霊験お初捕物控

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宮部みゆき著

この間「日暮らし」を書いた時に軽口で「霊験お初より嘘っぽいよ~!」なんて書いてしまったから、ちょっと気になって、お初の事を書こうかなぁ?

日暮らし

「嘘っぽい!」といってしまっては全くあの作品群を楽しむ意味がなくなってしまうような気がするので。
私は第六感の鋭いたちではないし、ましてや第3の目も余分な耳も持ち合わせていない。
金縛りにあったことも無ければ、事故現場でいやな風に吹かれたこともないし、背後霊が見えたことも無い。
と言うわけでつまらないことこの上も無い人間だが、聞くもの見るもの読むもの何でも楽しもうと言う欲だけは長けている。
というわけで、このシリーズは根岸肥前守的素質を持つ読者に「おお、おおっ!」と頷かせてくれる霊能話が見事な作品たちなのだ。

私が読んだ「お初もの」は「かまいたち」に収録された中篇の「迷い鳩」と「騒ぐ刀」長編の「震える岩」と「天狗風」だが、その後このシリーズの作品が出ているかどうかは知らない。
願わくばお初がまた一つ、また一つと年を取っていったなら、その能力がどう変わっていくのかも知りたいところだ。それはお初の人格をも左右することになるだろうから、「う~ん、この先は難しいかも・・・」とも思ってはいるのだが。
最初に読んだ中篇では、私は面白い着目と展開だと思って読み、宮部さんは「超能力の人の物語を創造するのに超能力があるんだなぁ。」とえらく感心した。
彼女は並々ならぬ好奇心をある種の才能に抱いているのだなぁと。
漠然とだが私はこう思っているところがある。
「神は与えたものを何十倍にして要求する。」
だからいわゆる神に多くを与えられた人は多すぎる返済に押しつぶされるか、最高の仕事をして身を削り早死にするかだ。
ゴッホのように?
ほんの少し人より多く与えられた人で職人気質の人は、自分を磨き上げていく楽しさで長生きできる。
そして残りの大多数の命だけ与えられた人間がまぁ普通に生きる。
怠惰な人間の言い訳!にすぎないか。へへへ。
というわけで、多くを与えられすぎたお初さんはその能力を発揮する度に悲劇に直面するわけで、それを食い止め解決しようと努力すればするほど恐ろしい命を削るような力が要るわけで・・・多くの作品を結実するのは難しい・・・?なんて作者の術中にはまり込んでいるわけです。

この四作品の中では「震える岩」に一番の時代小説の醍醐味を感じる。宮部さんの秀逸な時代感覚が生きていて、謎解きの妙と時代小説を読む歓びがわくわくと煽り立てられるようで読みふけってしまった。
だが、お初がお初に付与された超能力者という性格を一番発揮できている物語的な醍醐味は「天狗風」の方にあるような気がする。
女のどろどろした怨念は目をそらしたいようなものだが、親子・姉妹の目に見えぬ葛藤はどの時代にもあるもので、その誰にも普遍なものを足場に阿片密売などの捕物帳要素がてんこ盛りの大サービスで一気に読ませてもらった。
四作品ともじつに面白いのだ!
お初の能力が無ければ成り立たない物語を、だから「嘘っぽい」などと言ってしまっては本を読む楽しさもなくなってしまうんですぞ!
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スペシャル エディション ナルニア国物語

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これは本の内容について書こうというのではありません。
本は本でも文字通り「本」そのもののお薦めです。
何が「スペシャル」で、どう「エディッション」なんだろう?
図書館の「検索」でたまたま見つけて借りてみてびっくりしました。

「スペシャル エディション ナルニア国物語」
C・S・ルイス作 ポーリン・ベインズ絵 瀬田貞ニ訳
岩波書店
です。
(7600円+税)という豪華本です。

まず重い!
私は子供向けの7冊からなる軽い!本で1冊ずつ読みましたから、
色付きの挿絵のものではありませんでしたし、この物語が1冊になってしかも美しくて想像力にピッシィッ!と、はまる絵入り本を見たのは初めてでした。
読むのも大変!
イギリスの貴族の館の図書館になら必ず置いてありそうながっちりした美しい書見台が是非にも欲しいところです。
これを支えて読み続けるには根気の他に腕力が要ります。
だから絶対これは子ども向けの本ではありません。
でも、全然違いました!
この本で読み直してみたら、まるで物語が違うような気がし始めてしまいました。
ええ、全く!
1冊づつ読んだときには感じ取れなかった壮大な枠組みとより大きなスリルと感動が本からあふれ出てくるようでした。
これは昔思っていたよりも凄い!物語なんだということがズンズン胸に響いてくるようなんです。

この物語は少なくとも読む本を選ぶべきだったんだっってことが今更に分かりました。
この物語への愛情がずうっと大きくなりそうです。
「ナルニア国物語」を初めて読むんだったら、是非この本で取り付いてもらいたいものです。
「ナルニア国物語」は子どものための想像力に溢れた楽しいSFチックな冒険お伽噺だけでは無いんです。
この物語の冒頭で「世界の創造」がされるんですけれども、1冊づつ読むとただ「そこから物語りは始まったんだ!」に過ぎないのに、この大きな本で読み始めると、創造の感動が全編を通じて心に鳴り響き続けているようなのです。
そして作品の気持ちをぴったり鼓舞してくれるような挿絵がまた心に響くのです。
と言っても、ちょっとこの本は買えそうも無いんですけれど。
高い?ええ、勿論!
それに我が家にはこの本を立てておける高さの書棚が今は無いんですよ。
こんな時にはヤッパリ図書館を利用しましょう?

日暮らし

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宮部みゆき著

本当なら「ぼんくら」を先に書くべきだなぁと思いつつ、今読み終わったばかりだから、フレッシュなうちに・・・。
「ぼんくら」は読み終わったからと父が置いて帰った。
好きな宮部さんの作品だから直ぐ飛びついて読んでしまった。
一気に読んで面白かったんだけれど、ちょっとこう思ったのだ。
「宮部さん、一息入れて遊んだな?肩の力抜きまくって、思いっきり気楽に楽しんで書いたんだな。」
だから?読む方も思いっきり楽しくすっ飛ばして読んでしまったけれど、ちょっとそれきりっていう感じだったかな。
それに人物造形が今ひとつなりきっていないと言うか「余りにも作り物っぽいや!」って言う気がして。
主人公の「ぼんくら」さんも登場人物も皆面白かったのは確か!
でも途中「おい、黒豆さんはあれっきりかい?」とか「うへぇ、霊験お初より嘘っぽいよ!こんなのいるわけ無いでしょが!」とか突っ込みながら読んだのも確か!
(でも霊験お初は大好きです!念の為)
だから、「日暮らし」が出た時、狭い我が家にまた蔵書が増えるのもなぁ・・・なんて思って、図書館に予約したのだ。
それがナント!今の図書館は凄いよ。
「260人待ち」なんて、出るんだから。
私みたいなファンが多いのかしら?ゴメンナサイ、宮部先生!
そして、忘れた頃に図書館からメールのお知らせ。

貰ってきた日に「ぼんくら」よりモット一息に、寝ないで読み上げてしまった!と言うわけ。
待っている間に頭の中で彼らがお酒のようにまろやかに成熟していたのかなぁ?
今度はすっきり飲み込んで突っ込みいれる間もなく楽しんでしまった。
実際作品そのものも熟成していたんじゃないだろうか。
宮部さんの頭の中で一人一人の個性も物語も。
「いやぁ、人物がなんとも皆いいねぇ!」って言うのが今回の合いの手!
あの長屋顛末記の後日談としても。
エピソードそのものにはちゃんと毒も凄みも悪気もあるのに読後がまろやかなのは人物の良さもあるけど、締めくくりのハッピーエンドもあるけれど、文体の・会話のお遊びもあるからだねぇ。
こっちも主人公の性格があやふや(ぼんくら読んだ段階ではね)なりに持ち味が飲み込めて物語の顛末をじっくり味わう「下地が熟成されていた!」みたいなんだ。
こんな旦那と一族郎党各町内に一揃い欲しいなぁ!
おでこや馬面はそこらで見られそうだけど、でも弓乃助に会ったら・・・全部お見通し?
そりゃちと剣呑・・・わたしゃすたこら・・・だわさ。
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アルト・ハイデルベルク

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マイヤー・フェルスター著

今月末にドイツ・ロマンチック街道の旅をすることになった。
フランクフルトから入って、ラインの旅とロマンチック街道をゆっくり辿り、
ミュンヘンから北上してハイデルベルクで締めの2泊をして帰るという旅だ。
ハイデルベルクと言う文字を見た瞬間に思い出したのが「アルト・ハイデルベルク」
ベルリンを通るなら絶対ケストナーの本を読み返すところだけれど
(だって、私はドイツ!ときたらケストナー!だもの)、ハイデルベルクと言ったらこれ!
そう思って直ぐに観光案内より先に読み始めたのだけれど、
借り出した図書館の本は実に古びていて懐かしい小さな文字の1990年の岩波文庫。
ひょっとして、もう絶版?
そういえば上演されることも無いようだ。
私たちの世代はこの本の題名だけは耳にしたことがあるだろうけれど、
今の若い人たちはもう読むことも無いのかもしれないなぁ。
本当に何十年ぶりかの再会で、物語の静かな悲哀の中を漂いながらつらつらと思ってしまった。
この物語は悲恋物語として頭に残っていたけれど、実はそういうものでも無かったのだと。
ドラマらしいドラマ、物語らしい物語、ロマンスらしいロマンスは
今この時代から見るとこの戯曲の中には無いのだと。
彼は「ハイデルベルクへの憧れは君(ケイティ)への憧れだった!」と信じているのかもしれないが、
彼の真の憧れはハイデルベルグの学生生活が象徴する自由への憧れだったのだと思う。
カール・ハインリッヒの失ったものはケイティではなくて、青春そのものでもなくて、
ハイデルベルグが象徴する自由だったのだと。
私は青春の恋だとずうっと思っていたけれど、彼の先生自身もずうっと恋がれ、カール・ハインリッヒに植えつけたものは青春時代に一番輝く自由なんだと。
失ったものが青春の恋ならば、時が癒してくれる。
しかし彼の失った自由はどんな時も癒せはしない。
だから、カール・ハインリッヒはあんなにも惨めであんなにも悲しい像として心に残ったのだ。
現在はある意味自由に満ち満ちているから、この物語はもう読まれることは無いのかもしれない。
それでもこの本の中に漂う悲哀は十分に私の旅心を刺激してくれた。

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