ずらり料理上手の台所

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お勝手探検隊マガジンハウス 2007-09-20
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お勝手探検隊編

正直なところこの本が見たいなと思って図書館に予約した時、こんなのが(失礼)百数十人も待つとは夢にも思いませんでした。
人の台所に興味津々な人って結構いるのですね?
「家政婦は見た!」じゃなくとも・・・?
他人様の台所は宝の山です。
時々友人の家になど行くと凄いヒントが降ってくることがあります。
でも、私の平凡極まりない台所は余り他人様のお役にはたたないだろうな・・・と、忸怩たる思いがあります。・・・した!でも、この写真集を見てこれでもいいのだとほっとした思いもあります。
この料理上手と呼ばれている人たちのお料理、食べてみたことはありませんから、その点「はてな?」マークつきですが、お台所は楽しめました。写真も美しくって、センスに溢れていましたから・・・それでカバーされた部分も?
料理上手は台所の整理整頓も上手!と言うのは思い込みだったようです。要はその人が使いやすいか?ということだったのですね。
その点では私の無様な台所も私には使いやすい!と言う1点でそこそこ優秀です?乱雑さも含めて。
何よりどこに何があって何の時はどこから何をサット取り出せるかってことがすべてです?
色々なものが実に様々に見えるところに全部出ている台所もあれば、こんなにコンパクトで本当に料理しているのかな?と思うのまで実に様々なようです。
私も転勤で9軒の家に住みましたから9の台所生活を経験したわけですが、どこも住めば都で?1ヵ月後には使いやすい台所になっていましたね。私の特技は柔軟性?染まりやすい?いい加減?ですか。
でも忘れられない台所が二つあります。
23歳まで過ごした実家の台所と、私が実際設計して作った我が家の台所です。一つは母と並んで過ごした懐かしさの甘いオーラに包まれていますが、後のは売り払った時点で泣きたい位惜しい台所でした!大好きな向日葵色のタイル張りにした出窓が今も惜しくてたまりません。
今の台所はそこそこ憧れの初めての対面式だと言う点で評価していますし、旦那と二人だけの調理をするにはうってつけの狭さが気に入りです。
ただ出窓が・・・ないんですね。これも憧れの譲れないものの一つではあったのですが・・・はずでしたが。もう諦めが付きました。何にでも人は慣れる?
こうして色々な人の台所を見ると、確かに台所はその家の家事担当者を映す鏡なんですね?この本の中にすんごいシステムキッチンなんかがなかった(ひとつ、「みたいの」があったかな)のが嬉しかったな。ぱらぱらめくるたびに楽しくて、図書館に返すのが久々に惜しい本ですよ。

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この黄色、私の作った台所と同じ色なんです!
懐かしい!母の台所とは違うのに、母を思い出させる台所です。

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これも懐かしい感じがするのですが、右の方は東京暮らしではゆめゆめまねてはいけません。地震の時・・・?

カシオペアの丘で

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重松清著

「イヤダナ・・・いやだな・・・厭だな・・・」と頭の中でズーッと思いながら、なんとか読み終えたという感じがしました。
「幼馴染み」というキーワードに背負わされた重さと言ったら・・・
この関係にこれだけの重さを負わせていいのだろうか?いかに濃密な関係だったとしても?
これじゃぁ余りにこの関係がきついじゃないか・・・
幼馴染みのいる全ての人が自分の子供時代を思い出して・・・時間が限られている時に、追い詰められた時に、その思い出から優しさを目いっぱい汲み出そうとしたら・・・んなことはありませんね。
「これは夢物語です。」と念を押して心を宥めてあげたいような気分です。
「時間がいっぱいある」とすら思わないで普段生きています。
気が付かないうちにこの世で私はもう60年をぼんやり過ごしてきてしまいました。
特に誰かに何かを期待しないで(意識しないで)・・・でも普通の通りすがりの、袖摺りあった、友情を感じた、愛情を持った・・・人との間に通う気持ちはそれなりに大事にして。故郷への思いもまた同じです。
でも、期限が切られたら、明日が必ずしも来ないと知ったら、私はとてつもなく周りの人に故郷に期待し、要求し、採り尽くすのかしら?やはりそれにすがって足掻きまくるのかしら?
人は思い出から搾り取るのかしら?そう出来るのかしら?そしてそれは他人まで巻き込めるのかしら?その他人に「幼馴染み」という冠を被せたらなお更に?切れた絆を結びなおしても?そういう時が訪れたら人は自分の過去にしがみつくのかしら?それとも過去のほうから赦さなければいけないこととか、強くならなければいけないこととか、「色々あるでしょう?」などと働きかけをしてくるのかしら?過去は過去でおいておきたいでしょ?しまい込んでおきたいでしょ?違うの?
ミッチョとトシとシュンとユウちゃん・・・その記憶だけで本当は終ったはずのものだよね?でも悲しい事件が起こって、死病が宿って・・・過去は優しさと許しを汲み上げられる井戸になってしまったかのような。
過去にそんなに期待しないで、長く遠ざかり忘れたと思っていた人にそんなに期待しないで・・・と、思っていた私はヒョットするととてつもなく心が淋しい人なのだろうか?なんて厭な気持ちにさせられたりして。既に死んだトシの父母や炭鉱で亡くなった人たちも引きずり出して過去は反芻されつくして・・・そうすると優しさが生まれるのだろうか?私は怖いと思ってしまった。
幼馴染みのあの顔この顔・・・4人が紡いだ幼馴染みの時は、たいていの人にもあるにはあるだろうけれど・・・イヤこれはどうかな?やりすぎじゃないか?やらされすぎじゃないか?
思い出してしまった昔の幾つかの顔にとりあえず心の底で「元気でいてくださいね」と、呟いてみてはみたけど・・・
殺された少女と家族の話を上乗せすせることで生み出した苦しみまで被せてまでも・・・「赦し」?
語り手が変わるたびに語る人がどんどん優しくなって、感傷的になって、人の心を際限なく分かってあげていく?そう思われてしまうことに抵抗がある人はいないの?いてもいいでしょ?
私がシュンだったら・・・今いる周りの人と過ごすことで手一杯かもしれないなぁ。赦したいとか赦されたいとか思うことがないからかなぁ?大きな重い過去がないと優しくなれないのかな?それもイヤだな。心ってガラスの優しさ?本を閉じたら「フラジャイル」と大書してあるかも。
この本を読んで癒された許されたと思う人って多いのだろうか?心が洗われて優しくなれたと思う人って多いのだろうか?そう自分に問うて、多分多いのかもね?と、答える。
人が一人亡くなるということは周りの人にそれだけ重いことだということはよく分かるけれど。普通に成り行きで葬れないものかしら?おーやだ。

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