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重松清著

「イヤダナ・・・いやだな・・・厭だな・・・」と頭の中でズーッと思いながら、なんとか読み終えたという感じがしました。
「幼馴染み」というキーワードに背負わされた重さと言ったら・・・
この関係にこれだけの重さを負わせていいのだろうか?いかに濃密な関係だったとしても?
これじゃぁ余りにこの関係がきついじゃないか・・・
幼馴染みのいる全ての人が自分の子供時代を思い出して・・・時間が限られている時に、追い詰められた時に、その思い出から優しさを目いっぱい汲み出そうとしたら・・・んなことはありませんね。
「これは夢物語です。」と念を押して心を宥めてあげたいような気分です。
「時間がいっぱいある」とすら思わないで普段生きています。
気が付かないうちにこの世で私はもう60年をぼんやり過ごしてきてしまいました。
特に誰かに何かを期待しないで(意識しないで)・・・でも普通の通りすがりの、袖摺りあった、友情を感じた、愛情を持った・・・人との間に通う気持ちはそれなりに大事にして。故郷への思いもまた同じです。
でも、期限が切られたら、明日が必ずしも来ないと知ったら、私はとてつもなく周りの人に故郷に期待し、要求し、採り尽くすのかしら?やはりそれにすがって足掻きまくるのかしら?
人は思い出から搾り取るのかしら?そう出来るのかしら?そしてそれは他人まで巻き込めるのかしら?その他人に「幼馴染み」という冠を被せたらなお更に?切れた絆を結びなおしても?そういう時が訪れたら人は自分の過去にしがみつくのかしら?それとも過去のほうから赦さなければいけないこととか、強くならなければいけないこととか、「色々あるでしょう?」などと働きかけをしてくるのかしら?過去は過去でおいておきたいでしょ?しまい込んでおきたいでしょ?違うの?
ミッチョとトシとシュンとユウちゃん・・・その記憶だけで本当は終ったはずのものだよね?でも悲しい事件が起こって、死病が宿って・・・過去は優しさと許しを汲み上げられる井戸になってしまったかのような。
過去にそんなに期待しないで、長く遠ざかり忘れたと思っていた人にそんなに期待しないで・・・と、思っていた私はヒョットするととてつもなく心が淋しい人なのだろうか?なんて厭な気持ちにさせられたりして。既に死んだトシの父母や炭鉱で亡くなった人たちも引きずり出して過去は反芻されつくして・・・そうすると優しさが生まれるのだろうか?私は怖いと思ってしまった。
幼馴染みのあの顔この顔・・・4人が紡いだ幼馴染みの時は、たいていの人にもあるにはあるだろうけれど・・・イヤこれはどうかな?やりすぎじゃないか?やらされすぎじゃないか?
思い出してしまった昔の幾つかの顔にとりあえず心の底で「元気でいてくださいね」と、呟いてみてはみたけど・・・
殺された少女と家族の話を上乗せすせることで生み出した苦しみまで被せてまでも・・・「赦し」?
語り手が変わるたびに語る人がどんどん優しくなって、感傷的になって、人の心を際限なく分かってあげていく?そう思われてしまうことに抵抗がある人はいないの?いてもいいでしょ?
私がシュンだったら・・・今いる周りの人と過ごすことで手一杯かもしれないなぁ。赦したいとか赦されたいとか思うことがないからかなぁ?大きな重い過去がないと優しくなれないのかな?それもイヤだな。心ってガラスの優しさ?本を閉じたら「フラジャイル」と大書してあるかも。
この本を読んで癒された許されたと思う人って多いのだろうか?心が洗われて優しくなれたと思う人って多いのだろうか?そう自分に問うて、多分多いのかもね?と、答える。
人が一人亡くなるということは周りの人にそれだけ重いことだということはよく分かるけれど。普通に成り行きで葬れないものかしら?おーやだ。