浅田次郎著

短編集「鉄道員」を読んだので何か長編をと思って本棚を見ていたら、浅田さんの沢山ある中のこの本が目に留まった。
多分TVドラマ化されたのではないだろうか?
名前に記憶がある。が、内容は覚えていない。
取り上げてぱらっとめくったら、懐かしい「ファイヴ・ハンドレッド・マイル」の歌詞が。
「私の時代だ!」と、とっさに思ったのだけれど、何が私の時代なのだろうね?
今、現在だって私の時代には違いなかろうに。
人は青春を過ごした時代こそが自分の時代だと思えるのだろうか?
そうしたら「心のありようで人生いつでもが青春!」などとほざく輩の自分の時代って随分長いことになる・・・けど?なんて屁理屈を心の中で繰り広げながら・・・それでもヤッパリ今青春時代真っ只中にいる人は今が「自分の時代だ!」なんて意識していないだろうからなぁ・・・なんて・・・ただのぐだぐだね。
それでも縁のものだからこれを読むことにする。
読んでいるうちに「あぁ、このお母ちゃん、八千草薫さんだったんじゃないかしら?西田敏行さんが出ていたような・・・このしょうもない三男坊を演じたのか、あの神の手の医者の方を演じたのか?う~ん、思い出せないけれど・・・」
読み終わったら、丁度横山秀夫さんの本の事を書いた後だったから、「いやぁこの二人の作家から受ける印象は正反対だ!」と思ったのだが、浅田さんだって全部が全部こんなに汚い地上からホンワリ足が離れたような優しい小説ばかり書いているわけでもなかろうと思いなおした。
読んだのはまだたった2冊なんだものね。

人生の極限、死を目前にした母と、人生の崖っぷちに立ってしまった息子が織り成すには「なんと優しい結末が用意されたことだろう!」と思うと救われる。
「一生懸命の思いって一生懸命思えばいいんじゃないかなぁ!」なんておかしな科白だが素直にそう思えてしまった。
私も何かに追い詰められた時はこのお話を(そうお話なんです)思い出して「一生懸命になりたい方へ向かって一生懸命になればいいんだね?」と、自分に念を押してみたり。
前向きな気分が押し出されてくるようだ。
それにこのお話ヤッパリ「私の時代」の色を帯びていたから、妙に嬉しい感じもした。
そういえば、バブルの絶頂期には珍しい話でもなかったけれど、ご主人に天国を見させてもらって破産してその後離婚なさった知人がいた事を思い出した。
今頃この主人公の安男さんもきっといい味わいの男になっていそうだから、彼女たちもそうなっているかもしれないなぁ・・・かえって大きな波に洗われる事も無かった私など、味わいはないんだろうなぁ・・・何ていう感慨も。
「母にならなければ一人前の女じゃない。」なんて、男の目線のせりふだと思っているけれど、ここにいる母は戦後を潜り抜けた紛れも無い母で、普遍的な母の造形だとも思う。
男が理想化した母であり、洗脳された母性の匂いもあるけれど、その一方で私の母の世代の典型的な母だと懐かしくも思う。
それにしても戦争を潜り抜けた人とか、女手一つで子どもを育て上げた人は強い!
でも強くならなかった人が結局は幸せなのかも知れないなぁ。
この母もマリも男の子守唄だ、「お伽の子守唄」だわ。

願わくば、すべての病院に神の手を!すべての医者に神の心を!
あ、神の心は怖いかな?