられない人々の累々たる骸があるのではないかと想像します。
あの「種」を持たない人々はどうやって逃れたらいいのでしょう?どうやって連鎖を断ち切ります?
過去を全く切り離せるのかどうか、いや切り離して生きられるものなのか・・・私は恐怖の堂々巡りの中に浮遊して居ます。
ちなみに、題「ローズ・マダー」は「ローズ・マーダー」ではないのです。赤紫、色の名です
Read the rest of this entry »

クィン氏の事件簿

題名INDEX : カ行 103 Comments »

アガサ・クリスティ著

私の秘蔵のとって置きの大事な1冊をご紹介します。
ムシュー・ポワロとミス・マープルのファンは多いでしょうがハーリ・クィン氏のファンはどのくらいいるのでしょう。
ポワロさんほどじゃないかもしれませんね?
物凄く魅力的な不思議な人なんです。
私は彼とサタースウェイト氏のコンビが大好きです。
先日浅田次郎さんの「天国までの100マイル」で「地上からホンワリ足が離れたような優しい」と書きましたが、これもある意味現在から「ホンワリ足が離れていて優しい。」のです。
時の壁を越えるのです。
過去の事実がハーリ・クィン氏を呼び寄せ、サタースウェイト氏が解決への道筋を辿る、そして新しい人生が生まれるのです。
重大な岐路に立ち、その人に失われた過去が覆いかぶさって、人生を失いそうになっている時、それが鍵です。
過去の真実を見失った人に・・・そう私は思って読みます。
真実はいつも優しい。
真実はいつも正しい。
真実は道を開く。
ハーリ・クィン氏は虹色に輝いて、その光で真実の姿を浮き上がらせます。
そして人生の傍観者・観察者たるサタースウェイト氏に一瞬の舞台が与えられるのです。
そして誰かが新しい未来に進み出ます。
私はその「感じ」に心が揺さぶられます。
サタースウェイト氏の気持ちにふっと寄り添えます。
私は好きな人が舞台に上がるのを舞台の袖で見守っているような気持ちです。
不思議な解決の中に漂うメルヘンとロマンが心地よい酔いを私にくれます。
「あーいいなぁ!」と1篇ごとにため息が漏れます。
そうです。これも短編集です。
「ハーリ・クィンの冒険」が12編収められています。
その最初の「登場」にこの物語の姿が全部現れています。
12の物語が12色の色を纏っているように12通りのドラマの「その時」にハーリ・クィンは現れます。
現れなくても彼を思わせる何かが天啓の様にきらめいて隠されていたものが現れるのですが、私はその一つ一つが独創的で魅力的だなぁと思います。
まるで救いのようなのです。
命や愛が危機に瀕している時に舞台が展開してもたらされる何かの始まりに、サタースウェイト氏と同じ様に心をときめかせます。
そして私はこんなドラマチックな「救い!」が嬉しくてたまりません。
その中には「死」もあります。
「翼の折れた小鳥」は哀れですけれど、サタースウェイト氏と同じに私も「救えませんでした。」という気がするのですが、物語の世界ではやはり不思議なロマンチックさに安らいでしまうのです。
そして、クィン氏が絶壁の果てや世界の果てに歩いていく時、私の心臓はどきどきしてロマンを満喫するのです。
この12編の中で「海から来た男」が特に好きです。
あの短編の中で断崖の家の「シニョーラ」が息子の事を語る場面があります。
その息子の父親を知ることなく別れたのに、「あたしはあの男のことが分かるようになりました・・・彼の子どもを通してね。あの子を通して、私は彼を愛するようになりました。今では彼を愛していますわ・・・・・・・別れてから20年以上も経ってはいるけれど。彼を愛することで私は一人前の女になりました。」というところがあるんです。
ある意味究極の愛ですよね。この愛の為にハーリ・クィンが現れるのですから、震えが来ます。
「そしてこの珠玉というには余りに趣味的に美しいきらめく物語は「ハーリクィンの小道」で閉じられます。
「あなたは人生から、そんなに少ししか学ばなかったのですか?」
別な意味で私はまた震えます。
「しかし私は・・・まだ一度もあなたの道を通ったことがない・・・」
あぁ、私も・・・。しかも私は見えもしない。
私の心は波うったまま閉じられますが、何か輝くものを抱え込んだような気分なのです。

他に「マン島の黄金」という短編集に1篇ハーリ・クィンの短編が収められています。

パール街の少年たち

題名INDEX : ハ行 520 Comments »

モルナール・フェレンツ著

先日ブロードウェイのミュージカルを総集した番組をBSで見ていました。
私は見ては居ないのですが「回転木馬」という有名なミュージカルがあります。
その「回転木馬」の紹介に「戯曲「リリオム」の翻案で、アメリカらしくハッピーにしたものだ。」というのがあったのです。
え、「リリオム」?それで思い出しました。
大好きで大好きで何度読んだか知れない物語をです。
小学生の頃、読むたびにネメチェク・エルネーの為に、ボカ・ヤーノシュの為に、子どもたちの失われた空き地の為に流した涙を。
で、今日書こうと思うのは彼の代表作といわれる「リリオム」ではなくて、私の大好きだった「パール街の少年たち」です。
今でも読まれているのでしょうか?
舞台はハンガリーの「ブタペスト」でした。
今は「ブダペシュト」市というのだそうです。
物語の子どもたちはこの都市のペシュト側・下町に住んでいます。
でもこの遠い国の子どもたちの日常は、その世界は、私の子供の頃の仲間や東京の下町と変わりはありませんでした。
私も彼等と同じに空き地の権利をめぐって隣の町内の子どもたちと戦争をしました。
負けてすごすご帰る日もあれば、勝って意気揚々と日暮れまで遊びほうけた日もありました。
お隣の五つ年上のお兄ちゃんにくっ付いて、二つ年下の弟を引き連れて空き地を走り回りました。
ブタペストのその空き地も、浅草の空き地も同じごく当たり前の子どもの世界でした。
「少年少女文学全集」の中に収められたこの物語で、私は全く私たちと変わらない外国の男の子たちを見つけ出したのです。
ボカはお隣のお兄ちゃんでしたし、ネメチェクの気持ちは私の気持ちでした。
隣の町内の子どもに追われて転んで泣いた私を、お兄ちゃんが引きずって帰ってくれた日の無念な気持ちは、ネメチェクが仲間の旗を奪われた日の屈辱と重なり合いました。
命を懸けてネメチェク・エルネーが守った仲間の旗と空き地はボカが思ったように、子どもらから「奪われる姿をネメチェクは見ないで済んだ!」という無理やりの慰めで終りますが、私はその空き地がNTTのビルになってしまった姿を見なければなりませんでした。
だから、物語の終わりはいつも涙で涙で、文字が見えなくなりました。
東京の子どもの遊び場であんなむき出しの地面はもう無いのでしょうか?
土管がゴロゴロし、電線の芯だった木の筒がゴロゴロしていただけの、時に雑草で姿が埋まるような空き地は?
だからこの物語を読む子はもう居ないのでしょうか?
私にとってのこの「永遠の物語」と、あの何も無い空き地にこだまする子どもの声が今も当たり前にあるといいのに・・・と思わずには居られません。
昨年ハンガリー旅行をするにあたって、ハンガリー・ブタペストといえば「パール街の少年たち」の私は図書館で探してみました。
ちゃんとありました!
図書館で時間を忘れて読みふけった私は、帽子を目深に被って帰らなければなりませんでした。
そして男の子だけではなく女の子のお母さんもこの物語に気が付いて、子供たちに勧めてくれたらいいなぁ・・・と思いました。
町内に子どもが溢れていましたし、その子供等がみんな寄り集まって遊んでいました。
小学6年生から幼稚園の子どもまで一緒でした。
あんなふうに安心して子どもを遊びに出してやれる社会はもう遠い世界なのでしょうか?

ハンガリーは日本と同じに姓・名の順です。
ですから図書館で検索する時は「モルナール」の名か題名で検索してください。
Read the rest of this entry »

天国までの100マイル

題名INDEX : タ行 164 Comments »

浅田次郎著

短編集「鉄道員」を読んだので何か長編をと思って本棚を見ていたら、浅田さんの沢山ある中のこの本が目に留まった。
多分TVドラマ化されたのではないだろうか?
名前に記憶がある。が、内容は覚えていない。
取り上げてぱらっとめくったら、懐かしい「ファイヴ・ハンドレッド・マイル」の歌詞が。
「私の時代だ!」と、とっさに思ったのだけれど、何が私の時代なのだろうね?
今、現在だって私の時代には違いなかろうに。
人は青春を過ごした時代こそが自分の時代だと思えるのだろうか?
そうしたら「心のありようで人生いつでもが青春!」などとほざく輩の自分の時代って随分長いことになる・・・けど?なんて屁理屈を心の中で繰り広げながら・・・それでもヤッパリ今青春時代真っ只中にいる人は今が「自分の時代だ!」なんて意識していないだろうからなぁ・・・なんて・・・ただのぐだぐだね。
それでも縁のものだからこれを読むことにする。
読んでいるうちに「あぁ、このお母ちゃん、八千草薫さんだったんじゃないかしら?西田敏行さんが出ていたような・・・このしょうもない三男坊を演じたのか、あの神の手の医者の方を演じたのか?う~ん、思い出せないけれど・・・」
読み終わったら、丁度横山秀夫さんの本の事を書いた後だったから、「いやぁこの二人の作家から受ける印象は正反対だ!」と思ったのだが、浅田さんだって全部が全部こんなに汚い地上からホンワリ足が離れたような優しい小説ばかり書いているわけでもなかろうと思いなおした。
読んだのはまだたった2冊なんだものね。

人生の極限、死を目前にした母と、人生の崖っぷちに立ってしまった息子が織り成すには「なんと優しい結末が用意されたことだろう!」と思うと救われる。
「一生懸命の思いって一生懸命思えばいいんじゃないかなぁ!」なんておかしな科白だが素直にそう思えてしまった。
私も何かに追い詰められた時はこのお話を(そうお話なんです)思い出して「一生懸命になりたい方へ向かって一生懸命になればいいんだね?」と、自分に念を押してみたり。
前向きな気分が押し出されてくるようだ。
それにこのお話ヤッパリ「私の時代」の色を帯びていたから、妙に嬉しい感じもした。
そういえば、バブルの絶頂期には珍しい話でもなかったけれど、ご主人に天国を見させてもらって破産してその後離婚なさった知人がいた事を思い出した。
今頃この主人公の安男さんもきっといい味わいの男になっていそうだから、彼女たちもそうなっているかもしれないなぁ・・・かえって大きな波に洗われる事も無かった私など、味わいはないんだろうなぁ・・・何ていう感慨も。
「母にならなければ一人前の女じゃない。」なんて、男の目線のせりふだと思っているけれど、ここにいる母は戦後を潜り抜けた紛れも無い母で、普遍的な母の造形だとも思う。
男が理想化した母であり、洗脳された母性の匂いもあるけれど、その一方で私の母の世代の典型的な母だと懐かしくも思う。
それにしても戦争を潜り抜けた人とか、女手一つで子どもを育て上げた人は強い!
でも強くならなかった人が結局は幸せなのかも知れないなぁ。
この母もマリも男の子守唄だ、「お伽の子守唄」だわ。

願わくば、すべての病院に神の手を!すべての医者に神の心を!
あ、神の心は怖いかな?
Read the rest of this entry »

シラノ・ド・ベルジュラック

題名INDEX : サ行 248 Comments »

 エドモン・ロスタン著

父が「緒方拳がシラノやるそうだ、まだ先だが忘れずにチケット取ってくれないか。」と電話してきた。
「あら白野弁十郎?やるの?」
父の中での島田正吾との師弟対決らしい。
緒方拳とシラノが私の中ではどうも結びつかない。
醜い鼻でもシラノは人格の気品が大きくて、なんとなく大きなふっくらとした老成した人を思い浮かばせる。
本当はそんな年じゃなかったはずだが、島田さんのせいかな?
「白野弁十郎」は「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案物で、私は島田正吾さんの「白野弁十郎」を見ていない。
ただ覚えている島田さんの容貌が「シラノに填まっている!」という気がするのも確かだ
久しぶりに聞く「シラノ・ド・ベルジュラック」に懐かしさがこみ上げた。

随分昔に読んだ本だ。
父の愛読書で父の本棚にあったものを読んだ。
「乙女チック」という言葉が浮かび上がる。もう死語かな?
作家の名前もロクサーヌの名前も直ぐ思い出したが、あの若者の名が思い出せない。
頭をぽんぽん叩いているうちに転がり出たのが「これはこのガスコンの軽騎兵(騎兵隊だったけ?)・・・」という科白。
ガスコンといえばダルタニャンと頭の中は八つ当たり?する。
う~ん~と考え込むこと暫し「クリスチャンだ!確かそうだ。」
超男前のクリスチャンの為に恋文を書いてあげ、口移しに教え込んだ恋の科白を囁かせ自分の恋をひた隠しに隠し通したシラノ。
そのシラノが愛し続けたロクサーヌの膝の上であの手紙を囁きながら死んでいく場面で、子どもながらも「ロマンチックさに震えた!」んだってことも思い出した?
夕暮れの暗闇迫る中で見えない手紙を読み上げるシラノにロクサーヌが真実に気が付くところ。
え?そうだったっけか?
死んだのだっけ?
「雲の上団五郎一座」のせいで、笑いすぎてどうもあやふやになってしまったらしい・・・罪だ!ん?団十郎だったっけか?
これももうあやふやだ。

シラノに容貌の点で引けを取らない私が慰められもした戯曲だ。
でもやはり恋では負けがこみそうだと察しが付いたのもこの本のせいだ!
きっと図書館にこの本は眠っていることだろうから、これを書いたら図書館にアクセスして予約しようっと。
そして久しぶりに乙女チックなうるおいのある心を取り戻そう!っと。
Read the rest of this entry »

ルパンの消息

題名INDEX : ラ行 193 Comments »

横山秀夫著

この本に惹かれたのは勿論!「ルパン」のせいです。
私はルパンの為にパリへ行ったくらい(と言いたいくらい)ルパンが好きです。
「ルパン3世ではなくモーリス・ルブラン様のルパン様!です。」と念を押させていただきます。
でも勿論この作品はルパン様とは関係ありません。
でも、この作家が何でルパンの名を掲げたか読んでみたかったのです。
ま、それに関しては拍子抜けでした。
「ルパン」という名の喫茶店で話し合われた試験用紙かっぱらい作戦(泥棒)っていうことだけでしたもの。
ルパンもどきに盗みを行った高校生たちの消息とでも、喫茶「ルパン」の消息とでも。
でもこの作品、面白く読みました・・・う~ん・・・と言ってもいいのでしょうか。
凄い作家だなぁと読み終わった後私は思いました。
後記を読んでこれがこの作家の処女作だと知ってなお更です。
最も書かれてから15年後の改稿刊行だそうですが。

この作品を今日取り上げて書こうと思ったのは、この作品も「3億円強奪事件」を絡めているからです。
先日「初恋」を見た時「3億円」物かぁ!と思った途端、この作品を思い出したのです。
この作品にめぐり合ってから横山さんの作品を何冊か読んでいますが、そのたびに非常に怖い気がしています。
この人の頭の中、ん?心の中かなぁ・・・ってどうなっているんだろう?
「警察」物が主な短編集を4冊ほど読みましたが「心理合戦」物と括りたい感じです。
「こんなに赤裸になるくらい心の中を読み抜いていたらあなたの心も本当だったら持たないんじゃないかしら?」って聞いてあげたいくらいです。
こんなに「見えたり、推し量れたり、読みきってしまったり」ができるとしたら心の中ががさがさに乾いてしまい、作家自身が「朽木さんのように笑えず、楠見さんのように冷たい血が流れていて、それ以上に村瀬さんのように恐ろしい勘を持っているという」像のようになってしまうんじゃないかと思えるのですけれど・・・・
それでも皆その名に「さん」を付けたように私はこの刑事たちが好きです。物語の最後に来る何かが好きだからだと思います。
この初期の作品もそうです。
高校の「不良」のその時とその後の15年が物語の中で浮かび上がってきて、そのいずれもの人生はとても辛く惨めだったりするのですが、最後の最後のところでこの元高校生たちにも、それを苛烈に追求した刑事たちにも柔らかい感情がさわーっと懸かってくるような読後感があってため息が吐けるのです。
この作品の中で犯罪を犯す人、犯罪に押しやられる人、その罪の前に立ち尽くす人、犯罪から逃げる人、犯罪の余韻に浸る人、様々な15年間の恐ろしいことといったら・・・そして時効の壁の前で奮闘する刑事たちの個々の事情、心理(焦り・葛藤)読んでいる間中、私の心は押しつぶされるような気がするのに、この最後の何かを期待してまた横山さんの作品に手を出しそうです。
終りまで読めばとにかく、何とか息がつけます。
死んだ人、死ななければならなかった人、それを永遠に引きずる人・・・改めてヤッパリ「こんな犯罪は余りにも理不尽です!」と憤りながら、私は私の知らない世界の傍らを、この作品の中を通り過ぎるのです。
「ルパンの消息」に3億円事件がどう関わるかは読んだ人だけのお楽しみということでしょうか。

*朽木さんも楠見さんも村瀬さんも「第三の時効」に出てくる刑事です。
Read the rest of this entry »

ラブ・レター

題名INDEX : ラ行 282 Comments »

浅田次郎著

短編集「鉄道員」から

先日「鉄道員(ぽっぽや)」について書いたので、呪縛?が解けて。
浅田次郎さんが多分魅力的な作品を沢山生み出している作家と知っていながら随分遠回りしてしまったようです。
巡り合わせが悪いってことありますよね?
先日父にその話をして
「ヤッパリとっつきは「鉄道員」の短編集からだろうね?」
「あぁ、俺は大分前に読んだな。「鉄道員」より「ラブ・レター」の方が好きだと思った記憶があるな。」
だから今日は「ラブ・レター」の題で書こうと思います。
ぼんやりした記憶ですが昔立ち読みしたのはハードカバーの本で、「鉄道員」は確か中ほどにあったと思うので、今回読んだ集英社の文庫と同じ作品が掲載されていたのか確かではありませんが、この文庫には8つの短編が収録されていました。

「鉄道員」ではまた昔と同じところでじんわりと目に来るものがあり、改めて心を揺さぶる物語だと確認した感じです。
現実から一歩浮遊してメルヘンをかけた感じの程のよさが素直に心に響くのでしょう。
北海道の冬・雪・方言すべてがいい塩梅な感じです。
簡単に言ってしまえば、私は「角筈にて」が一番好きです。
しかしこの中の作品すべてが好きとは言えませんでした。
多分それは「ほど」のせいだろうなぁ・・・と漠然と思っています。
上手く乗ってしまえば確かに「ラブ・レター」は主人公と一緒に号泣できそうなのですが、先にああ泣かれてしまうと、乗れなくなってサトシと一緒に「・・・どうしちゃったんだよお、吾郎さん」って言う方に廻されちゃったぁ!っていう感じになってしまったようなんです。
持って廻った言い方ですねぇ、我ながら。
これだけ泣けそうなのになんか「何でかなぁ?」です。
「角筈にて」は多分夫婦の機微も父子の機微もおじさんの家庭もヴェールのようにかけられた優しさのフィルターに私の時代の香りを感じたからかもしれません。
浅田次郎さんて、多分手品の旗のように物語が頭の中から紡ぎ出てくる人なんじゃないかしら・・・?
自由自在なんですね、あらゆる境界が。
この短編集、今挙げた3篇と「うらぼんえ」は何かしら心に響きましたけれど残りの作品は苦手だなぁと思いました。
でもやっとお会いしたのですから、浅田さんの何か長編を読んでみたいと思います。
Read the rest of this entry »

隠し剣秋風抄 「盲目剣谺返し」

題名INDEX : カ行 63 Comments »

藤沢周平著

この作品は短編集です。
沢山、それこそ山のようにある周平さんの短編集から今夜これを書こうと思ったのは先日、ある出合いがあったからです。
といって出会い・人とではありません。
「場所」とです。
夫の趣味は「城址めぐり」
で、お天気の良い休みには、また纏まった休みが取れると、行く先はどこかの城址ということになります。
もう自分のホームページで行った城の記事を250城以上掲載しているくらいですから・・・
私なんかもう残っている城跡は無いだろうと思うのですが、彼に言わせると「まだまだ山のようにある。」そうなんですね。
うへぇ!です。
その日行った城跡は「笠間城址」茨城県にある城です。
一応山城ということで、また道なき道、草生す空濠、ぐちゃぐちゃの堀切などを歩かされるのだろうと、諦め顔で付いていったのですが、大手門の千人溜まりまでは車で行けたし、ちょっと登った本丸跡は笠間市も一望でき、筑波山も望めるロケーションで、おまけにこの城は「桂城」という別名も持っているのです。
はっきりとした根拠は何も無いくせに私は別名を持った城に甘い!
というわけで、ここですでに非常に好意的になったのですが、本丸から天主に登る道を見つけるにいたって、私はこの城跡が好きになったのを感じました。
なかなか感じのよい苔むした石垣と石段が目の前に立ちはだかっているのです。
「この上の天主跡には「佐志能神社」があるはずだ。」
それで登り始めたのですが、そこでどたばた下りてくる人たちに遭遇しました。
こんなところでおやおや?です
写真を撮るのに邪魔(失礼)なので、よけて皆さんが下りきるのを待ったのですが、途切れないのです。
反対にまたどんどん上がってくる人たちがいて、それがなんと色々な工具や木の枝、それも葉っぱの付いた生木の大枝の束を担ぎ喘ぎながら上がってくるのです。
ここにいたって私たちは諦めて天主への風情のある道を風情の無い?人等を縫って歩く事態に。
そして上がってみたらなんと天主跡の神社の額を「八目神社」と書かれた額に付け替えているところだったのです。
「えぇえ?」
だから思わず「何をしていらっしゃるんですか?」
「アァ、映画のロケの為に一時的に付け替えさせてもらってるんです。」
それで生木の役割も了解!映画のこの場面の季節は夏なんだね?
「何の映画なんですか?」
「キムタクの武士の一分っていうのですけど、キムタクはここへはこないんですよ。」と、彼は機先を制す。「分かっているのね?」
それでもちょっとわくわくするじゃない?
というわけでこの映画の情報収集。
この本へ行き着いたというわけなんです。
この藤沢さんの短編集「隠し剣秋風抄」の最後の短編「盲目剣谺返し」がその映画の原作になるのです。
確か・・・と、本棚の奥を探り・・・この本を引っ張り出したと言うわけです。
面白い短編集でヒーローは皆格好悪くてヒーローともいえない。
けれど皆生きているような実感がある人間像で溢れていて、私の好きな短編集の一つだったのです。
この作品のヒーロー?の中ではこの原作になる盲目の剣士は一番格好いい!
「なるほどな!」である。
皆さん、こういっちゃなんだけれど、ご自分のお父さんか旦那様を彷彿させる人に出会うかもしれませんよ。
もっともその人が意外な剣の名手であるかどうかは別ですけれどね。
でも人生って「あぁ、こういうことってあるんじゃないかなぁ。」と思う身近さと、意外な彼らの奮闘とに溜飲を下げたり悲しんだり惜しんだり・・・様々に楽しめる意外性のある短編集なんです。
映画の原作になる作品は周五郎さんの「日本婦道記」の中の一つをちょっと思い出させるのですけれど、気持ちのいい読後感があります。
私の好きな1篇は「孤立剣残月」なのですが。
読み終わったあとに心地よさがすとんと心に収まって据わりがいい感じなんです。
夫婦の機微がなんとも「わかるなぁぁ・・・!」
・・・そして私も唇を「いっー」の字にしてべそをかきたくなるんです。
でも、来年正月?映画が公開されると、「盲目剣・・・」読む人が続々・・・続々・・・?
どうぞ「孤立剣・・・」の方もお忘れなく!

アーサー王物語

題名INDEX : ア行 230 Comments »

この本の事を書くに当たっては著者の名を特定する必要は無いと思います。
小学生の頃読んだのは岩波の少年少女文学全集に入っていたもので、今のかすかな記憶ではトマス・マロリーの著作を子供向けに翻案したものではなかったかと思うのですが・・・?
その後ブルフィンチの著作とトマス・マロリーの著作を読んだのでした。
アーサー王の物語は伝承文学の一つでばらばらに伝わったものを拾い集めてまとめた最初のがマロリーの本だったと読んだように記憶しています。
だから、本屋さんで見つけた誰の著作でもいいから手に取られる事をお薦めしたいなぁと思うのです。
いっぱいでています。
取りあえずは!

今何故この本について書こうと思ったかというと、先日新聞の書評欄で「アーサー王宮廷物語」ひかわ玲子著というのを見つけたからです。

「アーサー王宮廷物語」 ひかわ玲子著

見つけたからには・・・というわけで早速図書館へ。
早い話?これはそうですねぇ、NHKが先年放映した「ミス・マープルとポワロ」の漫画バージョン(ちょっとがっかりでしたねぇ、私的?には~作品の香りが水っぽくなっちゃったようで)とか、アレクサンドル・デュマの「王妃の首飾り」やシュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を下敷きにした池田理代子さんの「ベルサイユのばら」(これはオリジナルの部分が素晴らしいアイデアで素敵な作品になりましたねぇ)を思い出してしまうような感じといったら分かるでしょうか?
ひかわさんが独自に作り上げた魔法を使える双子のキャラクターを生かして、とても分かりやすい読み物になっていました。
多分沢山の方が例えばオペラの「パルシファル」とか「トリスタンとイソルデ」とかで、「赤毛のアン」が友達とした危機一髪の「シャーロットの姫エレーン」ごっこで、映画の「エクスカリバー」や近いところでは「キング・アーサー」「トリスタンとイソルデ」などで部分的に知識があるのではないかと思いますが、それがほぼ系統的に網羅されていましたし。
以前に外国の作品を読むなら是非読んでおくと役に立つものとして「ギリシャ神話」と「聖書」を挙げたことがありますが、この物語もそうなんです。
今話題の「ダ・ビンチ・コード」にも聖杯が出てきますね。
パルシファルと円卓の騎士たちの聖杯探索の冒険物語を読んでいれば、また違った楽しみと理解が「ダ・ビンチ・コード」からも得られます。
「ロビン・フッド」物とか「アイバンホー」とかイギリスの色々な冒険小説にも関連があったのじゃなかったかしら?
「インディ・ジョーンズ」にも聖杯を探す作品がありました。
そうじゃなくても「アーサー王の誕生からその死(アヴァロンでの長い眠り)」までの物語の中にちりばめられた多くのロマンスと冒険は絶対わくわくさせてくれます。
読めば好きな騎士が必ず出来ますって!請合いますよ。
私も子供の頃に心の中にある騎士を抱いてしまったので、この年になっても王子様(円卓の騎士には王子が多いんです)・「私の騎士」待望論者?なんです・・・トホホ。
そして何時かはケルトの地を踏み、ティンタジェル城を見るんだ!!!と、思っています。
Read the rest of this entry »

鉄道員(ぽっぽや)

題名INDEX : ハ行 240 Comments »

浅田次郎著

「雑誌以外の本って余り読まないわ。」という人に尋ねられたことがある。
「読む本ってどうやって見つけるの?読書が趣味なんでしょ?」
「う~ん、色々だけどね。人から教えられたり、本屋さんや図書館でたまたま見つけることもあるけれど・・・そういえば本屋さんで見つける時に面白い出会いもあるのよ。」
と、この本を見つけたときの出会い話をしたことがある。

それまでこの作家の作品を手に取ったことは無かったのだが、「好きだ。」と言った友人がいたのを思い出して、本屋の棚をずーっと見ていった。
かなり沢山の本が並んでいて「ほおぅ!」
そのときに目に付いたのがある短編集だった。
作家に注目する時、私は短編集から入ることが多い。
魅力的な凝縮された短編に出逢うと「ではこの人の長編にトライしてみるか!」という気になるのだろう。
その時もこの短編の題「鉄道員」というのに心ひかれたのだ。
昔この題のイタリア映画だったかな?いい映画があった!
なんとなく旅情を刺激されるし、憧れとか、郷愁とか・・・
それに「ぽっぽや」というルビがまたゆるやかでいながらプロ的な何かを表現していて、思わず手に取ったのだ。
が、その日はもう時間が無くて数ページ目を通しただけで本を棚に返さなければならなかった。
私は親友になる本には慎重だ。
しかし、場合によっては数ページで確信して買い込むこともあるが(ロザムンド・ピルチャーさんの時は「花束」で確信した!が)、この時はそこまでいたらなかったので、次回の楽しみに取っておくことにしたのだ。
結局その後2回の本屋さん通いで(すいません)この「ぽっぽや」を読み通してしまった。
予感にたがわず途中涙で目は曇りかけるし、心は優しくなっていくし・・・普段だったらこの本確実にゲットして帰るはずだった。
ところがこぼれかけた涙のせいで私は本屋から慌てて退散し、その日買わなかったのだ。
そしてこの話をその人に何気なく話したのだが・・・それが運命の分かれ道?

話を聞いたその人が言い放ったのだ。
「へぇっ、読書ってみみっちい趣味なのねぇ!ただ読みじゃん。」
物凄く素敵な作品だと思ったんですよ。
心がふっと優しい異次元に運ばれて柔らかく揉みほぐされて返されるような。
でもその一言!
私は階段を踏みはづしてドッタンと落ちて、尾骶骨にひびが入ったような痛みをがっつんと喰った感じ!
浅田さんと「み・みみっちい?」が妙に結びついちゃって?それ以来まだ浅田さんの棚に近づいておりません。
あれからもう7、8年以上もっとかな?経つというのにね。
最も、その後映画は見ましたよ。健さんのファンだしぃ。
ここで白状しちゃったから、免罪符!
さぁ、次の段階に進みますかな。
Read the rest of this entry »

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン