あやし うらめし あなかなし

題名INDEX : ア行 114 Comments »

浅田次郎著

ヤレヤレ本当に妖しかったなぁ・・・オーッ背中に怖気が残る。
って、必ずしもおぞましいわけではないのですけれどねぇ・・・
「赤い絆」「虫篝」「骨の来歴」「昔の男」「客人(まろうど)」「遠別離」「お狐様の話」の7編

好きな順に並べてみると・・・
「昔の男」「遠別離」「虫篝」とここまで来て順番をつけ難くなった。
早い話、後の4話は厭だ。読みたくなかった。
特に1話と7話、ぐるりとめぐって同じ神社の昔語り。この手の話を子供たちに聞かせているという設定そのものがうそ寒くっていけすかない。私がこの布団を被った・・・いや、被れないで伯母の口元を必死で見つめて話に魂を奪われたこどもになった気がするから。
大人に成っていっても・・・後々までもバックボーンからこの話はしがみついて離れないよ・・・おおいやだ・・・と、思って、大人に成っていて良かった!とため息をついた。
こどもの頃って怖い話をせがむものだけれど・・・こんな話をする人が身近にいなくてほんとうに良かった、しかも絶妙のロケーション!人格形成に影響しちゃうよ・・・今で言うならトラウマ?
さて、でも?昔はこの手の話に満ち満ちていたかもしれない。
恐ろしい闇、うかつに入れば引き込まれる片隅・・・そんなものが、得体の知れない恐怖感が、そこここにあったような。
日本人の背中にはぬらっと張り付いてくるような湿った恐れがいつもあったような気がする。今はもう明るすぎて乾いて蠢く隙間がなくなった者々はどこに行ったのだろう?
そういう意味ではこの作品たちは知らない世界からやってきたものではなくて見知った馴染みのあるこの風土の者のようだ。
大体過剰すぎる感情はあやしかったり恨めしかったりかなしかったり・・・になる。
愛しすぎても、憎みすぎても、うらみすぎても、心の盆から溢れた感情は異形のものに変成してしまう。そしてそれを畏れる気持ちは私たちに必ずある。心の底で怨霊や祟りや報いを信じている。
ただ変形し変成し変性したものを受け入れるか受け入れられないか、折り合いがつけられるか付けられないかがその人一人ひとりの有り様というだけのことかもしれない。
呪ってしまったから、その報いがあって、その結果をどう受け入れるかみたいな?
そういう意味では浅田さんは全くの異界を繰り広げたわけではないけれど、その広げ方に好悪があるとすると、私は上の順番で受け入れることが出来た・・・というだけのことかも知れない。
ただ「昔の男」は気持ちの良い物語に仕上がっていてこの作品の道中で一息入れられたありがたい作品だった。
あまちゃんで生きてゆきたい私(って事は盆から溢れるような怨念執念妄執を持たないということですが)は出来ればこの作品だけ読んでお終いにしておきたかったなぁ。
宮部みゆきさんの「あやし」を書いた時と同じですよ。
血液もさらさらなら心もさらさらがいいんですよ。
もっとそうしたくともそうは行かないのが人の世で、だから「あやしうらめしあなかなしい」事に満ち満ちているのでしょうが。
なるたけお互い様で「うらみっこなしよ!」でいきたいものです。
魑魅魍魎幽霊怨霊にも明治以前は基本的人権があったと書いていたのは山本周五郎さんだったかしら?
本当におっしゃるとおり!怪異を畏れる心の「ゆかし」を大切にしたいものですよね、日本人なら。
そうすれば盆から溢れすぎた濃厚極まりない情念とも仲良く・・・って?人間には土台無理か!気弱な私は言霊さえ気になって不吉なことは言ったり思ったりしないように気をつけたりもして、それでも結構疚しかったり・・・後ろめたかったり・・・それなのにやっぱり情と無縁ではいられないんですねぇ・・・かなし、愛し、悲し、哀し・・・・・痛まし。
Read the rest of this entry »

題名INDEX : ア行 161 Comments »

小川洋子著

「海」「風薫るウィーンの旅6日間」「バタフライ和文タイプ事務所」「銀色のかぎ針」「缶入りドロップ」「ひよこトラック」「ガイド」
短編7つ
ふう~んと、本を置いた。
妙に不満なやり場のない気持ちを抱えていた。
何ていったらいいのだろう?小説を堪能した心地に乏しいのだ。
「和文」と「ガイド」は楽しんだ。「ドロップ」もいいかも。
でもねぇ・・・小川洋子さんで無かったら本にはならない作品じゃないかなぁ・・・と思ったことに不満な感じはあったのかもしれない。
もっとも、この作家はまだ「博士の愛した数式」に続いての二作目に過ぎない。
この作品を読み終わって、なぜか唐突なんだけれど、藤沢周平さんの「江戸おんな絵姿十二景」(「日暮れ竹河岸」という文庫本に収録されている)というのを思い出した。
似たものがあるわけでは全くない。が、読み終わったときの感情にちょっと思い出すものがあったのだ。
勿論藤沢さんのその作品は1枚の浮世絵に主題を得てごく短い話を作り上げると言う趣向の作品だった。
だが、その余りにも短い話は作家にほっと投げられたものの軽さに受け取ったものがたたらを踏むといった感じがあった。
投げ出された物はほんの切り取り断片で、受け取った私は主人公の周辺から遡って思い煩ったりこの先のことを想像したり・・・忙しい作業に放り込まれてしまった。投げだされたものがしっかりと色合いを持っているのでそのままそこでうち捨てには出来なかったのだ。その浮世絵を見ていない私には主題となった浮世絵まで頭の中で創造しなければならなかったので。
この作品で、そんな事を思い出させられた。
この作品にも後を付け足したい気持ちにさせられたからだろうが、どこかでそれじゃぁずるすぎるでしょう・・・?という気が頭をもたげている。この本では作家の趣向が感じられないからかもしれない。
どれもが独立していて互いを知らないと嘯いているような。
同じ情緒があれば読み重ねていくうちにその世界に包まれてゆくと言うことも出来ようが・・・。
書かれている作品の文体が奏でるトーンは兄弟だよといっているようではあるのだけれど、それだけじゃぁ、何かが淋しい。穏やかな良く出来た情緒の安定した優しい人たちよねぇ・・・で、どう想像の羽根を羽ばたけばいいのかな?どうしようもないじゃないのさ、それこそ断章に過ぎないのだものって。ページを広げて羽根も広げる準備をしたのに・・・え?ええぇ・・・?
だから「和文」で妙にほっとして、ほっとする作品ではないのに・・・と、おかしくなった。次に彼女が壊す活字を想像するのもちょっと淫靡で?いいんじゃないでしょうかね?他にも・・・。と言うわけで、この作品の醸す世界は好きですねぇ・・・でも作家っていいなぁ・・・使いにくい字を実に楽しげに使っていて・・・小川さんはきっととても滑稽な発想をする脳細胞を持っていて、それに生真面目そうな見せ掛けカバーを巧妙にかけられる人なんだ?
Read the rest of this entry »

とげ抜き万吉捕物控  のっぺらぼう

題名INDEX : タ行 377 Comments »

東郷隆著

「がまの守り符(ふだ)」「四十七士の飴屋」「のっぺらぼう」「狸囃子の夜」の4編収録

不思議ですねぇ・・・私がこの作家のこの作品の風に慣れちゃったのでしょうか?ちょっと早過ぎ?
それとも、作家の方がこのシリーズに慣れて、この世界と仲良くなっちゃったんでしょうか?リズムが出てきました!
私の読むほうのリズムです。
先の4篇よりこの本の4篇の方がずーっと読みやすく感じたのは、やっぱり私の慣れでしょうかねぇ?不思議です。
まだ注釈はあるものの~大(ダー)らん入る(大騒ぎになる)なんて言葉本当に使っていたんですかね?~今度は「・・・と当時の江戸では申しました・・・」てな風な書き方をしていたりしますから、前作ほど読むのにつまずいたりはしません。
大体前作から30年近くも経っております。あっという間に幕末の混沌も終り、明治も29年、万吉さんはもう白髪頭の職人風の綺麗な刈り上げになっております。髷はもう有りません、髪結い床は床屋になっていることでしょう?
30代から60代?まだかくしゃくとしてお元気です。しかも、明治になってからも警視庁お雇いとしても活躍していることだし・・・控えは取ってあるし、記憶をひっくり返せば幾らでも種はあるというわけで・・・老後の楽しみ期待大?
そして、この作品はその万吉さんの昔語りを速記者が書くという体裁ですから。やっぱり言葉も整理されているんでしょうか。
万吉さんも辰五郎さんも健在で活躍してくれますから、一安心です。
「四十七士の飴屋」も時と所を逆手にとったアイデア秀逸で笑っちゃいますけれど、やっぱり私は「のっぺらぼう」ですかね。
明治の浅草の奥山見世物小屋、観音様三社様あたりの風俗まで実に生き生き、見てきたように?繰り広げられる面白さはご一読くださいと言いたいようなものですよ。
ちょっと山田風太郎さんの「明治物」を思わせますが。それで話はそれますが、「風太郎さんの明治物は面白いよ。」と言ったら、おっちょこちょいの友人が早速買ってきて読んだそうです。「あんたこんなの本当に面白いと思ったの?」と妙に真顔で聞くので「何読んだの?」「くの一忍法帖!」「私だってそんなの読んだこと無いわよ。明治物は・・・って、「は」って言ったでしょう?」なんて事がありましたっけ。それでも明治物には風太郎さんの昔がチョコット残っているらしくて、女性の扱いに今一納得がいきません・・・というものもありますが。戻ります。
明治はやっぱり混沌としたところに面白くなる要素がいっぱい秘められているのでしょう。
でもやはり「とげ抜き」シリーズのお楽しみは1読2読して、3度目にようやっと声にだして読んだら頭の中にトンと落ちるといった感じにあるのかもしれません。手をかけませんと?
これこそ老後のお楽しみにとっておいて何度も読むに値するかもしれませんね。まだ一回目、ざっと目を通しただけの私です。この作家さんかなり作品があるのを発見しましたし・・・。
捕物帖の謎解き・解決のスカッとした切れ味って言うのが持ち味というより、むしろこの作品は時と所を「ざくっといい所を選り抜いたネ!興味そそられるナ!」という作品のように思いました。
そういえば「中清」の前をよく通ったものだけど、この頃からこの店はここにあったのかァ・・・と、江戸前のキスのてんぷら食べたいなぁ・・・と思ったのは・・・「のっぺらぼう」のせいですね。
又、そういえば久しぶりで日本堤のけとばしやへ行きたいなぁ・・・なんどと思ったのは・・・「狸囃子の夜」のせいですよ。
・・・めっぽうおなかが空きました。
Read the rest of this entry »

とげ抜き万吉捕物控 異国の狐

題名INDEX : タ行 65 Comments »

東郷隆 著

さて、時代物ですよ!捕り物帖ですよ!楽しい息抜きですよ!
ひさしぶりの親分さんですよー!
の、筈だったんですが。
考えてみれば捕り物帖ったって、実際に本で読んだのは僅かですよ。大抵はTVでお目にかかった親分さんばっかりです。
大体岡本綺堂さんだって野村胡堂さんだって1冊も読んじゃいません。
読んで惚れたのは「彫師伊之助さん」藤沢周平著と「本所回向院の茂七親分さん」宮部みゆき著くらいですよ。
そういえば数年前に「岡本綺堂が絶版になるのよ!だから大急ぎで本屋回って買い集めているのよ。」と言った友人が居た。老後の楽しみに買っておかなくちゃ・・・と言うのだがその彼女は藤沢周平さんも老後のために1作もまだ読むつもりは無いと言っている。
「老後に取っておかなくともいい作家は雨後の筍のように出てくるよ。早く周平さんを楽しまなくちゃ嘘だよ。」と言うのだが信用は無い。
「そら見ろ、万吉親分が出てきたじゃない・・・」と言ってやるつもりなのだが・・・私の耳にした噂では、そのはずだったんだけど。
図書館の検索で引っかかったのは2冊。短編にして8編。老後のお楽しみになる量が今後期待できるのかが問題。でもそれだけじゃなかった。楽しい息抜きですよーの部分が引っかかった。
この「異国の狐」には4編。中に「御台場嵐」というのが有って、先ごろ第三台場、第六台場を見学して来たばかりの私には絶好の題材。興味を惹かれてしまった。お台場が出来た頃のお江戸の様子が活写されていて、それは面白かった。
登場人物、分けても大事な親分さん、子分さんには全く文句ない。
物語りもチョコット難しくなる嫌いはあるけれどねぇ・・・と、何が難しくなるきらいかと考えたら言葉なのかもしれないと、思い当たった。
つまり軽くのめりこめないのだ。言葉に引っかかる。
多分とてもよく調べていて、あの当時の言葉のやりとりはこんなもんだったのかもしれないな・・・とは思う。思うのだけど、リズムが付いていかない。しょっぱなの「泥濘」の「しるこ」というルビからもうひっかかる。最初の「泥濘るんだ」には「ぬかるんだ」というルビがあっての後である。
たまにするのだが、声を出して私は読むことがある。この作品は突っかかる。つまりルビも予想外だったり(御仕着をおしきせと読んで、おや違う?と止まらなければならない。かんばん?ああ、なるほど雇い主を背負ってるからか・・・?などと)、実際注釈付きの言葉が多かったり(「これは疵にした」に(欠点を作った)と注が付く)、するすると読めずにけっつまずくのだ。
そこで、物語を読み進むのにリズムが乗らない。楽しさがぶわーっと一気に弾まない。折角江戸っ子の活きのいい科白のやりとりのはずなのに・・・と、いらつく。
そこで不意と思い出したのが津本陽さんの「下天は夢か」だ。
物凄く興味のある面白い時代を折角書いてくれていて・・・だから読んだのだけれど・・・彼は読ませたくないんじゃないか?と怪しんでしまったのだ。「絶対読みにくくしている!」と、私は叫んだのだ、心中。
「ちょうだいあすわせ」だ?読み始めは「凄い!よく調べているんだな・・・尾張弁・三河弁ってスゲエ!」だったのだけれど、物語に没頭したくなると、どうにもこれがいけない。邪魔をするのだ。いちいち尾張弁が引っかかる、わずらわしい、煩い。ふっとばし読みされないためにわざと意地悪しているんかい?と言いたくなった。
TVドラマでもあるじゃない?この公家は御所言葉なのに、こっちの公家は標準語って言うの。あれは俳優の技量の差かな?「統一しろい!」なんて笑ってられるけれど・・・
ま、そんなで、この作家も凝って、懲りすぎて?江戸っ子の勢いを読むほうから殺いでくれている?ちゃきちゃきちゃきっと読みたいのになぁ・・・
ああ、せっかくお台場作っているときのお江戸はこんなんだったのか・・・と目の前に繰り広がられる臨場感まで味わえるのに・・・もっと面白く読めるはずなのに・・・と言うわけで、私の密かな楽しみ、時代小説短編は一人朗読でちゃちゃっと楽しむっていうのにはこの本は向かなかったようで。
でもじっくり江戸情緒を吟味するには、また一つお楽しみが増えたのかも知れないとは思っています。地名追っていくだけでも楽しいし、それにひょっとしたらこの言葉使い、慣れればはまるのかも?歌舞伎を思わせるところがありますしね。そういえば何かで地方の人が上京して来た時には浄瑠璃の教養が共通語としての役割を果たした・・・なんて読んだことがあるような・・・だから続いて後の4編も読みます。
Read the rest of this entry »

四日間の奇跡

題名INDEX : ヤ行 307 Comments »

浅倉卓弥著

この本を図書館に予約したのは今年の「このミステリーがすごい!」大賞の広告の横に第1回大賞受賞作として載っていたからです。
だからこの賞の作品を読むなら「第1回の受賞作から読むか?」という乗りだったのですが・・・もう4年ほど前の受賞です・・・のに?20数名待ちました。・・・ってことは着実に読まれている本なのかな?・・・って、思いました。
昨日友人と会って食事をしている時に「今、ミステリー大賞を取った『四日間の奇跡』っていう本を読み始めたのだけれど、半分近くまで行ったのにどこがミステリーなのか分からないのよ。」と言ったら、「それって吉岡君の映画の?」
「え、映画化したの?」「私見たよー、そんなに前じゃないのだけれど、余り覚えていないけれどピアニスト役で吉岡君が出たのじゃないかなぁ・・・」「それだ!ピアニストの話だもん。」
吉岡君の一応ファンなんですけれど、その映画の情報は全く私に無くて、「映画化されたんなら本当に話題だったんだ!」と私の時代遅れ?をちょっとばかり嘆きました。あたしゃ、ヤッパ、遅れてるんだね~。
彼女に会うまでに読んでいた前半部分は淡々と進んで、ドラマ的には天才ピアニストが指を失い、知的障害の娘を引き受けるに至った経緯とその娘の才能を見出して慰問と言う生きがい?らしいものを見出して生活している現況が静かに述べられていくだけなので・・・と言ってしまえば身も蓋も無いけれど・・・丁寧なカタリ部分が続いていて、私はこの小説面白くなるのかしら?と、危ぶみ始めていたところでした。
でも映画化されたと聞けば、やっぱりミステリー!が始まるのだ?と、ちょっとわくわくですよ。
それにここまでのところこのピアニストを吉岡君が演じたというのも不足はありません。影が薄く暗いでも優しい青年ですもの・・・ん、うってつけかも?です。
と言うわけで今朝旦那が11時まで起きてこなかったので、何もせずに朝の七時から読みふけって、読みきりました。
だけどここからは敬輔はすっかり吉岡君の顔になってしまっていました。「北の国から」の語りの乗りになっちゃったんです、参ったなぁ。ありがたいことに?他の役が誰だったかすっかり忘れてくれていてよかった!
そしてもっとありがたいことに後半は一気に読めました。
浅田次郎さんの「椿山課長の7日間」を思い出したし、少年と少女の体が入れ替わるTVドラマとか母と娘の体が入れ替わる映画とか・・・幾つも類似作品を思い浮かべては・・・しまいました!
しかしこの作品の「脳」に関する沢山の知識(彼が自分で調べたこと、白石医師との会話、藤本さんや倉野先生との会話などから)や音楽のかかわりや知識などが丁寧に挟まれていてそれが重厚な厚みを与えていたし、何より舞台になったセンターというかホームと言うかこの場所の設定のうまさが生き生きしていてこの作品を際立たせていました。ちょっと羨ましすぎるような善意ワールド!だけど。
「入れ代わり」の描写を読む時には確かに類似作品の描写を思い出さないわけではなかったけれど、この作品は真理子という人の饒舌さと千織の言葉の無いのとの対比が面白いトーンになっていて、真理子さんの饒舌さには同じおしゃべりの私でも参っちゃいました。降参って感じ?
人を傷つけない饒舌ってとても難しいのに。
多くしゃべると多く不仲・・・っていうのが私の戒めなんですがね?
最も敬輔君が殆どしゃべらないのだから、真理子さんが喋り捲らなければこの話は進みません?!
それに倉野先生の造形が美しくて読んでいて敬輔君ならずともこの先生に傾倒する気持ちを持てたこともこの作品への傾斜を加速させたと言えるかもしれません。
いいテーマが浮かび上がってきたなと言う嬉しさでしょうか。
死とか心とか魂とか脳とか不思議な物をいっぱい考えさせて、優しく生きる人をちりばめて・・・読後感が柔らかかったなぁという嬉しさも。
多分前半の作品の底流を形付ける部分がちょっと長く感じられたことは確かだが(後半は夢中で読めました、念の為)それもこの作品の最後の感動を呼び起こすには必要だったのかもしれないなぁと素直に思うことにしました。書くほうもかなりの気骨と我慢を要したに違いないし。丁寧さが凄いよ!
吉岡君が演じたと言う映画近いうちにTVででもしてくれないかな。もうDVD有るよって?
ミステリー大賞まだ新しい?賞だから、追いつける?
Read the rest of this entry »

緋色の迷宮

題名INDEX : ハ行 280 Comments »

トーマス・H・クック著

クックさんの第二作目、緋色繋がりで?
緋色の記憶」と何らかの関係が有るのかと思ったのですが、無いようです。多分翻訳者の?原題は?
でも作品自体がかもし出す雰囲気は似ていました。
多分同じ色合いを読む人は感じずにはいられないでしょう。
主人公は前作の主人公のパラレルワールドバージョンじゃないかと思うくらい感性が似ているのじゃないでしょうか。
事件を見通す、妙な立場からの俯瞰のあり方。
未来の一点に立って過去を見つめて、既におきてしまった事件を振り返り振り返り慨嘆を淡々としかも切ないほどの後悔をにじませて語っている。
事件のキーマンはキースなの?ウォーレンなの?メレディスは?いえ、エリック?
もう過ぎてしまってどうしようもない事を、あの時こうしていれば・・・とか、あの時ああなっていたら・・・とか。そうしてその慨嘆の向こうに私たち読者は事件を再構築していかなければならないもどかしさも前作と似ていました。
こう思いながら読み進んでいました。でも違いました、この点で。
この作品の方が私の心には毒を流しました。
「疑惑は酸のようなものであり、ふれるものをなにもかも腐食させる。古くからの信頼や長年積み重ねられた愛情に、次々と穴をあけていく。」
この土台の上に積み重ねられてゆく「家族写真は嘘をつく」「人は嘘をつく」「あなたは逃げるのね」「あたは向きあわないのよ」・・・のフレーズ。
酸の上に酸を流すみたいな!
読みながら私は否応もなく眠れない夜を三晩過ごしました。
アルバムの中の過去の家庭と今の家庭と私の家庭をリンクさせてしまって。
そして読み終わった今夜も眠れるとは限らないと、思っています。
私の前にも向き合わなかった過去が次々立ちはだかってくるのです。
無視し見ないで済ませた事をそれでもかすかにどこかで意識していたもの、でも立ち止まらなかったもの、気が付かない振りをしたもの、意識下で殺していたものがもやもや起き上がってきたのです。
「あの時・・・こうしないで・・・あの時・・・ああしていたら・・・こんな今は・・・」って思うこと、 誰にでもあるでしょう?
「あのときこう見えたけれど、実は・・・だったのじゃぁなかろうか。ああ、あれはこうだったのに・・・」って?
今と折り合いをつけていたのに、取り返しようもない過去の様々な諦めていたものが立ち向かってくるようで、自分の心が蝕まれていくのをエリックの腐食と同時進行で見てしまいました。
今が本当に望んでいた今だったのか、それとも今は沢山の蓋をしたものの上に危うげに載っているまぼろしに過ぎないのか?
私の足元が揺らいでいます。
それでもフシギなのは彼が失った全てのものの向こうに漂っている静けさです。
全てを腐食しつくせば穿った穴から明るさが流れ込むのでしょうか?不安や偽りの上に築かれたものはいっそ失った方が?でもその偽りは本当に偽りかどうか?
家族の場合、疑惑を持った人の周りの人が穴を穿たれ腐食していくのではないかしら。
疑うことより、疑われることの恐怖や絶望の方が心を腐食するような?
「緋色の記憶」と「緋色の迷宮」を見つけたのですが、他に「死の記憶」「夏草の記憶」「夜の記憶」と「記憶」がつく作品があるのを発見しました。この4作はつながりがあるのかしら?シリーズ?
ただ単なるスリラーやサスペンスよりひょっとしたら心を噛む作品なのではないかとちょっと心が臆します。
Read the rest of this entry »

となり町戦争

題名INDEX : タ行 147 Comments »

三崎亜記

「となり町との戦争のお知らせ」という広報のお知らせ
この文に引かれて、申し込みした本がようやく届きました。
私が見つけた本は図書館に申し込むと大体既に何人待ちの状態になっているのが最近の常態。
「皆なんで本買わないかなぁ・・・?」と、思って、結局皆私と同じだ?と思う。多分これからはもっと待ちが長くなりこそすれ、短くなることはないのだろう。高齢化+年金頼り=図書館利用。でも税金収入の低下は図書館の充実も低下?→待ち時間は長くなる・・・というわけで、今現在「東京タワー」は530人待ち。昨年から1年で500人前へ進みました。TVドラマ化、映画化・・・多分今頃私の後ろにも500人ぐらいはいるのでしょうね。話題になった時点で「読もう」と思うことはもうそれだけで遅れを取っている、話にならないということでしょうか。
さて、この本ですが、ドラマ化はありえますかね?いや、ないでしょう!え、あるんですか?どうやって?って思う本です。
読み始めて「う~ん!」「アイザック・アシモフを始めて読んだ時を思い出した・・・また大げさな!」
「ウ~ン!」「星新一さんを思い出さない?ちょっと方向が違うでしょ?」「うぅん!うーむ、ウ~」
でもちょっとSF?ウ~ン?ちょっとサスペンス?う~ん?
さて、これはなんでしょう?
設定も文章も不思議ふしぎフシギ・・・でも、読まされちゃう。新しいフシギ。
不条理だの、構造破壊だの、なんだのと今更こじつけますか?
さて、でも、面白いんです。でも・・・やっぱり「でも」なんです。
その気になれば?なんか色々引きずって来れそうです。
好き勝手に色々考えることも出来そうです。読み終わってさて?そのまま捨て置くことも出来ます。
「ふん、おかしな話を読んだわ!」でもいいのでしょうね。
書いた人も何も要求しなさそうです?いやそんなことは有りませんね。
書く人には書きたいことがあるはずですから。
勝手に投げ出して「お好きにどうぞ!」ってな感じを受ける本ですが。だけど思いや思考をめぐらそうと思えば幾らでも深読み?もできそうなので・・・妙に面白いです。
おかしな叙述です。
抽象的で、確実に。象徴的で、具体的に。劇的で、平穏に。
事務的で簡潔で平明で役所的紋切り型で潤いがあって、で相殺しあう言葉の穏やかな当たり前そうな並べ方。
おかしな登場人物です。
具体的にいて、あくまで抽象的な陰みたいな存在。
香西さんも主任もはて何を言わんとするのか・・・裏の裏を除き見ても裏に明解な陰も無いような明けらかな難解な存在?
大体語り手の僕の感覚が頼りなのにその感覚が淡々で坦々で単々でそれも妙なんです。人かぁ?
「ウ~ン、そうかぁ。」と思ったのは二ヶ所。
「僕たちが戦争に反対できるかどうかの分岐点は、この「戦争に関する底知れない恐怖」を自分のものとして肌で知り、それを自分の言葉としてかたることができるかどうかではないかと。スクリーンの向こうで起こっているのではない、現実の戦争の音を、光りを、痛みを、気配を感じることができるかどうか。」というところでこの作品の主題を感じ、「だけどぼくは香西さんまで『いつのまにか』失いたくはないんだ。」というところで、主人公が人間である事を感じた!のです。
それで、世界中で今現在進行中の戦争を頭の中で考えているのですけれど・・・そうすると「主任」の言葉は、存在は、頭の中で恐怖を呼び起こすようです。
亜記さんて男の人でしょう?男の人の文章ですよね。それにしても実に丁寧に練れていて洗練されていませんか?

真相

題名INDEX : サ行 302 Comments »

横山秀夫著

当然と言えば当然!必然と言えば必然?
今年第一作は横山さんになりました。
正月休みは「指輪物語」!と、読み始めたのですが、そこそこ落ち着いて本を読む時間が無くて、第1巻を読み終わったところで休みは時間切れです。
休み明けメールの第一号は図書館から到着、横山さんの「真相」だったと言うのが真相?
昨年からの流れで行けば順当だ!と納得して・・・
五つの短編が収録されていました。どれも事件の裏の真相が主題です。それも一ひねりと言うか、裏の裏を行くというか真相が浮かび上がってくる構図です。
そしてそれがどれもはっきりいって頷けない、了解できないものなのです。厭だわ、ひどいわ、こんなの受け入れたくないわって言う気持ちになります。
勿論横山さんの作品の私が好きな部分はちゃんとあります。
でも、辛いだろうなぁ・・・と真相を見た人に寄り添ってあげたい気分です。それこそ余計なお世話でぶっ飛ばされそうですが、そうさせてもらいたいという止むに止まれぬ気分に駆り立てられます。
そうっとしておいて上げるわけにいかない・・・それでは済まない・・・という状況をよくもまぁ思いつくなぁ・・・横山さんは・・・!
だから私は「真相」では篠田が離すまいと思った美津江の手にそっと自分の手を添えて暖かくしてあげたいと思い、「不眠」では山室の耳から「ザザザザザッー」のボリュームをなんとか一つ絞ってあげたいと念じ、「他人の家」では映子さんの手を貝原の方に押しやり彼らの家を作れる方法を考え込むのです・・・(えー私も犯罪に手を染めるの?どうすればいいのでしょう?この状況は難題です。)
でも、「他人の家」はまだかろうじて?作中の彼らに寄り添える・・・そんな気がもてますが、「18番ホール」はどうにもなりません。
「破」ですか?何でこんな作品入れたんだろうって作家に泣きを入れたいくらいです。
「花輪の海」も辛いですが彼らには何か未来を予感させる若さもありますが・・・だからこそ、この作品群に「18番ホール」は入れて欲しくなかったなぁと読み終わってため息をついています。
そしてやっぱり「年の初めは指輪物語を完全読了してから横山さんに取り掛かるべきだった!」と、反省?しています。反省って?これが運命!
今幸せな気分でいる人にも、暖かいひと時が欲しい人にも横山さんのこの作品はやっぱりお薦めできないなぁ・・・暖かくはなれないけれどもそれでもいい、人の世にすがりつけるものが、よすがでもいい、かけらでも欲しいと切羽詰っているなら?・・・それでもどうかなぁ・・・。
友人に山崎豊子さん大ファンがいます。
「凄いわよ。調べつくして、構築して、濃厚極まりない世界よ!」
彼女が薦めれば薦めるほど、尻込みする私ですが・・・でもね、横山さんを読んでいると何でも読めるんじゃないかな?という気がしてきます。
「豊子でも清張でも持って来い!」(スイマセン)って。
それくらい横山さんの描くものはある意味(負ケテイナイゾ)濃厚濃密、きつーい!短編でさえこうよ!

パズル・パレス

題名INDEX : ハ行 124 Comments »

ダン・ブラウン著

ラングドン・シリーズ第三作目執筆中と書いてあるのを何かで読んで、それから彼の作品に「パズル・パレス」というのがあるのを見つけて、図書館で予約して待つこと暫し!ようやく到着しました。
「デセプション・ポイント」より待ち時間がずーっと長かったのですから、待っている間これが「ラングドン・シリーズ三作目なのかな?」と、楽しみにしていましたが、なんとこれが彼の処女作ですと!
全く作家の事を知ろうとしないで作品だけを漁っているとこういう頓珍漢!10年も前に発売された本だそうです。
ところがです、こと私に関してはこれはちっとも古くはなっていませんでした。
聞くところによるとかなり勉強していても「情報関連情報?」に関しては日々情報遅れになっていかざるを得ない!若い子には追いつかない!というのが昨今の実情という変化の激しさだそうですが。
早い話私はこのアメリカの情報戦略と暗号関連についてのお話部分ではただただ「へぇえぇ・・・?????!!!!!」の世界でした。
デセプション・ポイント」の方が読める部分がまだ多いくらいでした。しかもこの作品の方がかなり新しいというのにね。
アメリカのNSA内部とスペインの二部構成になっているとはいえ、殆どを占めるこの情報統制機関(でしょう、ほとんど?)の有り様には全く私は蚊帳の外?なんて生易しいものではありませんでした。
作中の彼らがPCに向かってやっている事の大半は私には「?」なんですから。言っちゃいますけど、「ガントレッド」って、私にとっちゃ「クリント・イーストウッド」と=ってだけですからね。
10年前に作家が手に入れられる情報に立脚した作品でさえこうなんですから、もし今度の作品が今の「コンピューターと情報とに関係した何か」だったらそれはもう完全お手上げの世界です。
「パズル・パレス」はただ、役職に応じて右往左往し、人間関係によって右往左往する人のドラマがこんんなハイテク?世界にもごく普通に生々しくあって、そのドラマと、縦糸になるスーザンとディヴィッドの心配しあうか細い糸によってのみ私の読書意欲をつなぎとめてくれた!という感じでしょうか。
どんな世界になってもそこに住む人間の本質が変わらなければ?「そう何とか読める!」でもミュータントばかりの世界になったら・・・!
それにしてもこのデビュー作?この作品からして彼は内部情報通好みだったんですね。知識に関する欲望の膨大さがこの人の作品の最大の特徴ですが、多分「ダ・ヴィンチ・コード」で一番大きな油田を掘り当てたのでしょうね。知識の種類においても読者層の幅広さにおいても。大向こう受けする素材のね。だから今後に期待します。
「パズル・パレス」を楽しめる層はやっぱり薄いんじゃないかな。
付いて行きたい気は勿論?あるんですよ。でもできたらもうちょっと普遍的な知識の掘り下げ方に期待したいです。
ただこれだけは書いておかないと・・・と思うのは、この物語の本当の後半部分ストラスモアが死んだ後からの畳み込み方がとてもスピードがあってわくわく気分を盛り上げてくれたということです。
急に面白くなりました。それとディヴィッド(スペイン)の部分!ここは楽しく読めました。サスペンススパイ物定番商品という感じでしたが。
ハラハラ感も、うーんという驚きも、程のいいロマンスも絶対手堅い何かを彼は持っていますから。
ラングドンなら文学的な、芸術的な、古典的な何かを読者に堪能させてくれるでしょうから。間違いない?
あと、日本人の名前の考察をもう少し真摯にしていただきたいものですよ。トクゲン・ヌマタカは古風とはいってもまだなんとか?エンセイ・タンカドって何?でも、この名前が出た時直ぐ日本人じゃないでしょうね、まさか?って思っちゃったのがちょっと悔しい?

さて、今年はこの本が最後の読書になりました。
正月は「指輪物語」を再々読して楽しもうかな・・・と、予定です。
Read the rest of this entry »

クライマーズ・ハイ

題名INDEX : カ行 76 Comments »

横山秀夫著

この作家は読むたびに腹の底から唸らせてくれる。
読むのが厭になるほどねちっこいのに、夢中で読まされるのはもう上手いとか凄いとか言葉の表現の外だっていう気がして、感想なんてお手上げ!
勿論、業界(この場合地方紙北関東新聞)や扱っている御巣鷹山の日航墜落事件や山・谷川の衝立岩・・・の知識・情報の調査の濃密なことは言うまでも無い。この濃厚さといったら彼はその道の権威なんだろうなと思わされるくらい。
しかし、私が読まされるのはそのことでは、そのことだけではない。
勿論その精密さの上に構築される人間関係が状況以上の?濃密さだから!だからこそ読まされてしまうのだ。
主人公の悠木(新聞記者)の40歳の時の山仲間との衝立岩挑戦の日(結局墜落大事件で果たせなかった)から17年後その友人の死後、彼の息子と衝立に登るまでの大事故後の衝撃の数日間を軸に修復できなかった彼の息子との関係・その友人の言葉の謎などを絡めて濃密なドラマが展開される。
正直その一つ一つが1冊の本になりうる課題だと思う、
「友人が何故あの場で倒れたのか・・・?」という一つを追い求めるだけでも一つのサスペンスになりえただろうし、彼の生い立ちを含め母との・妻との・息子との又娘とのそれぞれの関係・葛藤を描いても1冊の小説になりえたし、新聞記者としての事件へのかかわりを徹底的に描けば(後論この作品はそうだが)これは一つのドキュメンタリー的作品になるだろう。
それを、その3ツの主題を文庫400ページ余りに凝縮して書き込んでしまったのだから・・・感嘆と賞賛とため息で夢中で読みふける以外読者の出来ることは無いようだ。
しかしやはり一番読ませたのは新聞記者としての彼のこの大事件への姿勢だ。
私は新聞を作る人、学校の先生、楽しい読み物を書く人、お医者さん・・・彼らをずーっと子供の時から聖職者としてみていたところがある。今では微妙と言わざるを得ないが。
新聞記者というのは事実を正しく伝えてくれる人と思っていて、新聞で読むことは正しいと信じていた時期がある。
それが音を立てて崩れたのは「ある新聞を父がずうっと読み続けているのはその新聞が好きだから」と思っていたのが違うという事を知った日だった。父がその新聞を読んでいたのは「その新聞が戦争責任をきちんと認めないまま、戦争中にどんな記事を書いたかを反省しないまま、今も新聞を作り続けている事を見張るつもり。」という事を知った時だった。(ちなみに父は記事によっては抗議の電話をかけ続けている)色々な地方に住んで色々な記事を読んで一つの事実を色々な立場で書くのが記者なんだと知ったし。その立場が問題なんだということを肝に銘じて記事を読まなければならないということも知った!
地方で暮した時私はその地方の新聞を採っていた。その地方を知るにはその地方の新聞が一番!と思っていたからだ。
その意味ではこの作品は私にぴたっとはまった!といってもいいだろう。妙に納得がいったという感じだ。ここにひしめく新聞記者たちの様々な関係意識軋轢あらゆることが記事に反映する。新聞も人間無しではありえないということを示してくれた。
良い記者がどんな者かは分からない。読者の心を持てあそぶ記者、心を揺さぶろうとしすぎる記者、自分の立場を優先させる記者、思い込みで誘導する記者・・・様々な人間がひしめく新聞社、その新聞社の立場が主導権争いで左右されるなんて思ってもみない余りにも低級な悲しさだったが、ただ横山さんの小説は必ず最後に人間を肯定してくれる(今まで読んだ限り)。
燐太郎君は存在そのものが救い以外の何者でもないし、悠木本人も途中で腹が座って記者というものの有り様を素敵にして見せてくれたし、等々力という上司の姿でさえ何かいいものを感じさせてくれた。育って行く記者たち、佐山、神沢、望月彩子。神経を逆なでしあい否定しあいながらも寄り添うなにかもある同僚たち。
この神経をすり減らされるような話の合間に不思議なくらい好きだなぁと思わされるちょっとしたフレーズというか遣り取りがあってそのたびに救われた。
それにしてもこんなに見事に現代を読ませる作家を私は始めて知ったような気がする。
Read the rest of this entry »

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン