そろそろ旅に

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そろそろ旅に そろそろ旅に
松井 今朝子講談社 2008-03
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 松井今朝子著

松井今朝子さんの「吉原手引き草」を読んで、「仲蔵」に魅せられて、この作家は絶対好き!だと思って、その他の本も読もうと思って第3弾がこの本です。
十返舎一九(学校で習った頃はただの駄洒落まがいの名だと思ったのが意外な?というかちゃんとステキな?意味のある名前だった)の「東海道中膝栗毛」にたどり着くまでの前半生が実際の旅と自分探しの旅をあわせて「そろそろ旅へ」という題で書かれたものでした。したい事を見つけるまでのお尻の落ち着かなさがこの題そのものでした。いつも駆り立てられていたような?
教科書にあったのか先生が言ったのか「この世をば どりゃお暇と線香の 煙と共に灰さようなら」の辞世の狂歌も覚えています。
生涯、あの頃としては驚異の17回もの旅をしたと書かれていましたが、まさに心も体も旅の人だったのだなぁと、読み終わって感嘆しています。
見てきたような松井さんの筆の勢いもキッパリと微に入り細を穿つて描かれる一九の人生が妙にそぞろおかしくも悲しく哀愁を帯びて語られて、この分量!一生涯は書ききれないわねぇ・・・と、思えども、時代の景色と共にあの時代の浮世絵・読み本の興隆の流れまで丁寧で実にたっぷりと読み応えも手ごたえもあって本に頭を突っ込んでしまいました。普遍の青春の彷徨の記録になりました。
彼の生み出した弥次郎兵衛(弥二郎兵衛)と北八(喜多八)とが予七郎と太吉と重なるけれど、生涯切れなかったに違いない太吉とのかかわりは今で言うトラウマかと思えば何故か悲しい。それが吹っ切れた時に結実したのでしょうか?などと・・・
つい最近?も「やじきた道中てれすこ」という映画で弥次さん喜多さんにお目にかかっているというくらい私たちの中には普遍永遠の人物像です。多分日本人が日本人である間は決して消え去らない人々でしょう。軽くておばかでおっちょこちょいでずるくて色気づいていてお人よしで憎めないって像が出来ていますが、実際私がちゃんと読んだ部分はほんの最初、小田原ぐらいまでだったんではないかなぁ・・・と記憶を辿っていますが・・・いまはもう霧の中。
それでも読んでいなくとも彼らの像は誰の頭の中にも生きているという凄さです。その一九さんはあんなに人好きがして愛されたのに足掻き続けたんだって、なんかいいんです。だからあの作品もこんなに愛されて伝わっているんだって納得させられる一九サンの人物像でした。

シズコさん

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シズコさん シズコさん
佐野 洋子新潮社 2008-04
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 佐野洋子著

きっつい本だったなぁ・・・と、読み終わって思っている。
何が重かったのか・・・って考えなければならないことがまたきつい。
読んでいる最中もきつかったがこの本は納豆みたいに結構しっかりした後を引く。読んだ全ての「誰かの娘だった人」はいやでも自分と母の関係について再考させられるだろう。幸せな関係であったとしても何らかの反省と共に、だから幸せではなかった関係の人にとっては・・・しかし結局は「いわんや悪人をや?」であるかのような結末が待っていて・・・ほっと出来るのではなかろうか?とも思うが?いやいや母娘の関係はその関係の数だけのパターンが有るから・・・読み終わって許し許された二人に訪れた穏やかな日をただただ羨ましいと思う人も多かろう。それにしてもシズコさんの亡くなったのは90歳で洋子さんは既に70歳近く?なんと言う長い旅路であったことか!そして洋子さんは死ぬのは怖くないといえる心境にある。「そちら側に すぐ行くからね」と締めくくる。
開けっぴろげに、隠さずに、弄さずに、投げ出されたようにシズコさんとの来し方が書かれ、お二人がすぐそこに投げ出されているみたい。そのまんまそこに。どちらも凄いなぁ!「情が無い」も「情が有り」も、どっちも凄い。人生の終わりを見切ってしまったらこれだけバシャッとありのままを投げ出せるのかな?
私の母はシズコさんと違ってパタッと倒れて翌日には亡くなってしまったから老後の関係はぶつ切れで終ってしまった。だからだったのだろうか?ありがたいことに私と母は絆を結びなおす期間を必要としないほど上手くいっていた。思い出す限り「いい母だったなぁ・・・」なのである。本当にありがたいことに!
それなのに洋子さんの本を読んでいると洋子さんが母シズコさんを背負っている重さが不思議なことにまるで羨ましいかのようにみっしりと感じられるのだ。傷を付け合った深さの分、流した血の量に比例して、人間の関係は深く、絆は強くなるのかもねぇ・・・とため息をつく。
静かで穏やかで当たり前すぎるほど当たり前の親子であったので、さらさらとした肌合いの母子だったので、捨てたとも捨てられたとも負の感情を一滴も持たずに私は穏やかに母と別れられた。
周りを見て不思議に思うのは愛されなかった子ほど親に優しいということだ。「あなたのお母さんこそお母さんよね?」羨ましい羨ましいといっていた友人はやはり兄夫婦に捨てられた母を看取ったし、兄弟の中で一番出来が悪いといわれ続けていた息子は優秀な兄たちが都会に出て行った後の親を一手に引き受けたし。
今99歳の母を近所に抱えている友は「本当に意地悪で口の悪い厭な人だったのよ・・・だからこんなに長生きしていまだに私にも妹にもヘルパーさんにも意地悪し放題している。」と言いながら通っている。
子に愛情を注ぎ尽くした親は、安心して育ち情緒安定して独立した子供にさらっと忘れられるのかも?彼らは親に執着せねばならぬ何ものをも持たされてはいないから!
人の関係の中で一番最初に結ぶ関係で人の一生の背骨になるのが親子関係。いずれにしても当分母を、母との様々なシーンを根掘り葉掘りしてしまいそうだな。

ずらり料理上手の台所

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クウネルの本 ずらり 料理上手の台所 (クウネルの本) クウネルの本 ずらり 料理上手の台所 (クウネルの本)
お勝手探検隊マガジンハウス 2007-09-20
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お勝手探検隊編

正直なところこの本が見たいなと思って図書館に予約した時、こんなのが(失礼)百数十人も待つとは夢にも思いませんでした。
人の台所に興味津々な人って結構いるのですね?
「家政婦は見た!」じゃなくとも・・・?
他人様の台所は宝の山です。
時々友人の家になど行くと凄いヒントが降ってくることがあります。
でも、私の平凡極まりない台所は余り他人様のお役にはたたないだろうな・・・と、忸怩たる思いがあります。・・・した!でも、この写真集を見てこれでもいいのだとほっとした思いもあります。
この料理上手と呼ばれている人たちのお料理、食べてみたことはありませんから、その点「はてな?」マークつきですが、お台所は楽しめました。写真も美しくって、センスに溢れていましたから・・・それでカバーされた部分も?
料理上手は台所の整理整頓も上手!と言うのは思い込みだったようです。要はその人が使いやすいか?ということだったのですね。
その点では私の無様な台所も私には使いやすい!と言う1点でそこそこ優秀です?乱雑さも含めて。
何よりどこに何があって何の時はどこから何をサット取り出せるかってことがすべてです?
色々なものが実に様々に見えるところに全部出ている台所もあれば、こんなにコンパクトで本当に料理しているのかな?と思うのまで実に様々なようです。
私も転勤で9軒の家に住みましたから9の台所生活を経験したわけですが、どこも住めば都で?1ヵ月後には使いやすい台所になっていましたね。私の特技は柔軟性?染まりやすい?いい加減?ですか。
でも忘れられない台所が二つあります。
23歳まで過ごした実家の台所と、私が実際設計して作った我が家の台所です。一つは母と並んで過ごした懐かしさの甘いオーラに包まれていますが、後のは売り払った時点で泣きたい位惜しい台所でした!大好きな向日葵色のタイル張りにした出窓が今も惜しくてたまりません。
今の台所はそこそこ憧れの初めての対面式だと言う点で評価していますし、旦那と二人だけの調理をするにはうってつけの狭さが気に入りです。
ただ出窓が・・・ないんですね。これも憧れの譲れないものの一つではあったのですが・・・はずでしたが。もう諦めが付きました。何にでも人は慣れる?
こうして色々な人の台所を見ると、確かに台所はその家の家事担当者を映す鏡なんですね?この本の中にすんごいシステムキッチンなんかがなかった(ひとつ、「みたいの」があったかな)のが嬉しかったな。ぱらぱらめくるたびに楽しくて、図書館に返すのが久々に惜しい本ですよ。

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この黄色、私の作った台所と同じ色なんです!
懐かしい!母の台所とは違うのに、母を思い出させる台所です。

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これも懐かしい感じがするのですが、右の方は東京暮らしではゆめゆめまねてはいけません。地震の時・・・?

ソロモンの犬

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ソロモンの犬 ソロモンの犬
道尾 秀介文藝春秋 2007-08
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道尾秀介著

「シャドウ」「片眼の猿」に次いで三作目。で、この作品が今のところ一番好きかも・・・なんて思いながら読み始めた。この作者の文章は前にも書いたけれど、妙に?読みやすい。素直なテイストって言っていいかなぁ。
それにこの作品の底に流れる「不審」感が魅力的。
何だろう、なんだろうって、それは、その感じは何だろう?って思いながら引きずられていく。
会話で作る空気に不審が匂う。
主人公のあいまいな性格がこの作品のあいまいさを増幅して、はやく隠されているものを分かりたい一心で先へ先へ読み進む。
「犯人はこの4人の中にいる?」「本当に?」
「じゃぁ、犯人が割れる?どこで?」
そうしてこの作品に緊張感が生まれる。意外と?この作者は技巧派じゃない?ごく日常的な学生生活が続いて・・・分かりやすいはずの会話がそうは見せない。
でも果たしてこの会話は分かりやすい会話なんだろうか?字面だけ見ればね、でもあいまいな不審が掻きたてられるでしょ。
で、流れ込むのが最後のあれ。
テーマとか主張とかはなくても雰囲気に迷わせて読ませる、これも面白い・・・って思っていたのに、なんてことの無い結末に一寸肩透かし、って、あれ最初のフェイント許していいのかな?ごく穏当な結末・・・これなら確かに確かだけど・・・これで良いのか?たわいなさ過ぎな感も。
マン・マミーヤ!が出色だから許してもいい、かも。
あの動物学・生態学ホントでしょうね?それなら許してもいい、かも。
だけど私にはまだ「シャドウ」かな。
オービーの動きを読んでいて我が家の愛犬を思い出したので一枚挿入

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ジェネラル・ルージュの凱旋

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ジェネラル・ルージュの凱旋 ジェネラル・ルージュの凱旋
海堂 尊宝島社 2007-04-07
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海堂尊著

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「 このミステリーがすごい!」で初めて眼に付いた作家さんです。図書館で手に入る順に読んでいます。

「あれ、間違えて予約したかな?これ読んだ奴だった?」
と、一瞬思いました。
「いや、だけど進行方向が少し違うような?読んでないでしょ?イヤ読んだよ。やっぱり読んでない。」
何しろ順番通りに読んでいない私です。「えー、今までこの作家の本で読んだのは・・・」からおさらいです。「螺鈿迷宮」「ナイチンゲールの沈黙」「チーム・バチスタ」・・・だけだよ、こりゃナイチンゲールだよ、どう考えても・・・と、自問自答しながら読み進めて、なんだ事件?はここ東城大学付属病院で同時進行しているのか・・・にたどり着きました。
小夜さんバージョンと翔子さんバージョン。または小児科バージョンと救急救命室バージョン。
そしてようやくアッチコッチで軽くアッチの状況が臭わされているのに気が付きました。「あ、はー、むふっ!」
「作品を繰り出す速さ!」と、この作家を畏敬の念で見始めていましたが・・・ヒョットするとこのシリーズどこまで引っぱるのか分かりませんが、ずーっともう最終案まで出来上がっているのでしょう。
凄い頭?だ!
前に劇画だ!と感心しましたが、今回も太いテーマはちゃんと理解させられた上で?面白くおかしく楽しく頭を突っ込んで一気読み!
ホント、男だなぁ!速水先生。かっこよすぎ!
こんな手腕と度胸と決意とを胸にたくし込んだお医者様、どこの自治体でも咽喉から手が出るほど欲しいでしょ?ところがどうやらそうじゃないようですね?何処かでこんな速水先生が逼塞している?逼塞していても居てくれればまだ日本医療は見込みがある?死に絶えている気配が怖い。
鬼より怖い赤字!公が付くところの一番怖い赤字!もっともお役人は赤字を埋めるのは税金と思っているから余り赤字に切実ではないんですよね・・・って結果が今の日本?
でも公僕さんだったらお願い、何が最優先事項で何に税金使うか真剣に考えてね?と、思うけれど、これが、専門家がいつも正しいとならないから難しいんだよね。立場立場を離れずに物を言っていたら迷走するだけ。
救急ヘリねぇ・・・こんなに毎日救急車が走っているのを見て、平気で道を空けない車が居るのも見て・・・渋滞で止まっているのも見てて・・・ここを乗り切れるのはヘリだけだけど・・・果たしてここからそのすぐ先の聖ロカ?まで救急ヘリで運ぼうという決断はどこで誰がするのかなぁ?あぁ、そうかあれは病院間移送に使うのか?いや大規模事故の時も使えるだろう?あの場合?この場合?・・・???
するってーと、それを判断できる人を育てなくちゃ、で、運ばれてきた人を有無を言わず受け入れられる救急病院を充実させなくちゃ。
で、そのためには救急医をもっと沢山育てて、配備しなくちゃ・・・と、最優先事項がどんどんわからなくなってきて・・・「専門家さぁん、しっかり考えてぇ!」と投げ出してしまったところです。公にお金が無くなると平均余命がどんどん短くなりますよぉ~高齢者の皆さぁん。でもマァ、これ以上伸ばさなくても良いような?
さてどこから手を付けてどこへ行けば安心救命社会?が出来るのか?
そういう意味でも?こういう面白い作品で一寸ばかし能天気であなた任せで生きている私をも考え込ませてくれるこのお医者さんは、凄い!

しゃばけ

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しゃばけ (新潮文庫) しゃばけ (新潮文庫)
畠中 恵

新潮社 2004-03
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畠中恵著

和製ファンタジーです。一寸ファンタジー漬けの日々ですが。友人のお嬢さんのエンターテインメント大賞受賞で思い出しました。
そういえばファンタジーノベルー大賞とか言うのもありましたよね?と。ファンタジー好きなのに何でこれに眼を向けなかったんだ?です。
それで検索してみましたら、「後宮小説」が第一回受賞作でした。この作品はスキーで肉離れをして閉じこもっていた時に子供から送り届けられた大量の本の中にあったので、この賞の受賞作とは知らずに読んで正直好きになれなかったのです。それに受賞者(+候補者)で名を知っているのは恩田陸さんと山之口洋さんと畠中恵さんだけという心もとなさ?そういえば山之口さんの「天平冥所図会」、あれもファンタジーでした。
なお調べれば?畠中さんは時代小説がかなり!これは挑戦でしょ?
で、「しゃばけ(娑婆気)」を借りてきました。お江戸が夜はまだ夜だった頃のお話です。今これを入れている私の窓の外はレインボーブリッジとお台場の観覧車が光り輝いていて、夜は明るく美しいといっていいでしょう。お江戸は遠くなりました。大体その頃はここはまだ海に中ですよ。余談が長くなりました。
私にとって本を読む楽しみはどうやら時代物歴史物の中にこそ・・・ということを又確認したみたいです。続編があるらしいのでそれを読んでから大ファンよ!と言わなくてはなりませんよね。でもこの作品で大好きになりそうな予感です。お江戸の妖といえば宮部さんの作品群を直ぐ思い出しますが、ここには又なんとも可愛い妖怪たちがいっぱい登場します。お江戸の暗がりから生まれでてくるような妖と付喪神たちが一寸人間とはずれ感覚ながら日常に当たり前のように居るのです。それが楽しいファンタジー世界を構成しているのですが、当然妖怪には妖怪然としたものも居ると言うわけで・・・!この物語で哀れだったのは100年近くも人間に大事に使われて付喪神になる寸前で壊されて神になりそこなった墨壷です。
まだ十分使えるのに飽きたから、邪魔になったからと捨て去ってしまった沢山の物たちの事をいやでも思わずにはいられません。
勿論昔は修繕できたものが今では余りにも複雑になりすぎてどうにも直して使えない沢山の物たちはそれ以前、最も哀れな道具のように思えました。今私たちが使っているのは今こうして使っているPCなどは神になる可能性(希望)の欠片も持たずに生まれてきた道具です。そう思うと今の東京の潤いの無さ、道具たちの希望がなくなったとき人の心も又日本人本来が持っていた柔らかな感謝の念を忘れた無味乾燥したものになったのかもしれないと思わされてしまいました。お道具お道具、一つに一つの神を見ていた心も夜の闇ももう戻ってくることはないんだなぁ・・・とこの妙に懐かしさを感じさせられる物語にため息をついてしまいました。
一つの付喪神になりそこなったお道具の怨念がこんなにも人を殺す事件になったわけですが・・・我が家には百年も使い続けているような品物ははなっからありません。戦災で完全に焼けてしまったからですが・・・あれから六十数年、子供たちに譲り渡して大事に未来に受け継いでもらいたいと思うようなものもないようです。悲しい現実!
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シャドウ

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道尾秀介著

まだたったの1冊を読んだだけで言うのは余りにも早計!
でもひょっとしたら好きになれる作家を一人見つけたかもしれない。
まだ、数作の作家を評価するのは私の任ではない。残念ながら私にはそんな目は無い。が、読みながらこの作家の持っている資質のなんらかが私に「いい感じだぞ!」と囁いていた。
最近心して新しい、知らなかった作家の作品を読むようにしている。この頃ひどい脳の老化に我ながらてこずっているので、趣味も一新、友人も一新、旦那と息子も・・・とはいかないのが・・・というか、その両方からてこずられているといったところが真相?
三崎亜記さん、三浦しをんさん、薬丸岳さん、海堂尊さんと続けていますが・・・なかなか・・・いいかも・・・これからも・・・読めるぞ!楽しみです。
さて、この作品何が成功しているってあの科白です。
「人間は、死んだらどうなるの?-いなくなるのよーいなくなって、どうなるの?-いなくなって、それだけなのー。」
子供にそんな科白を言う母親って想像出来ないでしょう?
それに彼は今5年生、小学校のだよ!って、小学校以外の5年生って医学生か?ってほどのもんだよ。なのにその少年の3年前にもうその科白!なんだから・・・
この主人公が小学校の五年生だって?ありえないでしょ。この人(子じゃないのよ)容姿はともかく内容は大人より大人でしょ?いえ、私より大人でしょ?こういうのって生まれたときから大人なんだよ!
でもね、ハタッ!と、思い出したんです。幼稚園に入る前からずーっとお隣で、一緒にお手て繋いで幼稚園へ通っていたお隣のけんちゃん、小学校の3年頃だったかなぁ、けんちゃんのおかあさんがおかしいって大笑いしていたの。「けんじったらこの頃お隣の女の子って呼ぶのよ。」そう、その頃から一緒に学校へも行かなくなったんでしたっけ。
「そうか、やっぱり彼は五年生なんだ。」
それに彼のお父さん!節目節目の科白の良いこと!
だから最後のドキドキが盛り上がるんですね。
それにしても新聞を読むたびに?「精神科の医者ほど危ないものはないなぁ!」という気持ち、ますます増長しそうですね。
患者さん、ちゃんと面倒見て欲しいなぁ・・・と。犯人は精神科へ通っていたという記事が多すぎるんですもの。精神が素直に生き難い世の中なんでしょうけどね・・・そして治すのも至難なんでしょうし・・・対峙していると朱に?なんて。
やっぱりそんな俗な心配?、やっぱりした方がいいんだ!って。
おっと、これは作者の書きたいことと関係ないか。
最も心の場合何が健康で何が病んでいるって誰にわかるんだろう。
学校で何か日常と違ったことがあるたび「はい、○チャン、カウンセリング室で1週間放課後にマインドケアしてもらってらっしゃい。」なんて、先生が当たり前に言うようになるのかも?その日は近い。
明日と今日の間にも紙一重の変化がありうるのが今の社会なのだもの。あの年であんな経験をする子供たち、この子供たちにどんな明日が来るんだろう?今しなやかに乗り越えたかに見えるこの子たちの明日の心はどんなねじれを起こすだろう?だからしっかりこの作品は「今」なのですね。「今」を映す鏡です。だけど人間社会の問題として普遍です?

佐賀のがばいばあちゃん

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島田洋七著

B&Bの洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」って本図書館に予約したら250人待ちだってさ・・・って、友人に言ったらあら「がいばばあちゃんよ」と訂正された。「え?そうなの?」と怪訝な私も正直自信は無かった。だって「がばい」なんて、聞いたことが無い言葉だったもの。で、家に帰って確認して安堵して、ついでに意味は・・・?「がばい=すごい」でした。
そういえば洋七さんよく漫才でおばあちゃんの話をしていたなぁ?
そして凄いってよく笑ったものだったけれど、あの逞しくも明るい頓狂なおばあちゃんの話を読むのは楽しかろうと思ったのだ。
でもあの人は広島の人だと思っていたけれど、何で佐賀なの?
それがようやく本が来て解けた。
ただただ圧倒されてしまった!がばいばあちゃんには本当に脱帽!
凄い!がばい!最高!って。
巻末の「おさのおばあちゃんの語録」で又確認してがばい!!!
洋七さんは私よりほんの少々若い。佐賀と東京と住むところに違いは有ってもあの頃の生活が読んでいるうちに彷彿としてきて、懐かしさに浸り、思い出されたあの頃に身を任せて、切ないような甘いような感傷まで引っ張り出してしまった。
あんなに逞しかったのだろうか、あの頃のあの人々は?東京ではただただ生活、生きることに追われているだけのようだったが?
磁石を引きずりながら歩いていたおもらいさんもいたし、タバコの吸殻を突き刺して集めていた人も居た。くずやおはらいと言って回ってくる人は今では不用品やさんが見向きもしないような物を大事に秤にかけていたっけ。どんな衣類も次々に引き取り手はあって近所の小さな子に回って行くのも見ていたっけ。捨てるものなど無かったのだ。子ども連れのおもらいさんはいっぱいいたし、傷痍軍人もいっぱい居た。東京のあの頃はそんなだった。佐賀のおばあちゃんとの洋七さんの暮らしは工夫に溢れて、不足に追いかけられてはいたけれど、不思議な長閑さが感じられたのはやはりそこが佐賀だったからだろうか?
このおばあちゃんへのオマージュは今読む人に50年前には普通だったものを、そしてその中にあった逞しさを教えてくれる。
ヒョットすると豊かになって人は弱くなったのかもしれない。
洋七さんの素直な明るい逞しさが今一番のヒントになるかも・・・と思えて、でもそれでは補えないくらいこの世は優しさを失ってしまったのかも知れない。
個性的で優しい先生たちは私に小学生時代の先生たちを思い出させてくれた。今だったら問題にされるような先生もいたかもしれないけれど、あの先生たちは皆個性的でそれぞれに私に忘れられない印象を植え付けて去っていった。大好きな大好きだった先生はもういらっしゃらないけれど、あの先生の温かな目と大きな手はきっと一生忘れないんだろうなと思う。
「心の在り方が一番大事さ」という事を洋七さんのおばあさんは思い出させてくれて、このシンプルな思い出草は大事な一冊になった。
今日ちょっとした集まりがあったので「「がばいばあちゃん」の本を読んだところよ・・・」と言ったら、「私TVで見たわよ。」と言った人と「映画で見たわ、読んでないけど・・・」と言った人が居た!
相変わらず情報疎い人間?の私は「えーっ?」と驚いた。
「映画にもTVドラマにもなったの?」「うん、あれは良かったわ!」
と、その二人はハモられました!あーん!
そ、それにですね、がばいばあちゃんのトークショーなるものももうDVDで出ているらしいです、ギョウテンです。
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真相

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横山秀夫著

当然と言えば当然!必然と言えば必然?
今年第一作は横山さんになりました。
正月休みは「指輪物語」!と、読み始めたのですが、そこそこ落ち着いて本を読む時間が無くて、第1巻を読み終わったところで休みは時間切れです。
休み明けメールの第一号は図書館から到着、横山さんの「真相」だったと言うのが真相?
昨年からの流れで行けば順当だ!と納得して・・・
五つの短編が収録されていました。どれも事件の裏の真相が主題です。それも一ひねりと言うか、裏の裏を行くというか真相が浮かび上がってくる構図です。
そしてそれがどれもはっきりいって頷けない、了解できないものなのです。厭だわ、ひどいわ、こんなの受け入れたくないわって言う気持ちになります。
勿論横山さんの作品の私が好きな部分はちゃんとあります。
でも、辛いだろうなぁ・・・と真相を見た人に寄り添ってあげたい気分です。それこそ余計なお世話でぶっ飛ばされそうですが、そうさせてもらいたいという止むに止まれぬ気分に駆り立てられます。
そうっとしておいて上げるわけにいかない・・・それでは済まない・・・という状況をよくもまぁ思いつくなぁ・・・横山さんは・・・!
だから私は「真相」では篠田が離すまいと思った美津江の手にそっと自分の手を添えて暖かくしてあげたいと思い、「不眠」では山室の耳から「ザザザザザッー」のボリュームをなんとか一つ絞ってあげたいと念じ、「他人の家」では映子さんの手を貝原の方に押しやり彼らの家を作れる方法を考え込むのです・・・(えー私も犯罪に手を染めるの?どうすればいいのでしょう?この状況は難題です。)
でも、「他人の家」はまだかろうじて?作中の彼らに寄り添える・・・そんな気がもてますが、「18番ホール」はどうにもなりません。
「破」ですか?何でこんな作品入れたんだろうって作家に泣きを入れたいくらいです。
「花輪の海」も辛いですが彼らには何か未来を予感させる若さもありますが・・・だからこそ、この作品群に「18番ホール」は入れて欲しくなかったなぁと読み終わってため息をついています。
そしてやっぱり「年の初めは指輪物語を完全読了してから横山さんに取り掛かるべきだった!」と、反省?しています。反省って?これが運命!
今幸せな気分でいる人にも、暖かいひと時が欲しい人にも横山さんのこの作品はやっぱりお薦めできないなぁ・・・暖かくはなれないけれどもそれでもいい、人の世にすがりつけるものが、よすがでもいい、かけらでも欲しいと切羽詰っているなら?・・・それでもどうかなぁ・・・。
友人に山崎豊子さん大ファンがいます。
「凄いわよ。調べつくして、構築して、濃厚極まりない世界よ!」
彼女が薦めれば薦めるほど、尻込みする私ですが・・・でもね、横山さんを読んでいると何でも読めるんじゃないかな?という気がしてきます。
「豊子でも清張でも持って来い!」(スイマセン)って。
それくらい横山さんの描くものはある意味(負ケテイナイゾ)濃厚濃密、きつーい!短編でさえこうよ!

シラノ・ド・ベルジュラック

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 エドモン・ロスタン著

父が「緒方拳がシラノやるそうだ、まだ先だが忘れずにチケット取ってくれないか。」と電話してきた。
「あら白野弁十郎?やるの?」
父の中での島田正吾との師弟対決らしい。
緒方拳とシラノが私の中ではどうも結びつかない。
醜い鼻でもシラノは人格の気品が大きくて、なんとなく大きなふっくらとした老成した人を思い浮かばせる。
本当はそんな年じゃなかったはずだが、島田さんのせいかな?
「白野弁十郎」は「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案物で、私は島田正吾さんの「白野弁十郎」を見ていない。
ただ覚えている島田さんの容貌が「シラノに填まっている!」という気がするのも確かだ
久しぶりに聞く「シラノ・ド・ベルジュラック」に懐かしさがこみ上げた。

随分昔に読んだ本だ。
父の愛読書で父の本棚にあったものを読んだ。
「乙女チック」という言葉が浮かび上がる。もう死語かな?
作家の名前もロクサーヌの名前も直ぐ思い出したが、あの若者の名が思い出せない。
頭をぽんぽん叩いているうちに転がり出たのが「これはこのガスコンの軽騎兵(騎兵隊だったけ?)・・・」という科白。
ガスコンといえばダルタニャンと頭の中は八つ当たり?する。
う~ん~と考え込むこと暫し「クリスチャンだ!確かそうだ。」
超男前のクリスチャンの為に恋文を書いてあげ、口移しに教え込んだ恋の科白を囁かせ自分の恋をひた隠しに隠し通したシラノ。
そのシラノが愛し続けたロクサーヌの膝の上であの手紙を囁きながら死んでいく場面で、子どもながらも「ロマンチックさに震えた!」んだってことも思い出した?
夕暮れの暗闇迫る中で見えない手紙を読み上げるシラノにロクサーヌが真実に気が付くところ。
え?そうだったっけか?
死んだのだっけ?
「雲の上団五郎一座」のせいで、笑いすぎてどうもあやふやになってしまったらしい・・・罪だ!ん?団十郎だったっけか?
これももうあやふやだ。

シラノに容貌の点で引けを取らない私が慰められもした戯曲だ。
でもやはり恋では負けがこみそうだと察しが付いたのもこの本のせいだ!
きっと図書館にこの本は眠っていることだろうから、これを書いたら図書館にアクセスして予約しようっと。
そして久しぶりに乙女チックなうるおいのある心を取り戻そう!っと。
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