井上ひさし著

読むぞ!と思って間もなく他の館にあったのが移送されるだけの待ち時間で読むことが出来た。
楽しみにしていただけのことはあった!
「青葉繁れる」よりも一回り面白くて楽しくて爆笑しながら読む場面は多かったのだけれど、実際は「面白うて、やがて悲しき・・・」という感じだった。
モッキンポット師が後始末に現れる物語が5話入っている。
「モッキンポット師の後始末」「聖パウロ学生寮の没落」「聖ピーター銀行の破産」「逢初1号館の奇跡」「モッキンポット師の三度笠」
私はS大学文学部仏文科教授で関西弁を流暢に操る西洋乞食のような風貌風采のフランス人神父のモッキンポット師が不信心者の信徒学生の素行の後始末にいかに忙殺され心を砕き何とかしてやろうと奮闘する物語として読んだが、勿論この学生の青春試行錯誤の冒険?物としても読めるだろう。
というかそっちが本質?
だけど丁度「青葉繁れる」のチョロ松の行く末とピッタシ重なるモッキンポット師の苦闘は宗教的な寛容心が底にたゆたっているのがとてもよく分かるだけに悲哀も偉大も・・・したがって滑稽もチョロ松の比ではない。
こんな日本人の不届きな学生のために、こんなにも物心両面でご面倒をかけて申し訳ありません・・・って、私が謝りたくなってしまう。
もっともこみ上げてくる笑をこらえながらかもしれないが?
モッキンポット師は真に師であって、その風采のよって来る所以はこの学生たちに全てを底なしに吸い取られているからに他ならず、最後に「弁償させていただきますわ。けどすこしまかりまへんか?」という科白を読むと、クスっとしながら私など神のありがたみを師は体現しているとありがたーい気持ちにもなるのだ。
それなのにこの学生小松君を筆頭にこの3人組の恐るべし!
よくもまぁ、ここまで師の寛容を試せるものだと私に憤慨させるほどの代物なのだ。
「「ドタマかちまくよ。」と神父は優しくいった。」に続く師の言葉!
「神父の掌は冷たくて、手を離したあともしばらくの間ごつごつとした感触が残った。」・・・に続く収めの文章!
神父のうしろを僕らは主人のあとを慕う犬のごとくつき従った・・・。」もう本当に申し訳なくて穴に入りたいのはこっち・・・って気になる!
それなのにその上「自分の物差しを絶対と思い込み、それでもって他人の行いを推し計ろうとするのは傲慢なことでっせ。」といわせるにいたっては!
彼らのせいで帰国謹慎になった神父を前に彼らが悔い改めた・・・とはとても思えないけれど、だからこそ師の偉大が身にしみた!物語の粋も!
粋も甘いも、訳知りの、社会性も俗性も備えた神父の底知れぬ懐の深さ!というわけで、全くこの3人組が脱線していく見事さは師の造形の見事さにますます磨きぬかれて?とにかく面白うて・・・となったのでした。
それにしても5編の見事な盛り上がりとその見事な〆!
最高に上質な?素晴らしい作品だと私は本を撫でています。いいなぁ!実にいい!