まほろ駅前多田便利軒 まほろ駅前多田便利軒
三浦 しをん

文藝春秋 2006-03
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三浦しをん著

「風が強く吹いている」に続く三浦さんです。
この本の方が大分長く待ちました。
まほろ市まほろ駅前、名前がいいですものね。題名で惹かれちゃいました。大和は国のまほろば・・・でも東京近郊なんですね?そして畳み込まれる挿話の一つ一つ、その展開はうるわし!では無いのですけれど、一つ一つの挿話の読み終えての情感がうるわし!でした。
不思議な関係の男性二人の1年間の生活の中でかもし出される1種の交情がえもいわれぬ絶妙のコンビネーションで気持ちの良い読後感が1話ずつ重みを増して、引っぱられるようにのめり込んでしまいました。
どちらも人と交わるのが下手、と言うより怖くてできなかったのに、それが事件を重ね人と介入するうちに変化していく。その過程がありえないような事件の積み重ねなのにそこに混じりこんでくる人々の孤独を癒してくれる。いや癒さないまでも他人と関係が生じてしまう。それが暖かい関係にしろ凍るような関係にしろ。便利屋に依頼する人も、依頼された便利屋も、その仕事に関連した人も。
他人といい関係を作って頼ったり頼られたりする手間をかけるには人生忙しすぎたり?いやそれよりいい関係を作るノウハウが伝わらない社会になっている?いや単にシャイで頼めない?ただ単に感情が介在するのがウザッタイ?お料金が介在して乾いた関係なら頼める!
「お願いできる?」って言うより「依頼します」の方が楽ってだけ?
ま、なんでもいいけど、言葉を交わせばそれだけで何か細いつながりは出来てしまうけれど・・・それも厭な時はどうするかなぁ・・・人はそこまで行くと生きていけないのかもなぁ・・・
だから、彼らはその手前でか細い人間味を漂わせているんだろうな。
その頼りない人間味でもかすかなぬくもりを発しているんだろうな。
そのかすかな温度に私もひきつけられたんだろうな。二人になって増幅していく分暖かくなって。
人と交わるのがイヤで?高校時代一言も口を聞かなくても、誰をも傷つけなくとも、他人から悪意を引き出してしまうこともあるとすれば、傷つかないで人は生きる術は無いのだろうなぁ・・・なんて考えてしまいました。
人と係わって生きるということは傷つけることも傷つけられることも許容すると言うことでしょうか。それならそのキズを嘗めあう人がいれば少しは生き易い?
多田さんと行天さんの関係にほのぼの感を持ってしまった私って、思いの他?人間関係に行き詰っているのかも。
まほろ駅前で、この修復された二人が便利屋家業を続けていって欲しいな・・・と思っています。悲しいかな、ご近所付き合いが希薄になったとか、親戚が遠くなったとかいわれても、こんなマンション暮らしをしているのですから、私も一つ依頼したいことがあるのです・・・。
まほろ駅前よりきっと都心のマンション街の方が依頼は山ほどあるのでしょうが、この読後感はやはりまほろ駅前でなければ出来ないんだろうなぁ・・・