「マーゴの新しい夢」(ドリーム・トリロジー1)

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ノーラ・ロバーツ著

完全回復!勿論スティーヴン・キングからの、を狙って探した本です。
何か優しくって、ロマンチックで、乙女チックで・・・私の得意な分野の本をね?
少女っぽい題名の本を次々に探していって「ロマンスの巨匠が女性たちの愛と夢を描いた、3部作第1弾!」というキャッチフレーズに目が釘付け。
「トップモデルが10年後スキャンダルの中で破産・・・再出発は姉妹同然の親友2人と・・・」という補足事項で完璧!と思ったのです。
女3人が親友・・・また難しい設定だなぁとは思ったものの、それが出来ればそれこそ私の望む完全癒し系?じゃないの。
しかも3部作ともなれば楽しみは長―い尾ひれとともにだもの、注文したってなかなかこうは行かないってくらいのものです。
それに私は今までこの作家知りませんでしたけれど「ロマンスの巨匠」です!
ロマンスに巨匠がくっ付いているのですよ・・・と思って見回せば、なんか女性が喜びそうな題の本がずらり!扶桑社海外文庫です。今まで余りなじみはありませんけれど・・・ままよ!
この3部作「マーゴ」のあとは「ケイトが見つけた真実」「ローラが選んだ生き方」と続き、「愛ある裏切り」「悲劇はクリスマスの後に」「海辺の誓い」「珊瑚礁の伝説」それに宝石名をちりばめたシリーズと続いていました。ね?
「巨匠なのに知らなかったとは・・・」と、これを読むことに決めました。
填まれば尽きぬ泉のように作品がありそうですからね。
で、今猛然と腹を立てているところです。
読み始めて「あれっ?女性のシドニー・シェルダン?」って!本当は偉そうに言えません。シェルダンは2作で諦めました。
「タイプじゃない」と早々見際目をつけたのですが、その二の舞でしょうか?
まるで「ハーレクィン・ロマンス」みたいだわ。ジェットコースタータイプ。読み終わった今、作家が「ハーレクィン」の作家だと知りましたから、あながち間違えた結果ではなかったようです。
猛然と腹を立てていると書きましたが作家にではありませんよ、念の為。大方は物語の設定にです。(私って気が小さいから)
「だって、それじゃぁ、なんだって出来るだろ?」ってチョイトむかついています。って、そんなに大上段に言う必要は無いのです。
夢物語にどっぷりつかって面白いなぁ・・・って思えばいいのですし、余計なことに気を廻さなければものすっごく面白く読めたのです。
ただ私が持ち得なかったもの、持ちたいけれど与えられていなかったものふんだんに持たせておいて何が試練だ!何が自己発見だ!って私は猛然とやっかんでいるのです。
どんなに失意に落ちようと、男なら誰でも引き付ける絶世の美貌と肢体と向こうっ気を持っているのですよ。しかも後ろには白馬の美貌の逞しい王子様が居て、その鞍には財閥が仕込んであって、更に後ろには愛情深い理解も深い王様と女王様が付いていて、賢い母もいて、二人も真の親友が居て・・・それでどう不幸を持ちこたえられるって言うのでしょうね?アホくさ!
「好きなだけ甘く足掻けば?!」って言いたくもなるでしょう?
トップモデルがどんなで、大富豪がどんなで・・・って覗き見たい?それならいいかもしれませんね。
それとも素直に女の友情を信じてみたい?それもいいかもしれませんね。
モンゴメリーさんの世界に現代香辛料をまぶしたのがピルチャーさんの世界だとすれば、それに唐辛子興奮剤を振り掛けて「今」味にしたのがこの作品かなぁと途中で思いかけましたが、違いましたね。
愛すべき世界がここには無いのですよ。
プライドの質が?作家の資質が?色々なものがやっぱり違うのではないかなぁ・・・と、思うのですが、さて?
1940年代に育てられた女の子には刺激が強すぎたのだろうって?そうなのかもしれません。
でも、だって、やっぱり、ありえないだろ?
イエイエ、日本人でも凄い富豪層が財産保全、相続税回避のために海外で豪奢に暮らしているらしいですよ。
それに今の日本の女の子も男の子も脚は長く美貌もおさおさ劣ることはありませんし、恋人が、父親が(母親も)「IT長者にならない!」という保証も無いのですから・・・って、嗚呼、ヤッパリやっかんでいるんだな?
「嗚呼」の字を注目してください。ヤッパリ私にはこのくらい遠くあほらしい世界でしたよ。
白状しますが10代の頃こんなん回し読みしてましたわぁ。もうちょっと単純で、もうちょっと刺激の薄い・・・
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顔 FACE

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横山秀夫著

「ローズ・マダー」で傷めた心を回復させるのに選んだのがこれです。
段階的回復術?です。急にロマンチックなものを持ってきても精神的違和感が増すだけ?って言うこじつけです。
これだって特別優しい物語ではありません。ご存知のように横山さんですから。
前に「心理合戦物」と私が名付けた作家のものですからね。これもその一つです。
ステーィヴン・キングの心理物とは違って、ここでは確実に正常な心の合戦が繰り広げられます。
それにこの作品の主人公はちゃんと彼女の世界を堅実に築き上げ、成長してゆきます。これは凄く嬉しいことです。主人公に共感してしかも応援して読めるのですから。
この作家に信頼が置けるのは、又は優れていると思えるのは、向上する、受け入れる、展望ある明るさがあることにです、底の方にですが。地平線上に柔らかい朝日が差し染める頃あいにも似た?

主人公の平野瑞穂さんに最初にお目に掛かったのは「陰の季節」という短編集の中の「黒い線」ででした。その時私は彼女の上役でもある七尾友子さんの方を女を認めたがらない石頭の刑事たちと出世競走の心理合戦を渡り合える女性キャラクターとして「長編の主人公になれる有望な器ではないか?」と、思ったのです。
瑞穂さんの方は似顔絵書きという特殊技能がありますから、面白いアイデアの短編小説にはなるけれど・・・という感じだったのです。「黒い線」での瑞穂さんは警察機構に押しつぶされてしまった感があって、むしろそれをばねに七尾さんが男相手に渡り合っていくというシナリオを想像したのでした。
しかし「顔」で瑞穂さんは立ち上がりました!
だから、私はキングの「ローズ・マダー」の後にもう一度これを読み始めたのです。
だって、瑞穂さんは健気に立ちあがったのですよ。
ちゃんと自分が「成りたい者」「それを夢見ていた自分」を取り戻すべく、着実な足取りで、すっかり退けられてしまったところから・・・まだ、乱れがちな足取りではあっても。
傷ついても、押しつぶされても、それでも自分の行きたい道を歩く姿を、作家はきちんと丁寧に描き上げてゆきます。
「顔」の瑞穂さんは五つの短編集の中で語り継がれる物語で一歩づつ、足取りを確かなものにしていくのです。
「目標を持っている人ほど素晴らしく、強い人は居ないんだなぁ・・・!」と、私は羨ましくも思え、実際に今そういう道を辿っている多くの若者にエールを送りたいような気分になれました。
警察ってそれにしてもなんと話の種の尽きないところなのでしょうね?最近怠慢?を突っ込まれている、不祥事多発警察には女性の活躍場所が山のように?ありそうですよ。区役所の分室なんかに行くと凄く暇そうにあくびをかみ殺しているおじさんとパッタリ目が合っちゃうことがありますが・・・有効利用?して無人の交番に置いてくれないかなぁ・・・なんて思うこともありますが・・・話が逸れましたね。
地(自分の置かれた立場)に足が付いていて、正面切っていて、意志を持っていて、若い人の小気味良さがあって。まだ?私も間に合うかな?なんて思えたりして?いやぁ、慰められました!
瑞穂さん念願の場所に戻れたのですから、今後も見守っていきたいんだけれどなぁ・・・
あっ、ちょっと訓練して、こんな私みたいな暇なおばちゃんを無人交番に漏れなく一人か二人配置するのってどうでしょう、ボランティアで?
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ローズ・マダー

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スティーヴン・キング著

ズーット前から本屋さんの棚に随分な比重を占めているこの作家が気になっていました。
映画が好きな人も大抵は彼の名に馴染んでいますよね。
それなのになんかボタンを掛け違ったように彼の「本」とタイミングが合わなくて・・・。先日やはりめぐり合い損なっていた浅田次郎さんの作品を読んだのを一つのきっかけにスティーヴン・キングの作品を何か読んでみようかな?と思いました。
図書館でズーット見ていたのですが、映像で先に見ちゃったものが多いのです。私は映画も本もホラーとオカルトは苦手です。
「スタンド・バイ・ミー」「ミザリー」「シャイニング」「グリーン・マイル」「ニードフルシングス」「ランゴリアーズ」「IT]・・・などは見てしまっています。「シークレット・ウィンドウ」って言うのも原作は彼だったでしょうか?
半分は後味が悪くて、見ちゃったのを後悔しましたけれど、「スタンド・バイ・ミー」と「グリーン・マイル」は割合に好きでしたから・・・迷いました。
でもよく考えてみればこのどちらもある種の感動はありましたが、本当に気持ちがいいという類の作品ではありませんでしたね。
「グリーン・マイル」のトム・ハンクス演じる看守は死ねないのですよ。死ねないなんて、そんな恐ろしい罰は無いでしょう?夜、布団の中でもし永遠に死が訪れなかったら・・・って考えて御覧なさい。永遠に眠れないのと同じくらい、いやそれ以上に苦痛で恐怖で・・・眠れなくなりますよ?
ところが怖いもの見たさっていう気持ちって、やはりあるんですね。
で、ままよ?と上の映像作品を除いていったら「ローズ・マダー」って言う作品が目に飛び込んできたのです。
全く聞いた事も無い、だから先入観も全く無い作品だったのです。だからこれを選びました。

そしてやはり半分後悔しました、「読み始めて!」
そして「読み終わって」、読んだことを半分後悔しています。
怖くて怖くて目が離せなくなっちゃったんです。だから読み終えてしまったのですけれど。
映画だったら思わず目をつぶるところで、本に喰らい付いちゃったのです。
どうなるんだろう?逃げおおせるのだろうか?と頭はズーット囁き続けて、しかもローズの、ノーマンのそれぞれの心を描写している部分に猛烈にがんじがらめに移入させられて・・・
一体どうしてこんな言葉が、的確すぎて恐ろしい言葉の数々が繰り出せるのだろうかと思いながら一語一語にぐるぐる巻きにされていく感じでした。
ノーマンの頭の中を書き記す部分は濃い印刷になって、ローズの部分とくっきり分けられているのですが、そのノーマンの部分ですっかり参ってしまいました。
男が女を罵り貶める語彙のあきれるほどの多さと、汚さとに嫌悪感、吐き気を催すほどの嫌悪感を感じていました。
ローズの「ローズ・マダー」の絵が動き始める所から「あー、これがキングの世界だ!」と思ったのですが、その辺りで「こんな作品の虜になったら駄目だよ!」という自分の声も聞こえなくなりました。
全く先が読めないのですから、先を先をとただただ読み進みたかったのです。
最近日本のホラーがハリウッドでも通用するとか、あちらに無いタイプの恐怖だとか聞くようですが、私は怖いので「リング」も「螺旋」も読みも見もしていないのですから分からないのですけれど、「なんかヤッパリこれは私のタイプじゃない!」と警告する声を横に夢中になってしまいました。
人間の本質そのものがここではホラーなのです。
そして読み終わった今一番怖いと思っているのは連鎖ということです。
ノーマンは父親の彼への「体と心への暴行」の中で育って、今度は妻への「心と体への暴行」で生きてこられました。だからその対象を失った衝撃が彼を狂気に追い込んだのでしょう?
そして14年もの間夫の「恐怖支配」の中で生きてきたローズは、それから逃げ切ってロージーになれたはずなのに、ようやく訪れた穏やかな日の中で「暴行に走りたい、誰かに報復したい」意識に支配されかけます。
だからこの物語世界には本当の安らぎは一片も、これっぱかしもありません。
あの絵の中に広がる異次元は二人の狂気・異常心理のせめぎあいのリング・戦場なのでしょうか。
どこかおどろおどろしい雰囲気があって、決してただの救いには思えませんでした。
キングの世界は不思議な終末・物語の奥行きを異世界への広がり・で見せましたが、現実世界ではこの連鎖を逃れられない人々の累々たる骸があるのではないかと想像します。
あの「種」を持たない人々はどうやって逃れたらいいのでしょう?どうやって連鎖を断ち切ります?
過去を全く切り離せるのかどうか、いや切り離して生きられるものなのか・・・私は恐怖の堂々巡りの中に浮遊して居ます。
ちなみに、題「ローズ・マダー」は「ローズ・マーダー」ではないのです。赤紫、色の名です
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クィン氏の事件簿

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アガサ・クリスティ著

私の秘蔵のとって置きの大事な1冊をご紹介します。
ムシュー・ポワロとミス・マープルのファンは多いでしょうがハーリ・クィン氏のファンはどのくらいいるのでしょう。
ポワロさんほどじゃないかもしれませんね?
物凄く魅力的な不思議な人なんです。
私は彼とサタースウェイト氏のコンビが大好きです。
先日浅田次郎さんの「天国までの100マイル」で「地上からホンワリ足が離れたような優しい」と書きましたが、これもある意味現在から「ホンワリ足が離れていて優しい。」のです。
時の壁を越えるのです。
過去の事実がハーリ・クィン氏を呼び寄せ、サタースウェイト氏が解決への道筋を辿る、そして新しい人生が生まれるのです。
重大な岐路に立ち、その人に失われた過去が覆いかぶさって、人生を失いそうになっている時、それが鍵です。
過去の真実を見失った人に・・・そう私は思って読みます。
真実はいつも優しい。
真実はいつも正しい。
真実は道を開く。
ハーリ・クィン氏は虹色に輝いて、その光で真実の姿を浮き上がらせます。
そして人生の傍観者・観察者たるサタースウェイト氏に一瞬の舞台が与えられるのです。
そして誰かが新しい未来に進み出ます。
私はその「感じ」に心が揺さぶられます。
サタースウェイト氏の気持ちにふっと寄り添えます。
私は好きな人が舞台に上がるのを舞台の袖で見守っているような気持ちです。
不思議な解決の中に漂うメルヘンとロマンが心地よい酔いを私にくれます。
「あーいいなぁ!」と1篇ごとにため息が漏れます。
そうです。これも短編集です。
「ハーリ・クィンの冒険」が12編収められています。
その最初の「登場」にこの物語の姿が全部現れています。
12の物語が12色の色を纏っているように12通りのドラマの「その時」にハーリ・クィンは現れます。
現れなくても彼を思わせる何かが天啓の様にきらめいて隠されていたものが現れるのですが、私はその一つ一つが独創的で魅力的だなぁと思います。
まるで救いのようなのです。
命や愛が危機に瀕している時に舞台が展開してもたらされる何かの始まりに、サタースウェイト氏と同じ様に心をときめかせます。
そして私はこんなドラマチックな「救い!」が嬉しくてたまりません。
その中には「死」もあります。
「翼の折れた小鳥」は哀れですけれど、サタースウェイト氏と同じに私も「救えませんでした。」という気がするのですが、物語の世界ではやはり不思議なロマンチックさに安らいでしまうのです。
そして、クィン氏が絶壁の果てや世界の果てに歩いていく時、私の心臓はどきどきしてロマンを満喫するのです。
この12編の中で「海から来た男」が特に好きです。
あの短編の中で断崖の家の「シニョーラ」が息子の事を語る場面があります。
その息子の父親を知ることなく別れたのに、「あたしはあの男のことが分かるようになりました・・・彼の子どもを通してね。あの子を通して、私は彼を愛するようになりました。今では彼を愛していますわ・・・・・・・別れてから20年以上も経ってはいるけれど。彼を愛することで私は一人前の女になりました。」というところがあるんです。
ある意味究極の愛ですよね。この愛の為にハーリ・クィンが現れるのですから、震えが来ます。
「そしてこの珠玉というには余りに趣味的に美しいきらめく物語は「ハーリクィンの小道」で閉じられます。
「あなたは人生から、そんなに少ししか学ばなかったのですか?」
別な意味で私はまた震えます。
「しかし私は・・・まだ一度もあなたの道を通ったことがない・・・」
あぁ、私も・・・。しかも私は見えもしない。
私の心は波うったまま閉じられますが、何か輝くものを抱え込んだような気分なのです。

他に「マン島の黄金」という短編集に1篇ハーリ・クィンの短編が収められています。

パール街の少年たち

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モルナール・フェレンツ著

先日ブロードウェイのミュージカルを総集した番組をBSで見ていました。
私は見ては居ないのですが「回転木馬」という有名なミュージカルがあります。
その「回転木馬」の紹介に「戯曲「リリオム」の翻案で、アメリカらしくハッピーにしたものだ。」というのがあったのです。
え、「リリオム」?それで思い出しました。
大好きで大好きで何度読んだか知れない物語をです。
小学生の頃、読むたびにネメチェク・エルネーの為に、ボカ・ヤーノシュの為に、子どもたちの失われた空き地の為に流した涙を。
で、今日書こうと思うのは彼の代表作といわれる「リリオム」ではなくて、私の大好きだった「パール街の少年たち」です。
今でも読まれているのでしょうか?
舞台はハンガリーの「ブタペスト」でした。
今は「ブダペシュト」市というのだそうです。
物語の子どもたちはこの都市のペシュト側・下町に住んでいます。
でもこの遠い国の子どもたちの日常は、その世界は、私の子供の頃の仲間や東京の下町と変わりはありませんでした。
私も彼等と同じに空き地の権利をめぐって隣の町内の子どもたちと戦争をしました。
負けてすごすご帰る日もあれば、勝って意気揚々と日暮れまで遊びほうけた日もありました。
お隣の五つ年上のお兄ちゃんにくっ付いて、二つ年下の弟を引き連れて空き地を走り回りました。
ブタペストのその空き地も、浅草の空き地も同じごく当たり前の子どもの世界でした。
「少年少女文学全集」の中に収められたこの物語で、私は全く私たちと変わらない外国の男の子たちを見つけ出したのです。
ボカはお隣のお兄ちゃんでしたし、ネメチェクの気持ちは私の気持ちでした。
隣の町内の子どもに追われて転んで泣いた私を、お兄ちゃんが引きずって帰ってくれた日の無念な気持ちは、ネメチェクが仲間の旗を奪われた日の屈辱と重なり合いました。
命を懸けてネメチェク・エルネーが守った仲間の旗と空き地はボカが思ったように、子どもらから「奪われる姿をネメチェクは見ないで済んだ!」という無理やりの慰めで終りますが、私はその空き地がNTTのビルになってしまった姿を見なければなりませんでした。
だから、物語の終わりはいつも涙で涙で、文字が見えなくなりました。
東京の子どもの遊び場であんなむき出しの地面はもう無いのでしょうか?
土管がゴロゴロし、電線の芯だった木の筒がゴロゴロしていただけの、時に雑草で姿が埋まるような空き地は?
だからこの物語を読む子はもう居ないのでしょうか?
私にとってのこの「永遠の物語」と、あの何も無い空き地にこだまする子どもの声が今も当たり前にあるといいのに・・・と思わずには居られません。
昨年ハンガリー旅行をするにあたって、ハンガリー・ブタペストといえば「パール街の少年たち」の私は図書館で探してみました。
ちゃんとありました!
図書館で時間を忘れて読みふけった私は、帽子を目深に被って帰らなければなりませんでした。
そして男の子だけではなく女の子のお母さんもこの物語に気が付いて、子供たちに勧めてくれたらいいなぁ・・・と思いました。
町内に子どもが溢れていましたし、その子供等がみんな寄り集まって遊んでいました。
小学6年生から幼稚園の子どもまで一緒でした。
あんなふうに安心して子どもを遊びに出してやれる社会はもう遠い世界なのでしょうか?

ハンガリーは日本と同じに姓・名の順です。
ですから図書館で検索する時は「モルナール」の名か題名で検索してください。
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