失われた町

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三崎亜記著

となり町戦争」を読み終えて、この人の作品何か他にないかしら?と図書館で調べて申し込んで待つこと久し・・・なんと連休直前に届くのだもの・・・この連休は夫の里帰り兼趣味旅行で8日間も車の中。電車の移動なら本を読む暇もあろうってものだけど、なぜか車の中では読めないなぁ・・・これが車旅行の最難点。当然待たされたってことは待ち人わが後ろにも居たりーということで図書館は延長は効かない。フットバシ読みでしたが、どっちにしてもこの本はフットバシ読みになりました。面白くて!オモシロクテ!おもしろくて!!もう一度予約してもう一度読み直します。だから?とりあえずの感想です?
「面白くて!」と、まずは書きましたが、それは「興味深くて」に置き換えなければなりません。決して痛快娯楽劇風の面白くてではないからです。
この作者は「となり町戦争」で私に与えたインパクトを「二匹目の泥鰌」を期待した私に丸々と太った噛み応えのより充実した泥鰌にして投げて寄越した!って感じです。
今度は町が町ぐるみ消えてしまうんですよ!30年に一度の現象ですって?
理不尽は理不尽なりに・・・というか、意表を突く設定にも関わらず、普遍の人間の逞しさを希望を書きつくしてくれているという感じです。しかもその過程はなんと言ったらいいのでしょう?
実に「面白く」読ませるのです。
「となりまち戦争」を思わせる乾いた文体、利用される役所言語?硬質な記述の中にてんこ盛りに盛られたウェットな情感。これこそがこの作品の基本にある魅力だと思いましたが、物語としても筋立ての面白さが根幹にしっかりとありました。
私はべた褒めしているつもりなのですが、そうなっているでしょうか?5月の始めにして今年の私の最高の一冊になりました。
「理不尽な消滅」に抗って登場する全ての人物像が好ましく、作者が根幹に持つ優しさが反映しているのだと思わされました。消滅管理局という組織にも、全く違う存在のように思われる時々挟み込まれる居留地にもなぜか現在の私たちの社会を強く感じさせられました。
でも、読んでいる間中私の心に去来したのは私が失ってきた多くの者たちでした。亡くなった母も、舅も、友人も、諍いして失った者も、執着していた過っての様々な物どもも・・・、次々に痛みとして上って来ましたが、管理局で戦う人々やその周辺で傷みながら抗う人々に感情移入して読み進むうち不思議なくらい穏やかな気分になっていきました。私も抗ってもいいのですが、受け入れてもいいのです、泣く時は潔くきっぱりと泣いたっていいのです。
「恐れすぎてもならず、侮ってもならない」姿勢って人生で一番大切な戒めなんじゃないでしょうか。何事に対す時にも、もっともそれが出来れば人生の達人ですけれど、頭にこの言葉を置いておくだけでもきっといいよと思います。
この本何より章ごとの題が内容の文章の硬さに反比例するように古風に潤って美しいのが嬉しかったですね。章題だけ声に出して読んでみて御覧なさいって言いたいくらい。
風待ちの丘、澪引き(みおびき)の海、鈍(にび)の月映え、終の響き(ついのおとない)、艫取りの呼び音、隔絶の光跡(しるべ)、壷中の希望(こちゅうののぞみ)
硬軟、静動、乾湿、情理この作家はバランスもいいのです。
それにしても書きたいことがあったとしてどうすればこんなシチュエーション思いつくのでしょう?隣町同士の戦争にしても、30年毎の町ぐるみの消失現象にしても?理不尽な宿命と希望を載せる舞台の作り方が凄い!
ただ急いで読んだためか時間経過の前後がちょっと混乱してしまった。丁寧に読みたいところです。
「となり町戦争」は映画化されましたが、見損ないましたというか見たくなかったのかも知れませんが。どう映像化したのかとちょっと不思議です。この作品も映像化難しそうですが、映画化されるんでしょうかね?三崎さんには他に「バスジャック」という作品があるようです。図書館に申し込んでおきましょう。
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薔薇の王朝(王妃たちの英国を旅する)

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石井美樹子著

私が始めて自分のお小遣いをためて買った本は「小公子・小公女」だった。その後「若草物語」「赤毛のアン」などと英語圏の本を読み進んだからかもしれないが・・・これらの本を読むとディッケンズとかスコットとかシェークスピアとか読みたくなるでしょう?
そんなわけでリチャード獅子親王、ジョン失地王、リチャード三世、ウィリアム征服王、ヘンリー七・八世、ヴィクトリア女王、エリザベス女王、メアリ・スチュアート、ジェーン・グレイとイギリス王室の王たちの名前をばらばらに覚えこんだ。
図書館でこの本を見つけたとき、魅惑的な題名だと心引かれた。
しかし著者の名は心当たりが無い・・・学者さんらしい・・・という点で実はちょっと躊躇した。ただ単に面白い気がしなかったからだ。
同じイギリスの女王を描いても、漱石の「倫敦塔」のようなわけにはいかないだろう・・・?でも、イギリスの王室のなかでもヘンリー8世の6人の王妃たちとその女王になった二人の娘にはとても興味を引かれるし・・・薔薇の王朝という題名は薔薇戦争から取ったもの、白薔薇のヨーク家と赤薔薇のランカスター家から取ったものだとすれば、当然話はその後のヘンリー8世にいくと思われた。
王妃を語るには最高にドラマチックなのがヘンリー8世とその娘の時代なのだから興味は引かれる。
あたり!というわけで薔薇戦争の話は本の導入部で、ランカスターの血を引くヘンリー七世の即位とヨーク家の血筋を引くエリザベスとの結婚からイギリス史でも最も?スキャンダラスな時代の話に突入していった。私の読みたいところはそこから「倫敦塔」でおなじみのジェーン・グレイ姫までとそして偉大なる時期を迎えたエリザベス王朝の光と影であり、まさにぴったり!だった。
しかしやっぱり?話が、記述が少々面白くなかったのが私的には物足りなかった。事実を平易な文章で正しく記述してくれているのだけれど、非常にドラマチックな成り行きを記述しているのに全然ドラマチックな気分が盛り上がらないのだ。それに当然といえば当然だが年表どおりに話が進まず前後が入り乱れ繰り返しが結構多い。彼女等を動かし擁護する勢力の記述を挟みこまなければならない必然のせいなのだが。
しかしこの本には素晴らしいところがあってどの妃がどこの城で育って、どこでどういう教育を受けて、どこの城に幽閉されて、どこの城又は教会で眠っているかを詳細に知ることが出来た。
今度イギリスへ行ってその地へ行くことがあったら・・・と、夢は膨らんだのだが・・・ツァーで行く場所は決まっていてなかなか難しい。
自由旅行で鉄道を乗り継ぐには言葉に難がありすぎて・・・!!!
先年ロンドン塔へ行った時には哀れな16歳の女王ジェーン・グレイが首を切られたところと思い頭を垂れてきたが、この薄幸の佳人が生まれ育ったレスターシャーのブラッドゲイト・パーク館の跡地へ行く手立ては相変わらず私には思いつかない。このロンドン塔には第二の妃アン・ブーリン(エリザベス女王の母)もここで処刑されて眠っている。
その旅行の時行ったウエストミンスター寺院にはヘンリー8世の4番目の妃アンが眠っている。離縁されてもこの妃だけはなんとなく悲劇という感じがしないのはありがたいくらいのものだ。
2番目の妃アン・ブーリンの記憶と3番目の妃ジェーン・シーモアの霊が住みついているハンプトン・コート宮殿くらいなら何とか行けるかな?
そんなわけで無駄な抵抗だと思いながら、たくさんのキャサリンやメアリやエリザベスや、マーガレットを混乱しながら区別し(なんでこう同じ名前ばかり付けるんだろうね?)彼女たちの育った邸宅や城の名を頭の中でつぶやいているところです。
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ハリー・ポッターと謎のプリンス

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 J・K・ローリング著

こっちへ越してきてから図書館に最初に予約したのが確かこの本でしたから、待つこと1年と数ヶ月!ようやく届きました。
それで貰ってくるや否や読み始めたのですが、「おや?」なんです。
どうも抜けているようだぞ・・・?何かぴたっと来ない?
それで流石にうかつな私も気が付きました。
引っ越してくる前に前の区の図書館に「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を予約したままにしてきた事を!
ま、とにかく読み終えました。今から「不死鳥」を予約しても、その後で「謎の・・・」を予約しなおしたら、ヒョットすると又?1年ぐらい待たされちゃうかもしれないし?
読み終えて「不死鳥」を予約したら2日で到着。
逆転しましたけれど、とにかく読めて不審は解決!
家に子供はいないし、場所だけ取るから買えないし・・・図書館頼りはこれが辛い。え?ペーパーバックが出たのですか?文庫本サイズ?それって厚みは?本屋へ行ってみよう。
この手の物語に私は弱い!ジレンマ大。
とにかく映画の到着前に読めましたから、まずは祝着。
楽しく夢中で読めました。
本当に物語を紡ぐローリングさんの才能に感謝!
ハリーの性格も段々際立ってきていますし、その成長も友情も実に順調で過不足無く、敵はますます強大で申し分なく、楽しかった!
ヴォルデモード卿の輪郭がはっきりしてくるのと反比例で物語が終息に向かっているのが残念なことだと思いながら読みましたが、ハリー以上にダンブルドァに傾倒している私はこんなにがっかりしたことはありません。シリウスの死去の際は本当にハリーを痛ましく思いましたが、シリウスはもう一つ愛情を覚えるほど書き込まれてはいませんでしたけれど、ダンブルドアはね。物語の魅力を半減させるほどに残念です。
成長したとは言え、この3人でどうやって次の最終巻!保たせるのかと今からもう心配です。
当然ダンブルドァの抜けた穴は総力結集しかないでしょう?
・・・とまぁ、こんな具合にアイバンホーやロビン・フッドやピーター・パンや紅はこべやもっと言えば猿飛佐助や霧隠才蔵を読んでいた頃と変わらない自分の「不」成長を喜んでいます。
ダンブルドアの大きな穴を埋める大活躍をDAが見せてくれるのでしょう!
中身がこんなに変わらないままで60になって、還暦しちゃったらどうしよう?それが最大のジレンマ?な私です。おやおやジレンマだらけですね。「指輪物語」は私の中では別格!宝物とはいえハリーのシリーズもなかなか大きな比重です。
教室で彼らと一緒に魔法を学んでいる?私ですものね。
だからね、夜暗い家に帰ってきたら、「ルーモス」と言えばスイッチを押すだけで明るくなるけれど、「レバロ」なんて家事で使うには最適なのに菜ばしの杖が今一?習得できないのが残念。
最近では「プロテゴ」って言うのを身につけたいと思っているのですが・・・年のせいか少々堪え性のなくなった友人がいるのですよ。彼女の愚痴から耳を守りたいのですが・・・ハイハイ、究極のプロテゴはアドレス変更?デモネ、彼女はおかしな毒舌家でもあるので・・・
ハリーの次の本を「あー、待ち遠しい!」って思いっきり思っているのに、又出版されると図書館に予約して延々1年以上待ち続けられるところが私の成長点?かも。でもこの調子でいったら7巻は3冊?
このシリーズはわくわく読めた!ヤッホー!でいいでしょう?
デモネ、私がハーマイオニーだったとしても?やっぱり(本の中の)ロンを選んだだろうって事だけはますます確実になりかけていますよ。ハリーの癇癪は環境と境遇と運命と宿命と(おんなじジャン!)・・ホント、大変だわ、ヒーローは可哀相ね!
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闇の傀儡師

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藤沢周平著

昨日新聞を読んでいたら何かの雑誌の「2大人気作家、藤沢周平と司馬遼太郎の比較」という記事の広告が出ていた。
「こんなのが出ているよ。」と朝食を食べている夫に言ったら、「全然違うものを比べる必要があるか?何のために比べるんだ?比べる意味ないじゃないか!」とおっしゃいました。
ごもっとも!と、私も答えました。
確かにネ。「2大人気作家に違いは無かろう!」とは思いますが、この二人の作品は「まさに右と左、甲乙つけるというものではござらぬ。」という感じですか。
でもそれじゃぁ評論家さんのお仕事は随分限られてしまいますよ。
無理を通してもテーマを見つけるという姿勢こそが?面白い評論や論文を作り上げるこつ・・・卒論のテーマみたいに?そう、苦労しましたねぇ・・・大昔!
その雑誌はどの作品で何を比較しているのか知りませんが、意味や意義は後から付いてくる!
というようなわけでその後ぼんやり考えていたのですが、それで思い出したのが司馬遼太郎様の「梟の城」と藤沢周平様の「闇の傀儡師」です。なんてったって冒険物が一番好きな私、正直に言うと司馬さんに夢中になったのは一番初めに「梟の城」を読んだからですよ!「尻啖え孫市」とか読み進んで「国盗り物語」など戦国時代を舞台にした作品でもう面白くて面白くて・・・となったのでした。維新物も好きでした。でも明治が舞台の作品になって、作中人物が余りにも等身大?に近くなってきてなんとなく匂いまで現在と近くなってきてからは余り面白くなくなってきて、史談・地理・民俗・国家・・・なんて論ずるようになると私の興味は褪せてきたというのが正直なところです。
でも司馬さんの作品の膨大さを考えると・・・やっぱり比較なんて出来るもんじゃないなぁと・・・思っちゃいますね。
私は評論家でも分析家でもなくただただ面白いものが読みたいだけの読書趣味さんですもの、自分の好きな本だけありがたく読ませて頂くだけです。
藤沢周平さんはその点面白くなくなってきたなぁ・・・と、思うことはとうとう無いまま・・・私にとっては最初から最後まで面白く読ませる作家のままでした。全作品を読み終わったわけではありませんが、今まで読んだ作品全てが好きです。そして藤沢さんの「闇の傀儡師」を始めて読んだ時、ふと「梟の城」を思い出したんだという事をこの新聞の広告を見たときに思い出したのです。
「ああ、藤沢さんにもこんな伝奇小説があるのか!」でした。
そのとき時代小説を書く人はやっぱりこんな風な冒険活劇、筋立ての波乱万丈な作品を書いてみようと思うんだ!と思ったのです。
若いときに読んだ分ストイックにニヒルに見える、しかし激しい気性情念を持つ「梟の城」の葛籠重蔵の重さは物凄く魅力的でしたし、物語を主人公の向かう方角に引っ張っていく迫力も無常も、あくの強すぎるくらいの登場人物たちの性も申し分なく魅力でした。
が、今は「闇の傀儡師」の主人公鶴見源次郎の抑制の利いた静かな資質が好もしく思えます(23歳ですと!)し、作中しっかり書き込まれていく緻密な生活感がちょっとした清涼剤にも読み応えにもなって読後感が安らぐ感じがして好きです。登場人物全般に癖もユルイ?ようなところも含めてです。
もっともこの手の作品ならもうちょっと暴走してくれても良かったかなぁ・・・
それは私の年のせいだけではなく時代の色のせいもあるような気はしますけれど。
藤沢さんの作品に登場する浪人さんたちの生活の苦労がご本人?たちには申し訳ないながら楽しく読めるので青江又八郎さんも神名平四郎さんもこの鶴見源次郎さんも愛しちゃうんです。
この作品の田沼意次の造形にも興味が惹かれます。田沼意次って書く人、作品により色々な表情を持つ人物にできる、実在の人物としては最高の江戸時代キャラクターですよね。使いようで180度様々な性格・評価を付与できる特異な魅力的人物ですね。
私の子供の頃は賄賂で有名な政治家でその後の松平定信時代の方が「寛政の改革」として評価されていたんじゃなかったでしょうか。物語で登場させるには、松平定信は怜悧・清潔の度合いぐらいしかいじれそうもありませんけれど。
池波さんの「剣客商売」の田沼さんはまぁちょっと出来すぎ?ですが。
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モッキンポット師の後始末

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井上ひさし著

読むぞ!と思って間もなく他の館にあったのが移送されるだけの待ち時間で読むことが出来た。
楽しみにしていただけのことはあった!
「青葉繁れる」よりも一回り面白くて楽しくて爆笑しながら読む場面は多かったのだけれど、実際は「面白うて、やがて悲しき・・・」という感じだった。
モッキンポット師が後始末に現れる物語が5話入っている。
「モッキンポット師の後始末」「聖パウロ学生寮の没落」「聖ピーター銀行の破産」「逢初1号館の奇跡」「モッキンポット師の三度笠」
私はS大学文学部仏文科教授で関西弁を流暢に操る西洋乞食のような風貌風采のフランス人神父のモッキンポット師が不信心者の信徒学生の素行の後始末にいかに忙殺され心を砕き何とかしてやろうと奮闘する物語として読んだが、勿論この学生の青春試行錯誤の冒険?物としても読めるだろう。
というかそっちが本質?
だけど丁度「青葉繁れる」のチョロ松の行く末とピッタシ重なるモッキンポット師の苦闘は宗教的な寛容心が底にたゆたっているのがとてもよく分かるだけに悲哀も偉大も・・・したがって滑稽もチョロ松の比ではない。
こんな日本人の不届きな学生のために、こんなにも物心両面でご面倒をかけて申し訳ありません・・・って、私が謝りたくなってしまう。
もっともこみ上げてくる笑をこらえながらかもしれないが?
モッキンポット師は真に師であって、その風采のよって来る所以はこの学生たちに全てを底なしに吸い取られているからに他ならず、最後に「弁償させていただきますわ。けどすこしまかりまへんか?」という科白を読むと、クスっとしながら私など神のありがたみを師は体現しているとありがたーい気持ちにもなるのだ。
それなのにこの学生小松君を筆頭にこの3人組の恐るべし!
よくもまぁ、ここまで師の寛容を試せるものだと私に憤慨させるほどの代物なのだ。
「「ドタマかちまくよ。」と神父は優しくいった。」に続く師の言葉!
「神父の掌は冷たくて、手を離したあともしばらくの間ごつごつとした感触が残った。」・・・に続く収めの文章!
神父のうしろを僕らは主人のあとを慕う犬のごとくつき従った・・・。」もう本当に申し訳なくて穴に入りたいのはこっち・・・って気になる!
それなのにその上「自分の物差しを絶対と思い込み、それでもって他人の行いを推し計ろうとするのは傲慢なことでっせ。」といわせるにいたっては!
彼らのせいで帰国謹慎になった神父を前に彼らが悔い改めた・・・とはとても思えないけれど、だからこそ師の偉大が身にしみた!物語の粋も!
粋も甘いも、訳知りの、社会性も俗性も備えた神父の底知れぬ懐の深さ!というわけで、全くこの3人組が脱線していく見事さは師の造形の見事さにますます磨きぬかれて?とにかく面白うて・・・となったのでした。
それにしても5編の見事な盛り上がりとその見事な〆!
最高に上質な?素晴らしい作品だと私は本を撫でています。いいなぁ!実にいい!
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図書館警察

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スティーヴン・キング著

「ドリーム・キャッチャー」という映画を見たのですが、分からない事だらけなので「長いんだろうなぁ・・・怖いんだろうなぁ・・・でも読んでみなくっちゃ。」と、散歩を兼ねて図書館へ。でも書棚には無くて、変わりに見つけたのがこれです。図書館と警察ですって?なんて素晴らしい組み合わせなんでしょう!って訳です。
直ぐ借り出してきて・・・映画で見たドリーム・キャッチャーが怖かったなら、これは恐怖でした。「えー、大好きな図書館って言う言葉がついていたのに・・・」図書館でこんな恐怖を作れるなんて・・・しかも映画みたいに出来上がった怪物の映像があるのではなくて、怪物の姿がいやでも自分の想像の世界で構築されていっちゃうんですから・・・「自分で作った絵に恐怖してどうするの!」と自分を叱咤しながら読み続けました。ちゃんと切り抜けられるか、この3人が生き延びられるか心配で心配で本の終わりを自分を騙してでも?こっそりめくって確かめちゃおうという誘惑とも戦わなくてはならず・・・。忙しくて疲れていたにもかかわらず眠れない夜が続きました!
でも、こどもたちと同じなんですね。結局アーデリア・ローツの話に引き寄せられる、悪いと知っている所に足を踏み入れたいと思う子供と。
「本当は怖いアンデルセンとかイソップとか」の世界ですよ、こどもを本当に虜にするのは。悪とか闇とかのマジカルパワー。
キングさんの子供時代ってどんなだったのかなぁ・・・と、またしても考えてしまいました。闇が、恐怖の闇が絶対彼の周りを囲んで彼を、彼の想像力を育てたに違いないと思うんですもの。彼の描く子供は一方でいかにも子供らしいのに、必ず背負っているのが過去・体験・記憶又は閉ざされた記憶。罰金を払わされ過ぎた子供たち。
サム・ピーブルズも遮断した過去と向き合わなければ生き延びられなかったし、ナオミもディヴも過去と正面を切って向かい会わなければならなかったし、その勇気を持っていたのに。キングさんの一筋縄ではいかないところはその勇気や智恵や全力を持ってしても必ずしも生き残れないところ、闇や悪の魔力、その不条理な力を思い知らされるところに有ります。どうしようもない力というものを否応無く認めさせられる恐怖でしょうか。
結局内なる敵と戦うには強力な敵を作ってそれに向かい合うだけの自分を作り上げるために自分を総動員するという方法がある?・・・ということを知りました。だから自分の過去も封印を解いて味方にするのです。強い戦士は厳しい過去を持たなければならないというわけですが、それは反対にたいした過去が無い人間は強い人にはなれないということかもしれないですねぇ・・・。そう思うと今現在辛い時期を乗り越えつつある人は勇気をもらえるかも知れませんね。
キングさんといえば有名なのはキャッスル・ロックですが、この物語の舞台はジャンクション・シティ。膨大な作品があるからここを舞台にした他の物語も探せばあるのかも?それとも実在の町でしょうか?
図書館という物は考えてみれば不思議な空間です。何でもそこにはあると言ってもいいのですから、歴史も地理も心理も哲学も呪いもファンタジーも宗教も恋も祈りも・・・それこそ何でも。怪奇の舞台にならない方が不思議なんです。
そういえば私も小学生の時から図書館が好きで入り浸っていたのに、誰もいない図書館は別のもののように思えましたっけ。読みたい本が読まされる本になって覆いかぶさってくるような、汚したり壊したり返却忘れをすることの恐れも確かに私を捉えていましたね。
ついこの間まで本は大事なもの、捨てられないもの、処分なんて考えてはいけないものの筆頭でした。それなのにこの頃は図書館の本の受難時代になったようです。図書館警察が必要とされる時代、アーデリア・ローツが活躍できる時代を私たちが作り出しているのじゃないかと不安です。
今生きている子供たちの状況はキングさんの世界の子供だけでは無くて、どこででももっと過酷になっているのかもしれません、様々な虐待の待ち受ける世界に、大人が勝手な罰金を取り立てる社会に放り出されて、闇を抱えさせられているようなところがありませんか。全ての子供が強くなり過ぎなくてもいい世界、生きられないほど弱くならない世界が普通でありますように・・・。
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青葉繁れる

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井上ひさし著

先日「3月10日の東京大空襲を語り継ぐ」という会で、井上ひさしさんの講演を始めて聞きました。
当然お名前は知っていますが、井上さんの戯曲も見ていないし(見たい気はあれど縁が無かった?)、本は「吉里吉里人」を旦那の本棚で見かけて読み始めて読みきれなかった・・・過去だけ。あ、「父と暮せば」の原作が井上さんでしたっけ。
でも講演はとても印象に残るもので(いやぁ、上手だったし内容も濃かったのですよ)、その結果都知事選に頭を悩ませているというおまけ付きです。それで小説にもう一度とっついてみようか・・・というわけで旦那と父との共通のお薦めは「青葉繁れる」と「モッキンポット師の後始末」
読みはじめから目を剥きましたが、結局読み終わってから「笑ったこと笑ったこと!」と、なみだ目でまだ笑っていました。
もっともチョロ松のことでは笑えませんが・・・全く教育者は持った弟子次第?で天国と地獄だわ・・・。
こどもも出会った先生次第で天国か地獄だけれど・・・
チョロ松の偉大と悲哀が滑稽に結びついて、それが妙に私には後ろめたくて・・・悲劇だわ。
でもこのチョロ松という渾名の校長先生も軽石という渾名の担任も抜け松という名の教頭も裏門校長も、あえて言えば二女高の狐先生も?生徒以上の曲者・兵で稔を始めとする素直だけどもしょうも無い5人組の生徒にひけを取らない見事さでした・・・というか、いいね。
この頃も先生受難の世相でしたが、今ではこういう個性派は生息不能な社会になっておりますちゃ。
少々どころか大いに淋しいと思ってはいけないのでしょうか。私の小学1年の担任は鞭を振り回しておりましたっけが、鞭鳴りの音に恐怖を抱きましたが、気が付いてみれば誰も叩かれた者は無く、姿勢の良い生徒が50人!って、それってやっぱりあの先生も生息不可能?
生徒も先生も生きにくいことでは同じかなぁ。
「渾名の付け方って時代があるんだなぁ・・・」とかその他、時代を回顧しながら笑って唸って感嘆していました。
井上さんの巧みさにです。
言葉がこうも軽やかに次々次々へぎへぎにへぎほしはじかみ・・・舞い踊る感じでそこにもってきての仙台弁ですから駄目押しもしっかり!ちょっと石坂洋次郎を思い出したり・・・でも楽しいことその比ではないのですが・・・時代をね。
戦後間もなく、まだ進駐軍がいるご時世のあの明るさはなんなんでしょう?石坂さんを読んでいた少女時代、既に謎でした。
戦争という恐怖を潜り抜けた民の疲弊だけではないバイタリティーに感嘆していたのでした。若いって素晴らしい?
今の高校生でもこの小説楽しめるのかなぁ・・・と思って、楽しめるよね、と思って、でも男の子を二人育てたけれど、男の子って全然わかっていなかったかも・・・って思って、判っていなくて良かったと笑いました。
高校生の息子に立ち向かうのに読んでおくべきだったかもね・・・と思って、いや時代がねと又思って。でもこのセンスって不滅だろうし・・・絶対に!
井上さんの持っている滑稽とか風刺とか悪戯心とかはやっぱり人の心の中で不滅のものだろうからなぁ・・・うちの男の子がこの本を読んで笑えたら言うこと無いけれどなぁ・・・!
これだけ楽しかったからにはしょうがねぇべ、さぁ、「モッキンポット師」に進むっちゃ
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ラビリンス

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ケイト・モス著

面白い本を読みました。
「ダ・ヴィンチ・コード」からの流れで見つけた本です。
色々な意味で楽しめました。
ミステリー!ロマンス!ファンタジー!冒険!伝説!フィクション?それにフランス南部飛び回りましたしね。
おまけに私自身に関しては丁度NHKで「カルカソンヌ」放映したのを見たところでしたから、あの映像を一生懸命思い出しながら・・・シテやコンタル城・・・行きたいなぁ!になりました。
ラングドック地方のちょっとしたイメージ観光をした気分です。
ベジエ、ナルボンヌ、ミルボア、ロス・セレス、モンセギュール、フォア、アルビ、おまけのトゥルーズと憧れのシャルトル!
欲張りなサービス満点の小説でした。
欲を言えば13世紀と2005年現在が代わる代わるに飛ぶ構成が
「上手過ぎるの?」で、特に最初の方はいらいらしちゃいました。
丁度アリスの運命に夢中になって、そこから目を離したくないところで切り替わってしまうんですもの。え、何で?ここで?
そして今度はアレースが心配で・・・「なんでそんなことしているのよ!」って危惧しているところで・・・やっぱり!切り替わっちゃうので。
おまけに題材がうずうずするんです。こどもの頃親しんだアーサー王の物語とかアイバンホーとかロビン・フッドだってリチャード獅子親王だって、十字軍がらみでしょう?私にとっては義経や楠正成・正行や赤穂浪士・・・なんかと同列?わくわくものですが・・・大人になって知れば知るほど十字軍は・・・厄介です。
ここではキリスト教カタリ派と聖杯伝説とアルビジョア十字軍が柱で輪廻が味付けで・・・って、輪廻って仏教だけかと思っていたら、キリスト教の一派であるカタリ派にもある思想なんですねぇ!
っていうか、カタリ派ってちょっとこの本で接しただけですけれど、
輪廻思想に近いものがあったり、男女人種に鷹揚なところ、宗派に鷹揚なところ仏教ですよ・・・?って感じです。
物語では聖杯伝説だったり聖遺物物語だったり十字軍だったり・・・結構楽しんでいるくせに、心の底では一神教って厄介だわって思っています。神はそれぞれに任せて全て受け入れて上げられればこの世のどれほどの血が節約できたか?って思っています。皆同じ神なのに・・・マァ、そんな事をいっていると冒険ロマン小説の半分以上は楽しめなくなっちゃいますけれどね。
そう、アレースはアリスに、オリアーヌはマリー・セシールに、夫はフィルに・・・多分輪廻?と想像しながら読んでいたのですけれど、さて?オドリック・バイヤールは・・・?というのが私の謎でした。
サージェかな?それともハリフがそのまま長生きしているのかな?
ハリフはそれまでだってどうやら何百年も生きていたらしいじゃない?オドリックはどうやら輪廻じゃなくて、そのまま生き残っていたみたいだし・・・この謎にはお終いまで引きずられました。
遺跡発掘から宗教異端審問制度まで幅広い知識を薄く吸収しましたが、十三世紀の法王インノケンティウス三世を筆頭にキリストの名の下で略奪戦争をした歴史というのを法王庁はどう扱っているのか知りたいと思いましたね。もっともそんな事を知ったら、法王庁の歴史を紐解いたら、法王を何人もつるし上げねばなりません。
ラング・ド・オック(オック語を話す国)?をオイル語を話すフランス人が統合していった血塗られた過程も興味を惹かれます。
ラビリンスってそもそもそういうものだったのか・・・ってことも。(ファンタジー映画の「ラビリンス」ちょっと思い出しました)
そういえばロマンチック街道を旅行した時、中世のまま残る幾つもの街は司教領でした。しかも彼ら司教の残した要塞・城は過酷な税金に反抗する領民から憎まれる自分を守るためのものでしたって勉強したのでした。
「ヨーロッパの中世ってホント(キリスト教のせいで!)闇ですね?」と、思いながらその中につづられる冒険にいつもながらわくわくしちゃった自分ってなんでしょ?
何時か来る?白馬の騎士に(私は王子より)弱いんだねぇ・・・!
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佐賀のがばいばあちゃん

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島田洋七著

B&Bの洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」って本図書館に予約したら250人待ちだってさ・・・って、友人に言ったらあら「がいばばあちゃんよ」と訂正された。「え?そうなの?」と怪訝な私も正直自信は無かった。だって「がばい」なんて、聞いたことが無い言葉だったもの。で、家に帰って確認して安堵して、ついでに意味は・・・?「がばい=すごい」でした。
そういえば洋七さんよく漫才でおばあちゃんの話をしていたなぁ?
そして凄いってよく笑ったものだったけれど、あの逞しくも明るい頓狂なおばあちゃんの話を読むのは楽しかろうと思ったのだ。
でもあの人は広島の人だと思っていたけれど、何で佐賀なの?
それがようやく本が来て解けた。
ただただ圧倒されてしまった!がばいばあちゃんには本当に脱帽!
凄い!がばい!最高!って。
巻末の「おさのおばあちゃんの語録」で又確認してがばい!!!
洋七さんは私よりほんの少々若い。佐賀と東京と住むところに違いは有ってもあの頃の生活が読んでいるうちに彷彿としてきて、懐かしさに浸り、思い出されたあの頃に身を任せて、切ないような甘いような感傷まで引っ張り出してしまった。
あんなに逞しかったのだろうか、あの頃のあの人々は?東京ではただただ生活、生きることに追われているだけのようだったが?
磁石を引きずりながら歩いていたおもらいさんもいたし、タバコの吸殻を突き刺して集めていた人も居た。くずやおはらいと言って回ってくる人は今では不用品やさんが見向きもしないような物を大事に秤にかけていたっけ。どんな衣類も次々に引き取り手はあって近所の小さな子に回って行くのも見ていたっけ。捨てるものなど無かったのだ。子ども連れのおもらいさんはいっぱいいたし、傷痍軍人もいっぱい居た。東京のあの頃はそんなだった。佐賀のおばあちゃんとの洋七さんの暮らしは工夫に溢れて、不足に追いかけられてはいたけれど、不思議な長閑さが感じられたのはやはりそこが佐賀だったからだろうか?
このおばあちゃんへのオマージュは今読む人に50年前には普通だったものを、そしてその中にあった逞しさを教えてくれる。
ヒョットすると豊かになって人は弱くなったのかもしれない。
洋七さんの素直な明るい逞しさが今一番のヒントになるかも・・・と思えて、でもそれでは補えないくらいこの世は優しさを失ってしまったのかも知れない。
個性的で優しい先生たちは私に小学生時代の先生たちを思い出させてくれた。今だったら問題にされるような先生もいたかもしれないけれど、あの先生たちは皆個性的でそれぞれに私に忘れられない印象を植え付けて去っていった。大好きな大好きだった先生はもういらっしゃらないけれど、あの先生の温かな目と大きな手はきっと一生忘れないんだろうなと思う。
「心の在り方が一番大事さ」という事を洋七さんのおばあさんは思い出させてくれて、このシンプルな思い出草は大事な一冊になった。
今日ちょっとした集まりがあったので「「がばいばあちゃん」の本を読んだところよ・・・」と言ったら、「私TVで見たわよ。」と言った人と「映画で見たわ、読んでないけど・・・」と言った人が居た!
相変わらず情報疎い人間?の私は「えーっ?」と驚いた。
「映画にもTVドラマにもなったの?」「うん、あれは良かったわ!」
と、その二人はハモられました!あーん!
そ、それにですね、がばいばあちゃんのトークショーなるものももうDVDで出ているらしいです、ギョウテンです。
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あかんべえ

題名INDEX : ア行 430 Comments »

宮部みゆき著

さてさて、続けて不思議ワールドの小説ということになりました。
図書館の都合です!
あやしうらめしあなかなし」の後に「あかんべえ」を配本してくれるなんて図書館もやるもんだ!浅田次郎さんのこの小説の後の口直し、迎え酒?
宮部さんの「あやし」の系譜ですが作品的には「ぼんくら」「日暮し」の系譜かな。
超能力系脱力系お楽しみ系・・・なんて勝手に系をつけていますけれど、何しろ懐が深くて様々なジャンルの作品を量産できる凄い才能なんですから、読むほうもそれなりに系統つけて整理しなくっちゃ。
亡者さんを見える人の定義が面白い!自分と同じ苦悩を背負って死んだ人の亡者なら見えるっていうの?同じ過ちの淵に佇む人の前に現れるっていうの?
『あやし」の系譜と書きましたが、あやしのような悲しみや苦しみが深くなく読めるのは亡者さんたちが自分たちが成仏できなかった理由を忘れちゃって春風駘蕩?それにおりんちゃんの健気さもあるのでしょうね。そのあたりで脱力系と思いましたが・・・作者にとっても肩の力が抜けている?・・・だから「ぼんくら」などを思い出して脱力系かな?
そうそう何度もおりんが「ふね屋に居座る5人の幽霊全部が見えるのは何故だろう?」と不思議がるのが命題のように繰り返される「謎」となっているが、そこのところが私には腑に落ちない。だって「死にかけて三途の川まで行って水を嘗めたからじゃないの?」って、そのたびに突っ込みながら・・・それとも他に何かあるの?って。それなのにぃ・・・
だからちょっとまどろっこしい感じが付き纏ったけれど、亡者さんたちとの会話がおかしくて一気に読んでしまった。
一気に読んではしまったものの、感想がなかなか書けない。いい気持ちで読み終えて優しい気持ちで居るのだからそれでいいのかも。
この伝で行けば三途の川で老人が言っていたように?亡者の見えない私は何の陰りも持っていないんだろうなぁ・・・つまんないなぁ・・・。
イエイエ、亡者さんを見ないですむのは実にありがたいこって・・・といいたいところですが、ここに出てくる亡者さんたちは怖いどころか・・・そりゃおどろ髪さんも興願寺の住職も怖かったけど・・・笑い坊さんが近くに居てくれると何かとなぁ・・・なんて。
だけど、あれ?これでいくと皆さん成仏してしまっても、おりんちゃんの能力は残っているわけで・・・それとも孫兵衛さんと一緒に能力も成仏しちゃったかな?いやいや残っているはずさ。病気上がりに商売困難で家の近くしかうろついていなかったから、家付き亡者しか見ていなかったろうけれど、今後は出歩くたびに?ってえことは、続編がある?期待!そうすればおつたおばさんみたいに一歩手前で踏みとどまれる人も出ようし、孫兵衛さんみたいな人をまた手助けすることも出来ようってことね?亡者さんたちは自分がさ迷うわけを殆ど忘れちゃっていて優しいのだもの。おみつさんにもお梅ちゃんにも泣かされちゃう。これこそハートウォーミング性善物語!
「あかんべえ」の続編もいいけれど、でもね、私はどうせならお初さんの方が待ち遠しいのだけどな。
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