親指のうずき

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アガサ・クリスティー著

クリスティの作品を書くならやっぱりまずはクイン氏だと思っていましたから、それを既に書いてしまっていて「良かった!」と思っています。なぜなら今から書くこの小説はクリスティの作品の中では特に好きとはいえないからです。
クリスティの作品を書くならなら勿論ポワロさんを、ついでミス・マープルをと思いますもの。
でも、先日映画館で「親指のうずき」の映画を予告編で見ちゃったものですから、まぁ、「これも書いてみるか!」ってところです。
映画では「アガサ・クリスティの奥様は名探偵」という邦題のようです。しかもなんとイギリス映画ですらないんですよ、これが。なんとフランス映画なんです。俳優も監督もフランス人。
何で?って思っちゃいますよね。
ところが私が同じクリスティ・ファンにしてしまった友人が「絶対封切られたら見に行こうね。」って言うんです。
だから読み返しておこうかな・・・です。
正直私はトミーとタッペンスのファンではないのです。
シリーズ4作があるのは知っていましたけれど、私がこのシリーズを読んでいた頃には未だ5作目は翻訳されていなかったのでしょうか。今回5作目がある事を知りました。シリーズ全5作です。
1作ごとに二人は円熟し、年とって老いていきます。この作品のファンにはそこがいいのかもしれません。
そして映画の原作になったのは4作目。既にこの夫婦は二人の子どもを育て上げて初老と言われています。
初老って!私と同じ年頃じゃないですか・・・それが初老?
この夫婦探偵は余り好きになれなかったので、1度それもかなり昔に読んだきり読み返したことは無かったので、内容は殆ど覚えていませんでした。
読み返したので、何でこのシリーズにのめり込めなかったか考えているのですけれど・・・テンポでしょうか?
いえ、テンポならミス・マープルだってどちらかと言えばのんびりしていますよね。
推理と言う点で甘いのでしょうか?うーん、彼らはどちらかと言うと諜報員ですからね。そういうことかもしれません。
私は多分ポワロさんにのめり込んだように彼らを好きにならなかったというだけのことかもしれません。
それでもこの「親指のうずき」は今回面白く読めました。
発端がのんびりしているので(英国式お茶の時間的な?)、集中力が途切れるような感じで一気に読みたくなるというほどサスペンスがあるわけではありませんが、老いても?このおてんばのタッペンスの向こう見ずには惹かれました。
好奇心を失っては駄目ですね・・・心しなくちゃ!(でもタッペンスがポカッとやられるのは好奇心は慎みなさいって言う警告?)
物語は発端が冗長だったからか結末も一寸踏ん切りが悪い感じがするのですが、それは二つの時を隔てた犯罪が交差する部分で妙なあいまいさがあるからかもしれません。
だって、結局頭脳犯罪集団を検挙できるだけの証拠が集められたかどうか私には疑問なんですもの。
エクルズ捕まえられますかね?
子供殺しの犯人はとってもはっきりしましたけれど。
多分この夫婦探偵のファンになった方たちは、この二人の阿吽の呼吸に惹かれたんでしょうね。なんとも羨ましいお互いの息の合い方なんですもの。タッペンスが臆面も無く最高の夫で幸せだって言っていたじゃないですか。きっと私は羨ましくて反発したのかも・・・おほほ。我が家には我儘な?トミーと好奇心旺盛な!タッペンスも居ることですし・・・そこそこ年も取ったので?今度は私も彼らを好きになれるかもしれません。他のトミーとタッペンスも読み返してみましょう。
「秘密機関」
「おしどり探偵」(「二人で探偵を」)
「NかMか」
「親指のうずき」
「運命の裏木戸」
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天使と悪魔

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ダン・ブラウン著

「ダ・ビンチ・コード」に続いて私にとって第二作目のダン・ブラウンです。
同じロバート・ラングドンが主人公の作品ですが、この作品の方がラングトン物の第一作になります。
「ダ・ビンチ・コード」のヒットで私もこの作者を知ったのですが、そのヒットによってこの作品も脚光を浴びたようです。
しかし読んでみて驚きました。「ダ・ビンチ・コード」に劣らない面白さでした。読み終わる早さがそれを証明しています。こんな作品にぶち当たると日ごろのあらゆるもやもやが消し飛びます。
舞台・知識・驚愕!すべて申し分の無い盛り沢山さ?です。
バチカン・サンタンジェロ・ティベレ川・パンテオン・・・以前2日間だけさ迷ったローマの景色の記憶を総動員して私も主人公たちを追いかけました。
余りのスリルに、追跡に、疲れ果てて、ラングドンがボストンからローマに飛んで新しい教皇が決まるまでがほんの1日余りの話だということに気付く余裕も無いほどでした。
どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのでしょう?私の乏しい知識では計り知れませんでした。
最初に「事実」として載っているスイスにあるセルンという化学研究機関すら半信半疑です。
それなのにイルミナティと言う友愛結社に関する記載はなんとなく事実だと素直に読めてしまうのはこれが小説だからなのでしょう。
実際フリーメースンとかいう名になれば私でも知っていることが少しはあります。
それに、つい先ごろコンクラーベがありましたね。そのとき仕入れた知識も動員して、そこを足がかりに物語の中に埋没してゆきました。
それにしても「ダ・ビンチ・コード」と同じキリスト教が主題ですが、この宗教のよく言えば奥深さ、悪く言えば鵺の様な怪しさ・・・(キット?第三作目もこれが主題だ!・・・汲めども尽きぬ泉ってヤツだわ)キリスト教徒ならぬ私には想像もつかぬ世界ですから、却って興味が増すという感じでした。この作品でカトリックというものに関して何か知り得たような気がしてしまうくらいです。
この間の「ダ・ビンチ・コード」の映画のボイコット運動は貧しい世界でこそ激しかったと新聞で読みましたが・・・この作品から垣間見るカトリック(教会)は確かに「今危機に瀕している!」という感じをうけましたね。
カメルレンゴの危機意識は当然です。理解できます。
だってバチカンの根底を支えているのは主にヨーロッパの白人人種でしょう?そしてその人たちは世界の標準からいったら裕福であり、危険から遠いところにいる人たちですもの。
そしてヨーロッパの今現在の問題は流入してきた異教徒の難民乃至有色のキリスト教貧民のようですもの。
宗教観も帰属意識も・・・金持ち喧嘩せず!ですよ。
それにしても世界はやはり一握りの有数の金持ち集団に動かされてゆくのでしょうか?
そして憎悪と貧困からイスラム帰属意識の高くなっているアラブがこのままボルテージが高くなると、キリスト教者も宗教意識が高くなって・・・最悪の悪循環が・・・とか考えちゃいました。
・・・そしてそう思うと、こういう時、宗教者(というか、教会)が求めるのはやはり「奇跡に尽きるのだ!」と、納得しちゃった次第です。
この物語は、科学に対してのカトリックの一人芝居でしたが・・・。
この作品で一番面白かったのは宗教と科学に関してのレオナルド・ヴェトラの信念でした。彼が娘に語った幾つもの「教示」でした。私の理解の外かなぁって言う気もしますけれど・・・うーん!でした。
第3作が待たれますが・・・ラングドンって冒険物の主人公の男性としてはちょっと魅力に欠けますよね?図像学者(宗教象徴学)の知識(奥が深そう!)と言う点でだけ魅力を発揮するって・・・面白い冒険小説ヒーローの創造です!
それにしても何時かローマの巨大十字架の道を歩いて、(気を付けて)ベルニーニの作品群も見てこなくっちゃ!
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森は生きている

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サムイル・マルシャーク著

暑いですねぇ・・・今年の東京は梅雨が長引いたせいと日光不足っていう感じのせいで真夏気分が今ひとつ盛り上がらなかったような気がします。それなのにじっとり暑くって、最悪ですよ。
ここ数年「気候が不順で・・・」というような挨拶をすることが増えているような気がしませんか?
少なくとも私は手紙の冒頭でこの文句から入ることが多くなっています。
私にとって「不順ですね。」は定例化しているようですが・・・これもそれも温暖化のせいですよ!
北海道のお米が美味しくなるのは歓迎ですが、ぶなの木の北限があがるのも・・・(問題あるのかしら?)私的には歓迎ですが、台風が多く上陸するのも、雨が多くなり過ぎるのも余り歓迎できません。長野のりんごが美味しくなくなるのもね!え?そんなこと有るの?
気候が不順というと思い出すのは「十二月のお兄さんたち」です。
ちゃんと「いるべき時にいるべき時間だけいてね。」とお願いしたくなります。
基本的にはまま娘と同じに4月の精と結婚したい私です。
5月の精と手を打ってもいいな!
小学生の時にこの本に出会いました。それから数年は4月の精さんが私の憧れのお兄さんでした。
こんなクリスマスに一度でいいから出会ってみたいと本気で思っていました。
冬が夏と会って、春が秋と一緒になるなんて「素敵じゃない!」
「まま娘」ってなんか悲壮にドラマチックで健気でロマンチック?
冬の寒い日に学校から帰る道で「燃えろ、燃えろ、明るく燃えろ!消えないように・・・」ってつぶやいていましたっけ。
私の心の中には「十二月の月たち」が囲む大きな豪勢な焚き火が燃えていました。
4月の精に貰った指輪を握り締めているような気分であの魔法の言葉・詩?を暗唱していました。

「ころがれ、ころがれ、指輪よ
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋の高殿へ
そして、冬のじゅうたんの上を
新しい年の焚き火をさして!」

ね、今でも言えるでしょう?
これって、普遍の至高の言葉じゃありませんか?理想的な環境秩序の?

大昔仲代達也さんの奥さんがわがままな女王を演じた舞台を見ました。そして先年お嬢さんがまま娘を、仲代さんが老兵士をした舞台を見ました。なんか不思議に感動してしまいました。
私の傍らを通り過ぎて言った何十もの春や!夏や!秋や!冬や!が私の周りで渦を巻いているようでした。

この物語に漂う詩情を今の子供たちも大事にしてくれないかしら?
「十二月の月たち」を暖かい心で「一月一月を楽しく待つ生活」が出来るためにも、穏やかな地球を失わないで生きるためにも、環境の事を真摯に考えなくてはなりませんね。
それにしても本当に可愛い物語なんですよ!まま娘になって森のりすさんやうさぎさんのお話をこっそり聞いて笑いたいものです。

ブレイブ・ストーリー

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宮部みゆき著

図書館で何人か待ちだった本が届いたと連絡を貰って受け取りに行きました。「嘘ッ!」でした。
自分では文庫本か新書版くらいの本を予想していたのですから、私ものんきです。
本屋さんで探す前に「映画」を見て納得がいかなくて、パタパタっと図書館で検索して申し込んで、本を確かめなかったのは私がうかつでした。角川書店の上下二冊本はそれぞれ一冊の厚さが4センチ余りもあろうか?と言う代物でした。
「これじゃ持ち歩いて電車の中で読めやしない!」と言うわけで、読み終わるのにたっぷり1週間はかかろうと思ったのですが・・・かかりませんでした。
でもひどい寝不足で、今頭が働いているかどうかちょっと?かなり!疑問です。
面白かった!
多分、本当の推測ですよ・・・私はロールプレインゲームと言うヤツが苦手です。でも多分?子供たちが小学生の頃友達と廻し読みをしていたゲームの攻略本のようなものを想像してしまいました。
本当に「ゲーム」っていうのはインベーダーからロードランナー、テトリスからズーキーパーぐらいのものをいうもんですよ!私に言わせれば!
ま、それはさておき、この本を読んだのは映画がきっかけでしたから、私が最初に思ったのは「脚本」というもののことでした。
あの本を2時間ほどの映画にまとめるには大変だっただろうということは良く分かりました。それにしては実に要領よく芯を一本にして対象を絞って換骨せずに構築した手腕が「光っていたんだ!」と、思いました。
脚本家を目指す人の気持ちがなんとなく腑に落ちたような気がしました。
下手な脚本家に手がけられたら「骨抜きになって物議をかもす!」なんていうことが起こるのも「なるほど!」です。この映画の脚本家は実にシンプルに「選び取った」のだと感心しています。
さて、宮部さんのこの物語です。
映画と違うのはこれは大人の私にも色々考えさせられる「精神的なステップ」がいっぱい散りばめられてあって、私も子供に戻らない「今の自分のまま」、ハードルを越えていかなければならなかったのです。
そして今の私はこの旅を潜り抜けたワタルほども自分の50年余りの人生でしっかり考え奮闘してこなかったということに気が付いてしまいました。いやはや!
宮部みゆきさんの手の平でまたしても自由自在に操られてしまいましたね!
最後の1ページを読み終わって、今そのことに感心しまくっているところです。凄いや!
だからある意味この本は私を「東京タワー」より泣かせました。
私の中に残っている童心が素直に感応してしまって、彼の(ワタルの)最後の願いにはもう涙!でしたから。
「よくやった!よく成長したね!」と、頭を撫でてあげたいくらいですが、彼の方がもう私より大人です。
気恥ずかしくなっちゃいましたものね。
読む人は皆きっとこの本のどこかで自分の問題と向き合うことになりそうです。
そのときにワタルのような選択をするかどうか分かりませんし、違う選択肢を選ぶのもありなんですよ、きっと。それで良いんです、自分の現世ですからね。
でも、選択すべき時にきちんと自分の選択を出来る自分でいたいものだと・・・遅まきに思ったことでした。
書き抜いてしまっておきたいような言葉をいっぱい見つけました。
宮部さん真っ向から精神論というか倫理論(道徳論?)を振りかざしているのだと感じましたが、その包み紙のオブラートがまるで万華鏡のようで本当に楽しい読み物でした。
キャラクターがちゃんと映画を離れて一人歩きしています。私の中で。
映像を見た後でそれに左右されないでイメージを作るのって結構難しいものでしょう?それなのにこの物語に関しては簡単に私のワタル、キ・キーマ、カッツ、ロンメル隊長、ミーナ、ミツル、カッちゃん、ラウ導師の「オリジナル?イメージ」が出来ました。
それだけ宮部さんの筆も生き生きと登場人物?を描き出していたんですね。きっと、また読み返しちゃうわ。何度も何度も!
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又蔵の火

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藤沢周平著

大好きな藤沢さんですけれど、読んでいないものがそれでも未だ何作もあります。大体現代物は読んでいないんです。
この作品はなんとなく取り落としたものの一つです。
短編というか中篇でしょうか、5篇が収録されています。
「又蔵」意外はやくざ物です。
多分手に取る時、市井物でももっと「優しい」と思えるものから先に選んで読んでいたからかもしれません。それにこの作品は特に暗そうでしたし。
だからといって周平さんの暗い作品は嫌いではありません。
「暗殺の年輪」の中の葛飾北斎の心情を描いた作品「凕い海」などはずっしりきますがむしろ好き、魅入られましたし、「海鳴り」なんて妙な感じに身につまされましたし・・・「伊之助シリーズ?」なんて、もっと読みたかったなぁ・・・と惜しんでいます。
周平さんの作り出した主人公のうち「青江又八郎」「神名平四郎」「立花登」なども皆大好きですが(彼らは安心できるんです)、それ以上に伊之助好きですねぇ。心がギュウッとするのです。

まだ生きるにしろ、死んだにしろこの本の中の男たちは何かを選び取るというよりも、何かに突き動かされたのだと・・・そんな話を作者は書きたかったのだと・・・感じました。
「You are my destiny・・・」というフレーズが頭の中に浮かび上がりました。
どの話もどうしようもなく、どう動かしようもなく、こういう運命から切り離すよすがも窺えないほど、ピィシィッと人生が閉ざされる音が聞こえるようでした。
読んでいるうちにこういう男たちに寄り添っていく、いとしく思えていく自分が居て、それが不思議でした。
この物語に共通して現れる女性像はどぎつい色を持っていたり、はかない色を漂わせていたりはしていても、それと知らずに運命の時に現れて男の命運を断ち割っているのが恐ろしくて、出会いというものが持つ底の知れなさに酔わされました。
究極の場では涙と血は同じものなのかも知れないなぁ・・・と、こういう究極の世界をこのような形で見せてくれる作家の凄さを思いました。
女たちが過剰に「見せる・持っている」情には母性が匂っているのが哀れでした。作家は女に何を求めたのでしょうね。
「又蔵」のハツにもそれは見られて、「そんなもの持つんじゃないよ。不幸を纏った男に入れあげてしまうよ。」と、長屋のおかみさんみたいな口調で気遣ってしまいます。でもハツは魅入られてしまうんでしょうね。
その女たちにもこの男たちがやっぱり「Destiny」なのでしょう。
又蔵の突き進む道には理非のかけらも無いでしょうけれど、又蔵を押し流す情だけは暗く深く迫力を持って流れていますものね。
その流れをまともに受けてしまって死なざるを得なかった男にとっては天災でしょう?その家族はどう受け止めればいいのでしょう?受け止められはしませんよ!
やりきれないと思うのに男や女が生き生きしているのですよ、ここでこうしている私なんかより。ちゃんと生きていると思ってしまうんです。そしてどこか羨ましく思う心が私の中に潜んでいます。
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東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン

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リリー・フランキー著

図書館に予約して千人待ちを超えたのは初めて。
ハリー・ポッターで600人待ち、ダ・ヴィンチ・コードで500人待ちっていうのはあったけれどね。
これってどういうのでしょうね?私みたいに気の長い人が世の中にはこんなに居るってことでしょうか?
おかげさまで待つこと後900人余り・・・というところで貸していただけたのでこうして、来年?を待たずに感想を書けるわけです。
貸してくれる時、彼女は「今までで最高に泣けた!」と、言っていましたからどうやら「広告の通りらしいぞ!」と、あらかじめ心の準備?をすることが出来ました。それが良かったのかどうなのかは分かりませんが。

「オカン」・・・「オカン」かぁ、「オカン」ねぇ・・・私が子供の頃は「かぁちゃん」と「おかぁちゃん」と「おかぁさん」が3分のⅠずつって感じだったなぁ。
参観日に当てられた子が「かぁちゃんが・・・」と言いかけたら、後ろに居たお母さんが慌てて「おかぁさんって言いなさい。すいませんねぇ、先生、躾がなってなくって。」と大声で言ったので、教室中大爆笑しちゃったのを思い出した途端、母の思い出がぞろぞろぞろぞろ這い出てきてしまったのには参ってしまった。
本を読みながら本の中の「ボク」の思いに泣けて、自分の母の思い出に泣けた。
それにしてもリリーさんの世代ならお母さんへの思いをこんなに素直に書くなんて有り得なかっただろうに・・・?
「オカン」だから言えたのかもなぁ?
転勤で地方を回っていたせいか、まとめて数日休めると必ず夫は実家へ家族連れで帰った。
「留守にするのでお願いします。」と近所に声をかけると「よく帰るねぇ、ご主人マザコンなのね。」と、何度か言われた。「アア、そうなのか、これがマザコンかぁ?」と、思ったものだ。
しかし娘が母と付き合い、父を大事にしても「優しいお子さんで!いいわねぇ。」と、言われるだけなのに、男の子が親を大事にするとおかしげに言われるのはつまらないわねぇ。(私も言っちゃったなぁ、スマンこって!旦那様)
娘を持った友人たちは、娘が結婚しても娘と遊んでいるくせに、その娘が夫の故郷に連れて行かれると「可哀相、うちの婿、マザコンじゃなけりゃいいけど?」なんて言ったりする。
「おい、おい?」と息子しか持たない私は思う。
他人のことなら見えるんだけど・・・。
この本を読んだ人が皆、素直に「大事な者は大事!」と思うことが大事!と思えるとといいなぁ・・・、でも「女の子の読者の方が圧倒的に多そうだぞ?」と危惧もする。だって、女は自分が見えないものねぇ(へへ)。
男の子の方が争いがいやで、「女の軍門に下る平和」を選ぶ率が高そうだからなぁ・・・なんて、自分を含めて(自戒します・できるかな)周りの女を見回している。
リリーさんも当時独身だったからだなぁ・・・?なんてウラヤマシサも自分から隠そうとしてみたり。
「筑豊の子」と言えば、私の世代は「にあんちゃん」を思い出すだろう。「にあんちゃん」を思い出すと、あの当時の筑豊の厳しさも甦えって、リリーさんの「オカン」や「オトン」の道程が忍ばれる。
「オカン」は並々ならぬ、並々以上の、最大級でも追いつかぬほどの、愛情をすべて息子につぎ込んだのだろうけれど、「オカンの人生は18のボクから見ても小さく見えてしまう。それはボクに人生を切り分けてくれたからなのだ。」というところで、そう感じてくれただけで「オカン」はもう満足しただろうなぁと思える。
息子たちの「臍の緒」は私にも宝。いやいや、取り出すのはやめとこ。
読み始めた時にはこの文体が感情を韜晦してくれるだろうと思ったが、後半すっかり流されてしまった。
お母さんは息子から小さく見えなければいけないのに、夫の母も私の母も私もちょっと(丸々と!)太りすぎだよなぁ・・・とため息をつくことで、かろうじて堰を保とうとしていた・・・。
面白い文章、表現、観点もこの本の中には溢れていた!この文体で、素直に読ませるなんて、不思議だなぁ?

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堪忍箱

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宮部みゆき著

「ブレイブストーリー」を予約しに図書館へ行ったら見つけました。
宮部さんの特に時代物の作品が好きですから、「読んでいないのがあったぞ!」と借りてきたわけです。
8つの短編が収録されていました。
この短編集は実に色々な感情をそれぞれに抱かせてくれました。
読後感の良いものばかりではありませんでした。いえ、読後感の良かったものがあったかしら?
特に表題になっている「堪忍箱」「十六夜髑髏」は堪りませんでした。
なんとも気の重いやりきれなさがありましたが、この短編集の中に心からくつろげて楽しめる作品は無かったのです。
宮部さんの底の知れない、間口の広い?小説世界をまた味わうことになりました。
どの作品もが闇を秘めています。この闇は人間の「心の病み」にも通じるようです。
読み終わって隣を歩いている人もこんな闇を抱えているのかもしれないとふと思った時、あぁ、この作品も時代を借りているだけで現代なのだと思いました。
それどころか私自身にも覗き込めば蠢いているような「病み」がありそうです。
ニュースを見ると信じられないほど世界中が病んでいるのではないかと思いますが、いえ、世界中なんてものではない、そんなご大層な世界に広げなくたって人は元々心の中に闇を持っていてそれが何かの形で現れるのが人の「病み」なんだ!
人からそっと出た一つ一つの「病み」がなんかの拍子でくるっと纏まるといやな事件が起きて、ついには戦争のようなものに変化してゆくんだ。
なんてことまで考えてしまいました。
私だって、覚えがあります。「てんびんばかり」なんて、大抵の女が心の底に秘めている魔物ではありませんか。
でも大多数の人はお吉なんだけれど、お美代みたいに後ろめたい人生をつい選び取っちゃって、落ち着かない人生を歩くことになる人間もいて、又、お吉がしなかった選択をする女も居るだろうし。
それはそのまま、会社や社会で男たちも繰り広げているささやかな暗闘と似たものではないでしょうか。
この作品群で見せられる闇は誰にでもありうる病みで、「今」という時代が生き難くなっている感じがするのは、その闇を心の中に包みきれない人が増えているからなのじゃないか・・・なんて。
人が隣の人に注意も興味も優しさも抱かなくなっているから、歯止めに成るものがどんどんなくなっているから・・・。
お吉だってお美代だって大家さんが居なかったら・・・?とか、「かどわかし」の小一郎だって、箕吉が心を残してくれていなかったら・・・?とか、「謀りごと」だって長屋の連中がお互いを全然知らなかったら・・・?とか、「お墓の下まで」だって、お滝が過去にあんな事をしていなかったら・・・あの子達は・・・なんていう風に関わってくれる人が回りに居るから閉じ込め切ったり、癒し治したり出来たんだもの・・・と思いながらも、じっとりといやな感じのものに纏いつかれたような読後感でした。
「お墓の下まで」は皆普通に会っていたらよい人ばかりですのにね。
この作品ばかりは悲しみが勝ちました。
どんな闇を抱えてもまっとうに、健気に生きていくことは出来るんです。
それに最後の「砂村新田」のお春と母親はいい感じでしたね。
私も優しかった母親をつい思い出してしまいましたが、お春の心遣りのつつましい優しさ控えめな利発さは人間というものに希望を抱かせられます。
最後の短編で少しほっとさせられて、また宮部さんに思うように私の心を操つられちゃったって思いました。
心に黒い漣を起こさせられて、一寸鎮められたような。

日本婦道記

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山本周五郎著

「私の大好きな短編集である。」
ってことは、前にも書いているかもしれない。
先週先々週と私は忙しかった!自分の用件も友人たちとの楽しい会合もあったけれど夫の趣味の旅行へのお付き合いもあったし。
それはそれでとてもいい時間だったのだが、根本的には私は一人で静かに居たい人なのだろう。
身体ではなく人と会うことが多くなると気持ちが草臥れる。
まさにこの字のごとくクタット草が踏み潰されて倒れ伏したような気分になるのだ。
特に知らない人に会わなければならない時はなお更。割合、情緒安定型に見られるのでそれに気付く人はあまり居ないのだが。
そんな時これを読む。
気持ちを奮い立たせ、しゃっきりし、こんな自分じゃいけないと叱咤するために!とも言えるかもしれないが、反面大いに泣けるからかもしれない。泣くと誰はばからず心がむき出しになって表れて、それを洗い晒して、リサイクル?リフレッシュ??出来るような気がするから。
つまり新しく立て直すための1冊なのだ。
勿論若い人が今読んだら、反発の方が大きいかもしれない。
でも自分で決めた道を自分なりに誰にも知られることも無いまま筋を通して生きていく女性たちの気迫に私は打たれてしまう。
この中の11の短編のうち、その生き方について理解が出来る女性の数はそうは無い。
多分私にしてからがもうこんなに滅私では生きられない。凛々と言う音色まで聞こえてきそうだ。
けれどそういう事を別にして、彼女たちは清清しく、潔く、強い。彼女たちに包まれて助けられて生きたことに気が付かない夫や子供たち兄弟姉妹が居ても構わない。誰に知られることもないまま終るその見事な彼女たちなりの選択と実行力に敬服する。気が付いて認められることなど殆ど無い。感謝される事も稀だ。それでも彼女たちは行く!生き通す。
「風鈴」は私にはぐっと身近だ。弥生さまの気持ちは痛いほど分かるし、私も実はそうだった。っていっても、私は苦労はしていないけれど、みっともないことに回りの豊かさに目がくらむことがしょっちゅうあったから!
他の短編でも同じ事だ。その主人公が選び取るのはいつも茨の道で、誰も今では選び取りはしません。だから私は泣ける。素直に泣けます。
でもそれは自分はこんな茨の道にはいないでよかったという涙ではありませんよ。
そういう自分だったらいやだなぁと何度も振り返って、自分の気持ちを確かめたこともありました。でも違います。
一寸代償行為のような気はして後ろめたい感じはあるのですが。
彼女たちはいつも安易な道を取らないのです。
「辛かったでしょうね。」「大変だったでしょうね。」と手を取って撫でさすって上げたいくらいですが、彼女たちは「いいえ!」と微笑むだけでしょう。
いつも安易な道、楽な道をと選って歩いている自分を再確認して情けなさに泣けてしまいます。
この作品の中には「諭し」が多くあります。例えば「桃の井戸」の長橋のおばあ様など。現在身近にこんな風に諭してくれる人あなたに居ますか?それから生き様であなたに尊敬の念をかき起こしてくれる人が身近に居ますか?
この作品で読むこれらの諭しは私にはありがたく感じられます。
日本婦道記」という題名がいかめしいですが、とっついてみると確かに道は険しくありますがその道にちりばめられた教えや諭しは心優しく美しいものです。
こんな風に自分を確認すると、「明日は違う。」と自分を起こすことが出来そうなんです。
ま、2・3日で自分の道の石ころをさっさとどけてしまうんですけれど。そこがまた情けないところで・・・

「マーゴの新しい夢」(ドリーム・トリロジー1)

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ノーラ・ロバーツ著

完全回復!勿論スティーヴン・キングからの、を狙って探した本です。
何か優しくって、ロマンチックで、乙女チックで・・・私の得意な分野の本をね?
少女っぽい題名の本を次々に探していって「ロマンスの巨匠が女性たちの愛と夢を描いた、3部作第1弾!」というキャッチフレーズに目が釘付け。
「トップモデルが10年後スキャンダルの中で破産・・・再出発は姉妹同然の親友2人と・・・」という補足事項で完璧!と思ったのです。
女3人が親友・・・また難しい設定だなぁとは思ったものの、それが出来ればそれこそ私の望む完全癒し系?じゃないの。
しかも3部作ともなれば楽しみは長―い尾ひれとともにだもの、注文したってなかなかこうは行かないってくらいのものです。
それに私は今までこの作家知りませんでしたけれど「ロマンスの巨匠」です!
ロマンスに巨匠がくっ付いているのですよ・・・と思って見回せば、なんか女性が喜びそうな題の本がずらり!扶桑社海外文庫です。今まで余りなじみはありませんけれど・・・ままよ!
この3部作「マーゴ」のあとは「ケイトが見つけた真実」「ローラが選んだ生き方」と続き、「愛ある裏切り」「悲劇はクリスマスの後に」「海辺の誓い」「珊瑚礁の伝説」それに宝石名をちりばめたシリーズと続いていました。ね?
「巨匠なのに知らなかったとは・・・」と、これを読むことに決めました。
填まれば尽きぬ泉のように作品がありそうですからね。
で、今猛然と腹を立てているところです。
読み始めて「あれっ?女性のシドニー・シェルダン?」って!本当は偉そうに言えません。シェルダンは2作で諦めました。
「タイプじゃない」と早々見際目をつけたのですが、その二の舞でしょうか?
まるで「ハーレクィン・ロマンス」みたいだわ。ジェットコースタータイプ。読み終わった今、作家が「ハーレクィン」の作家だと知りましたから、あながち間違えた結果ではなかったようです。
猛然と腹を立てていると書きましたが作家にではありませんよ、念の為。大方は物語の設定にです。(私って気が小さいから)
「だって、それじゃぁ、なんだって出来るだろ?」ってチョイトむかついています。って、そんなに大上段に言う必要は無いのです。
夢物語にどっぷりつかって面白いなぁ・・・って思えばいいのですし、余計なことに気を廻さなければものすっごく面白く読めたのです。
ただ私が持ち得なかったもの、持ちたいけれど与えられていなかったものふんだんに持たせておいて何が試練だ!何が自己発見だ!って私は猛然とやっかんでいるのです。
どんなに失意に落ちようと、男なら誰でも引き付ける絶世の美貌と肢体と向こうっ気を持っているのですよ。しかも後ろには白馬の美貌の逞しい王子様が居て、その鞍には財閥が仕込んであって、更に後ろには愛情深い理解も深い王様と女王様が付いていて、賢い母もいて、二人も真の親友が居て・・・それでどう不幸を持ちこたえられるって言うのでしょうね?アホくさ!
「好きなだけ甘く足掻けば?!」って言いたくもなるでしょう?
トップモデルがどんなで、大富豪がどんなで・・・って覗き見たい?それならいいかもしれませんね。
それとも素直に女の友情を信じてみたい?それもいいかもしれませんね。
モンゴメリーさんの世界に現代香辛料をまぶしたのがピルチャーさんの世界だとすれば、それに唐辛子興奮剤を振り掛けて「今」味にしたのがこの作品かなぁと途中で思いかけましたが、違いましたね。
愛すべき世界がここには無いのですよ。
プライドの質が?作家の資質が?色々なものがやっぱり違うのではないかなぁ・・・と、思うのですが、さて?
1940年代に育てられた女の子には刺激が強すぎたのだろうって?そうなのかもしれません。
でも、だって、やっぱり、ありえないだろ?
イエイエ、日本人でも凄い富豪層が財産保全、相続税回避のために海外で豪奢に暮らしているらしいですよ。
それに今の日本の女の子も男の子も脚は長く美貌もおさおさ劣ることはありませんし、恋人が、父親が(母親も)「IT長者にならない!」という保証も無いのですから・・・って、嗚呼、ヤッパリやっかんでいるんだな?
「嗚呼」の字を注目してください。ヤッパリ私にはこのくらい遠くあほらしい世界でしたよ。
白状しますが10代の頃こんなん回し読みしてましたわぁ。もうちょっと単純で、もうちょっと刺激の薄い・・・
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顔 FACE

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横山秀夫著

「ローズ・マダー」で傷めた心を回復させるのに選んだのがこれです。
段階的回復術?です。急にロマンチックなものを持ってきても精神的違和感が増すだけ?って言うこじつけです。
これだって特別優しい物語ではありません。ご存知のように横山さんですから。
前に「心理合戦物」と私が名付けた作家のものですからね。これもその一つです。
ステーィヴン・キングの心理物とは違って、ここでは確実に正常な心の合戦が繰り広げられます。
それにこの作品の主人公はちゃんと彼女の世界を堅実に築き上げ、成長してゆきます。これは凄く嬉しいことです。主人公に共感してしかも応援して読めるのですから。
この作家に信頼が置けるのは、又は優れていると思えるのは、向上する、受け入れる、展望ある明るさがあることにです、底の方にですが。地平線上に柔らかい朝日が差し染める頃あいにも似た?

主人公の平野瑞穂さんに最初にお目に掛かったのは「陰の季節」という短編集の中の「黒い線」ででした。その時私は彼女の上役でもある七尾友子さんの方を女を認めたがらない石頭の刑事たちと出世競走の心理合戦を渡り合える女性キャラクターとして「長編の主人公になれる有望な器ではないか?」と、思ったのです。
瑞穂さんの方は似顔絵書きという特殊技能がありますから、面白いアイデアの短編小説にはなるけれど・・・という感じだったのです。「黒い線」での瑞穂さんは警察機構に押しつぶされてしまった感があって、むしろそれをばねに七尾さんが男相手に渡り合っていくというシナリオを想像したのでした。
しかし「顔」で瑞穂さんは立ち上がりました!
だから、私はキングの「ローズ・マダー」の後にもう一度これを読み始めたのです。
だって、瑞穂さんは健気に立ちあがったのですよ。
ちゃんと自分が「成りたい者」「それを夢見ていた自分」を取り戻すべく、着実な足取りで、すっかり退けられてしまったところから・・・まだ、乱れがちな足取りではあっても。
傷ついても、押しつぶされても、それでも自分の行きたい道を歩く姿を、作家はきちんと丁寧に描き上げてゆきます。
「顔」の瑞穂さんは五つの短編集の中で語り継がれる物語で一歩づつ、足取りを確かなものにしていくのです。
「目標を持っている人ほど素晴らしく、強い人は居ないんだなぁ・・・!」と、私は羨ましくも思え、実際に今そういう道を辿っている多くの若者にエールを送りたいような気分になれました。
警察ってそれにしてもなんと話の種の尽きないところなのでしょうね?最近怠慢?を突っ込まれている、不祥事多発警察には女性の活躍場所が山のように?ありそうですよ。区役所の分室なんかに行くと凄く暇そうにあくびをかみ殺しているおじさんとパッタリ目が合っちゃうことがありますが・・・有効利用?して無人の交番に置いてくれないかなぁ・・・なんて思うこともありますが・・・話が逸れましたね。
地(自分の置かれた立場)に足が付いていて、正面切っていて、意志を持っていて、若い人の小気味良さがあって。まだ?私も間に合うかな?なんて思えたりして?いやぁ、慰められました!
瑞穂さん念願の場所に戻れたのですから、今後も見守っていきたいんだけれどなぁ・・・
あっ、ちょっと訓練して、こんな私みたいな暇なおばちゃんを無人交番に漏れなく一人か二人配置するのってどうでしょう、ボランティアで?
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