トーマス・H・クック著

クックさんの第二作目、緋色繋がりで?
緋色の記憶」と何らかの関係が有るのかと思ったのですが、無いようです。多分翻訳者の?原題は?
でも作品自体がかもし出す雰囲気は似ていました。
多分同じ色合いを読む人は感じずにはいられないでしょう。
主人公は前作の主人公のパラレルワールドバージョンじゃないかと思うくらい感性が似ているのじゃないでしょうか。
事件を見通す、妙な立場からの俯瞰のあり方。
未来の一点に立って過去を見つめて、既におきてしまった事件を振り返り振り返り慨嘆を淡々としかも切ないほどの後悔をにじませて語っている。
事件のキーマンはキースなの?ウォーレンなの?メレディスは?いえ、エリック?
もう過ぎてしまってどうしようもない事を、あの時こうしていれば・・・とか、あの時ああなっていたら・・・とか。そうしてその慨嘆の向こうに私たち読者は事件を再構築していかなければならないもどかしさも前作と似ていました。
こう思いながら読み進んでいました。でも違いました、この点で。
この作品の方が私の心には毒を流しました。
「疑惑は酸のようなものであり、ふれるものをなにもかも腐食させる。古くからの信頼や長年積み重ねられた愛情に、次々と穴をあけていく。」
この土台の上に積み重ねられてゆく「家族写真は嘘をつく」「人は嘘をつく」「あなたは逃げるのね」「あたは向きあわないのよ」・・・のフレーズ。
酸の上に酸を流すみたいな!
読みながら私は否応もなく眠れない夜を三晩過ごしました。
アルバムの中の過去の家庭と今の家庭と私の家庭をリンクさせてしまって。
そして読み終わった今夜も眠れるとは限らないと、思っています。
私の前にも向き合わなかった過去が次々立ちはだかってくるのです。
無視し見ないで済ませた事をそれでもかすかにどこかで意識していたもの、でも立ち止まらなかったもの、気が付かない振りをしたもの、意識下で殺していたものがもやもや起き上がってきたのです。
「あの時・・・こうしないで・・・あの時・・・ああしていたら・・・こんな今は・・・」って思うこと、 誰にでもあるでしょう?
「あのときこう見えたけれど、実は・・・だったのじゃぁなかろうか。ああ、あれはこうだったのに・・・」って?
今と折り合いをつけていたのに、取り返しようもない過去の様々な諦めていたものが立ち向かってくるようで、自分の心が蝕まれていくのをエリックの腐食と同時進行で見てしまいました。
今が本当に望んでいた今だったのか、それとも今は沢山の蓋をしたものの上に危うげに載っているまぼろしに過ぎないのか?
私の足元が揺らいでいます。
それでもフシギなのは彼が失った全てのものの向こうに漂っている静けさです。
全てを腐食しつくせば穿った穴から明るさが流れ込むのでしょうか?不安や偽りの上に築かれたものはいっそ失った方が?でもその偽りは本当に偽りかどうか?
家族の場合、疑惑を持った人の周りの人が穴を穿たれ腐食していくのではないかしら。
疑うことより、疑われることの恐怖や絶望の方が心を腐食するような?
「緋色の記憶」と「緋色の迷宮」を見つけたのですが、他に「死の記憶」「夏草の記憶」「夜の記憶」と「記憶」がつく作品があるのを発見しました。この4作はつながりがあるのかしら?シリーズ?
ただ単なるスリラーやサスペンスよりひょっとしたら心を噛む作品なのではないかとちょっと心が臆します。