スティーヴン・キング著

ズーット前から本屋さんの棚に随分な比重を占めているこの作家が気になっていました。
映画が好きな人も大抵は彼の名に馴染んでいますよね。
それなのになんかボタンを掛け違ったように彼の「本」とタイミングが合わなくて・・・。先日やはりめぐり合い損なっていた浅田次郎さんの作品を読んだのを一つのきっかけにスティーヴン・キングの作品を何か読んでみようかな?と思いました。
図書館でズーット見ていたのですが、映像で先に見ちゃったものが多いのです。私は映画も本もホラーとオカルトは苦手です。
「スタンド・バイ・ミー」「ミザリー」「シャイニング」「グリーン・マイル」「ニードフルシングス」「ランゴリアーズ」「IT]・・・などは見てしまっています。「シークレット・ウィンドウ」って言うのも原作は彼だったでしょうか?
半分は後味が悪くて、見ちゃったのを後悔しましたけれど、「スタンド・バイ・ミー」と「グリーン・マイル」は割合に好きでしたから・・・迷いました。
でもよく考えてみればこのどちらもある種の感動はありましたが、本当に気持ちがいいという類の作品ではありませんでしたね。
「グリーン・マイル」のトム・ハンクス演じる看守は死ねないのですよ。死ねないなんて、そんな恐ろしい罰は無いでしょう?夜、布団の中でもし永遠に死が訪れなかったら・・・って考えて御覧なさい。永遠に眠れないのと同じくらい、いやそれ以上に苦痛で恐怖で・・・眠れなくなりますよ?
ところが怖いもの見たさっていう気持ちって、やはりあるんですね。
で、ままよ?と上の映像作品を除いていったら「ローズ・マダー」って言う作品が目に飛び込んできたのです。
全く聞いた事も無い、だから先入観も全く無い作品だったのです。だからこれを選びました。

そしてやはり半分後悔しました、「読み始めて!」
そして「読み終わって」、読んだことを半分後悔しています。
怖くて怖くて目が離せなくなっちゃったんです。だから読み終えてしまったのですけれど。
映画だったら思わず目をつぶるところで、本に喰らい付いちゃったのです。
どうなるんだろう?逃げおおせるのだろうか?と頭はズーット囁き続けて、しかもローズの、ノーマンのそれぞれの心を描写している部分に猛烈にがんじがらめに移入させられて・・・
一体どうしてこんな言葉が、的確すぎて恐ろしい言葉の数々が繰り出せるのだろうかと思いながら一語一語にぐるぐる巻きにされていく感じでした。
ノーマンの頭の中を書き記す部分は濃い印刷になって、ローズの部分とくっきり分けられているのですが、そのノーマンの部分ですっかり参ってしまいました。
男が女を罵り貶める語彙のあきれるほどの多さと、汚さとに嫌悪感、吐き気を催すほどの嫌悪感を感じていました。
ローズの「ローズ・マダー」の絵が動き始める所から「あー、これがキングの世界だ!」と思ったのですが、その辺りで「こんな作品の虜になったら駄目だよ!」という自分の声も聞こえなくなりました。
全く先が読めないのですから、先を先をとただただ読み進みたかったのです。
最近日本のホラーがハリウッドでも通用するとか、あちらに無いタイプの恐怖だとか聞くようですが、私は怖いので「リング」も「螺旋」も読みも見もしていないのですから分からないのですけれど、「なんかヤッパリこれは私のタイプじゃない!」と警告する声を横に夢中になってしまいました。
人間の本質そのものがここではホラーなのです。
そして読み終わった今一番怖いと思っているのは連鎖ということです。
ノーマンは父親の彼への「体と心への暴行」の中で育って、今度は妻への「心と体への暴行」で生きてこられました。だからその対象を失った衝撃が彼を狂気に追い込んだのでしょう?
そして14年もの間夫の「恐怖支配」の中で生きてきたローズは、それから逃げ切ってロージーになれたはずなのに、ようやく訪れた穏やかな日の中で「暴行に走りたい、誰かに報復したい」意識に支配されかけます。
だからこの物語世界には本当の安らぎは一片も、これっぱかしもありません。
あの絵の中に広がる異次元は二人の狂気・異常心理のせめぎあいのリング・戦場なのでしょうか。
どこかおどろおどろしい雰囲気があって、決してただの救いには思えませんでした。
キングの世界は不思議な終末・物語の奥行きを異世界への広がり・で見せましたが、現実世界ではこの連鎖を逃れられない人々の累々たる骸があるのではないかと想像します。
あの「種」を持たない人々はどうやって逃れたらいいのでしょう?どうやって連鎖を断ち切ります?
過去を全く切り離せるのかどうか、いや切り離して生きられるものなのか・・・私は恐怖の堂々巡りの中に浮遊して居ます。
ちなみに、題「ローズ・マダー」は「ローズ・マーダー」ではないのです。赤紫、色の名です

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