深追い

題名INDEX : ハ行 113 Comments »

横山秀夫著

この本は再読です。なぜかというと先日「影踏み」を読んだのですが、それで思い出したのです。確かこの短編集にも「泥棒さんの話があったぞ」というわけです。三ツ鐘市という架空の市の市役所斜め向かいにある三ツ鐘警察署の刑事たちの物語が表題の「深追い」を含めて7編収められています。
横山さんの作品の中でも私の好きな警察官ものの一つですが・・・この中に「引き継ぎ」という作品があるのです。
言ってみれば、この作品は丁度「影踏み」のポジ?「裏返し」みたいだと思い出したのです。
あの作品では泥棒になった主人公が「盗犯」係りの警察官と渡り合うという部分がありましたが、この作品ではその「盗犯係り」のいわば泥棒刑事の側からの物語なのです。
丁度この「影踏み」と「引き継ぎ」を続けて読むと警察と泥棒のなんともいえない間柄・・・って言っちゃいけないかな?が見事に立体的にちゃんと三次元で立ち上がってくるようで面白いです。
刑事といっても、泥棒といっても、つまりは人間なんだなぁ・・・という当たり前のことが腑に落ちるといってはつまらないですが・・・いや実に面白い「ワールド」が厳然とあるようですよ。
そういえば我が家に、一度だけ私が小学校1年ぐらいの時(昭和29年頃?)に泥棒さんに入られたことがあります。侵入口はお便所の上の小さな窓でした。鍵をかけ忘れたのですが、小さな窓ですよ。やってきたおまわりさんが侵入口はここだと断定して、私はその小さな窓に向かって「嘘だぁ!」と思ったのを覚えています。大人が潜り抜けられるとは思えませんでしたもの。
母が箪笥を開けるまで全く気が付かなかったほど痕跡は無く部屋はきれいだったのですが、警察で盗まれた物を書き出した母が後で仰天していました。盗まれた物はあらかた父と母の着物でしたが、あの量をふろしき包みにしては絶対便所の窓からは出せないし、一人でいっぺんには持てないくらいの分量でしたから。いったいどうやったのでしょう、謎です。私が忘れられないのは買ってもらったばかりの舶来の真っ赤な私のレインコートも盗まれていたからです。父が「きっと泥棒さんにも可愛い女の子がいるのかもなぁ・・・その子が喜ぶかもなぁ・・・お前はまたいつか買ってもらえるのだから・・・」なんて慰めてくれたっけ。後日質屋で足がついて警察に出向いた母は書き忘れた着物が何点か出てきておまわりさんに叱り飛ばされたらしいです。
あの泥棒さんの手口も「泥棒刑事」さんだったら直ぐ当りがついたのかもしれませんね?・・・と、横山さんを読んだ後の私は思いました。
浅草のロックで年末(林家正蔵の会の帰り?)に父が掏りにあったこともあります。オーバーの下の背広の内ポケットの下(裏地)を鋭利な刃物できれいに真一文字に裂かれて財布だけすっぽりやられたのです。警察のおまわりさんがその切られたところを見て「あー、何とかだ!」と名前を言ったと父が言っていました。今なら?これもよくわかりますね?ひょっとしたらその「誰とかさんという掏り」はその刑事さんの、その盗犯係りの「手持ち」だったのかも?なんて。
そんな事を思い出しながら興味深く再読したわけです。
ちなみにこの短編集では「訳あり」と「仕返し」と「人ごと」が好きでした。そして「影踏み」を読んだ後では「引き継ぎ」も「好き」なうちに入れようかな。
Read the rest of this entry »

風が強く吹いている

題名INDEX : カ行 253 Comments »

三浦しをん著

三浦しおんさん初挑戦です。この作品と「まほろ駅前多田便利軒」の2作品を図書館に申し込んでこちらが先に届きました。
最近まで私は保守的?で、読書は長く読み伝えられて評価の定まったいわば名作主体に読んでいました。そして好きになった作家の作品はたったった・・・と続けて読んでしまうのが常でしたが、このところ傾向がすっかり変わりました。人生残り少なくなったから?気の向くままにつまみ読みです。誰かに「お薦めよ」と言われたり、書評で見つけたり、広告の文句に引きずられたり・・・行き当たりばったりです。でも避けるのはやはりあって、思いっきり泣かせるという恋愛ものとオカルトホラー・スポコンものでしょうか。それにこの本を読んで気が付きましたが「思いっきり青春」小説というものも避けていた感じです。
それが井上ひさしさんの「青葉繁れる」と「モッキンポット師の後始末」を読んだせいか、本当に忘れていたみたいな石坂洋次郎さんまで思い出しちゃって・・・で、この小説です。スポコンものに加えて思いっきり青春って感じですが・・・いいの?良かったんです!
本当に私の青春時代以来の素直な青春ものといった印象でしたが、スポコンという点に関してはどうでしょう?むしろ今までのスポコンものとは対極の位置でのスポーツ推奨小説といった感じでした。
それで私も物凄く好意を持ってこの本夢中で読めました。
私は走る跳ぶが駄目、6年の時のスポコン先生に劣等感背負わされたっきり運動とはおさらば。運痴だから運動には長いこと手を出さなかったんだけど、いい大人に成ってから運動は誰でも楽しめることに目覚めて「チェッ!って感じ?」でしたから、この急に否応無く走り始めた彼らに私は夢中!
走りに取り付かれている二人は別枠に置いておいて・・・といったからって彼らに反感はありませんよ。「ある種の能力を司どる運命の女神に微笑まれてしまった青年たちよ!」って感じですか?だから彼らは彼らで美しく自らの道を追求してくださいってものです。そういう彼らに心底憧れて共感をする読者には事欠かないでしょうけれど・・・むしろ残りの青年に共感する人はそれこそ山の様?のはずです。
なんと言ってもスポーツに対する、作者の拠って立つところがなんと言ってもいいのです。運動馬鹿も、運痴も、どちらも自分の場所を本の中に見つけることでしょう。そして彼らの誰かと一緒に風に吹かれるでしょう。
青春はやっぱり甘酸っぱくて、小気味良くて、将来があるんだと・・・微笑がホホに浮かびました。この風に吹かれて弾む気持ちは多分18歳の頃と一緒ですよ。夢中になってフレーフレーと沿道で叫ぶようにページの中に顔を突っ込み読みふけりました。
そう、50歳の時始めてスキーを履くことから教えてくれた大学生のインストラクターさんは私をコースの天辺まで押し上げて、練習を始める前に山頂からの雪の世界の美しさを見せてくれましたっけ。一寸頑張ればこんな世界が私のものになるんだって、最初に何よりスキーがこんなにも美しいところを駆け抜けるものだって知ってくださいって言ったなぁ。
誰でしたっけ?ニコチャン先輩?競技以外のスポーツを楽しんでいいのだって教えてくれる人の居なかった不幸の中にいた青年がいましたね。ほんとよねぇ、めぐり合いよねぇ・・・私だってあんな楽しい素敵なコーチに出会わなかったら運痴の劣等感の中でテニスやスキーなんて一生縁が無いままだったわ・・・などと、私自身40過ぎてからスポーツをそこそこ楽しめた来し方を、そんなこんなを、本を無理やり閉じて眠りに付く間改めて反芻して・・・素直な共感しきりでした。
心身を鍛えるためのスポーツで体を壊しては何にもならないわよねぇなんて嘯いているオバサンにだってスポーツを愛する心はちゃんと在ったってことね。そして強い風に吹かれたい気持ちはやはり心のどこかにちゃんとあるって事!
Read the rest of this entry »

影踏み

題名INDEX : カ行 270 Comments »

横山秀夫著

最初の2編を読んだところで「ああそうか!こういうお話なんだな。」と、構成が飲み込めましたが、途端に私が思い出したのはモーリス・ルブランの「バーネット探偵社」と「八点鐘」です。ルパンには悪戯な皮肉な探偵心があります。ロマンチックな気分もね。彼の場合は勿論!自分の利益のために探偵さんをするのですからこの作品とは味が全く違います。
でもまぁ、泥棒さんが一つ、二つと自分の前にはだかってくる問題に立ち向かって、何らかの解決を見るという形態には似通うところがあるでしょう?でも、云ってみればルパンのは「哄笑」ですが、この作品の主人公真壁さんにはそれははるか対極のものです。云ってみれば、彼の場合はせいぜいが苦笑、むしろ悲しみと苦痛を一枚二枚と心から殺ぐ止むに止まれぬ行為です。最後の最後まで全ての逸話が痛みを伴います。日本的だなぁ・・・と、思います。
過去を振り返り振り返り・・・いやむしろ過去が彼を手放してくれないという異常な状況を抱えて彼は進みます。
彼と彼の内なる弟との会話で彼の全てが明きらかになっているのですが、彼が一つ一つと事件の中を進むうちに彼が抱えている彼自身の問題もよろめきながらも変化を見せていきます。
彼のうちにある葛藤と彼の周りの世界で起きる葛藤とが同時進行で綯われていきますが、最後まで彼の世界は日本的で最後まで「哄笑」にはなり得ません。だから作品としては毛色の変わった警察もの、事件解決探偵ものとして娯楽作品であるにも関わらず、そして読むうちになるほどと事件の全容に唸らせられるにも関わらず、読む私にも痛みが残ってしまいます。小説の世界には色々な状況を背負った探偵さんが居ますが、真壁さんの状況はその中でも特異で、すっきり解決した満足感は薄いです。彼自身解決はないのでしょう?でも、弟が消えた時点でもう事件に巻き込まれる必然は生み出せなくなったぞ!と、一寸がっかりもしています。
でもねぇ、30半ばで、これだけ警察にも業界?にも顔が売れてしまっていて・・・立ち直るって?一体どうやって?・・・真壁さん頭がいいからなぁ・・・度胸もあるし・・・と、私が一生懸命考え込んでいる時点で、「しかし横山さんは読ませてしまうなぁ。」です。
双子という設定が生きて、オカルトに陥る前にしっかり食い止めて、微妙に却ってリアルになるのが妙です。そして又雁谷市の規模の設定が又妙です。生活感のある町・・・刈谷市って愛知県にありますが・・・そこよりは規模が大きそう?自転車活用小回り平地感・・・静岡市?・・・いや寒さから北関東?なんて。
しかし警察って・・・横山さんの本を読むたびに何かあったら「警察に駆け込むか止めるか?」判断が難しくなるような気がするのですけれど?
ルパンは大好きですが・・・真壁さんも・・・悪くないです。
Read the rest of this entry »

失われた町

題名INDEX : ア行 86 Comments »

三崎亜記著

となり町戦争」を読み終えて、この人の作品何か他にないかしら?と図書館で調べて申し込んで待つこと久し・・・なんと連休直前に届くのだもの・・・この連休は夫の里帰り兼趣味旅行で8日間も車の中。電車の移動なら本を読む暇もあろうってものだけど、なぜか車の中では読めないなぁ・・・これが車旅行の最難点。当然待たされたってことは待ち人わが後ろにも居たりーということで図書館は延長は効かない。フットバシ読みでしたが、どっちにしてもこの本はフットバシ読みになりました。面白くて!オモシロクテ!おもしろくて!!もう一度予約してもう一度読み直します。だから?とりあえずの感想です?
「面白くて!」と、まずは書きましたが、それは「興味深くて」に置き換えなければなりません。決して痛快娯楽劇風の面白くてではないからです。
この作者は「となり町戦争」で私に与えたインパクトを「二匹目の泥鰌」を期待した私に丸々と太った噛み応えのより充実した泥鰌にして投げて寄越した!って感じです。
今度は町が町ぐるみ消えてしまうんですよ!30年に一度の現象ですって?
理不尽は理不尽なりに・・・というか、意表を突く設定にも関わらず、普遍の人間の逞しさを希望を書きつくしてくれているという感じです。しかもその過程はなんと言ったらいいのでしょう?
実に「面白く」読ませるのです。
「となりまち戦争」を思わせる乾いた文体、利用される役所言語?硬質な記述の中にてんこ盛りに盛られたウェットな情感。これこそがこの作品の基本にある魅力だと思いましたが、物語としても筋立ての面白さが根幹にしっかりとありました。
私はべた褒めしているつもりなのですが、そうなっているでしょうか?5月の始めにして今年の私の最高の一冊になりました。
「理不尽な消滅」に抗って登場する全ての人物像が好ましく、作者が根幹に持つ優しさが反映しているのだと思わされました。消滅管理局という組織にも、全く違う存在のように思われる時々挟み込まれる居留地にもなぜか現在の私たちの社会を強く感じさせられました。
でも、読んでいる間中私の心に去来したのは私が失ってきた多くの者たちでした。亡くなった母も、舅も、友人も、諍いして失った者も、執着していた過っての様々な物どもも・・・、次々に痛みとして上って来ましたが、管理局で戦う人々やその周辺で傷みながら抗う人々に感情移入して読み進むうち不思議なくらい穏やかな気分になっていきました。私も抗ってもいいのですが、受け入れてもいいのです、泣く時は潔くきっぱりと泣いたっていいのです。
「恐れすぎてもならず、侮ってもならない」姿勢って人生で一番大切な戒めなんじゃないでしょうか。何事に対す時にも、もっともそれが出来れば人生の達人ですけれど、頭にこの言葉を置いておくだけでもきっといいよと思います。
この本何より章ごとの題が内容の文章の硬さに反比例するように古風に潤って美しいのが嬉しかったですね。章題だけ声に出して読んでみて御覧なさいって言いたいくらい。
風待ちの丘、澪引き(みおびき)の海、鈍(にび)の月映え、終の響き(ついのおとない)、艫取りの呼び音、隔絶の光跡(しるべ)、壷中の希望(こちゅうののぞみ)
硬軟、静動、乾湿、情理この作家はバランスもいいのです。
それにしても書きたいことがあったとしてどうすればこんなシチュエーション思いつくのでしょう?隣町同士の戦争にしても、30年毎の町ぐるみの消失現象にしても?理不尽な宿命と希望を載せる舞台の作り方が凄い!
ただ急いで読んだためか時間経過の前後がちょっと混乱してしまった。丁寧に読みたいところです。
「となり町戦争」は映画化されましたが、見損ないましたというか見たくなかったのかも知れませんが。どう映像化したのかとちょっと不思議です。この作品も映像化難しそうですが、映画化されるんでしょうかね?三崎さんには他に「バスジャック」という作品があるようです。図書館に申し込んでおきましょう。
Read the rest of this entry »

薔薇の王朝(王妃たちの英国を旅する)

題名INDEX : ハ行 164 Comments »

石井美樹子著

私が始めて自分のお小遣いをためて買った本は「小公子・小公女」だった。その後「若草物語」「赤毛のアン」などと英語圏の本を読み進んだからかもしれないが・・・これらの本を読むとディッケンズとかスコットとかシェークスピアとか読みたくなるでしょう?
そんなわけでリチャード獅子親王、ジョン失地王、リチャード三世、ウィリアム征服王、ヘンリー七・八世、ヴィクトリア女王、エリザベス女王、メアリ・スチュアート、ジェーン・グレイとイギリス王室の王たちの名前をばらばらに覚えこんだ。
図書館でこの本を見つけたとき、魅惑的な題名だと心引かれた。
しかし著者の名は心当たりが無い・・・学者さんらしい・・・という点で実はちょっと躊躇した。ただ単に面白い気がしなかったからだ。
同じイギリスの女王を描いても、漱石の「倫敦塔」のようなわけにはいかないだろう・・・?でも、イギリスの王室のなかでもヘンリー8世の6人の王妃たちとその女王になった二人の娘にはとても興味を引かれるし・・・薔薇の王朝という題名は薔薇戦争から取ったもの、白薔薇のヨーク家と赤薔薇のランカスター家から取ったものだとすれば、当然話はその後のヘンリー8世にいくと思われた。
王妃を語るには最高にドラマチックなのがヘンリー8世とその娘の時代なのだから興味は引かれる。
あたり!というわけで薔薇戦争の話は本の導入部で、ランカスターの血を引くヘンリー七世の即位とヨーク家の血筋を引くエリザベスとの結婚からイギリス史でも最も?スキャンダラスな時代の話に突入していった。私の読みたいところはそこから「倫敦塔」でおなじみのジェーン・グレイ姫までとそして偉大なる時期を迎えたエリザベス王朝の光と影であり、まさにぴったり!だった。
しかしやっぱり?話が、記述が少々面白くなかったのが私的には物足りなかった。事実を平易な文章で正しく記述してくれているのだけれど、非常にドラマチックな成り行きを記述しているのに全然ドラマチックな気分が盛り上がらないのだ。それに当然といえば当然だが年表どおりに話が進まず前後が入り乱れ繰り返しが結構多い。彼女等を動かし擁護する勢力の記述を挟みこまなければならない必然のせいなのだが。
しかしこの本には素晴らしいところがあってどの妃がどこの城で育って、どこでどういう教育を受けて、どこの城に幽閉されて、どこの城又は教会で眠っているかを詳細に知ることが出来た。
今度イギリスへ行ってその地へ行くことがあったら・・・と、夢は膨らんだのだが・・・ツァーで行く場所は決まっていてなかなか難しい。
自由旅行で鉄道を乗り継ぐには言葉に難がありすぎて・・・!!!
先年ロンドン塔へ行った時には哀れな16歳の女王ジェーン・グレイが首を切られたところと思い頭を垂れてきたが、この薄幸の佳人が生まれ育ったレスターシャーのブラッドゲイト・パーク館の跡地へ行く手立ては相変わらず私には思いつかない。このロンドン塔には第二の妃アン・ブーリン(エリザベス女王の母)もここで処刑されて眠っている。
その旅行の時行ったウエストミンスター寺院にはヘンリー8世の4番目の妃アンが眠っている。離縁されてもこの妃だけはなんとなく悲劇という感じがしないのはありがたいくらいのものだ。
2番目の妃アン・ブーリンの記憶と3番目の妃ジェーン・シーモアの霊が住みついているハンプトン・コート宮殿くらいなら何とか行けるかな?
そんなわけで無駄な抵抗だと思いながら、たくさんのキャサリンやメアリやエリザベスや、マーガレットを混乱しながら区別し(なんでこう同じ名前ばかり付けるんだろうね?)彼女たちの育った邸宅や城の名を頭の中でつぶやいているところです。
Read the rest of this entry »

ハリー・ポッターと謎のプリンス

題名INDEX : ハ行 274 Comments »

 J・K・ローリング著

こっちへ越してきてから図書館に最初に予約したのが確かこの本でしたから、待つこと1年と数ヶ月!ようやく届きました。
それで貰ってくるや否や読み始めたのですが、「おや?」なんです。
どうも抜けているようだぞ・・・?何かぴたっと来ない?
それで流石にうかつな私も気が付きました。
引っ越してくる前に前の区の図書館に「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を予約したままにしてきた事を!
ま、とにかく読み終えました。今から「不死鳥」を予約しても、その後で「謎の・・・」を予約しなおしたら、ヒョットすると又?1年ぐらい待たされちゃうかもしれないし?
読み終えて「不死鳥」を予約したら2日で到着。
逆転しましたけれど、とにかく読めて不審は解決!
家に子供はいないし、場所だけ取るから買えないし・・・図書館頼りはこれが辛い。え?ペーパーバックが出たのですか?文庫本サイズ?それって厚みは?本屋へ行ってみよう。
この手の物語に私は弱い!ジレンマ大。
とにかく映画の到着前に読めましたから、まずは祝着。
楽しく夢中で読めました。
本当に物語を紡ぐローリングさんの才能に感謝!
ハリーの性格も段々際立ってきていますし、その成長も友情も実に順調で過不足無く、敵はますます強大で申し分なく、楽しかった!
ヴォルデモード卿の輪郭がはっきりしてくるのと反比例で物語が終息に向かっているのが残念なことだと思いながら読みましたが、ハリー以上にダンブルドァに傾倒している私はこんなにがっかりしたことはありません。シリウスの死去の際は本当にハリーを痛ましく思いましたが、シリウスはもう一つ愛情を覚えるほど書き込まれてはいませんでしたけれど、ダンブルドアはね。物語の魅力を半減させるほどに残念です。
成長したとは言え、この3人でどうやって次の最終巻!保たせるのかと今からもう心配です。
当然ダンブルドァの抜けた穴は総力結集しかないでしょう?
・・・とまぁ、こんな具合にアイバンホーやロビン・フッドやピーター・パンや紅はこべやもっと言えば猿飛佐助や霧隠才蔵を読んでいた頃と変わらない自分の「不」成長を喜んでいます。
ダンブルドアの大きな穴を埋める大活躍をDAが見せてくれるのでしょう!
中身がこんなに変わらないままで60になって、還暦しちゃったらどうしよう?それが最大のジレンマ?な私です。おやおやジレンマだらけですね。「指輪物語」は私の中では別格!宝物とはいえハリーのシリーズもなかなか大きな比重です。
教室で彼らと一緒に魔法を学んでいる?私ですものね。
だからね、夜暗い家に帰ってきたら、「ルーモス」と言えばスイッチを押すだけで明るくなるけれど、「レバロ」なんて家事で使うには最適なのに菜ばしの杖が今一?習得できないのが残念。
最近では「プロテゴ」って言うのを身につけたいと思っているのですが・・・年のせいか少々堪え性のなくなった友人がいるのですよ。彼女の愚痴から耳を守りたいのですが・・・ハイハイ、究極のプロテゴはアドレス変更?デモネ、彼女はおかしな毒舌家でもあるので・・・
ハリーの次の本を「あー、待ち遠しい!」って思いっきり思っているのに、又出版されると図書館に予約して延々1年以上待ち続けられるところが私の成長点?かも。でもこの調子でいったら7巻は3冊?
このシリーズはわくわく読めた!ヤッホー!でいいでしょう?
デモネ、私がハーマイオニーだったとしても?やっぱり(本の中の)ロンを選んだだろうって事だけはますます確実になりかけていますよ。ハリーの癇癪は環境と境遇と運命と宿命と(おんなじジャン!)・・ホント、大変だわ、ヒーローは可哀相ね!
Read the rest of this entry »

闇の傀儡師

題名INDEX : ヤ行 239 Comments »

藤沢周平著

昨日新聞を読んでいたら何かの雑誌の「2大人気作家、藤沢周平と司馬遼太郎の比較」という記事の広告が出ていた。
「こんなのが出ているよ。」と朝食を食べている夫に言ったら、「全然違うものを比べる必要があるか?何のために比べるんだ?比べる意味ないじゃないか!」とおっしゃいました。
ごもっとも!と、私も答えました。
確かにネ。「2大人気作家に違いは無かろう!」とは思いますが、この二人の作品は「まさに右と左、甲乙つけるというものではござらぬ。」という感じですか。
でもそれじゃぁ評論家さんのお仕事は随分限られてしまいますよ。
無理を通してもテーマを見つけるという姿勢こそが?面白い評論や論文を作り上げるこつ・・・卒論のテーマみたいに?そう、苦労しましたねぇ・・・大昔!
その雑誌はどの作品で何を比較しているのか知りませんが、意味や意義は後から付いてくる!
というようなわけでその後ぼんやり考えていたのですが、それで思い出したのが司馬遼太郎様の「梟の城」と藤沢周平様の「闇の傀儡師」です。なんてったって冒険物が一番好きな私、正直に言うと司馬さんに夢中になったのは一番初めに「梟の城」を読んだからですよ!「尻啖え孫市」とか読み進んで「国盗り物語」など戦国時代を舞台にした作品でもう面白くて面白くて・・・となったのでした。維新物も好きでした。でも明治が舞台の作品になって、作中人物が余りにも等身大?に近くなってきてなんとなく匂いまで現在と近くなってきてからは余り面白くなくなってきて、史談・地理・民俗・国家・・・なんて論ずるようになると私の興味は褪せてきたというのが正直なところです。
でも司馬さんの作品の膨大さを考えると・・・やっぱり比較なんて出来るもんじゃないなぁと・・・思っちゃいますね。
私は評論家でも分析家でもなくただただ面白いものが読みたいだけの読書趣味さんですもの、自分の好きな本だけありがたく読ませて頂くだけです。
藤沢周平さんはその点面白くなくなってきたなぁ・・・と、思うことはとうとう無いまま・・・私にとっては最初から最後まで面白く読ませる作家のままでした。全作品を読み終わったわけではありませんが、今まで読んだ作品全てが好きです。そして藤沢さんの「闇の傀儡師」を始めて読んだ時、ふと「梟の城」を思い出したんだという事をこの新聞の広告を見たときに思い出したのです。
「ああ、藤沢さんにもこんな伝奇小説があるのか!」でした。
そのとき時代小説を書く人はやっぱりこんな風な冒険活劇、筋立ての波乱万丈な作品を書いてみようと思うんだ!と思ったのです。
若いときに読んだ分ストイックにニヒルに見える、しかし激しい気性情念を持つ「梟の城」の葛籠重蔵の重さは物凄く魅力的でしたし、物語を主人公の向かう方角に引っ張っていく迫力も無常も、あくの強すぎるくらいの登場人物たちの性も申し分なく魅力でした。
が、今は「闇の傀儡師」の主人公鶴見源次郎の抑制の利いた静かな資質が好もしく思えます(23歳ですと!)し、作中しっかり書き込まれていく緻密な生活感がちょっとした清涼剤にも読み応えにもなって読後感が安らぐ感じがして好きです。登場人物全般に癖もユルイ?ようなところも含めてです。
もっともこの手の作品ならもうちょっと暴走してくれても良かったかなぁ・・・
それは私の年のせいだけではなく時代の色のせいもあるような気はしますけれど。
藤沢さんの作品に登場する浪人さんたちの生活の苦労がご本人?たちには申し訳ないながら楽しく読めるので青江又八郎さんも神名平四郎さんもこの鶴見源次郎さんも愛しちゃうんです。
この作品の田沼意次の造形にも興味が惹かれます。田沼意次って書く人、作品により色々な表情を持つ人物にできる、実在の人物としては最高の江戸時代キャラクターですよね。使いようで180度様々な性格・評価を付与できる特異な魅力的人物ですね。
私の子供の頃は賄賂で有名な政治家でその後の松平定信時代の方が「寛政の改革」として評価されていたんじゃなかったでしょうか。物語で登場させるには、松平定信は怜悧・清潔の度合いぐらいしかいじれそうもありませんけれど。
池波さんの「剣客商売」の田沼さんはまぁちょっと出来すぎ?ですが。
Read the rest of this entry »

モッキンポット師の後始末

題名INDEX : マ行 776 Comments »

井上ひさし著

読むぞ!と思って間もなく他の館にあったのが移送されるだけの待ち時間で読むことが出来た。
楽しみにしていただけのことはあった!
「青葉繁れる」よりも一回り面白くて楽しくて爆笑しながら読む場面は多かったのだけれど、実際は「面白うて、やがて悲しき・・・」という感じだった。
モッキンポット師が後始末に現れる物語が5話入っている。
「モッキンポット師の後始末」「聖パウロ学生寮の没落」「聖ピーター銀行の破産」「逢初1号館の奇跡」「モッキンポット師の三度笠」
私はS大学文学部仏文科教授で関西弁を流暢に操る西洋乞食のような風貌風采のフランス人神父のモッキンポット師が不信心者の信徒学生の素行の後始末にいかに忙殺され心を砕き何とかしてやろうと奮闘する物語として読んだが、勿論この学生の青春試行錯誤の冒険?物としても読めるだろう。
というかそっちが本質?
だけど丁度「青葉繁れる」のチョロ松の行く末とピッタシ重なるモッキンポット師の苦闘は宗教的な寛容心が底にたゆたっているのがとてもよく分かるだけに悲哀も偉大も・・・したがって滑稽もチョロ松の比ではない。
こんな日本人の不届きな学生のために、こんなにも物心両面でご面倒をかけて申し訳ありません・・・って、私が謝りたくなってしまう。
もっともこみ上げてくる笑をこらえながらかもしれないが?
モッキンポット師は真に師であって、その風采のよって来る所以はこの学生たちに全てを底なしに吸い取られているからに他ならず、最後に「弁償させていただきますわ。けどすこしまかりまへんか?」という科白を読むと、クスっとしながら私など神のありがたみを師は体現しているとありがたーい気持ちにもなるのだ。
それなのにこの学生小松君を筆頭にこの3人組の恐るべし!
よくもまぁ、ここまで師の寛容を試せるものだと私に憤慨させるほどの代物なのだ。
「「ドタマかちまくよ。」と神父は優しくいった。」に続く師の言葉!
「神父の掌は冷たくて、手を離したあともしばらくの間ごつごつとした感触が残った。」・・・に続く収めの文章!
神父のうしろを僕らは主人のあとを慕う犬のごとくつき従った・・・。」もう本当に申し訳なくて穴に入りたいのはこっち・・・って気になる!
それなのにその上「自分の物差しを絶対と思い込み、それでもって他人の行いを推し計ろうとするのは傲慢なことでっせ。」といわせるにいたっては!
彼らのせいで帰国謹慎になった神父を前に彼らが悔い改めた・・・とはとても思えないけれど、だからこそ師の偉大が身にしみた!物語の粋も!
粋も甘いも、訳知りの、社会性も俗性も備えた神父の底知れぬ懐の深さ!というわけで、全くこの3人組が脱線していく見事さは師の造形の見事さにますます磨きぬかれて?とにかく面白うて・・・となったのでした。
それにしても5編の見事な盛り上がりとその見事な〆!
最高に上質な?素晴らしい作品だと私は本を撫でています。いいなぁ!実にいい!
Read the rest of this entry »

図書館警察

題名INDEX : タ行 235 Comments »

スティーヴン・キング著

「ドリーム・キャッチャー」という映画を見たのですが、分からない事だらけなので「長いんだろうなぁ・・・怖いんだろうなぁ・・・でも読んでみなくっちゃ。」と、散歩を兼ねて図書館へ。でも書棚には無くて、変わりに見つけたのがこれです。図書館と警察ですって?なんて素晴らしい組み合わせなんでしょう!って訳です。
直ぐ借り出してきて・・・映画で見たドリーム・キャッチャーが怖かったなら、これは恐怖でした。「えー、大好きな図書館って言う言葉がついていたのに・・・」図書館でこんな恐怖を作れるなんて・・・しかも映画みたいに出来上がった怪物の映像があるのではなくて、怪物の姿がいやでも自分の想像の世界で構築されていっちゃうんですから・・・「自分で作った絵に恐怖してどうするの!」と自分を叱咤しながら読み続けました。ちゃんと切り抜けられるか、この3人が生き延びられるか心配で心配で本の終わりを自分を騙してでも?こっそりめくって確かめちゃおうという誘惑とも戦わなくてはならず・・・。忙しくて疲れていたにもかかわらず眠れない夜が続きました!
でも、こどもたちと同じなんですね。結局アーデリア・ローツの話に引き寄せられる、悪いと知っている所に足を踏み入れたいと思う子供と。
「本当は怖いアンデルセンとかイソップとか」の世界ですよ、こどもを本当に虜にするのは。悪とか闇とかのマジカルパワー。
キングさんの子供時代ってどんなだったのかなぁ・・・と、またしても考えてしまいました。闇が、恐怖の闇が絶対彼の周りを囲んで彼を、彼の想像力を育てたに違いないと思うんですもの。彼の描く子供は一方でいかにも子供らしいのに、必ず背負っているのが過去・体験・記憶又は閉ざされた記憶。罰金を払わされ過ぎた子供たち。
サム・ピーブルズも遮断した過去と向き合わなければ生き延びられなかったし、ナオミもディヴも過去と正面を切って向かい会わなければならなかったし、その勇気を持っていたのに。キングさんの一筋縄ではいかないところはその勇気や智恵や全力を持ってしても必ずしも生き残れないところ、闇や悪の魔力、その不条理な力を思い知らされるところに有ります。どうしようもない力というものを否応無く認めさせられる恐怖でしょうか。
結局内なる敵と戦うには強力な敵を作ってそれに向かい合うだけの自分を作り上げるために自分を総動員するという方法がある?・・・ということを知りました。だから自分の過去も封印を解いて味方にするのです。強い戦士は厳しい過去を持たなければならないというわけですが、それは反対にたいした過去が無い人間は強い人にはなれないということかもしれないですねぇ・・・。そう思うと今現在辛い時期を乗り越えつつある人は勇気をもらえるかも知れませんね。
キングさんといえば有名なのはキャッスル・ロックですが、この物語の舞台はジャンクション・シティ。膨大な作品があるからここを舞台にした他の物語も探せばあるのかも?それとも実在の町でしょうか?
図書館という物は考えてみれば不思議な空間です。何でもそこにはあると言ってもいいのですから、歴史も地理も心理も哲学も呪いもファンタジーも宗教も恋も祈りも・・・それこそ何でも。怪奇の舞台にならない方が不思議なんです。
そういえば私も小学生の時から図書館が好きで入り浸っていたのに、誰もいない図書館は別のもののように思えましたっけ。読みたい本が読まされる本になって覆いかぶさってくるような、汚したり壊したり返却忘れをすることの恐れも確かに私を捉えていましたね。
ついこの間まで本は大事なもの、捨てられないもの、処分なんて考えてはいけないものの筆頭でした。それなのにこの頃は図書館の本の受難時代になったようです。図書館警察が必要とされる時代、アーデリア・ローツが活躍できる時代を私たちが作り出しているのじゃないかと不安です。
今生きている子供たちの状況はキングさんの世界の子供だけでは無くて、どこででももっと過酷になっているのかもしれません、様々な虐待の待ち受ける世界に、大人が勝手な罰金を取り立てる社会に放り出されて、闇を抱えさせられているようなところがありませんか。全ての子供が強くなり過ぎなくてもいい世界、生きられないほど弱くならない世界が普通でありますように・・・。
Read the rest of this entry »

青葉繁れる

題名INDEX : ア行 125 Comments »

井上ひさし著

先日「3月10日の東京大空襲を語り継ぐ」という会で、井上ひさしさんの講演を始めて聞きました。
当然お名前は知っていますが、井上さんの戯曲も見ていないし(見たい気はあれど縁が無かった?)、本は「吉里吉里人」を旦那の本棚で見かけて読み始めて読みきれなかった・・・過去だけ。あ、「父と暮せば」の原作が井上さんでしたっけ。
でも講演はとても印象に残るもので(いやぁ、上手だったし内容も濃かったのですよ)、その結果都知事選に頭を悩ませているというおまけ付きです。それで小説にもう一度とっついてみようか・・・というわけで旦那と父との共通のお薦めは「青葉繁れる」と「モッキンポット師の後始末」
読みはじめから目を剥きましたが、結局読み終わってから「笑ったこと笑ったこと!」と、なみだ目でまだ笑っていました。
もっともチョロ松のことでは笑えませんが・・・全く教育者は持った弟子次第?で天国と地獄だわ・・・。
こどもも出会った先生次第で天国か地獄だけれど・・・
チョロ松の偉大と悲哀が滑稽に結びついて、それが妙に私には後ろめたくて・・・悲劇だわ。
でもこのチョロ松という渾名の校長先生も軽石という渾名の担任も抜け松という名の教頭も裏門校長も、あえて言えば二女高の狐先生も?生徒以上の曲者・兵で稔を始めとする素直だけどもしょうも無い5人組の生徒にひけを取らない見事さでした・・・というか、いいね。
この頃も先生受難の世相でしたが、今ではこういう個性派は生息不能な社会になっておりますちゃ。
少々どころか大いに淋しいと思ってはいけないのでしょうか。私の小学1年の担任は鞭を振り回しておりましたっけが、鞭鳴りの音に恐怖を抱きましたが、気が付いてみれば誰も叩かれた者は無く、姿勢の良い生徒が50人!って、それってやっぱりあの先生も生息不可能?
生徒も先生も生きにくいことでは同じかなぁ。
「渾名の付け方って時代があるんだなぁ・・・」とかその他、時代を回顧しながら笑って唸って感嘆していました。
井上さんの巧みさにです。
言葉がこうも軽やかに次々次々へぎへぎにへぎほしはじかみ・・・舞い踊る感じでそこにもってきての仙台弁ですから駄目押しもしっかり!ちょっと石坂洋次郎を思い出したり・・・でも楽しいことその比ではないのですが・・・時代をね。
戦後間もなく、まだ進駐軍がいるご時世のあの明るさはなんなんでしょう?石坂さんを読んでいた少女時代、既に謎でした。
戦争という恐怖を潜り抜けた民の疲弊だけではないバイタリティーに感嘆していたのでした。若いって素晴らしい?
今の高校生でもこの小説楽しめるのかなぁ・・・と思って、楽しめるよね、と思って、でも男の子を二人育てたけれど、男の子って全然わかっていなかったかも・・・って思って、判っていなくて良かったと笑いました。
高校生の息子に立ち向かうのに読んでおくべきだったかもね・・・と思って、いや時代がねと又思って。でもこのセンスって不滅だろうし・・・絶対に!
井上さんの持っている滑稽とか風刺とか悪戯心とかはやっぱり人の心の中で不滅のものだろうからなぁ・・・うちの男の子がこの本を読んで笑えたら言うこと無いけれどなぁ・・・!
これだけ楽しかったからにはしょうがねぇべ、さぁ、「モッキンポット師」に進むっちゃ
Read the rest of this entry »

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン