図書館警察

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スティーヴン・キング著

「ドリーム・キャッチャー」という映画を見たのですが、分からない事だらけなので「長いんだろうなぁ・・・怖いんだろうなぁ・・・でも読んでみなくっちゃ。」と、散歩を兼ねて図書館へ。でも書棚には無くて、変わりに見つけたのがこれです。図書館と警察ですって?なんて素晴らしい組み合わせなんでしょう!って訳です。
直ぐ借り出してきて・・・映画で見たドリーム・キャッチャーが怖かったなら、これは恐怖でした。「えー、大好きな図書館って言う言葉がついていたのに・・・」図書館でこんな恐怖を作れるなんて・・・しかも映画みたいに出来上がった怪物の映像があるのではなくて、怪物の姿がいやでも自分の想像の世界で構築されていっちゃうんですから・・・「自分で作った絵に恐怖してどうするの!」と自分を叱咤しながら読み続けました。ちゃんと切り抜けられるか、この3人が生き延びられるか心配で心配で本の終わりを自分を騙してでも?こっそりめくって確かめちゃおうという誘惑とも戦わなくてはならず・・・。忙しくて疲れていたにもかかわらず眠れない夜が続きました!
でも、こどもたちと同じなんですね。結局アーデリア・ローツの話に引き寄せられる、悪いと知っている所に足を踏み入れたいと思う子供と。
「本当は怖いアンデルセンとかイソップとか」の世界ですよ、こどもを本当に虜にするのは。悪とか闇とかのマジカルパワー。
キングさんの子供時代ってどんなだったのかなぁ・・・と、またしても考えてしまいました。闇が、恐怖の闇が絶対彼の周りを囲んで彼を、彼の想像力を育てたに違いないと思うんですもの。彼の描く子供は一方でいかにも子供らしいのに、必ず背負っているのが過去・体験・記憶又は閉ざされた記憶。罰金を払わされ過ぎた子供たち。
サム・ピーブルズも遮断した過去と向き合わなければ生き延びられなかったし、ナオミもディヴも過去と正面を切って向かい会わなければならなかったし、その勇気を持っていたのに。キングさんの一筋縄ではいかないところはその勇気や智恵や全力を持ってしても必ずしも生き残れないところ、闇や悪の魔力、その不条理な力を思い知らされるところに有ります。どうしようもない力というものを否応無く認めさせられる恐怖でしょうか。
結局内なる敵と戦うには強力な敵を作ってそれに向かい合うだけの自分を作り上げるために自分を総動員するという方法がある?・・・ということを知りました。だから自分の過去も封印を解いて味方にするのです。強い戦士は厳しい過去を持たなければならないというわけですが、それは反対にたいした過去が無い人間は強い人にはなれないということかもしれないですねぇ・・・。そう思うと今現在辛い時期を乗り越えつつある人は勇気をもらえるかも知れませんね。
キングさんといえば有名なのはキャッスル・ロックですが、この物語の舞台はジャンクション・シティ。膨大な作品があるからここを舞台にした他の物語も探せばあるのかも?それとも実在の町でしょうか?
図書館という物は考えてみれば不思議な空間です。何でもそこにはあると言ってもいいのですから、歴史も地理も心理も哲学も呪いもファンタジーも宗教も恋も祈りも・・・それこそ何でも。怪奇の舞台にならない方が不思議なんです。
そういえば私も小学生の時から図書館が好きで入り浸っていたのに、誰もいない図書館は別のもののように思えましたっけ。読みたい本が読まされる本になって覆いかぶさってくるような、汚したり壊したり返却忘れをすることの恐れも確かに私を捉えていましたね。
ついこの間まで本は大事なもの、捨てられないもの、処分なんて考えてはいけないものの筆頭でした。それなのにこの頃は図書館の本の受難時代になったようです。図書館警察が必要とされる時代、アーデリア・ローツが活躍できる時代を私たちが作り出しているのじゃないかと不安です。
今生きている子供たちの状況はキングさんの世界の子供だけでは無くて、どこででももっと過酷になっているのかもしれません、様々な虐待の待ち受ける世界に、大人が勝手な罰金を取り立てる社会に放り出されて、闇を抱えさせられているようなところがありませんか。全ての子供が強くなり過ぎなくてもいい世界、生きられないほど弱くならない世界が普通でありますように・・・。
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とげ抜き万吉捕物控  のっぺらぼう

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東郷隆著

「がまの守り符(ふだ)」「四十七士の飴屋」「のっぺらぼう」「狸囃子の夜」の4編収録

不思議ですねぇ・・・私がこの作家のこの作品の風に慣れちゃったのでしょうか?ちょっと早過ぎ?
それとも、作家の方がこのシリーズに慣れて、この世界と仲良くなっちゃったんでしょうか?リズムが出てきました!
私の読むほうのリズムです。
先の4篇よりこの本の4篇の方がずーっと読みやすく感じたのは、やっぱり私の慣れでしょうかねぇ?不思議です。
まだ注釈はあるものの~大(ダー)らん入る(大騒ぎになる)なんて言葉本当に使っていたんですかね?~今度は「・・・と当時の江戸では申しました・・・」てな風な書き方をしていたりしますから、前作ほど読むのにつまずいたりはしません。
大体前作から30年近くも経っております。あっという間に幕末の混沌も終り、明治も29年、万吉さんはもう白髪頭の職人風の綺麗な刈り上げになっております。髷はもう有りません、髪結い床は床屋になっていることでしょう?
30代から60代?まだかくしゃくとしてお元気です。しかも、明治になってからも警視庁お雇いとしても活躍していることだし・・・控えは取ってあるし、記憶をひっくり返せば幾らでも種はあるというわけで・・・老後の楽しみ期待大?
そして、この作品はその万吉さんの昔語りを速記者が書くという体裁ですから。やっぱり言葉も整理されているんでしょうか。
万吉さんも辰五郎さんも健在で活躍してくれますから、一安心です。
「四十七士の飴屋」も時と所を逆手にとったアイデア秀逸で笑っちゃいますけれど、やっぱり私は「のっぺらぼう」ですかね。
明治の浅草の奥山見世物小屋、観音様三社様あたりの風俗まで実に生き生き、見てきたように?繰り広げられる面白さはご一読くださいと言いたいようなものですよ。
ちょっと山田風太郎さんの「明治物」を思わせますが。それで話はそれますが、「風太郎さんの明治物は面白いよ。」と言ったら、おっちょこちょいの友人が早速買ってきて読んだそうです。「あんたこんなの本当に面白いと思ったの?」と妙に真顔で聞くので「何読んだの?」「くの一忍法帖!」「私だってそんなの読んだこと無いわよ。明治物は・・・って、「は」って言ったでしょう?」なんて事がありましたっけ。それでも明治物には風太郎さんの昔がチョコット残っているらしくて、女性の扱いに今一納得がいきません・・・というものもありますが。戻ります。
明治はやっぱり混沌としたところに面白くなる要素がいっぱい秘められているのでしょう。
でもやはり「とげ抜き」シリーズのお楽しみは1読2読して、3度目にようやっと声にだして読んだら頭の中にトンと落ちるといった感じにあるのかもしれません。手をかけませんと?
これこそ老後のお楽しみにとっておいて何度も読むに値するかもしれませんね。まだ一回目、ざっと目を通しただけの私です。この作家さんかなり作品があるのを発見しましたし・・・。
捕物帖の謎解き・解決のスカッとした切れ味って言うのが持ち味というより、むしろこの作品は時と所を「ざくっといい所を選り抜いたネ!興味そそられるナ!」という作品のように思いました。
そういえば「中清」の前をよく通ったものだけど、この頃からこの店はここにあったのかァ・・・と、江戸前のキスのてんぷら食べたいなぁ・・・と思ったのは・・・「のっぺらぼう」のせいですね。
又、そういえば久しぶりで日本堤のけとばしやへ行きたいなぁ・・・なんどと思ったのは・・・「狸囃子の夜」のせいですよ。
・・・めっぽうおなかが空きました。
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とげ抜き万吉捕物控 異国の狐

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東郷隆 著

さて、時代物ですよ!捕り物帖ですよ!楽しい息抜きですよ!
ひさしぶりの親分さんですよー!
の、筈だったんですが。
考えてみれば捕り物帖ったって、実際に本で読んだのは僅かですよ。大抵はTVでお目にかかった親分さんばっかりです。
大体岡本綺堂さんだって野村胡堂さんだって1冊も読んじゃいません。
読んで惚れたのは「彫師伊之助さん」藤沢周平著と「本所回向院の茂七親分さん」宮部みゆき著くらいですよ。
そういえば数年前に「岡本綺堂が絶版になるのよ!だから大急ぎで本屋回って買い集めているのよ。」と言った友人が居た。老後の楽しみに買っておかなくちゃ・・・と言うのだがその彼女は藤沢周平さんも老後のために1作もまだ読むつもりは無いと言っている。
「老後に取っておかなくともいい作家は雨後の筍のように出てくるよ。早く周平さんを楽しまなくちゃ嘘だよ。」と言うのだが信用は無い。
「そら見ろ、万吉親分が出てきたじゃない・・・」と言ってやるつもりなのだが・・・私の耳にした噂では、そのはずだったんだけど。
図書館の検索で引っかかったのは2冊。短編にして8編。老後のお楽しみになる量が今後期待できるのかが問題。でもそれだけじゃなかった。楽しい息抜きですよーの部分が引っかかった。
この「異国の狐」には4編。中に「御台場嵐」というのが有って、先ごろ第三台場、第六台場を見学して来たばかりの私には絶好の題材。興味を惹かれてしまった。お台場が出来た頃のお江戸の様子が活写されていて、それは面白かった。
登場人物、分けても大事な親分さん、子分さんには全く文句ない。
物語りもチョコット難しくなる嫌いはあるけれどねぇ・・・と、何が難しくなるきらいかと考えたら言葉なのかもしれないと、思い当たった。
つまり軽くのめりこめないのだ。言葉に引っかかる。
多分とてもよく調べていて、あの当時の言葉のやりとりはこんなもんだったのかもしれないな・・・とは思う。思うのだけど、リズムが付いていかない。しょっぱなの「泥濘」の「しるこ」というルビからもうひっかかる。最初の「泥濘るんだ」には「ぬかるんだ」というルビがあっての後である。
たまにするのだが、声を出して私は読むことがある。この作品は突っかかる。つまりルビも予想外だったり(御仕着をおしきせと読んで、おや違う?と止まらなければならない。かんばん?ああ、なるほど雇い主を背負ってるからか・・・?などと)、実際注釈付きの言葉が多かったり(「これは疵にした」に(欠点を作った)と注が付く)、するすると読めずにけっつまずくのだ。
そこで、物語を読み進むのにリズムが乗らない。楽しさがぶわーっと一気に弾まない。折角江戸っ子の活きのいい科白のやりとりのはずなのに・・・と、いらつく。
そこで不意と思い出したのが津本陽さんの「下天は夢か」だ。
物凄く興味のある面白い時代を折角書いてくれていて・・・だから読んだのだけれど・・・彼は読ませたくないんじゃないか?と怪しんでしまったのだ。「絶対読みにくくしている!」と、私は叫んだのだ、心中。
「ちょうだいあすわせ」だ?読み始めは「凄い!よく調べているんだな・・・尾張弁・三河弁ってスゲエ!」だったのだけれど、物語に没頭したくなると、どうにもこれがいけない。邪魔をするのだ。いちいち尾張弁が引っかかる、わずらわしい、煩い。ふっとばし読みされないためにわざと意地悪しているんかい?と言いたくなった。
TVドラマでもあるじゃない?この公家は御所言葉なのに、こっちの公家は標準語って言うの。あれは俳優の技量の差かな?「統一しろい!」なんて笑ってられるけれど・・・
ま、そんなで、この作家も凝って、懲りすぎて?江戸っ子の勢いを読むほうから殺いでくれている?ちゃきちゃきちゃきっと読みたいのになぁ・・・
ああ、せっかくお台場作っているときのお江戸はこんなんだったのか・・・と目の前に繰り広がられる臨場感まで味わえるのに・・・もっと面白く読めるはずなのに・・・と言うわけで、私の密かな楽しみ、時代小説短編は一人朗読でちゃちゃっと楽しむっていうのにはこの本は向かなかったようで。
でもじっくり江戸情緒を吟味するには、また一つお楽しみが増えたのかも知れないとは思っています。地名追っていくだけでも楽しいし、それにひょっとしたらこの言葉使い、慣れればはまるのかも?歌舞伎を思わせるところがありますしね。そういえば何かで地方の人が上京して来た時には浄瑠璃の教養が共通語としての役割を果たした・・・なんて読んだことがあるような・・・だから続いて後の4編も読みます。
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となり町戦争

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三崎亜記

「となり町との戦争のお知らせ」という広報のお知らせ
この文に引かれて、申し込みした本がようやく届きました。
私が見つけた本は図書館に申し込むと大体既に何人待ちの状態になっているのが最近の常態。
「皆なんで本買わないかなぁ・・・?」と、思って、結局皆私と同じだ?と思う。多分これからはもっと待ちが長くなりこそすれ、短くなることはないのだろう。高齢化+年金頼り=図書館利用。でも税金収入の低下は図書館の充実も低下?→待ち時間は長くなる・・・というわけで、今現在「東京タワー」は530人待ち。昨年から1年で500人前へ進みました。TVドラマ化、映画化・・・多分今頃私の後ろにも500人ぐらいはいるのでしょうね。話題になった時点で「読もう」と思うことはもうそれだけで遅れを取っている、話にならないということでしょうか。
さて、この本ですが、ドラマ化はありえますかね?いや、ないでしょう!え、あるんですか?どうやって?って思う本です。
読み始めて「う~ん!」「アイザック・アシモフを始めて読んだ時を思い出した・・・また大げさな!」
「ウ~ン!」「星新一さんを思い出さない?ちょっと方向が違うでしょ?」「うぅん!うーむ、ウ~」
でもちょっとSF?ウ~ン?ちょっとサスペンス?う~ん?
さて、これはなんでしょう?
設定も文章も不思議ふしぎフシギ・・・でも、読まされちゃう。新しいフシギ。
不条理だの、構造破壊だの、なんだのと今更こじつけますか?
さて、でも、面白いんです。でも・・・やっぱり「でも」なんです。
その気になれば?なんか色々引きずって来れそうです。
好き勝手に色々考えることも出来そうです。読み終わってさて?そのまま捨て置くことも出来ます。
「ふん、おかしな話を読んだわ!」でもいいのでしょうね。
書いた人も何も要求しなさそうです?いやそんなことは有りませんね。
書く人には書きたいことがあるはずですから。
勝手に投げ出して「お好きにどうぞ!」ってな感じを受ける本ですが。だけど思いや思考をめぐらそうと思えば幾らでも深読み?もできそうなので・・・妙に面白いです。
おかしな叙述です。
抽象的で、確実に。象徴的で、具体的に。劇的で、平穏に。
事務的で簡潔で平明で役所的紋切り型で潤いがあって、で相殺しあう言葉の穏やかな当たり前そうな並べ方。
おかしな登場人物です。
具体的にいて、あくまで抽象的な陰みたいな存在。
香西さんも主任もはて何を言わんとするのか・・・裏の裏を除き見ても裏に明解な陰も無いような明けらかな難解な存在?
大体語り手の僕の感覚が頼りなのにその感覚が淡々で坦々で単々でそれも妙なんです。人かぁ?
「ウ~ン、そうかぁ。」と思ったのは二ヶ所。
「僕たちが戦争に反対できるかどうかの分岐点は、この「戦争に関する底知れない恐怖」を自分のものとして肌で知り、それを自分の言葉としてかたることができるかどうかではないかと。スクリーンの向こうで起こっているのではない、現実の戦争の音を、光りを、痛みを、気配を感じることができるかどうか。」というところでこの作品の主題を感じ、「だけどぼくは香西さんまで『いつのまにか』失いたくはないんだ。」というところで、主人公が人間である事を感じた!のです。
それで、世界中で今現在進行中の戦争を頭の中で考えているのですけれど・・・そうすると「主任」の言葉は、存在は、頭の中で恐怖を呼び起こすようです。
亜記さんて男の人でしょう?男の人の文章ですよね。それにしても実に丁寧に練れていて洗練されていませんか?

天使のナイフ

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薬丸岳著

大体何とか賞というものには惹かれない時流に疎い私で、読書は大抵古典が主体。そんな私もそろそろ大曲りの年頃?少し気分も若返るため、それでもちょっと遅れ目?ですが新しい作家というか今まで縁が無かった作家の作品にも目を向けてみよう・・・ということで。
この作品は新聞の下段の広告で「犯罪被害者と少年法」に迫った第51回江戸川乱歩賞受賞作という惹起文に惹かれての選択です。
江戸川乱歩賞というのは知っていましたが始めてその賞の作品を読みました。
巻末の歴代受賞者の作品一覧を見ても読んだ物は一冊も無いようですし、作家も知らない方がほとんどという有様です。
でもこの作品は興味深く読ませてもらいましたから、この作品群の中から名前を聞いたことがある方たちの作品を順に遡って読んでみるのもいいかな?と思っています。この受賞者の皆さんは今も活躍していらっしゃるのでしょうか?大体選者の方からして大沢在昌さんしか知らないんですから。汲むべき泉はいっぱい潜在しているってことですね、私にとっては。
この作品は作者の始めての小説のようでしたが、この長い作品をよく破綻させずに纏め上げたものだと感心して読みました。初めての小説ですよ?!
プロットはしっかりしているなぁ、最後にいたる伏線もきっちりしているなぁ・・・と思いながらも文体に堅苦しい読みにくさがあって、でもそこが初々しい作品の持ち味かとも思いました。
決してその感じは不快なものではありませんが、表現が直截すぎて、じんわりと感情移入していく緩やかさが少し欲しいと感じました。
主人公の気持ちを押し付ける言葉が多いという感じでしょうか。
主人公の気持ちは痛いほど分かります。
むしろそれが分かるからこそこの本を読んでみようかという気になったのです。なぜなら今現実のこの社会は若い子の犯罪におびえているところがありますもの。
注意してあげたいと思うことが一歩町に出るとひしめいているのに、怖くてそれが出来ない社会です。
その連鎖が又怖い子を産んでいくのだと承知していますが、今目の前にいる子供が私の一言で切れないという保証はどこにも無いのが現状です。
そんな子供たち、心は幼くともすることは一人前に悪いという犯罪を見て厳罰以外の何を望めるのか・・・って思うこともしばしばです。
家庭に戻したとして機能する家庭かどうかどうやって見極めたらいいのでしょう。そんな時代にしてしまったのは何故でしょう?
考えなければならない事を実に上手にこの作品は提起していましたが結末のつけられない問題で、おかれた立場で意見は千差万別でしょう。被害者にならなければ被害者の心は分からない!でも加害者になって加害者の気持ちがわかるようにだけはなって欲しくないと願います。今の社会に意味のある作品だと思いました。
愛情をいっぱい受けた子供でも犯罪に押しやられる、または犯罪者にすすんでなることは多いですし・・・3人の少年のうち一番家庭がしっかりしていそうだった犯人の少年の事をつい考えてしまいます。
そして祥子さんの人生をそっと撫でてあげたくなりました。
可塑性ですか?なんという可能性を秘めた言葉なんでしょう。この言葉が生きる事を願いますが。

デセプション・ポイント

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ダン・ブラウン著

「デセプション・ポイントとはあえて訳せば「欺瞞の極点」とでもなるだろうか。」越前敏弥・訳者あとがきより。

先に申し込んであった「パズル・パレス」より先にこの本がやってきた。全く先入観が無かったので開いて直ぐ「ほー、女性が主人公だ!」と、一瞬意外に思った。ラングドンのシリーズだとは思っていなかったけれど、考えてみればラングドンはいつも女性に引きずられているところがあって、その引きずる方の女性の身になって書けばいいだけのことかもしれない?
過去に読んだ二作(「ダ・ヴィンチ・コード」と「天使と悪魔」)と同じく、この本も読み始めて直ぐその膨大な知識の奔流に全く疑う暇もなくその流れに溺れた。
物語がこれだけ早く展開すると繰り広げられた世界に関する情報の真偽なぞ考えてなどいられなくなる。
この知識の上に立脚して私は物語の世界に引きずり込まれたのだから(その点全く文句は無いんだけれど)二つの流れに引きずられるのだから、抵抗など出来ないだろうという事を言いたいだけなのですが。
物語の進行の奔流と情報(知識)の奔流との二つの力に。
それが読む快感になっている。短く刻まれてジャブのように繰り出される幾つもの場面、眼が回りながら?ドラマを夢中で追いかける楽しさ。
主人公・登場人物の設定が特別に意表を突くものではないながら、あらゆる点で理想的な羨ましい人種なので憧れまで抱いてしまう。
そこがちょっとチェッ!って感じがしなくも無いが、なれるものなら主人公になってみたいと気持ちはすっかりその気。
彼の作品の主人公は天からニ物も三物も運まで与えられていて難題を間一髪で切り抜けていく。
これが小気味が良くなくてなんだろう。しかもちゃんと最後にはロマンチック場面ももれなく?盛り込んである。トーランドと妻の逸話は絶対泣かせるし、この困難を乗り切った後なら私だってこの愛を祝福するにやぶさかではないし。
「イアン・フレミング」を夢中で読む高校生と「ダン・ブラウン」を夢中で読むおばさんとの間は紙一重も無いんだね!
私も成長していないらしい!
しかし本を閉じてつらつら思うに・・・ここに描かれた機密はもう機密でもなんでもないんだ!ホント?するってーと、無防備にインターネットに繋ぎ、携帯を利用し、電話を掛け捲っている私はひょっとして国家の秘密とすれ違ったら「あ」という間もなく抹殺されるんだ!間違ってもそんな者にも物にも縁が無くて美味しい紅茶とお菓子を手元に置いてこの本を楽しめる人生に感謝しよう・・・っていう気に苦もなくなれる。本の最後で謝辞に名前を挙げられている情報源の人々は今頃抹殺されているはずだよなぁ・・・?それにしても恐ろしい世の中!
「天使と悪魔」や「ダ・ヴィンチ・コード」の宗教的・美術的な舞台と違って「宇宙」や「海洋」や「氷河」など自然が舞台で最先端の軍事機密が満載のこの物語は一層男の子たちの新しい冒険小説のバイブルになるかもしれない?へーすげぇ、そんなことも出来るのか!!そんなことになっているのか!!!ただ、セクストン上院議員の性格設定は余りにも安易で類型的で折角の作品の厚みを損なっているような気がしてしまった。
だって、これじゃぁなんでここまで(大統領選の対立候補)来れたんだか・・・絶対ありえないでしょう?善より悪にこそ魅力がより多く与えられなくては物語りはちょっと・・・だから?私にはラングドンシリーズの方が面白かったのかな?
この本に盛り込まれた知識は醒めてみたら私には何の役にもたたなさそうで・・・憧れの旅行先にもなりそうも無くて・・・でも、「今」ってホント凄い!のね。
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出口のない海

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横山秀夫著

父から「「回天」の映画見に行こう。」といわれた時には、そして見てもこれが横山さんの原作だとは分かりませんでした。本を読んでも!です。
それくらい今まで読んだ横山さんの本とは違っていました。
「洋画の字幕についていけなくなった。」と、ここ数年邦画に転向?してからありがたいことの一つは父がどんどん新しい作家の作品に親しむようになったということです。元々読書家ですが、「レディ・ジョーカー」を見なければ高村薫さんの本を、「博士の愛した数式」を見なければ小川洋子さんの本を読むようにはなっていなかったでしょう。「半落ち」の御蔭で私も父から回ってくる本で横山さんのファンになりかけているところです。もうなったかぁ!
横山さんの本を読み始めてからまだせいぜい1・2年です。たいした数は読んでいません。だからこの本は横山さんとは思えなかった・・・というのは早計ですね。勿論この本も先週来た父が置いていきました。
大体満州で戦争体験がある父が戦争の事を話すようになったのも、やっとここ数年のことです。それも、孫が質問したからだったのですから。そんな父ですから「男たちのヤマト」とか「回天」とか見に行くとは思わなかったのですが・・・
「確かに海軍の方が新兵いじめは少ないとあの頃聞いたが。何しろ陸軍のいじめは本当にひどかったから。」とは言葉少ない陸軍新兵体験のある父の言葉です。
「玉が後ろから飛んできて戦死した上官もいたって話もあったなぁ・・・」
一瞬なんのことか・・・
この時は「海に出れば一蓮托生、板子一枚・・・っていうじゃない?海軍は連帯感が違うのかしら?」
「それはどうかな?」なんて話していたのですが・・・
人が二人寄ればいじめって始まるものなのかと、大の男集団の浅ましさを、今の今の世間と摺り合わせてなんか切ないですが。
いじめられる方も命がかかっているなら、いじめる方にも命がかかるんだという事を心したいものです・・・って、本から逸れました。
映画を見るつもりで先に本を読んでしまった父が、映画の感想を殆ど言わなかったのが本を読み終えて今分かったような気がします。
結局人が集団になれば力関係が出来るわけで、卑劣な・極限状態になればそれもエスカレートするわけで・・・海軍も色々な名前に体を借りたいじめの横行には歯止めが無かったって事です。
あれよりひどかった陸軍って?と、ただただ怖いです。
死が決まっている人に振るう暴力って後ろめたさの裏返し?
この作品はとことん主人公の気持ちを、周りの青年たちのその当時の様を追い続けてゆきますが・・・やはり読んでも分かりはしませんし、調べることで時代に追いつく何かがあるような気もしません。
でも知らないで済ませられない気持ちも良く分かるようです。
目の前の死は「ゲド戦記」を読んで深沈と生死観に思いを凝らすようなわけにはいきません。ただただ辛いです。
「戦争はいけない」というのは永遠のお題目で人間はどんな反省の上に立っても結局は戦争を起こす事を目論む動物なのだと、思わされてしまいます。戦争のないこの日本の60年の「奇跡の空白?」としか言いようのない時空にぴったりはまり込んだ私の人生の特殊なこと!その驚き!
あんなに若くて夢のある人に負わせてはいけないものを負わせてしまった負い目を映画の脚本は置き去りにしてしまったような気がします。平和なはずの国に暮しているのに今の子供は何を負わされているんでしょう?若い人の中には死を目指す種がまるで宿っているかのようじゃありませんか。
「弟を見れば今の教育が分かる。」って、主人公が言いました。親と学校の教育を何とかしなくちゃと切に思いますが。
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東京奇譚集

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村上春樹著

新聞で「カフカ賞」とかを取ったとかで、受賞式後のインタヴュー記事を読んだ。次はアカデミー賞とか?
そういえば以前にもアカデミー賞の候補?みたいな話題なかったかしら?作品の多さからみても、翻訳されている作品も多いらしいし?何より次男の書棚にいっぱい「村上春樹」の名があったし・・・?
何時だったか「面白い?」と聞いたら、ひょいと1冊「読み終わったとこだよ、読んでみたら?」
題も忘れたけど、薄い文庫本だったと思うが・・・これが面白くなくて「面白かったの?ほんとに。」
「最初に読ませる本間違えたかもなぁ・・・」
それっきりでしたが、ニュースのせいか?再挑戦。
賞に弱いからではありません・・・念の為。
題名から自分のアンテナに引っかかるものを・・・と、探した結果がこの本。
題で選んで結果・・・大正解!
私向きじゃん?(失敬!)
短編集です。以下の5作収録。
「偶然の旅人」
「ハナレイ・ベイ」
「どこであれそれが見つかりそうな場所で」
「日々移動する腎臓のかたちをした石」
「品川猿」
第一作目、読みながら途中もう「全然いいよ。」と息子の様に言ってみました、自分に。
偶然の程のよい楽しみ方のセンス!
人生の味わいが自分の上でちょっと濃くなった瞬間!
二作目のサチさん好きになりそう・・・だけどきっと好きにならせてくれないって感触。好かれたくないでしょうね。年も取らないでズーットそのまま二つの時の間で、二つの場所の間で、振り子のように行ったり来たりしながら、それでも蹲らないで立っていそうよね、この女の心。
三作目、何かを考えそうになりながら何も考えないまま読み終わったという感じなんですけれど、「時間の流れに身を任せ、時間を効用もなく磨耗させた。」この「私」さんも好きです。
私の時間も効用なく磨耗していったのですが、「していった。」のと「させた。」のにある夢幻の無限の距離が絶望的です。
四作目、は、いい物語でした。手のひらにそっと大事に置いておきたいような、優しく扱ってあげたいような、空中に浮揚している世界の物語のようでした。私もこの物語をそっくり「受容」出来そうです。その言葉を使ってもいいなら?
五作目は楽しく読みました。「見ざる・聞かざる・話さざる」の3猿に縛られた女の人の解放話として。
その繰り広げ方の面白いこと。解決の仕方の意表を突くこと。名前かぁ・・・名前ねぇ・・・。
また、気が向いて、心にひっかかる題を見つけたら、村上さんの本読むかもしれないなぁ・・・。題「名」は大事。
題名といえば、カフカ賞おとりになったのですが、村上さんは「カフカ」という名を付けた作品があるんですね?「カフカ」訴えてくるものがあるかなぁ?うーん。
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地下鉄(メトロ)に乗って

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浅田次郎著

この作品のキャッチフレーズを簡単に考えるとすると・・・
「ハートフル・タイムスリップ~あの頃には一生懸命が溢れていた!」なんてどうでしょう?
タイムトリップといってもこの作品は地下鉄地下道の古い出口と夢の二本立ての時間旅行です。
そこが目新しくてひねっていて他のタイムトラベル物と一線を画すところです。
ある意味では夢は地下鉄の出入り口を時間旅行のタイムマシンに出来ない場所にトリップするための苦肉の策ともいえるのかしら?
一つ旅行をして一つ知る、すると疑問が出来る、又旅をしなければならない。手を加えた過去のせいで普通だったらタイムパラドックス何かが変わるはずなのに変わった様子もないし・・・主人公はタイムトラベルが起こす二次的?変化の事を知っているから・・・最も今の読者は皆知っているから・・・だからこそこの物語の結末をどうつけるのか興味津々で読み進むわけで・・・。
ところがこの物語はその点でタイムスリップ物とは決定的に変わっている。「バック・ツー・ザ・フューチャー」とはいかない。
兄を自殺から救えたわけでもないし、父と和解するわけでもない。生活は変わるだろうが、・・・否、変わるのはみち子さんとの生活が清算されてしまったことだろうがしかしそれも間もなく彼の記憶から抜け落ちて行くことが約束されている。しかしこの清算は理にかなわない・・・なんてことはこの際言いっこなし。
色々な点で引っかかりはあっても醸しだされる懐かしさと切なさは読み応えがあります。
色々と時代に手をつけたにしては得たものは「知ったということ、見てきたということ」に尽きるのですから。
私がキャッチフレーズにつけた「ハートフル」と言う言葉は手垢が付き過ぎて軽過ぎるきらいはあるけれど、このタイムとラベルで「親の子である自分を容認できた。」という優しさに対してです。
そして「一生懸命」は真次と一緒に辿ることで私まで一緒に生きてしまったような気がする「小沼佐吉の生き方」にです。
父息子というのは母娘より会話が少ない分だけ難しいのかもしれない。確かに母と娘の場合は会話が多すぎて失敗することはあるけれど、父子の場合は会話が少なすぎて失敗することが多そうに見える。
父は息子に過去来し方を語らないし、息子も父のよってきたところを聞こうとしない。時々、事によっては、嫁の私の方が好奇心があった分舅の事を知っているかも・・・と、思うことがありますもの。
それはともかくこの作品ではみち子さんが「夢の事を話す部分、銀座線の上野駅のアールヌーボー・昭和のセンスについて語る部分」が凄く好きでした。
私は一度もみち子のように意識して乗ったことは無かったけれど、銀座線が私の一番の足だった小学生の頃がとても懐かしく思い出されて、泣けそうなほどでした。
浅草・上野・広小路・三越前・日本橋、私のテリトリーでしたもの。
私にとってこの物語の主人公は地下鉄が吐き出し吸い込むあの風のようでした。
記憶を吹き寄せまた散らす風。小学生の私にはきつい風でした。
それにしてもみち子さんは何のために存在していたのでしょう?
彼女無しでこの物語はありえなかったでしょううか?
いずれにしても、この物語の中で最高に優しかったみち子さんを悼みつつ本を閉じました。
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トミーとタッペンス

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アガサ・クリスティ著

「トミーとタペンス」について総集編!

「秘密組織」1922年
「二人で探偵を」1929年
「NかMか」1941年
「親指のうずき」1968年
「運命の裏木戸」1973年
ポワロさんもミス・マープルも作品がいっぱいあってとても全部の感想を書くのなんて私の手には負えないけれど、トミーとタペンスなら・・・5作だし・・・なんて・・・気分は生意気!
5作読み終えた勢いってもんです?
でも書かれた時間に間があるせいか(1922年から1973年まで、クリスティ31歳から83歳までの間に書かれた作品です。)、読んで受けた印象がこれほどまちまちだと却ってなんか言いたくなるなぁ。

まずは最初の登場「秘密組織」
二人はまだ二人合わせても45歳を過ぎない若さです。でもこの話の後直ぐ結婚したんですからね。
物語の進行と共に友人から同志と発展して恋を悟る・・・というわけで、作品そのものも初々しくて展開が早くてトミーの冒険タッペンスの冒険とくるくる変わる書き方で私の頭も回転させられてふらふら!
ジェットコースターで事件を駆け抜けて二転三転「面白かった!」だったんですよ、30年ぶり?くらいに読み直してみたら。
難を言えば多分そのごちゃごちゃ感?ふるいにかけて整理したくなっちゃうくらい。
当然の二人のロマンスの成り行きは余りにもイギリス的?大団円。だからいっそ、気持ちがいいって感じでした。この作品が面白かったから全部読んでみようと決意!を確固としたんです。

二人で探偵を
短編集。シリーズとしてみれば「外伝」的な作品群です。これも過去作品を参照ということで。

「NかMか」は諜報活動物です。
だから「秘密組織」のその後になりますが、もう子育ては終って退屈な?中年です。といったって、今の私より十年若い!46歳で爺さん扱いされて、仕事が無い?ちょっと許せない設定!と、思いながら読み始めました。勿論あの行動的な楽観的な、成り行き=GO!派?の二人ですから、ちゃんと事件はあります・・・というわけでお国のために一肌脱いで、何も知らない子供の会話に私たち読者も悪戯中年と一緒にニヤリ!です。「こんなお遊びしてみたい!」って思いませんでした?胸がすく!ってもんです。
きっとそれぞれに?「私にもトミーがついていれば・・・!」とか「俺にもタッペンスがいたら・・・!」なんて、思った人入るんじゃないでしょうかね?溜飲の下がる楽しい終わり方でクリスティの「ニヤリ」が見えるようでした。

親指のうずき」は既に書きましたから先回参照ってことで。

「運命の裏木戸」はもうなんと言っていいか。
何時面白くなるか・・・ならないなぁ・・・まだかなぁ・・・あァ、じれったいなぁ・・・どういう風になるのよ・・・と思っているうちに大団円?
殺された庭師の爺さんは殺され損じゃない?子供の探偵団は消化不良じゃない?・・・結局大昔からの噂話から何を取捨選択したの?と、私にとってはじれったい、鼻をつままれたって闇!みたい。
で、誰が過去の何をついでいて、庭師は何を知りすぎたのか?
「?」ばかりがずーうっと終いまで、煙に巻かれたよう。わたしってアホ?やっぱり!探偵団には入れてもらえない?
トミーとタペンスも年はとっても好奇心と探究心を忘れず、平凡な老後にも謎の花はどこにでもある「秘密の花園?」はどこにでも・・・って感じでしょうか?
私も退屈しきった老夫婦のつまらない生活に倦みつかれたくなければ日常から謎を探し出すことね?そしてあちこち首を突っ込むこと!邪魔にされても、うっとうしがられても、って教えられました?
でも、終わりの2作は忘れちゃいそうだな・・・と、思いました。
トミーとタッペンスは若さが一番魅力です。
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