スティーヴン・キング著

「ドリーム・キャッチャー」という映画を見たのですが、分からない事だらけなので「長いんだろうなぁ・・・怖いんだろうなぁ・・・でも読んでみなくっちゃ。」と、散歩を兼ねて図書館へ。でも書棚には無くて、変わりに見つけたのがこれです。図書館と警察ですって?なんて素晴らしい組み合わせなんでしょう!って訳です。
直ぐ借り出してきて・・・映画で見たドリーム・キャッチャーが怖かったなら、これは恐怖でした。「えー、大好きな図書館って言う言葉がついていたのに・・・」図書館でこんな恐怖を作れるなんて・・・しかも映画みたいに出来上がった怪物の映像があるのではなくて、怪物の姿がいやでも自分の想像の世界で構築されていっちゃうんですから・・・「自分で作った絵に恐怖してどうするの!」と自分を叱咤しながら読み続けました。ちゃんと切り抜けられるか、この3人が生き延びられるか心配で心配で本の終わりを自分を騙してでも?こっそりめくって確かめちゃおうという誘惑とも戦わなくてはならず・・・。忙しくて疲れていたにもかかわらず眠れない夜が続きました!
でも、こどもたちと同じなんですね。結局アーデリア・ローツの話に引き寄せられる、悪いと知っている所に足を踏み入れたいと思う子供と。
「本当は怖いアンデルセンとかイソップとか」の世界ですよ、こどもを本当に虜にするのは。悪とか闇とかのマジカルパワー。
キングさんの子供時代ってどんなだったのかなぁ・・・と、またしても考えてしまいました。闇が、恐怖の闇が絶対彼の周りを囲んで彼を、彼の想像力を育てたに違いないと思うんですもの。彼の描く子供は一方でいかにも子供らしいのに、必ず背負っているのが過去・体験・記憶又は閉ざされた記憶。罰金を払わされ過ぎた子供たち。
サム・ピーブルズも遮断した過去と向き合わなければ生き延びられなかったし、ナオミもディヴも過去と正面を切って向かい会わなければならなかったし、その勇気を持っていたのに。キングさんの一筋縄ではいかないところはその勇気や智恵や全力を持ってしても必ずしも生き残れないところ、闇や悪の魔力、その不条理な力を思い知らされるところに有ります。どうしようもない力というものを否応無く認めさせられる恐怖でしょうか。
結局内なる敵と戦うには強力な敵を作ってそれに向かい合うだけの自分を作り上げるために自分を総動員するという方法がある?・・・ということを知りました。だから自分の過去も封印を解いて味方にするのです。強い戦士は厳しい過去を持たなければならないというわけですが、それは反対にたいした過去が無い人間は強い人にはなれないということかもしれないですねぇ・・・。そう思うと今現在辛い時期を乗り越えつつある人は勇気をもらえるかも知れませんね。
キングさんといえば有名なのはキャッスル・ロックですが、この物語の舞台はジャンクション・シティ。膨大な作品があるからここを舞台にした他の物語も探せばあるのかも?それとも実在の町でしょうか?
図書館という物は考えてみれば不思議な空間です。何でもそこにはあると言ってもいいのですから、歴史も地理も心理も哲学も呪いもファンタジーも宗教も恋も祈りも・・・それこそ何でも。怪奇の舞台にならない方が不思議なんです。
そういえば私も小学生の時から図書館が好きで入り浸っていたのに、誰もいない図書館は別のもののように思えましたっけ。読みたい本が読まされる本になって覆いかぶさってくるような、汚したり壊したり返却忘れをすることの恐れも確かに私を捉えていましたね。
ついこの間まで本は大事なもの、捨てられないもの、処分なんて考えてはいけないものの筆頭でした。それなのにこの頃は図書館の本の受難時代になったようです。図書館警察が必要とされる時代、アーデリア・ローツが活躍できる時代を私たちが作り出しているのじゃないかと不安です。
今生きている子供たちの状況はキングさんの世界の子供だけでは無くて、どこででももっと過酷になっているのかもしれません、様々な虐待の待ち受ける世界に、大人が勝手な罰金を取り立てる社会に放り出されて、闇を抱えさせられているようなところがありませんか。全ての子供が強くなり過ぎなくてもいい世界、生きられないほど弱くならない世界が普通でありますように・・・。