浅田次郎著

ヤレヤレ本当に妖しかったなぁ・・・オーッ背中に怖気が残る。
って、必ずしもおぞましいわけではないのですけれどねぇ・・・
「赤い絆」「虫篝」「骨の来歴」「昔の男」「客人(まろうど)」「遠別離」「お狐様の話」の7編

好きな順に並べてみると・・・
「昔の男」「遠別離」「虫篝」とここまで来て順番をつけ難くなった。
早い話、後の4話は厭だ。読みたくなかった。
特に1話と7話、ぐるりとめぐって同じ神社の昔語り。この手の話を子供たちに聞かせているという設定そのものがうそ寒くっていけすかない。私がこの布団を被った・・・いや、被れないで伯母の口元を必死で見つめて話に魂を奪われたこどもになった気がするから。
大人に成っていっても・・・後々までもバックボーンからこの話はしがみついて離れないよ・・・おおいやだ・・・と、思って、大人に成っていて良かった!とため息をついた。
こどもの頃って怖い話をせがむものだけれど・・・こんな話をする人が身近にいなくてほんとうに良かった、しかも絶妙のロケーション!人格形成に影響しちゃうよ・・・今で言うならトラウマ?
さて、でも?昔はこの手の話に満ち満ちていたかもしれない。
恐ろしい闇、うかつに入れば引き込まれる片隅・・・そんなものが、得体の知れない恐怖感が、そこここにあったような。
日本人の背中にはぬらっと張り付いてくるような湿った恐れがいつもあったような気がする。今はもう明るすぎて乾いて蠢く隙間がなくなった者々はどこに行ったのだろう?
そういう意味ではこの作品たちは知らない世界からやってきたものではなくて見知った馴染みのあるこの風土の者のようだ。
大体過剰すぎる感情はあやしかったり恨めしかったりかなしかったり・・・になる。
愛しすぎても、憎みすぎても、うらみすぎても、心の盆から溢れた感情は異形のものに変成してしまう。そしてそれを畏れる気持ちは私たちに必ずある。心の底で怨霊や祟りや報いを信じている。
ただ変形し変成し変性したものを受け入れるか受け入れられないか、折り合いがつけられるか付けられないかがその人一人ひとりの有り様というだけのことかもしれない。
呪ってしまったから、その報いがあって、その結果をどう受け入れるかみたいな?
そういう意味では浅田さんは全くの異界を繰り広げたわけではないけれど、その広げ方に好悪があるとすると、私は上の順番で受け入れることが出来た・・・というだけのことかも知れない。
ただ「昔の男」は気持ちの良い物語に仕上がっていてこの作品の道中で一息入れられたありがたい作品だった。
あまちゃんで生きてゆきたい私(って事は盆から溢れるような怨念執念妄執を持たないということですが)は出来ればこの作品だけ読んでお終いにしておきたかったなぁ。
宮部みゆきさんの「あやし」を書いた時と同じですよ。
血液もさらさらなら心もさらさらがいいんですよ。
もっとそうしたくともそうは行かないのが人の世で、だから「あやしうらめしあなかなしい」事に満ち満ちているのでしょうが。
なるたけお互い様で「うらみっこなしよ!」でいきたいものです。
魑魅魍魎幽霊怨霊にも明治以前は基本的人権があったと書いていたのは山本周五郎さんだったかしら?
本当におっしゃるとおり!怪異を畏れる心の「ゆかし」を大切にしたいものですよね、日本人なら。
そうすれば盆から溢れすぎた濃厚極まりない情念とも仲良く・・・って?人間には土台無理か!気弱な私は言霊さえ気になって不吉なことは言ったり思ったりしないように気をつけたりもして、それでも結構疚しかったり・・・後ろめたかったり・・・それなのにやっぱり情と無縁ではいられないんですねぇ・・・かなし、愛し、悲し、哀し・・・・・痛まし。