城砦

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クローニン著

この作家の作品はこれ一冊しか読んでいないのに、お薦めと言うのは気が惹ける。
しかしこの作品は是非読んでもらいたいと思う一冊なのだ。
私が初めて読んだのは二十歳過ぎた頃で、その時に買った新潮文庫が黄色く手ずれして今も私の手元にある。
どこへ行こうと、様々な本を整理しなければならなかった時にも手放す気になれなかった。
まるで私の良心の番人のようで・・・
気持ちが停滞している時、鼓舞したい時、この本を手に取ってみようと思う。
初めて読んだ時に、この作品の主人公が分け入り目指した茨の道の凄さと、それに挑んでいく粘りと頑固さに、心から敬服してしまったからだと思う。
特に最近のニュースで見る世相、特に若者のあり方、などを読んだりTVで見たりするとこの作品をふっと思い出してしまう。
貧しさの質?も変わり、働くと言うことの概念も変わり、生きることの意味もまるで変わってしまったような今、果たしてこの物語の中にあるような過酷な人生を「選択する」意義があるのかとも一方で思う。
しかしまた「いやいや、ヤッパリ人生の本質は不変だろう。」とも「若者の本質は変わらないだろう。」とも思う。
ただ、今は情報に流されることが多すぎて、自分で自分の人生の意義を見つけ難くなっているだけだろうとも思う。
だからこそ今この小説を読む意味があるようにも思えるのだ。
失われたものを求めて、見出せないものを望んで。
熱く生きるということ。
過酷なものをあえて選択するということ。
間違った道に行ってしまっても戻る方法はあるのだということ。
勇気を出せば出しただけの価値を見出せるということ。
きちんと自分を持っていれば、それを認める者もいるということ。
主人公の医師アンドルウ・マンスンの希望と絶望の中での挑戦と成長から感じるものが絶対あると思う。
挫折して、挫折して、なお諦めず進むその姿。
理想が潰えて、名声や富に屈した時の姿。
そしてまたそこから立ち直った時の満身創痍の姿。
運命と意志の力について、考えさせられ、感じさせられることと思う。
この作品を読むたび私は自分を愧じ、うなだれてしまう。
しかしまた、「人間て凄いんだ!」とも思い、「せめて何か一つ努力しよう!」とも思う。
だらけた時に自分をリセットするスイッチのような私の一冊。

ちなみに中村能三さんは翻訳者で、また補足として紹介している「人生の途上にて」竹内道之助訳はクローニンの自叙伝的小説ということなので興味がある向きにはと思って掲載しました。
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パトリシア・コーンウェルという作家

作家についてのコラム 407 Comments »

先にロザムンド・ピルチャーさんを紹介しましたが、ある意味ではこの作家はピルチャーさんとは対極に位置する作家と言えるでしょう。
フィールドが違うという事ですが、作家の持つ景色、世界、全く違うものが味わえます。
この二人の作品をピンポンのように読むっていうのはちょっと面白い感覚です。
人生のウェットな部分とハードな部分を読書によって振り子のように擬似体験できるとでも言いましょうか。
善なる世界と悪なる世界!
私の世代、女の子にとっての読書の王道は(外国の女性作家だけを取り上げれば)、フランシス・ホジソン・バーネットの「小公女」「小公子」「秘密の花園」あたりから始まって、アリス・ジーン・ウェブスターの「足長おじさん」、ルイザ・メイ・オルコットの「若草物語」、ルーシー・モード・モンゴメリーの「赤毛のアン」を経て、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」、ジェーン・オースティンの「自負と偏見」あたりへ至って、大人に成る?という感じだったでしょうか。
そしてこの経過を辿った人はロザムンド・ピルチャーさんに必然的に?辿り着くでしょう。
しかしパトリシア・コーンウェルさんには辿り着かないでしょうね。
かなり寄り道をしないとね。
でも簡単に到達する人がいます。
推理小説が大好きなら!
ハードボイルドが大好きなら!
未だ、コーンウェルさんの作品は十数冊しか読んでいませんから、簡単には比較できませんが・・・というより絶対比較できませんが、それでもアガサ・クリスティ以来の凄い女性推理小説家だと思います。
今後もどんな作品を送り出してくるか楽しみです。
が、ここに来て、私にとっての問題は彼女の作品を今後も読み続けることが出来るかというところにあります。
苦しい世界なのです。
アガサ・クリスティの作品は多分翻訳されたほぼすべての作品を読んでいますが、楽しみ以外のものではありませんでした。
どの作品も殺人事件があっても読み物として私は一作一作を楽しめました。
けれど、ケイ・スカーペッタ(検屍官シリーズの主人公)が活躍すればするほど私は悲しくつらくなってくるのです。
どの作品も読ませます。
迫力があって、リアリティに満ちていて、一気に読ませる魅力を持っています。
しかし、彼女が生きて活躍する世界は余りにむごいです。
主人公を始めそれぞれに一癖ある脇役たちまでもが本当に生きているのが辛そうです。
私のお気に入りのマリーノ刑事なんか可哀相で哀れで哀れで、「何とかしてやってくれ!」と叫びたくなります。
彼女の作品を読んでいるとアメリカの「今」がここに凝縮していると思います。
そしてそのアメリカにどんどん近づいて行く日本が怖いです。
アメリカの威力の下、全世界がアメリカに似ていくのだと思うともっと怖いです。
アメリカに僅かでも光が射せば、いつかは世界中にもそれが波及していくでしょうか?
それまで人類は果たして生き延びられるか?
不安で胸をわきたてながらつい読んでしまう自分が少々?いや多分に不安です。
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メリーゴーラウンド

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ロザムンド・ピルチャー

メリーゴーラウンドはこの世界の象徴である。
子どもらしい、愛らしい、懐かしい、人がメリーゴーラウンドに抱いているすべてのものを思い出して欲しい。
そしてそれを美しい色彩の混沌というか、シャッフルというかしたものが、ここでのピルチャーさんの世界である。
つまり似つかわしいものの、理解しあえる人の、「輪」とでも考えたらいいのではないかなぁ。
血縁を取り除けてここには同じ魂を持った人々が自然に結びついて生まれた優しい世界が誕生している。
主人公のプルーは両親の愛も理解も受けなかったが、芸術家魂を持った伯母とその連れ合いにはとても愛されて幸せに育った。
サブ主人公ともいえるシャーロットは経済的には豊かだけれど愛の無い家庭で非常に孤独に育っている。
この二人がコンウォールの芸術家魂を揺さぶる美しい景色の中で出会って、同類という家族が生まれてくるという物語だと私は思って読んだ。
そしてこの物語のもう1つ女性読者を引き込まずにいないキーワードは芸術である。
優れた絵心を持っている人々が引き合って愛が生まれて、理解が出来て、ぬくもりが生まれていく。
なんと格好よくも魅惑的であることか。
芸術の才能の無い読者としては羨ましくも憧れる。
風光明媚な観光地での恋が語られるのだから、これが憧れずにいられようか?
全く、「アーティスト」「画家」って言うだけで殺し文句だ。
繊細で、気まぐれで、美の探究者・・・多分、絶対、永遠には独り占めできないものよ・・・ため息。

コーンウォールの嵐

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ロザムンド・ピルチャー著

[前回]ロザムンド・ピルチャーという小説家

人と人との付き合いの中でも血縁という抜き差しならないものほど厄介なものはない?
上手くいっている間柄ならこれほど力強いものは無いが、一旦歯車が軋み始めると・・・。
ピルチャーさんの作品には割合母と娘がいい関係では無いものが多い、そしてまたほとんどが離婚家庭の娘が主人公になっているような気がする。
濃密に上手くいっている母娘でさえ、傍から見るとあまり感じがよくない場合もあるから、いっそ・・・?っていうことかしら?
母娘の関係は一般的に父息子の関係ほど難しくは無いかもしれないが、彼女の作品にはあまり父息子の物語は無いようなので、考えないこととして、この作品の主人公レベッカも母リサとは希薄な間柄の母娘であった。
リサが奔放に自由に生きたのに対して、レベッカは傷つかないように自分をくるんで生きてきたようなところがある。
長い間孤独だったせいか、彼女は母の死に際して初めて知った祖父の家へと出発する。
ここから物語りは始まるのだけれど・・・一つ不思議なのは始めて知ったのは祖父がいるということだけでは無く、父の名も初めて知ったのに、ピルチャーさんの小説は1代世代をおいた関係を描くことが多い傾向があって、この物語でもレベッカの向かったのは父の居るアメリカでは無くて、コンウォールの祖父の所へだったのだ。
そして祖父の家での従兄たち、伯母、その姪たちとの関係の中で彼女は変化して行く。
多分にご都合主義的なところがあって、レベッカは本能的に惹かれる者に潜在する危険が分かるらしい?
だから物語は破綻を秘めているのに、彼女はのっぴきならない苦悩に飛び込む前にちゃんと人生行路の選択が無事に出来てしまう。
このあたりに人生を描く物語としての喰いたり無さがあるのだけれど、また反対にそこでこそこの物語が持つ気分のよいワールドに浸れるというわけである。
ぬるいお風呂が好きな人には絶好の楽しい読み物に仕上がっていると私が思い、そこが私のこの本を愛好する所以でもある。
ジョスのような男に抱きとめられたら、女なら文句あるまい!

ロザムンド・ピルチャーという小説家

作家についてのコラム 348 Comments »

タイトルにどの本の名を持って来ようかと思って、さじを投げた私です。
ですから例外的にこの作者の「総論?」と言うことで・・・。
だからって、「たいした本が無いから・・・」なんていうわけでは決してありません。
彼女の全作品がお薦めです!
「九月に」でも「シェルシーカーズ」でも「コンウォールの嵐」でも「スコットランドの早春」でも「メリーゴーラウンド」でも・・・
「長編はちょっとね。」という方には「ロザムンドおばさんの花束」でも「ロザムンドおばさんのお茶の時間」でもいいんです。
ちゃんと短編集もありますし、ちゃんとそこでピルチャーさんの世界に浸れます。
そうなんです!
どの本も見事にピルチャーワールドなんです。
サスペンスの香りがしたり、初恋のきらめきがあったり、かなり厳しい家族の事情なんかもあったりするのですけれど、結局はピルチャーさんのワンワールドなんです。
そういうと「代わり映えしないんだ!」と、思われちゃいますか?
いいえ、そういう意味でもないんです。
どの世界も確かに同じ雰囲気を結果的には味わわせてもらうことになると言うことは否定しませんが、でもそれはなんて素敵な世界なんでしょうと本を好きな女性ならきっと思うと思うのです。
優しい世界です。
ぬるま湯につかったような?
うん、確かに!
でもそこにはちょっと心を優しくしてくれる何かがあるのです。
美しい世界です。
イングリッシュガーデンのような?
うん、確かに!
でもそこにはそよ風の春も、厳しい冬も、孤独な夏も、吹きすさぶ嵐も、凍えるような雨も訪れるのです。
懐かしい世界です。
故郷のような?
うん、確かに!
でも見知らぬ世界です。
行ったことも無いイギリスの地方の、それだけに魅惑する風景とその土地の人々と友達になれるような、心が交感するような!です。
孤独だったり、理解されなかったり、様々なものに飢えている少女や娘たちもそこでは「分かってくれる」世界を見い出せるんです。
恋人だったり、祖父だったり、おばさんだったり、父だったり・・・
でも誰かを見出すんです。
そして新たな世界をも彼女たちは見出していくんです。
そして自分の道を知るんです。
そしてその世界を読む私たちはそれで心がほっかりと温まり、心地よい涙を拭って、彼女の幸せや旅立ちから力を分けてもらえるのです。
ピルチャーさんのワールドは慰めのワールドで私たちの心に満ち足りた涙を注いでくれるのです。
丸ごと彼女の世界を味わってみてください!
翻訳されて手に入るすべての作品を手にとってごらんください!
ただね、ひょっとしたら物語の結末であなたは思うかもしれません。
「女が、皆が皆、『僕が守ってあげるよ!』って、言われたいというわけじゃないわ!」って。
あなたはしっかり自分の足で立っているのですね?
それでもたまには、そういうあなたも、こんな世界で心を遊ばして
みるのも悪いもんじゃ有りませんよ。
その上で又明日自分の足で歩いていけばいいのですから。
そう、あんなにも頼りなく、自分のキャリァを積み上げるどころか
自分の足元さえ分かっていないようなあの若い娘たちも、それぞれに自分の足場を意識していくのですからね。
「私だって・・・」って、あなたは思うんじゃないでしょうか。
「明日私は・・・」とか「これから私は・・・」って思えるって素敵です。
そう一応「ピルチャー・ワールド」を説明させていただいて、
次から 「各論!」を随時入れていくことにいたしましょう。
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指輪物語

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J・R・R・トールキン著

さて、なんといって書き始めたらいいか?
そもそもこの物語について書いてもいいのだろうか?
随分悩みました。
私自身に限ってみれば、お勧めしたくてしょうがないくらいの本です。
でも、なんといっても長すぎます。
この物語を読むに当たって、まず「ホビットの冒険」や「シルマリルの物語」を読んでくださいなんて言ったら、モットモットモット大変です。
全部読めばあなたはトールキンが作り上げた大宇宙・一つの壮大な歴史・別世界の大叙事詩の見届け人になれますが。
それはそれは素晴らしい世界です。
ところがこの物語が映画化されたので、本は読んでいなくとも、この物語を映画で楽しんだ友人が何人かいたので、
「本はもっと面白いわよ!」
「映画の補足にもなるし、イメージがぐんと膨らんで指輪物語の世界がビビットになるわよ。是非お薦めよ。」
なんて、薦めてしまいました。
私の本の選択眼を信頼してくれている二人の友人が早速評論社の文庫本9巻を買い込んで挑戦しました。
でもお一人は一巻を読み終える前に
「あんた本当にあれ面白いと思ったの?」と言ってくるし、
もうお一人は
「駄目だ!名前が頭に入ってこないんだもの。映画なら顔で分かるけどさ。オーランド・ブルームは覚えた(綺麗な人よねぇ!)けど、
役名はなんだったか、だいたいあの人間じゃない種類ってなんだっけか?」なんて言って、どうやらブックオフ行き?
で、もう一人
「ちょっと長すぎてさ、本屋で立ち読みしたら、読み通す自信が無くなったから、あなたの借りてまぁ一応挑戦してみるわ。」
と言った友人がいたのですが、彼女は6ヶ月かかって何とか読み終えたのです。
でも「ちゃんと分かったかは自信が無いわ。」ですって。
3人の共通項は50代。
ふーむ、確かにカタカナの名前は強敵ですし、また登場人物の量?は半端じゃありませんから。
だから、お若い方に(頭の中が?)お薦めしたいと思います。

「すっごいなぁ!」とタダタダ私は感心してしまいます。
一人の人が天地創造から人間の世になるまでの壮大な歴史を作り上げてしまったんですものね。
しかも飛びっきり想像力に満ち溢れていて、とびっきり勇壮なんですもの。
ホビット族とかエルフ族とかドワーフ族とかエント族とか人間族とか魔法使いまで沢山の種族を作り上げた上にその言語まで創造してしまったんですもの。
どきどきしながら読み進んで、はらはら手に汗握って、夢中で応援してしまいます。
それにあの地図!
一生懸命彼らの辿った道を指で追いながら読みたいのですけど、足りないところ、見付からないところがあって(出てくるすべての地名が載っているわけでは無いのです)、自分の想像力で補わなければならないのもそれはそれで面白いのです。
そして種族のそれぞれの家系にまで目が向くと又そこには面白い興味深いものがあるのです。
この物語の登場人物の中で私のお気に入りはアラゴルンとサムです。
アラゴルンの指輪の旅が始まるまでの長い苦闘の生活と彼に付き纏っているなんともいえない憂愁、この旅が始まってからのサムの使命に対する無私の無垢の奉仕、忠誠心が私を魅了するのです。
「ああ、こんなに意志強く真一文字に生きられたら!」なんて思ってしまうのは、私が全くその正反対の生活をしているからに他ならないのですけれどね。
私の送っている、又送ってきた生活には無いすべてのものがこの物語にはぎっしり詰め込まれているのが嬉しいのです。
私の中にあるロマンチックな感情が最後のアラルゴンの王位継承とアルウェンとの結婚、そしていずれ訪れる別々の死に過剰に?反応してしまうのです。
この恋の場合アラゴルンよりアルウェンの選んだ路の方が過酷ですよね。
私にはそう思われて、アルウェンの為に涙を流すのですけれど、成就した余りにも甘美な恋は美しすぎて、私の流す涙も又甘いのです。
旅の間にフロドの負った永遠に癒されない痛手も私の心を揺さぶりますし、ピピンとメリーの二人には笑わせてもらいましたし、ギムリとレゴラスの種族を超えた深い友情にも感動させられますよね。
最もこの旅の仲間の取り合わせそのものが意義も魅力もあるのですけれど。
この長い物語の中から一体どれほどのものが汲み取れるかは読む人それぞれのお楽しみでしょう。
そしてきっと汲みつくす事は出来ないほどいっぱいお楽しみの可能性があるでしょう。
冒険が好きなら、虜になるのは簡単!
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高慢と偏見

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お正月に「プライドと偏見」という題で映画が公開されましたから、
その原作であるこの本を読んだ人も多いかもしれませんね。
私がはじめて読んだのは学生時代でしたが、彼女の作品は「エマ」と「高慢と偏見」と「分別と多感」が図書館には並んでいました。
実際オースティンは42歳に満たない短い人生の中で6篇くらいの作品を残しているだけです。
私が「高慢と偏見」を見つけた頃には未だこの3冊しか翻訳されていなかったのかも知れません。
でもその頃たまたま手に取ったこの作品は、私の人生を通しての愛読書となり、多分これからも折に触れて私は手に取ることでしょう。
18世紀後半から19世紀初頭のイギリスの田園で繰り広げられるこのドラマは21世紀になった今でもちっとも色あせることなく読む人に色々なものを与えてくれるようです。
物語愛好家にはロマンチックな恋物語を、モットまじめに人生を考えたい人にはちょっとした人生のヒントを、人生を厳しいと感じている人には人間の愛すべき滑稽さとその中にある救いを与えてくれるのではないかしらと思います。
私にとっては只「楽しい時間を!」です。
人生がちょっぴり色あせたと思う時、私の周りがちょっと厳しいと思える時、只単純に体調が思わしくない時、私はこの物語を手に取ります。
「エマ」の方が傑作だという人も入るようですが、「エマ」は私にはきつい時があって、体調の充実しているときには「エマ」を読み直すことが出来ますが、「高慢と偏見」はどんな時でも「OK!」なのです。
むしろ辛い時の慰めにお勧めしたいくらいの作品です。
今と全く時代相も、社会相も違う世界なのに、ここに生きている人々はそんな事を蹴飛ばして私に慰めと勇気を与えてくれるのです。
勿論「結婚」にいたるのが人生の幸せだなんていう幻想はもう私だって抱いていません。
だから彼女たちの、いえ特に、彼女たちの母の世代の結婚観は大いに笑えます。
でも、あの時代違う階層の人との結婚は非常に難しく、本当に上手くめぐり合わなかったら同じ階層の人との結婚も難しく、しかも結婚できなかったら男の兄弟の厄介になって人生を終えなければならないと言う状況に置かれやすかったという事を思えば彼女たちの結婚観を笑えませんね。
日本の江戸時代も似たようなものでしたが。
今と全く女性の置かれていた立場が違うと言うことは読む前に念頭に入れておかねばなりません。
しかしやはりこの物語には人間の普遍的なものがしっかり根底にあるのです。
だからこの色とりどりの姉妹たちの誰かに読む人は共感をもてるでしょうし理解も出来るような気がします。
ジェーンの心の美しい佇まいに心引かれ尊敬もし、又主人公のエリザベス(リジー)の心の闊達さと行動力と自分を素直に飾り気無く表現する生き生きとした姿勢に心引かれもするのでしょう。
間違いをおかし右往左往し、自由自在に人をけなしたり、いい加減に評価したりする過ちを私もしょっちゅう犯しているのですから。
そしてそれにちゃんとしっぺ返しを喰っちゃうんですから。
だからあちらこちらで笑っちゃえもするんですよね。
色々な人物に大いに笑って、ちょっと成り行きにはらはらして、終わりで「よかった!」と、胸をなでおろして。
にっこり本を閉じられるのです。
私の「永遠の一冊?」の一つです。

オリバー・ツィスト

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作 チャールズ・ディケンズ

「映画が来る!」
というので、それもあのロマンスキー監督の作品として。
しかも80億円という制作費の殆どが当時のロンドン再現の為に費やされたと聞けば、読み返したくなるのも当然?
何しろ前回読んだのは40年以上も昔のことなのだから、もう殆ど覚えていない。
覚えているのは「孤児が泥棒家業の末、優しい人に引き取られて幸せになったという簡単すぎるあらすじとなって!」である。
その再現された当時のロンドンというものだけでも見る価値はある。
しかし昔読んだ人間としてはやはりここはディケンズ氏に敬意を表して再読しておくべきだろう。
というわけで早速図書館に行ってみれば、なんとちゃんと書架に「オリバー」は鎮座ましましていた。
「ナルニア国物語」が図書館で予約(したのは映画館で予告編を始めてみた半年以上も前である)してから未だに届かないというのに、これはどうしたことだろう?
最も読み始めた3行でもう既に回答は私の中では出ていた。
今時好まれる簡易な始まりではないのだ。
物語はいかにも持って回った小難しいひねくれた表現から始まっているのだ。
しかしである。
「とにかく読み進んでください!」
と、私は言いたい。
物語の流れに飛び乗ってしまうと、そこには波乱万丈の少年の人生が本当に様々な悪人善人の仲に繰り広げられているのである。
果たしてこの物語の主人公はこの少年だったのだろうか?という気持ちが最後には浮かび上がってくるかもしれない。
社会の底の底、ロンドンの下層階級、それも実に劣悪な環境の中を這いずり回っている多くの悪人たちの生き生きとした描写は、このおとなしく美しい顔に生まれついた少年の可憐な哀れさを押しのけて勢いがあるのである。
人間の性は生まれながらに決まっていると作家は思っていたのだろうか?
あの環境で、生まれて、育って、小突きまわされて、なおかつ清純な気質と愛情豊かだった親の気質を捻じ曲げられずに人は育つことが果たして出来るのだろうか?
それがとても疑問に思えるぐらい、フェイギンとその一党は紛れも無く本の中で生きているのである。
あの影響力を受けないであの幼い少年が生き延びていけるのは信じがたい。
しかしその一点でまた読む者は心打たれてしまうのである。
ああでありたい!
ああなんと健気なことか!
なんと善良で哀れみに満ちた人々が一方には居ることか!
人の世の善に心打たれもするのである。
だからお読みください。
色々なことが今読んでも古くはなく、人の一面を余すところなく表現しきっている見事さに、作者の技量の凄さを感じ取れるはずですから。
心をこんなにも動かしてくれる作品はそうはないのですから。

ダ・ヴィンチ・コード

題名INDEX : タ行 207 Comments »

「ダ・ヴィンチ・コード」 作 ダン・ブラウン

出版されて、新聞の新刊案内で読んで、間もなく図書館で予約した。
しかし待てど暮らせど・・・
問い合わせれば、「後数百数十人待ち」と言われた。
「なるほど」と、爆発的な人気に実感が伴った。
2005年年末、ようやく順番が回ってきた。
3日で読み通した。その間家事一切停止状態。
面白かった!
最近こんな勢いで読んだ本があるだろうか?
読んでいる間中、頭の奥底の方でサッチモが「モナリサ・・モナリサ・・」と歌っていた。
キリスト教徒の読者ならこの本に対する好悪ははっきり二分されるだろう。
キリスト教徒に何の縁もない私には推理物としての興が感想の第一である。
しかもその底にあるキリストの結婚という大前提は衝撃的ですらある。
ある意味で宗教の祖という者はすべての信者と結婚しているようなものだ。
私は世界中でキリスト教ほど手に負えない物は無いと常々思っている。
「世の中の大半、いや殆どすべての戦争はキリスト教のせいだ!」
キリスト教もユダヤ教もイスラムも根は同じである。
そもそも宗教というものが無かったら人間はどれだけ争いの種を少なく出来ただろうか?と考えてしまうのだ。
あー反論は想像がつく!
でもね!
キリストの結婚という一事でさえ十分激しい論争を招き、その結果戦争へという事態だって招きかねない(いや招く)くらいのものだ。
勿論これはキリスト教圏では古くからあった論争の一つではあるらしい。
部外者の私から見れば、もしイエス・キリストがあの世界最古の女性職業を持つマグダラのマリアと結婚していたのだとすれば、それは究極の愛、偏見の無い愛、最高の許しである愛だと思うのだが、ある種のキリスト教徒にはその愛は到底受け入れられないものの様である。
カトリックの坊さん以外は殆どの聖職者が結婚している事を思えば、またキリスト教徒における家庭生活の重みと言う事を考えれば、キリストの結婚は許されて然るべきだと考えるのは当たり前ではなかろうか。
だが実際は、「むしろイエスの結婚こそが人生において偏見の無い無私の手本ともなるだろうに。」などと考えることも許せない宗教者が多いようだ。
ま、その辺はさておき、この物語の人を引きずりこむ点は主人公の二人の組み合わせにも負うところ大である。
全く専門知識の先鋭化ということには限が無い。
暗号専門家の頭脳の中を覗いてみたいものだ。
謎を解くということの中にあるカタルシスは最高だ。
だからこそ謎(暗号)を解くタイプの推理小説は永遠に不滅なのだから。
ポー、コナン・ドイル、ルブラン、クリスティ・・・作品を送り出した推理小説作家は引きもきらない。
その中にあってもキリストの結婚という重大事を主題にすえたこの作品にこの作家の性根の凄さを垣間見ることが出来る。
挑んだハードルは物凄く高かったと思うがそれを見事に飛び越えて、更に最高のエンターテイメントが付け加わっているのだから!
「スリリング」という言葉を思い出した。
子供の頃は本を読んで夢中になると登場人物の様子(顔立ちや姿)をよく想像したものだが、映画好きとなった現在私はよく頭の中で役者さんの配役をする。
この役はあの人に、この役はこの人に・・・。
そうするとその人が立ち上がって私の中で物語が進行していく。
しかし今回は遅れを取った。
図書館で配本順位を待っている間に、映画化が決まり配役も発表されてしまった。
オドレイ・トトウがヒロインなのは分からないでもない。
ごくフランス人らしい女優さんだから。
でも彼女の今までの作品からするとあの知性的な雰囲気にどう迫れるのかなと、ちょっと危惧を抱いてしまう。
何しろ「アメリ」が余りにも印象が強烈だったので。
その分楽しみは大きいと思おう。
さて、トム・ハンクスはどうだろう?・・・微妙・・・?と考えていたら映画館で予告編を見てしまった。
イメージの全然違う彼が居た!
紳士然としておじ様になったトムが!
プライベート・ライアンのトムとも、フォレスト・ガンプのトムともグリーン・マイルのトムとも・・・どのトムとも違った・・・トムが。
正直驚いた。
これだから俳優さんに魅せられる。
映画に魅せられる!といったもんだ!
どうやら彼らの「ダ・ビンチ・コード」楽しみになってきた。
でも見る前に忙しい時に吹っ飛ばして読んでしまった原作をまず読み直したい。
映画で違ったイメージが住みついてしまう前に、私のオリジナル・イメージを作っておきたい。
その価値が十分にある作品だ、これは!

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