みのたけの春

題名INDEX : マ行 504 Comments »
みのたけの春 みのたけの春
志水 辰夫集英社 2008-11
売り上げランキング : 5612Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 

志水辰夫著

志水さんの作品を7,8冊も、もっとかな、既に読みましたかね?それで一冊も読書日記に残していないのは何故でしょう?
それはさておき(そのうちに何故かちゃんと考えます)、志水さんの作品にまさか?と思った時代物があると知って、図書館に予約しました。
そしてこの作品は・・・!と、ちょっと驚いているところです。
私の好きなハードボイルド的な多くの作品、「行きずりの街」~「オンリィ・イエスタデイ」に至る作品が放つ匂いと様々な複雑な気分を私に醸させる現代短編小説群の香りと両方が実になんというか、静かなところで手を結び合っているような感じを与えられたからでしょうか。紛れも無く時代小説の風合いをかっちり身にまとっていました。時代に歩調の合っているこの主人公の青年榊原清吉君は志水さんのハードボイルドの中の主人公ほどの魅力的で鋭い尖った衣はまとっていないものの、心の底にはシンとたたえた知性を、判断力の片鱗はしっかり腹の底に湛えて、しかもこの時代の人間が持っていたに違いない地縁の柵にもしっかり耐えて・・・そこが柵は人間関係だけに繋がれる現代の主人公とは一線を画していましたっけ。
身の丈って言葉、なんか色々考えさせられちゃうのです。
それで満ち足りて慰められるような、余りに卑小で情けなくて背のびしたいような、安心して憩えるような、そこで止まったら終りのような・・・私の今の心のある場所でいかようにも変転しそうで取り留めがなくて危なげで、でもそれで良いのかもと慰めやすくて・・・ずるいよ!といいたくなる言葉です。
主人公の青年にとって、親のかせがあることが身の丈、思いを伝えられないのが身の丈、友人の行く末に関わらざるを得なかったことが彼の住む身分や地縁や人の縁の拠ってくる身の丈?
間もなく襲い掛かってくる時代の嵐の中をどんな身の丈で生き抜くのだろうか?行く先が気になるところです。この先、彼が柵を脱ぎ捨てて、身の丈を思わず、夏に突入したら?時代の嵐の中に飛び込めたら・・・維新のハードボイルドになるのかなぁ・・・

行きずりの街 (新潮文庫) 行きずりの街 (新潮文庫)
志水 辰夫新潮社 1994-01
売り上げランキング : 124128
おすすめ平均 Amazonで詳しく見る
by G-Tools
オンリィ・イエスタデイ (新潮文庫) オンリィ・イエスタデイ (新潮文庫)
志水 辰夫新潮社 2008-02
売り上げランキング : 143090Amazonで詳しく見る
by G-Tools

霧笛荘夜話

題名INDEX : マ行 287 Comments »
霧笛荘夜話 霧笛荘夜話
浅田 次郎角川書店 2004-11
売り上げランキング : 62656
おすすめ平均 Amazonで詳しく見る
by G-Tools

mutekisou1.jpg

  浅田次郎著

7話からなるひとつながりの物語。浅田さんはこういう物語を構想するのが本当に上手!こうなると、手馴れている分まるで職人さんだね。作品も量産していてしかもそれが皆高水準(って、読んだだけでも)!
時々絵を見に行くとその画家の生涯の事を考えることがある。本当に短い生涯だったり長寿だったり。その違いを例えば奥村土牛さんの絵などを見ていると「職人になれば長寿」、ゴッホなどを見ると「芸術家になると短命」なんて。浅田さんはなぜか土牛さんを思い起こさせる。大作も小品も上手過ぎる!ツボを知っている!確実に引き込んで描かれた世界を堪能させてくれる!これもそう。
霧笛荘には管理人の部屋を入れて7つの部屋がある。もう随分古い建物だが、ある頃のそこの住人の話が1話ずつ管理人の纏足のおばあさんの語りで語られていく。物語の始めが上手くてついまるで私がその部屋を借りに来た「まだ性根の座らないさ迷い人」のような気がした。ここにたどり着くときは私の鞄には「何が入っているのだろう?」かと。
纏足なんてもう長いこと聞くことの無かった言葉だ。パール・バック「大地」で始めて知ったんじゃなかったっけ?それだけで謎めいていて異国風で、港町の霧と雨の情景の中、ポットンとこの世界へ墜落する。
それはともかく?行き場がなくなってぎりぎりに追い詰められなければたどり着けないこの古アパートの住人は「よくもこんな人生を思いついたね?」と作家に言いたいくらいな背景を背負わされているのに、老婆は「皆幸せだった」と言うんだよね。どうして?と夢中で読んでしまう。どうしたらそういえるの?どうなるの?と。3人の女と3人の男プラス語り手の物語を。
そして最後に納得させられてしまったような気がするんだよね。
でも本当は納得していないの。だってこんなの悲しすぎるじゃないの・・・って思いながら読んだから。それは「作家が無理やり作った納得だろ?そう思わせるために仕組んだ作品だろ?」って、心の底では思っているの・・・それは「余りに上手すぎるから?納得しちゃったじゃないの」って思っている冷めた私が完全には消えないから。そこが限界かもって。
それなのに上手いって思うのは、物語を堪能したと思えるのは、テーマにそう信じたいと思わせる「実」があるから。だって誰だって「お金でかえないものがあると信じていたい!」んだもの。ヒョットすると誰かさんみたいに「金で買えない物はない」って普段思っているのかもしれないけれど。
だからそれを素直に簡単に「金で変えない物はある」と貫けちゃう人を差し出されるとクチャっと頭を垂れたくなっちゃう。それで「心からそう思っている私」でありたいんだねって気付かされる。
その上人は皆「自分の行き方で生きた!」って思いたいのだから。

まんまこと

題名INDEX : マ行 431 Comments »
まんまこと まんまこと
畠中 恵文藝春秋 2007-04-05
売り上げランキング : 80853
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る by G-Tools

manmakoto1.jpg

畠中恵著

お待ちかね、畠中さんの江戸時代ファンタジーです・・・じゃないの?、残念なことにお約束じゃないのね?妖怪変化なーし!不思議なーし!ファンタジーにあらず!てっきりシリーズ外でもあやかし物だと思い込んでいました。
ファンタジーではなくよろず揉め事承り候?
なんて書くと周平さんの「平四郎活人剣」を思い出しそうですが、ま、それ系の走り書きかな?
明るく書かれていますが・・・それはそれなりに・・・彼らは彼らなりに・・・優しいんだもの・・・生きていくのは色々あらあな・・・でも智恵があればさ・・・あわせる力があればさ・・・人の世はそれなりに渡っていけるのだわね・・・なんて、事件は色々あっても何とかなって・・・
楽しく読ませていただけますね。北原亜以子さんの複雑読み込み心理ものとは北と南の違い。
主人公の醸すムードは畠中さんの世界のレギュラー陣?
やっぱりこれは言われちゃうのでしょうね「畠中ワールド!」
それはとてもステキなことですよ。なんにせよカラーは見つけるまでが大変なのですから。デ、見つけられれば・・・鬼に金棒!
安藤さんのコンクリート壁も、クリムトの金ぴか装飾も、ユトリロの白いモンマルトルも・・・でしょう?
だから「こころげそう」というのは妖が出るのか出ないのか?分かりませんが予約しました。150人待ちのようです。「ちんぷんかん」はやっと25人待ちになりましたし・・・楽しみにはしているのですよ。とにかく時代物を中心にと。でもちょっと「まんまこと」は薄味だったようなきがしないでもないんですね。トリオが楽しいけど一寸躁が勝ちすぎかな。もう少し熟成させて欲しいような?そういえば「はなしあいをもつ」とか「説明の場を持つ」とか・・・翻訳文を感じさせられたのですが・・・今じゃ当たり前ですか?「設ける」とかより現代的なんでしょうか。一つ一つ事件を解決して主人公は成長し、結婚へと、大人へと、階段を上る。成長譚は実に気持ちよくさわやかに読めるジャンルだわい!と、思いながらそれでもなんとなくものたりない気分で、やっぱり「一太郎さんを待とう」という気分の読後感なんですねぇ~。
 

むかしのはなし

題名INDEX : マ行 107 Comments »
むかしのはなし むかしのはなし
三浦 しをん幻冬舎 2005-02-25
売り上げランキング : 90636
おすすめ平均 Amazonで詳しく見る
by G-Tools

三浦しをん著

「まほろ駅前多田便利軒」「風が強く吹いている」に次いで三作目の三浦しをんさんです。
そして改めて3作が3作とも見事に楽しませてくれたことに感心!しています。凄いや!全く違うテーストなんです。この方の作品順次読んでいっても良いかも!と思っているところです。
この作品はてっきり短編集かと思ったのです。
どれも昔話から想を得た独立した短編だと。
mukasinohanasi1.jpg

でも、違いました。親子二世代の時空を超えて輪になって物語が結び合いました。そしてその各物語を橋渡しする軸が一本ありました。
でも1話簡潔だとしてもちゃんと纏まっていてそれぞれに面白いです。
昔話は各章の冒頭にかいつまんで書かれています。その話を知らない人は多分いないでしょう、少なくとも私ぐらいの世代では。
「かぐや姫」には「ラブレス」
「花咲か爺」」には「ロケットの思い出
「天女の羽衣」には「ディスタンス」
「浦島太郎」には「入江は緑」
「鉢かつぎ」には「たどりつくまで」
「猿婿入り」には「花」
「桃太郎」には「懐かしき川べりの町の物語せよ」
という具合にです。
それぞれは物語的には何のつながりもなさそうながら、匂うもの、なんとなく思わせる言葉などはあるようです。「ウン、アイデアだな?」

mukasi1.jpg

1章読んで、2章目読んで、どういう風に響き合わせるのだろう?と私は首を傾げています。「昔話はいわば借景に過ぎないのだろうか?」と。三作目でフット気が付きます。最初の章で主人公は「明日、隕石が地球に・・・」と「俺」の感情を話す場面がありました。で、2章が「ロケット」?で、3章が「ディスタンス」?お伽噺の世代から時空を越えて・・・風?・・・繋がり?なんて薄ぼんやりです。
「入江は緑」でやっと「隕石がぶつかるのか?ここへ来たか?」・・・という風でした。その一章ごとに「この話いやだなぁ・・・でも、この話一寸良いよね」でもよさそうはよさそうなのですが。最後まで読んで「ああそうか!」それで今私はももちゃんがあの短命のホストの子なのか、彼を始末してしまったのに違いない城之崎組の田山の子なのか知りたくてたまらないのです。田山の考え方の捩れ・・・「こいつ生きてるよ不条理の世界で十分」なんて・・・やっぱりももちゃんと響きあってる・・・親かも?だとすると・・・大変だぁ?
入江で今日も緑をみている「ぼく」も、都会で今日もタクシーを転がしている「私」も、地球の運命を軌道を回って待っているだけの人々も、エウロパと木星の基地に降り立てたカメちゃん、サルとドームの中で花の香に包まれている「私」も皆案じられるけれども・・・やっぱりももちゃんだ。
不思議なことにももちゃんのことはあまりわかっているとも思えないのに、一番気になるのはひょっとしたら桃太郎のせいかもしれない。多分一番なじみの深いお伽噺の摺りこみによって?
そしてその昔お伽噺を夢中で聞いていたかもしれない大多数のチケットを預けられたかもしれない卑怯な「僕」たち「私」たちを思ったりして。それが普通なんだろうねぇ。でも今日も入江の緑を見ていたり、タクシーを転がしたりして自分の居場所を知っている人間でいたいなぁ。
星新一さん没後10年だなぁ・・・また読んでみようかな?なんてぼんやり思ったりして。
 

まほろ駅前多田便利軒

題名INDEX : マ行 243 Comments »
まほろ駅前多田便利軒 まほろ駅前多田便利軒
三浦 しをん

文藝春秋 2006-03
売り上げランキング : 8579
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る by G-Tools

三浦しをん著

「風が強く吹いている」に続く三浦さんです。
この本の方が大分長く待ちました。
まほろ市まほろ駅前、名前がいいですものね。題名で惹かれちゃいました。大和は国のまほろば・・・でも東京近郊なんですね?そして畳み込まれる挿話の一つ一つ、その展開はうるわし!では無いのですけれど、一つ一つの挿話の読み終えての情感がうるわし!でした。
不思議な関係の男性二人の1年間の生活の中でかもし出される1種の交情がえもいわれぬ絶妙のコンビネーションで気持ちの良い読後感が1話ずつ重みを増して、引っぱられるようにのめり込んでしまいました。
どちらも人と交わるのが下手、と言うより怖くてできなかったのに、それが事件を重ね人と介入するうちに変化していく。その過程がありえないような事件の積み重ねなのにそこに混じりこんでくる人々の孤独を癒してくれる。いや癒さないまでも他人と関係が生じてしまう。それが暖かい関係にしろ凍るような関係にしろ。便利屋に依頼する人も、依頼された便利屋も、その仕事に関連した人も。
他人といい関係を作って頼ったり頼られたりする手間をかけるには人生忙しすぎたり?いやそれよりいい関係を作るノウハウが伝わらない社会になっている?いや単にシャイで頼めない?ただ単に感情が介在するのがウザッタイ?お料金が介在して乾いた関係なら頼める!
「お願いできる?」って言うより「依頼します」の方が楽ってだけ?
ま、なんでもいいけど、言葉を交わせばそれだけで何か細いつながりは出来てしまうけれど・・・それも厭な時はどうするかなぁ・・・人はそこまで行くと生きていけないのかもなぁ・・・
だから、彼らはその手前でか細い人間味を漂わせているんだろうな。
その頼りない人間味でもかすかなぬくもりを発しているんだろうな。
そのかすかな温度に私もひきつけられたんだろうな。二人になって増幅していく分暖かくなって。
人と交わるのがイヤで?高校時代一言も口を聞かなくても、誰をも傷つけなくとも、他人から悪意を引き出してしまうこともあるとすれば、傷つかないで人は生きる術は無いのだろうなぁ・・・なんて考えてしまいました。
人と係わって生きるということは傷つけることも傷つけられることも許容すると言うことでしょうか。それならそのキズを嘗めあう人がいれば少しは生き易い?
多田さんと行天さんの関係にほのぼの感を持ってしまった私って、思いの他?人間関係に行き詰っているのかも。
まほろ駅前で、この修復された二人が便利屋家業を続けていって欲しいな・・・と思っています。悲しいかな、ご近所付き合いが希薄になったとか、親戚が遠くなったとかいわれても、こんなマンション暮らしをしているのですから、私も一つ依頼したいことがあるのです・・・。
まほろ駅前よりきっと都心のマンション街の方が依頼は山ほどあるのでしょうが、この読後感はやはりまほろ駅前でなければ出来ないんだろうなぁ・・・
Read the rest of this entry »

モッキンポット師の後始末

題名INDEX : マ行 776 Comments »

井上ひさし著

読むぞ!と思って間もなく他の館にあったのが移送されるだけの待ち時間で読むことが出来た。
楽しみにしていただけのことはあった!
「青葉繁れる」よりも一回り面白くて楽しくて爆笑しながら読む場面は多かったのだけれど、実際は「面白うて、やがて悲しき・・・」という感じだった。
モッキンポット師が後始末に現れる物語が5話入っている。
「モッキンポット師の後始末」「聖パウロ学生寮の没落」「聖ピーター銀行の破産」「逢初1号館の奇跡」「モッキンポット師の三度笠」
私はS大学文学部仏文科教授で関西弁を流暢に操る西洋乞食のような風貌風采のフランス人神父のモッキンポット師が不信心者の信徒学生の素行の後始末にいかに忙殺され心を砕き何とかしてやろうと奮闘する物語として読んだが、勿論この学生の青春試行錯誤の冒険?物としても読めるだろう。
というかそっちが本質?
だけど丁度「青葉繁れる」のチョロ松の行く末とピッタシ重なるモッキンポット師の苦闘は宗教的な寛容心が底にたゆたっているのがとてもよく分かるだけに悲哀も偉大も・・・したがって滑稽もチョロ松の比ではない。
こんな日本人の不届きな学生のために、こんなにも物心両面でご面倒をかけて申し訳ありません・・・って、私が謝りたくなってしまう。
もっともこみ上げてくる笑をこらえながらかもしれないが?
モッキンポット師は真に師であって、その風采のよって来る所以はこの学生たちに全てを底なしに吸い取られているからに他ならず、最後に「弁償させていただきますわ。けどすこしまかりまへんか?」という科白を読むと、クスっとしながら私など神のありがたみを師は体現しているとありがたーい気持ちにもなるのだ。
それなのにこの学生小松君を筆頭にこの3人組の恐るべし!
よくもまぁ、ここまで師の寛容を試せるものだと私に憤慨させるほどの代物なのだ。
「「ドタマかちまくよ。」と神父は優しくいった。」に続く師の言葉!
「神父の掌は冷たくて、手を離したあともしばらくの間ごつごつとした感触が残った。」・・・に続く収めの文章!
神父のうしろを僕らは主人のあとを慕う犬のごとくつき従った・・・。」もう本当に申し訳なくて穴に入りたいのはこっち・・・って気になる!
それなのにその上「自分の物差しを絶対と思い込み、それでもって他人の行いを推し計ろうとするのは傲慢なことでっせ。」といわせるにいたっては!
彼らのせいで帰国謹慎になった神父を前に彼らが悔い改めた・・・とはとても思えないけれど、だからこそ師の偉大が身にしみた!物語の粋も!
粋も甘いも、訳知りの、社会性も俗性も備えた神父の底知れぬ懐の深さ!というわけで、全くこの3人組が脱線していく見事さは師の造形の見事さにますます磨きぬかれて?とにかく面白うて・・・となったのでした。
それにしても5編の見事な盛り上がりとその見事な〆!
最高に上質な?素晴らしい作品だと私は本を撫でています。いいなぁ!実にいい!
Read the rest of this entry »

地下鉄(メトロ)に乗って

題名INDEX : マ行, 題名INDEX : タ行 276 Comments »

浅田次郎著

この作品のキャッチフレーズを簡単に考えるとすると・・・
「ハートフル・タイムスリップ~あの頃には一生懸命が溢れていた!」なんてどうでしょう?
タイムトリップといってもこの作品は地下鉄地下道の古い出口と夢の二本立ての時間旅行です。
そこが目新しくてひねっていて他のタイムトラベル物と一線を画すところです。
ある意味では夢は地下鉄の出入り口を時間旅行のタイムマシンに出来ない場所にトリップするための苦肉の策ともいえるのかしら?
一つ旅行をして一つ知る、すると疑問が出来る、又旅をしなければならない。手を加えた過去のせいで普通だったらタイムパラドックス何かが変わるはずなのに変わった様子もないし・・・主人公はタイムトラベルが起こす二次的?変化の事を知っているから・・・最も今の読者は皆知っているから・・・だからこそこの物語の結末をどうつけるのか興味津々で読み進むわけで・・・。
ところがこの物語はその点でタイムスリップ物とは決定的に変わっている。「バック・ツー・ザ・フューチャー」とはいかない。
兄を自殺から救えたわけでもないし、父と和解するわけでもない。生活は変わるだろうが、・・・否、変わるのはみち子さんとの生活が清算されてしまったことだろうがしかしそれも間もなく彼の記憶から抜け落ちて行くことが約束されている。しかしこの清算は理にかなわない・・・なんてことはこの際言いっこなし。
色々な点で引っかかりはあっても醸しだされる懐かしさと切なさは読み応えがあります。
色々と時代に手をつけたにしては得たものは「知ったということ、見てきたということ」に尽きるのですから。
私がキャッチフレーズにつけた「ハートフル」と言う言葉は手垢が付き過ぎて軽過ぎるきらいはあるけれど、このタイムとラベルで「親の子である自分を容認できた。」という優しさに対してです。
そして「一生懸命」は真次と一緒に辿ることで私まで一緒に生きてしまったような気がする「小沼佐吉の生き方」にです。
父息子というのは母娘より会話が少ない分だけ難しいのかもしれない。確かに母と娘の場合は会話が多すぎて失敗することはあるけれど、父子の場合は会話が少なすぎて失敗することが多そうに見える。
父は息子に過去来し方を語らないし、息子も父のよってきたところを聞こうとしない。時々、事によっては、嫁の私の方が好奇心があった分舅の事を知っているかも・・・と、思うことがありますもの。
それはともかくこの作品ではみち子さんが「夢の事を話す部分、銀座線の上野駅のアールヌーボー・昭和のセンスについて語る部分」が凄く好きでした。
私は一度もみち子のように意識して乗ったことは無かったけれど、銀座線が私の一番の足だった小学生の頃がとても懐かしく思い出されて、泣けそうなほどでした。
浅草・上野・広小路・三越前・日本橋、私のテリトリーでしたもの。
私にとってこの物語の主人公は地下鉄が吐き出し吸い込むあの風のようでした。
記憶を吹き寄せまた散らす風。小学生の私にはきつい風でした。
それにしてもみち子さんは何のために存在していたのでしょう?
彼女無しでこの物語はありえなかったでしょううか?
いずれにしても、この物語の中で最高に優しかったみち子さんを悼みつつ本を閉じました。
Read the rest of this entry »

森は生きている

題名INDEX : マ行 294 Comments »

サムイル・マルシャーク著

暑いですねぇ・・・今年の東京は梅雨が長引いたせいと日光不足っていう感じのせいで真夏気分が今ひとつ盛り上がらなかったような気がします。それなのにじっとり暑くって、最悪ですよ。
ここ数年「気候が不順で・・・」というような挨拶をすることが増えているような気がしませんか?
少なくとも私は手紙の冒頭でこの文句から入ることが多くなっています。
私にとって「不順ですね。」は定例化しているようですが・・・これもそれも温暖化のせいですよ!
北海道のお米が美味しくなるのは歓迎ですが、ぶなの木の北限があがるのも・・・(問題あるのかしら?)私的には歓迎ですが、台風が多く上陸するのも、雨が多くなり過ぎるのも余り歓迎できません。長野のりんごが美味しくなくなるのもね!え?そんなこと有るの?
気候が不順というと思い出すのは「十二月のお兄さんたち」です。
ちゃんと「いるべき時にいるべき時間だけいてね。」とお願いしたくなります。
基本的にはまま娘と同じに4月の精と結婚したい私です。
5月の精と手を打ってもいいな!
小学生の時にこの本に出会いました。それから数年は4月の精さんが私の憧れのお兄さんでした。
こんなクリスマスに一度でいいから出会ってみたいと本気で思っていました。
冬が夏と会って、春が秋と一緒になるなんて「素敵じゃない!」
「まま娘」ってなんか悲壮にドラマチックで健気でロマンチック?
冬の寒い日に学校から帰る道で「燃えろ、燃えろ、明るく燃えろ!消えないように・・・」ってつぶやいていましたっけ。
私の心の中には「十二月の月たち」が囲む大きな豪勢な焚き火が燃えていました。
4月の精に貰った指輪を握り締めているような気分であの魔法の言葉・詩?を暗唱していました。

「ころがれ、ころがれ、指輪よ
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋の高殿へ
そして、冬のじゅうたんの上を
新しい年の焚き火をさして!」

ね、今でも言えるでしょう?
これって、普遍の至高の言葉じゃありませんか?理想的な環境秩序の?

大昔仲代達也さんの奥さんがわがままな女王を演じた舞台を見ました。そして先年お嬢さんがまま娘を、仲代さんが老兵士をした舞台を見ました。なんか不思議に感動してしまいました。
私の傍らを通り過ぎて言った何十もの春や!夏や!秋や!冬や!が私の周りで渦を巻いているようでした。

この物語に漂う詩情を今の子供たちも大事にしてくれないかしら?
「十二月の月たち」を暖かい心で「一月一月を楽しく待つ生活」が出来るためにも、穏やかな地球を失わないで生きるためにも、環境の事を真摯に考えなくてはなりませんね。
それにしても本当に可愛い物語なんですよ!まま娘になって森のりすさんやうさぎさんのお話をこっそり聞いて笑いたいものです。

又蔵の火

題名INDEX : マ行 347 Comments »

藤沢周平著

大好きな藤沢さんですけれど、読んでいないものがそれでも未だ何作もあります。大体現代物は読んでいないんです。
この作品はなんとなく取り落としたものの一つです。
短編というか中篇でしょうか、5篇が収録されています。
「又蔵」意外はやくざ物です。
多分手に取る時、市井物でももっと「優しい」と思えるものから先に選んで読んでいたからかもしれません。それにこの作品は特に暗そうでしたし。
だからといって周平さんの暗い作品は嫌いではありません。
「暗殺の年輪」の中の葛飾北斎の心情を描いた作品「凕い海」などはずっしりきますがむしろ好き、魅入られましたし、「海鳴り」なんて妙な感じに身につまされましたし・・・「伊之助シリーズ?」なんて、もっと読みたかったなぁ・・・と惜しんでいます。
周平さんの作り出した主人公のうち「青江又八郎」「神名平四郎」「立花登」なども皆大好きですが(彼らは安心できるんです)、それ以上に伊之助好きですねぇ。心がギュウッとするのです。

まだ生きるにしろ、死んだにしろこの本の中の男たちは何かを選び取るというよりも、何かに突き動かされたのだと・・・そんな話を作者は書きたかったのだと・・・感じました。
「You are my destiny・・・」というフレーズが頭の中に浮かび上がりました。
どの話もどうしようもなく、どう動かしようもなく、こういう運命から切り離すよすがも窺えないほど、ピィシィッと人生が閉ざされる音が聞こえるようでした。
読んでいるうちにこういう男たちに寄り添っていく、いとしく思えていく自分が居て、それが不思議でした。
この物語に共通して現れる女性像はどぎつい色を持っていたり、はかない色を漂わせていたりはしていても、それと知らずに運命の時に現れて男の命運を断ち割っているのが恐ろしくて、出会いというものが持つ底の知れなさに酔わされました。
究極の場では涙と血は同じものなのかも知れないなぁ・・・と、こういう究極の世界をこのような形で見せてくれる作家の凄さを思いました。
女たちが過剰に「見せる・持っている」情には母性が匂っているのが哀れでした。作家は女に何を求めたのでしょうね。
「又蔵」のハツにもそれは見られて、「そんなもの持つんじゃないよ。不幸を纏った男に入れあげてしまうよ。」と、長屋のおかみさんみたいな口調で気遣ってしまいます。でもハツは魅入られてしまうんでしょうね。
その女たちにもこの男たちがやっぱり「Destiny」なのでしょう。
又蔵の突き進む道には理非のかけらも無いでしょうけれど、又蔵を押し流す情だけは暗く深く迫力を持って流れていますものね。
その流れをまともに受けてしまって死なざるを得なかった男にとっては天災でしょう?その家族はどう受け止めればいいのでしょう?受け止められはしませんよ!
やりきれないと思うのに男や女が生き生きしているのですよ、ここでこうしている私なんかより。ちゃんと生きていると思ってしまうんです。そしてどこか羨ましく思う心が私の中に潜んでいます。
Read the rest of this entry »

「マーゴの新しい夢」(ドリーム・トリロジー1)

題名INDEX : マ行 446 Comments »

ノーラ・ロバーツ著

完全回復!勿論スティーヴン・キングからの、を狙って探した本です。
何か優しくって、ロマンチックで、乙女チックで・・・私の得意な分野の本をね?
少女っぽい題名の本を次々に探していって「ロマンスの巨匠が女性たちの愛と夢を描いた、3部作第1弾!」というキャッチフレーズに目が釘付け。
「トップモデルが10年後スキャンダルの中で破産・・・再出発は姉妹同然の親友2人と・・・」という補足事項で完璧!と思ったのです。
女3人が親友・・・また難しい設定だなぁとは思ったものの、それが出来ればそれこそ私の望む完全癒し系?じゃないの。
しかも3部作ともなれば楽しみは長―い尾ひれとともにだもの、注文したってなかなかこうは行かないってくらいのものです。
それに私は今までこの作家知りませんでしたけれど「ロマンスの巨匠」です!
ロマンスに巨匠がくっ付いているのですよ・・・と思って見回せば、なんか女性が喜びそうな題の本がずらり!扶桑社海外文庫です。今まで余りなじみはありませんけれど・・・ままよ!
この3部作「マーゴ」のあとは「ケイトが見つけた真実」「ローラが選んだ生き方」と続き、「愛ある裏切り」「悲劇はクリスマスの後に」「海辺の誓い」「珊瑚礁の伝説」それに宝石名をちりばめたシリーズと続いていました。ね?
「巨匠なのに知らなかったとは・・・」と、これを読むことに決めました。
填まれば尽きぬ泉のように作品がありそうですからね。
で、今猛然と腹を立てているところです。
読み始めて「あれっ?女性のシドニー・シェルダン?」って!本当は偉そうに言えません。シェルダンは2作で諦めました。
「タイプじゃない」と早々見際目をつけたのですが、その二の舞でしょうか?
まるで「ハーレクィン・ロマンス」みたいだわ。ジェットコースタータイプ。読み終わった今、作家が「ハーレクィン」の作家だと知りましたから、あながち間違えた結果ではなかったようです。
猛然と腹を立てていると書きましたが作家にではありませんよ、念の為。大方は物語の設定にです。(私って気が小さいから)
「だって、それじゃぁ、なんだって出来るだろ?」ってチョイトむかついています。って、そんなに大上段に言う必要は無いのです。
夢物語にどっぷりつかって面白いなぁ・・・って思えばいいのですし、余計なことに気を廻さなければものすっごく面白く読めたのです。
ただ私が持ち得なかったもの、持ちたいけれど与えられていなかったものふんだんに持たせておいて何が試練だ!何が自己発見だ!って私は猛然とやっかんでいるのです。
どんなに失意に落ちようと、男なら誰でも引き付ける絶世の美貌と肢体と向こうっ気を持っているのですよ。しかも後ろには白馬の美貌の逞しい王子様が居て、その鞍には財閥が仕込んであって、更に後ろには愛情深い理解も深い王様と女王様が付いていて、賢い母もいて、二人も真の親友が居て・・・それでどう不幸を持ちこたえられるって言うのでしょうね?アホくさ!
「好きなだけ甘く足掻けば?!」って言いたくもなるでしょう?
トップモデルがどんなで、大富豪がどんなで・・・って覗き見たい?それならいいかもしれませんね。
それとも素直に女の友情を信じてみたい?それもいいかもしれませんね。
モンゴメリーさんの世界に現代香辛料をまぶしたのがピルチャーさんの世界だとすれば、それに唐辛子興奮剤を振り掛けて「今」味にしたのがこの作品かなぁと途中で思いかけましたが、違いましたね。
愛すべき世界がここには無いのですよ。
プライドの質が?作家の資質が?色々なものがやっぱり違うのではないかなぁ・・・と、思うのですが、さて?
1940年代に育てられた女の子には刺激が強すぎたのだろうって?そうなのかもしれません。
でも、だって、やっぱり、ありえないだろ?
イエイエ、日本人でも凄い富豪層が財産保全、相続税回避のために海外で豪奢に暮らしているらしいですよ。
それに今の日本の女の子も男の子も脚は長く美貌もおさおさ劣ることはありませんし、恋人が、父親が(母親も)「IT長者にならない!」という保証も無いのですから・・・って、嗚呼、ヤッパリやっかんでいるんだな?
「嗚呼」の字を注目してください。ヤッパリ私にはこのくらい遠くあほらしい世界でしたよ。
白状しますが10代の頃こんなん回し読みしてましたわぁ。もうちょっと単純で、もうちょっと刺激の薄い・・・
Read the rest of this entry »

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン