親指のうずき

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アガサ・クリスティー著

クリスティの作品を書くならやっぱりまずはクイン氏だと思っていましたから、それを既に書いてしまっていて「良かった!」と思っています。なぜなら今から書くこの小説はクリスティの作品の中では特に好きとはいえないからです。
クリスティの作品を書くならなら勿論ポワロさんを、ついでミス・マープルをと思いますもの。
でも、先日映画館で「親指のうずき」の映画を予告編で見ちゃったものですから、まぁ、「これも書いてみるか!」ってところです。
映画では「アガサ・クリスティの奥様は名探偵」という邦題のようです。しかもなんとイギリス映画ですらないんですよ、これが。なんとフランス映画なんです。俳優も監督もフランス人。
何で?って思っちゃいますよね。
ところが私が同じクリスティ・ファンにしてしまった友人が「絶対封切られたら見に行こうね。」って言うんです。
だから読み返しておこうかな・・・です。
正直私はトミーとタッペンスのファンではないのです。
シリーズ4作があるのは知っていましたけれど、私がこのシリーズを読んでいた頃には未だ5作目は翻訳されていなかったのでしょうか。今回5作目がある事を知りました。シリーズ全5作です。
1作ごとに二人は円熟し、年とって老いていきます。この作品のファンにはそこがいいのかもしれません。
そして映画の原作になったのは4作目。既にこの夫婦は二人の子どもを育て上げて初老と言われています。
初老って!私と同じ年頃じゃないですか・・・それが初老?
この夫婦探偵は余り好きになれなかったので、1度それもかなり昔に読んだきり読み返したことは無かったので、内容は殆ど覚えていませんでした。
読み返したので、何でこのシリーズにのめり込めなかったか考えているのですけれど・・・テンポでしょうか?
いえ、テンポならミス・マープルだってどちらかと言えばのんびりしていますよね。
推理と言う点で甘いのでしょうか?うーん、彼らはどちらかと言うと諜報員ですからね。そういうことかもしれません。
私は多分ポワロさんにのめり込んだように彼らを好きにならなかったというだけのことかもしれません。
それでもこの「親指のうずき」は今回面白く読めました。
発端がのんびりしているので(英国式お茶の時間的な?)、集中力が途切れるような感じで一気に読みたくなるというほどサスペンスがあるわけではありませんが、老いても?このおてんばのタッペンスの向こう見ずには惹かれました。
好奇心を失っては駄目ですね・・・心しなくちゃ!(でもタッペンスがポカッとやられるのは好奇心は慎みなさいって言う警告?)
物語は発端が冗長だったからか結末も一寸踏ん切りが悪い感じがするのですが、それは二つの時を隔てた犯罪が交差する部分で妙なあいまいさがあるからかもしれません。
だって、結局頭脳犯罪集団を検挙できるだけの証拠が集められたかどうか私には疑問なんですもの。
エクルズ捕まえられますかね?
子供殺しの犯人はとってもはっきりしましたけれど。
多分この夫婦探偵のファンになった方たちは、この二人の阿吽の呼吸に惹かれたんでしょうね。なんとも羨ましいお互いの息の合い方なんですもの。タッペンスが臆面も無く最高の夫で幸せだって言っていたじゃないですか。きっと私は羨ましくて反発したのかも・・・おほほ。我が家には我儘な?トミーと好奇心旺盛な!タッペンスも居ることですし・・・そこそこ年も取ったので?今度は私も彼らを好きになれるかもしれません。他のトミーとタッペンスも読み返してみましょう。
「秘密機関」
「おしどり探偵」(「二人で探偵を」)
「NかMか」
「親指のうずき」
「運命の裏木戸」
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アーサー王物語

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この本の事を書くに当たっては著者の名を特定する必要は無いと思います。
小学生の頃読んだのは岩波の少年少女文学全集に入っていたもので、今のかすかな記憶ではトマス・マロリーの著作を子供向けに翻案したものではなかったかと思うのですが・・・?
その後ブルフィンチの著作とトマス・マロリーの著作を読んだのでした。
アーサー王の物語は伝承文学の一つでばらばらに伝わったものを拾い集めてまとめた最初のがマロリーの本だったと読んだように記憶しています。
だから、本屋さんで見つけた誰の著作でもいいから手に取られる事をお薦めしたいなぁと思うのです。
いっぱいでています。
取りあえずは!

今何故この本について書こうと思ったかというと、先日新聞の書評欄で「アーサー王宮廷物語」ひかわ玲子著というのを見つけたからです。

「アーサー王宮廷物語」 ひかわ玲子著

見つけたからには・・・というわけで早速図書館へ。
早い話?これはそうですねぇ、NHKが先年放映した「ミス・マープルとポワロ」の漫画バージョン(ちょっとがっかりでしたねぇ、私的?には~作品の香りが水っぽくなっちゃったようで)とか、アレクサンドル・デュマの「王妃の首飾り」やシュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を下敷きにした池田理代子さんの「ベルサイユのばら」(これはオリジナルの部分が素晴らしいアイデアで素敵な作品になりましたねぇ)を思い出してしまうような感じといったら分かるでしょうか?
ひかわさんが独自に作り上げた魔法を使える双子のキャラクターを生かして、とても分かりやすい読み物になっていました。
多分沢山の方が例えばオペラの「パルシファル」とか「トリスタンとイソルデ」とかで、「赤毛のアン」が友達とした危機一髪の「シャーロットの姫エレーン」ごっこで、映画の「エクスカリバー」や近いところでは「キング・アーサー」「トリスタンとイソルデ」などで部分的に知識があるのではないかと思いますが、それがほぼ系統的に網羅されていましたし。
以前に外国の作品を読むなら是非読んでおくと役に立つものとして「ギリシャ神話」と「聖書」を挙げたことがありますが、この物語もそうなんです。
今話題の「ダ・ビンチ・コード」にも聖杯が出てきますね。
パルシファルと円卓の騎士たちの聖杯探索の冒険物語を読んでいれば、また違った楽しみと理解が「ダ・ビンチ・コード」からも得られます。
「ロビン・フッド」物とか「アイバンホー」とかイギリスの色々な冒険小説にも関連があったのじゃなかったかしら?
「インディ・ジョーンズ」にも聖杯を探す作品がありました。
そうじゃなくても「アーサー王の誕生からその死(アヴァロンでの長い眠り)」までの物語の中にちりばめられた多くのロマンスと冒険は絶対わくわくさせてくれます。
読めば好きな騎士が必ず出来ますって!請合いますよ。
私も子供の頃に心の中にある騎士を抱いてしまったので、この年になっても王子様(円卓の騎士には王子が多いんです)・「私の騎士」待望論者?なんです・・・トホホ。
そして何時かはケルトの地を踏み、ティンタジェル城を見るんだ!!!と、思っています。
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アルト・ハイデルベルク

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マイヤー・フェルスター著

今月末にドイツ・ロマンチック街道の旅をすることになった。
フランクフルトから入って、ラインの旅とロマンチック街道をゆっくり辿り、
ミュンヘンから北上してハイデルベルクで締めの2泊をして帰るという旅だ。
ハイデルベルクと言う文字を見た瞬間に思い出したのが「アルト・ハイデルベルク」
ベルリンを通るなら絶対ケストナーの本を読み返すところだけれど
(だって、私はドイツ!ときたらケストナー!だもの)、ハイデルベルクと言ったらこれ!
そう思って直ぐに観光案内より先に読み始めたのだけれど、
借り出した図書館の本は実に古びていて懐かしい小さな文字の1990年の岩波文庫。
ひょっとして、もう絶版?
そういえば上演されることも無いようだ。
私たちの世代はこの本の題名だけは耳にしたことがあるだろうけれど、
今の若い人たちはもう読むことも無いのかもしれないなぁ。
本当に何十年ぶりかの再会で、物語の静かな悲哀の中を漂いながらつらつらと思ってしまった。
この物語は悲恋物語として頭に残っていたけれど、実はそういうものでも無かったのだと。
ドラマらしいドラマ、物語らしい物語、ロマンスらしいロマンスは
今この時代から見るとこの戯曲の中には無いのだと。
彼は「ハイデルベルクへの憧れは君(ケイティ)への憧れだった!」と信じているのかもしれないが、
彼の真の憧れはハイデルベルグの学生生活が象徴する自由への憧れだったのだと思う。
カール・ハインリッヒの失ったものはケイティではなくて、青春そのものでもなくて、
ハイデルベルグが象徴する自由だったのだと。
私は青春の恋だとずうっと思っていたけれど、彼の先生自身もずうっと恋がれ、カール・ハインリッヒに植えつけたものは青春時代に一番輝く自由なんだと。
失ったものが青春の恋ならば、時が癒してくれる。
しかし彼の失った自由はどんな時も癒せはしない。
だから、カール・ハインリッヒはあんなにも惨めであんなにも悲しい像として心に残ったのだ。
現在はある意味自由に満ち満ちているから、この物語はもう読まれることは無いのかもしれない。
それでもこの本の中に漂う悲哀は十分に私の旅心を刺激してくれた。

オリバー・ツィスト

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作 チャールズ・ディケンズ

「映画が来る!」
というので、それもあのロマンスキー監督の作品として。
しかも80億円という制作費の殆どが当時のロンドン再現の為に費やされたと聞けば、読み返したくなるのも当然?
何しろ前回読んだのは40年以上も昔のことなのだから、もう殆ど覚えていない。
覚えているのは「孤児が泥棒家業の末、優しい人に引き取られて幸せになったという簡単すぎるあらすじとなって!」である。
その再現された当時のロンドンというものだけでも見る価値はある。
しかし昔読んだ人間としてはやはりここはディケンズ氏に敬意を表して再読しておくべきだろう。
というわけで早速図書館に行ってみれば、なんとちゃんと書架に「オリバー」は鎮座ましましていた。
「ナルニア国物語」が図書館で予約(したのは映画館で予告編を始めてみた半年以上も前である)してから未だに届かないというのに、これはどうしたことだろう?
最も読み始めた3行でもう既に回答は私の中では出ていた。
今時好まれる簡易な始まりではないのだ。
物語はいかにも持って回った小難しいひねくれた表現から始まっているのだ。
しかしである。
「とにかく読み進んでください!」
と、私は言いたい。
物語の流れに飛び乗ってしまうと、そこには波乱万丈の少年の人生が本当に様々な悪人善人の仲に繰り広げられているのである。
果たしてこの物語の主人公はこの少年だったのだろうか?という気持ちが最後には浮かび上がってくるかもしれない。
社会の底の底、ロンドンの下層階級、それも実に劣悪な環境の中を這いずり回っている多くの悪人たちの生き生きとした描写は、このおとなしく美しい顔に生まれついた少年の可憐な哀れさを押しのけて勢いがあるのである。
人間の性は生まれながらに決まっていると作家は思っていたのだろうか?
あの環境で、生まれて、育って、小突きまわされて、なおかつ清純な気質と愛情豊かだった親の気質を捻じ曲げられずに人は育つことが果たして出来るのだろうか?
それがとても疑問に思えるぐらい、フェイギンとその一党は紛れも無く本の中で生きているのである。
あの影響力を受けないであの幼い少年が生き延びていけるのは信じがたい。
しかしその一点でまた読む者は心打たれてしまうのである。
ああでありたい!
ああなんと健気なことか!
なんと善良で哀れみに満ちた人々が一方には居ることか!
人の世の善に心打たれもするのである。
だからお読みください。
色々なことが今読んでも古くはなく、人の一面を余すところなく表現しきっている見事さに、作者の技量の凄さを感じ取れるはずですから。
心をこんなにも動かしてくれる作品はそうはないのですから。

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