モルナール・フェレンツ著

先日ブロードウェイのミュージカルを総集した番組をBSで見ていました。
私は見ては居ないのですが「回転木馬」という有名なミュージカルがあります。
その「回転木馬」の紹介に「戯曲「リリオム」の翻案で、アメリカらしくハッピーにしたものだ。」というのがあったのです。
え、「リリオム」?それで思い出しました。
大好きで大好きで何度読んだか知れない物語をです。
小学生の頃、読むたびにネメチェク・エルネーの為に、ボカ・ヤーノシュの為に、子どもたちの失われた空き地の為に流した涙を。
で、今日書こうと思うのは彼の代表作といわれる「リリオム」ではなくて、私の大好きだった「パール街の少年たち」です。
今でも読まれているのでしょうか?
舞台はハンガリーの「ブタペスト」でした。
今は「ブダペシュト」市というのだそうです。
物語の子どもたちはこの都市のペシュト側・下町に住んでいます。
でもこの遠い国の子どもたちの日常は、その世界は、私の子供の頃の仲間や東京の下町と変わりはありませんでした。
私も彼等と同じに空き地の権利をめぐって隣の町内の子どもたちと戦争をしました。
負けてすごすご帰る日もあれば、勝って意気揚々と日暮れまで遊びほうけた日もありました。
お隣の五つ年上のお兄ちゃんにくっ付いて、二つ年下の弟を引き連れて空き地を走り回りました。
ブタペストのその空き地も、浅草の空き地も同じごく当たり前の子どもの世界でした。
「少年少女文学全集」の中に収められたこの物語で、私は全く私たちと変わらない外国の男の子たちを見つけ出したのです。
ボカはお隣のお兄ちゃんでしたし、ネメチェクの気持ちは私の気持ちでした。
隣の町内の子どもに追われて転んで泣いた私を、お兄ちゃんが引きずって帰ってくれた日の無念な気持ちは、ネメチェクが仲間の旗を奪われた日の屈辱と重なり合いました。
命を懸けてネメチェク・エルネーが守った仲間の旗と空き地はボカが思ったように、子どもらから「奪われる姿をネメチェクは見ないで済んだ!」という無理やりの慰めで終りますが、私はその空き地がNTTのビルになってしまった姿を見なければなりませんでした。
だから、物語の終わりはいつも涙で涙で、文字が見えなくなりました。
東京の子どもの遊び場であんなむき出しの地面はもう無いのでしょうか?
土管がゴロゴロし、電線の芯だった木の筒がゴロゴロしていただけの、時に雑草で姿が埋まるような空き地は?
だからこの物語を読む子はもう居ないのでしょうか?
私にとってのこの「永遠の物語」と、あの何も無い空き地にこだまする子どもの声が今も当たり前にあるといいのに・・・と思わずには居られません。
昨年ハンガリー旅行をするにあたって、ハンガリー・ブタペストといえば「パール街の少年たち」の私は図書館で探してみました。
ちゃんとありました!
図書館で時間を忘れて読みふけった私は、帽子を目深に被って帰らなければなりませんでした。
そして男の子だけではなく女の子のお母さんもこの物語に気が付いて、子供たちに勧めてくれたらいいなぁ・・・と思いました。
町内に子どもが溢れていましたし、その子供等がみんな寄り集まって遊んでいました。
小学6年生から幼稚園の子どもまで一緒でした。
あんなふうに安心して子どもを遊びに出してやれる社会はもう遠い世界なのでしょうか?

ハンガリーは日本と同じに姓・名の順です。
ですから図書館で検索する時は「モルナール」の名か題名で検索してください。