用心棒日月抄

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藤沢周平著

先日新聞の広告に「藤沢周平さんの世界」を作品ごとに地図や資料を載せた小雑誌が発行されるという広告が入っていました。
全部で30冊ほどになるのだったかしら?
藤沢さんの人気は凄い!と、改めて感心しました。
私も読みながら海坂藩の地図作ってみようかなぁ・・・と、漠然とですが考えた事があるくらいです。
藩主の家系図とかもできるんじゃないかなぁ、なんて。
やっぱり、やるよねぇ・・・ファンは!またはそれで商売できると思う人いるわよねぇ・・・!
実際いっぱい出ていますよ。でも又出るようです、それもシリーズで!
私は攻略本の類は買わない主義です。それって一種の攻略本でしょ?それなのになぜか購買申し込んじゃったんですねぇ・・・なんでだろう?
最初が「用人棒・・・」だったからかなぁ。*訂正「蝉しぐれ」が1号、用心棒は2号でした。
青江又八郎と出会ったとき、私は凄く嬉しかったのです。
その後、神名平四郎とか立花登とか伊之助とか魅力的な主人公何人にも出会いましたが、その中で最初に出会ったのが彼だったから特別な思いいれがあるのです。
周平さんは本当に沢山の魅力的な人物を生みだしたと感嘆し、そこから得られた沢山の楽しみに物凄く感謝しています。私の老後の?とっときのお楽しみのつもりです。
これまでどれだけ楽しませてもらったことでしょう。
青江さんはそれまで幾つか読んだ短編の主人公たちとは違って貧乏にいつも鼻面を引き回されていましたけれど、又危険に付き纏われていましたけれど、底に流れる明るさと逞しさは庶民のものでした・・・という気がしませんか?
それくらい地に付いていて生活があって敏くて気も心も回って・・・機転が利くと言えばいいんだ・・・一つ一つの挿話の解決が痛快で心温まる何かがあって・・・重層になったモチーフがしっかりしていて、いやぁーなんて素晴らしい小説だろうとすっかりファンになってしまいました。
だからこれ1冊で終らないで続きがあると分かった時は狂喜乱舞!でした。
だって、この話はこの1巻で実に見事に完結していたんですから。
「えー、どういう風に続けたんだろう?」でした。
で、正直に言っちゃうと、私の中で青江さんはこの1冊で終わりにするぞ!絶対終ったんだぞ!2・3巻は無かったんだぞ!と、言い聞かせています。4巻は読むのをためらったままです。
凄く惜しいのは1つ1つの「用心棒挿話」だけは残しておきたいという誘惑がそれでも私の心をつかんで離さないんです。
問題はこれが現代の単身赴任サラリーマンの話に置き換えられるような気がするからです。
そして私が付いてゆきたいのに付いていけない妻だという気がすることです。
ここで引っかかっちゃうんです。
由亀さんの事を考えちゃうんです。だから「日月抄」は良いのです。結ばれる望みは儚かったのですから、私は祈って読んでいればよかったんですからね。
でもその後は?彼女はおばばさまに仕え、留守を守り、夫を案じて日夜無事の帰還を待ちかねて、寂しさに耐えているわけです。
男は外へ出れば、同僚も仕事先もあり人との出会いも多い・・・危険もあるけれど絶対家にいるより生きがいがあるよ!
一緒に心を通わせて仕事をする人は多いでしょう・・・だからここで許せないんですね。夜鷹のおさきさんの挿話は許せますよ、なんとか。
でも、佐知さんはいけません!心を通わせる状況なのは百も承知でいやです。どうしてもいやです。心が通っているからいやです。
由亀さんはただでさえ不安の中に居続けて、健気に耐えているのに・・・やっぱり駄目です。
といって、佐知さんに文句はありません。
有能なこと、いじらしいこと、女性らしい全てのしぐさ、行動力、全く文句なしです。だからいけません。
由亀さん太刀打ちできないじゃありませんか、遠く離れて対抗する術無いんですもの。
それなのに3巻は酷に過ぎます。時代小説というより手馴れた男性読者向けの剣豪小説風?になっていくようで。
というわけで折角続きがあるにもかかわらず青江さんは「用心棒日月抄」で私の中では終わりなんです。
でもその1冊は大事な1冊なのです。
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孤宿の人

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宮部みゆき著

先日、「狩人と犬 最後の旅」という映画を見てきました。
読みながら度々アラスカ、カナディアンロッキーの北のはずれ辺りの広大な美しかった景色を思い出していました。この物語もとても景色描写が多いのです。
宮部さんの後書きに「讃岐丸亀をモデルに」と、書かれていて、その海と空と山の様子が繰り返し繰り返し描写されていました。
それが又如何にも日本の海と山と空らしく・・・実際行ったことはありませんが、丸亀辺りの小さな漁港と湾がちんまりと目に浮かぶようでした。
全く違うでしょう?なのに、その二つの自然の(多様な?)有り方をなんとなく、そうですねぇ、感嘆の思いで心の中で対照させていたのです。どこまで行っても自然と人は切り離せない!
自然もそれと向き合う人の姿勢もこんなにも違うのに、でもどこか相通じるような・・・生活から学び取って伝えられる智恵に同じような匂いがあるからでしょうか?
昔から人は生活の必要から天候の転変を知る知識を蓄え、伝えてきたのです(うさぎが飛ぶと半日と経たないで大風と雨が来るみたいに)、そこが私にあの映画を思い出させたのかもしれません。
「この自然の中にはこの人々!」でしょうか。
それにしても天候の変化の描写が・特に雷の表現がこの物語に迫力を与えていました。
主役の一つだったと言ってもいいでしょう?
あの映画は「最後の旅」にはならないのじゃないか・・・という希望?があって、心が楽になりましたが、この物語は完結しましたがどっかり重石をのせられたような後味が違いました。
やはり先日書いた「あやし」と同じ世界だと言ってもいいでしょう。
あのイメージを膨らまして長編が生まれ出たのじゃないでしょうか?「畏れ」の世界だと思いました。
「加賀様」が象徴する「鬼・異形の者・怨霊・祟り・・・」など・遠方から来る見知らぬ怖いもの全てとその地に根ざした畏れ敬われる怖いもの全てのぶつかり合いから生じる混乱!
その恐怖に心が絡み取られる昔からの人の変わらぬ世界がこの物語世界です。
阿呆の「ほう」という名をつけられた少女と、ウサギのようにはしこい目と体を持った「宇佐」という少女の二人語りの体裁で丸海藩の「その夏」が語られ、彼女等も翻弄され・・・成長し役目を果たし終えます。それでも未来は定かではありません。
人の世はひとつ事が過ぎても簡単には明るくはなりませんから。
自然の中で「素朴に生きる」ということはある意味「頑固頑迷、流言飛語に弱い、迷信に付き纏われる」ということと、この場合同義語です。
その意味では今も大差ないのがこの世でしょう。何か大災害があったら1番怖いのは火事?2番目は流言飛語、間違った情報ですよね。
ん?反対かな?
「加賀様」の情報不足または過多が招いたともいえますが、「加賀様」自体が闇そのもの鵺のようなものですものね。
「何が正しくて何が確かか」極める目を持った者はどのくらいいるのでしょう?
正しい情報がどれだけ大切か・・・いや正しければそれで済むのか?今も昔も難しい問題ですよねぇ、とため息が出ます。
それにしても理不尽なこの物語世界にも「ほう」が「方」になり「宝」になっていくその過程で光が射したようです。
「宇佐も殺す必要は無かったじゃないの!」と腹をたてながら、終わりの数ページ涙を止められませんでした。
本当に「あやし」と同じで「いやったらしい話だよ!」と思う気持ちの一方で「聡過ぎない」生き方が一番心を打つのかもと、「ほう」の周りに居た優しかった人の心を懐かしんでもいます。
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ゲド戦記Ⅰ影との戦い・ゲド戦記Ⅱこわれた腕輪

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ル・グウィン著

原語で読んだわけではないので・・・こんなこと言うと妙におかしいな!と、自分でも思いますけれど、この乾いた、淡々とした文章、妙にいいですねぇ。これは翻訳者の手柄なのでしょうか?
それとも原文が素直な分かりやすい文章なのでしょうか。
対象が小・中学生だとしたらそうかもしれませんね。
でも実際読んでみると私(大人のつもりだけど)も得るところもあり楽しく読めました。
年代記って感じでした。
ゲドが成長し老いてゆく一生の物語らしいです。
しかも波乱万丈のはずの物語です。それなのにこの静かな語り口はどうでしょう!
読む私も気持ちのはやりにせかされることなく偉人の生涯を読むように読んでいましたね、振り返ってみれば。
「指輪物語」のような壮大さとも違い、「ナルニア国物語」のようなファンタスティックとも違い、でも不思議な魔法を感じさせてくれましたよ。
丁度太古の物語を淡々とした語りで聞くような品位を感じました。
何気ないけれど凄い科白がいっぱいちりばめられていて、ある意味「人生を深遠に・だけど簡単な言葉で語っているぞ!」っていう感じです。
「自分がしなければならないことは、しでかした事を取り消すことではなく、手を付けた事をやり遂げることだった。」どうです?
当たり前すぎるって?それではこれはどうです?
「ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。全てをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。」何か感じない?
ユックリ読んでいくとどこかに今の自分の指針になるものが隠れているような気がして、じっくり読んでいきましたが、それでも(その意味で)読み落とした大事なフレーズがあるのではないかとドキドキしました。
どの年齢層の人でも、多分自分が必要とする、またはハット閃く何かを見出せる羅針盤のような物語だと思いました。
どの偉人よりも何かを与えてくれる偉人伝でしたね。それに不思議な旅行記でもあってね。
ふうわんと嬉しい気持ちに支配されて本を閉じました。
その意味では「Ⅱ」もそうでした。
最も図書館から最初に「Ⅱ」が届いちゃったので、サッパリ何を書きたいのか読ませたいのか「?」だけだったんです。「Ⅰ」を読んで納得!
この本は「Ⅰ」から読むのがお薦めです!って?大体「Ⅱ」から読む人なんて普通居ませんよね。
図書館さんももう少しお利口なシステムお願いしますよ!
ゲドはこの作品では触媒です。
テナーが自分に目覚めていき進路を選び取る物語でした。
テナーはゲドに会うことである意味で生き始めたのですから。やはり「Ⅱ」もゲドの歴史物語の1部でもあるのでしょう。
本当は全部読み終えてから書くべきだと思いましたが、この先はまだ暫く来ないと思われるので、とりあえずです。「Ⅲ」が届くのをワクワクしながら待っているのです。
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あやし

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宮部みゆき 著

さてさて、妙なめぐり合いで読んでしまいました。
一寸前になりますが、浅田次郎さんの作品を2冊読んで、又何か読もうかな?と思ったら、グッドタイミングで新聞に広告が。
浅田次郎著「あやし、うらめし、あなかなし」明日発売!
この題、ぐっと来るじゃありませんか?
私の心の琴線をキンとかき鳴らしましたね。
字づらも、響きも、平安朝っぽさも、・・・読みたい・・・読むべし!
で、即、図書館検索。ヒット無し。
あらら・・・まだ発売されていないから?予約は行かなくちゃならないのかな?と、思いながら発売翌日・・・申し込みできました・・・500人目!「?」えええっ?
改めて浅田さんの人気の実力?の程を知りましたねぇ。
でもその代わりに「あやし」で検索に引っかかったのが宮部さんのこの本でした。
「あやし」・・・うーん、時代小説っぽい!時代小説だ、時代物に間違いない!
それも、お初ものに近い感じ?本所・幻色系?と言うわけで、読む本が途切れた数日前に申し込みまして、違う分室にあったので届くのに2日かかりましたが、時代小説に間違いはありませんでした。
それも実に怪しい「あやし」でした。
正直読むんじゃなかったなぁ・・・と、思いながら読んでいました。
今までの宮部さんの本の中では一番「毒っぽい?」と言いますか、私的には「不」とか「非」とかの漢字を使って表現したいって感じでした。
この本の感想に適したキーワードを並べよ!と、言われたらもう素直に「恐い」「怖い」「畏い」「懼い」に次いで「不気味」「嫌」「不気味」「嫌」。
ですが、日本の昔ってこういうものに満ちていたのかも・・・なんて、読み終わったら思っていました。
なんか、奈良時代ぐらいからこっち・・・「怨霊」跳梁していたじゃないですか?最近は聞きませんけれどね。
勿論この物語に出てくる何者かは怨霊なんて恐れ多い尊いものではありませんが。
長く使っていた道具なんかも粗末に捨てると・・・化け物になる・・・っていう類の日本の物の怪・・・「何かを恐れる気持ちと、その気持ちが生み出す何か」と、「やましいと思う気持ちとやましさが生み出した何かと」
だから、何かにまたは誰かにやましくなるような事をしてはいけないし、何かを恐れて慎む気持ちを忘れてはいけない・・・っていう今はもう忘れられた「心の緊張感」みたいなものを思い出しました。
そういえば先だって我が家に来た客人が「往生要集」を持っていました。
「大昔お父さんが読んでいるのを見たっきりだわ・・・お若いのに珍しいものを読むのね?」と、言ったら「子供たち(小学生)に地獄を教えておきたくて。」とおっしゃっていました。
凄く頷いてしまいました。「そうだ!そうよ!」
地獄が無くなってから?日本人は恥や、愧や、辱を忘れて自分だけが良ければよくなったんだ・・・って、久しぶりに思い出させてもらいました。
「あやし」の中にはそういう忘れられた「恐れなければならないもの」「畏れなければならないもの」「懼れなければならないもの」が詰まっていました。
この短編集の中では「安達家の鬼」という話だけが好きです。
お母さんの気持ちとてもよく分かるような気がしましたし、お嫁さん以上に多分頷いて聞いていましたよ。私の鬼はどんな目をしているのでしょう?って。
宮部さんもこの本の中に作家の内なる「灰神楽」の灰のようなものを詰め込んだんじゃないかなぁ・・・って言う感じを受けました。
出来得れば、人は感情を凝縮して煮詰めて重石を載せて圧縮・抽出するようなことは避けて、さらさら生きたいものだと・・・特に「うらみ・ねたみ・そねみ」などはさらっと捨てて・・・と、思ったことでした。
出来得れば・・・ですけどね!
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二人で探偵を

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アガサ・クリスティ著

「アガサ・クリスティの奥様は名探偵」という映画に備えて原作の「親指のうずき」を読んで書いたばかりです。
それなのにこんなに早く訂正とお詫びを書く羽目になるなんて・・・。
誰にって?勿論、敬愛する「アガサ・クリスティ女史に!」に決まっているじゃありませんか。
「トミーとタッペンスの他の作品も読み直して見る。」と書いたでしょう?で、早速。
ここ数年で、沢山の古い本を処分しました。きれいな物はブックオフへ、中途半端な物は郵便局の貸本コーナーへ、どうにも汚れた物・名前を書き込んだ物等は諦めて処分しました。
エラリー・クイン様の黄色に変色した文字の小さな文庫もまとめて泣く泣く諦めましたが、クリスティ女史の作品は買ったもの1冊も処分しませんでした。だから汚くなった滲みだらけの古い文庫でこの作品を読み返しました。先日も書いたように初めて読んだ当時好きにならなくて、1回読んだだけでお蔵入りした小説です。320円で買った文庫です。
友人が貸してと「秘密組織」を持って行っちゃったので、「親指・・・」に続いて残されたこの作品を読み返したのですが・・・つまり「お詫びと訂正」です。
このトミーとタッペンスの短編小説群は「面白かった!」のです。
えー、何で若い頃この面白さがわからなかったのだろう?と、不思議ですが、「秘密組織」も「NかMか」も読み返していない段階でトミーとタッペンスが大好きになったとはまだ言えません?
だって「親指・・・」を読んだ段階ではやっぱり未だ私にとってはクィン氏、ポワロさん、ミス・マープル、パーカー・パイン氏の順は不動です。
でも、この作品は文句無く面白かったです!もう一度言います。
多分彼らの「なりきり探偵」群に当時私がついていけなかったからかもしれません。といって、今なら「皆分かる!」というわけでは勿論ありません。
今だって、よく分かるのはシャートック・ホームズ様くらいです。ソーンダイクさんは1冊ぐらい?ブラウン神父も1・2冊?フレンチ警部も1冊くらい?かじっただけです、それも遠い日に。
でも、最後の章でポワロとヘイスティングスが出てくるに及んで、思わずこの本の遊び心に喝采してしまいました。
多分私がもっと豊富な読書をしていれば?多分もっと面白く読めた!かもしれない・・・が、しかし、この短編集はトミーとタッペンスの掛け合いと呼吸が最大に楽しめる読み物になっているのではないでしょうか?
アルバートの活躍も楽しいし・・・犯人たちもそこそこ面白い?し・・・二人の息の小気味よさで思わず笑いながら読み進んでしまいました。
短編のせいか「親指・・・」で、もどかしく思ったようなところは無く、ぽんぽんと進むテンポもリズムも心地よくて、初めてこの夫婦探偵物を読むなら、この短編集から入るのがいいんじゃないかなぁ?と、思いました。
多分この「夫婦物」全部読んでみても、クリスティ女史の主人公への私の思い入れ順って言うのは変わらないと思いますけれども、「好きじゃない」とか「好きになれなかった」とか言う言葉は全部取り消します。
この作品の二人は本当にはつらつとして、楽しそうでした!
結果、私も楽しかったです。作者も書くの楽しかったんじゃないかなぁ。
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ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版

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ダン・ブラウン著   角川書店

さて、以前に「ナルニア国物語のスペシャル・エディション版」について書いてみたことがありますが、これも一寸似ています。
「本」を読むだけの「本」ではありません。
内容に基づいて、図や絵や資料が写真で挿入されているのです。
そこが「ヴィジュアル」ということです。
したがって本は分厚く重い!
「スペシャル・エディション・ナルニア国物語」ほど大きく、重くないのがまぁ、救いです。これなら何とか?持って読めないことはありません。
しかもとても親切です。売れると、こういう本も出るから楽しいですよね。
この本をもう一回読み直してみたいと思っていたので、図書館の目録にこの本を見つけて申し込みました。
実際読み直してみたら、見落としていたこと大発見!って、感じです。
こういう本だと、吹っ飛ばして?読めないので、かえっていいかもしれません。
面白ければ面白いほど、先へ先へと、すっ飛ばし読みしてしまうんですもの。
これなら集録してある写真をじっくり見ながらなので、吹っ飛ばせません。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をじっくり見ながら、なるほど確かに隣にいるのは女性に見えるとか、腕の数を数えながら読めて、なるほどこの余分の1本の腕は?とか、Mの字を辿ることも出来るというわけです。
サン・シュルピス教会のローズ・ラインの写真も、武器にされてしまったその教会の燭台も、その場で実際の物の写真を見ながら、実感?できます。
ルーブルにある「岩窟の聖母」と、ナショナル・ギャラリーにある「岩窟の聖母」を並べて比べながら見ることも出来ます。
ちなみに私は数年の時を隔ててですが、この作品をどっちも実物を見ているのです。にもかかわらず、この本で読んだ時、当然?のことながら、その違いを思い出せたわけありません。
初めからこの違いの知識を持って見に行ったわけではありませんでしたからね。やっぱり必要に迫られてしっかり比べてみないと普通分かりませんよ・・・って、いい加減なのは私だけ?
あの当時レオナルドには「二枚の「岩窟の聖母」があるんだ!」くらいの知識しかなくて、違いが何によるものだか全く知りませんでしたから。
それでも美術館にある絵なんかは美術書で見つけやすいし、見たことあったりしますけれど、めったに見られない写真が収録されているのが嬉しかったです。
「太陽崇拝とキリスト教の融合」のところで「エジプトの太陽神の頭上の円盤がカトリックの聖人の光輪に化した。」と読む時、直ぐその前のページにはエジプトの太陽神のレリーフとカトリック教会の聖人のレリーフが並んでいれば、「なるほど!」が簡単。
象徴の図柄とか、教会の内部写真とか、オプス・ディの本部とかカステル・ガンドルフォとかロスリン礼拝堂とか見る機会なんてまず無いですものね。
アナグラムも綴りが横にちゃんと書かれていれば理解もしやすいというわけです。
「天使と悪魔」を読んだらローマに行きたくてたまらなくなったように、だからこの本を再読してしまうと「パリ」と「ロンドン」へ行きたくてたまらなくなります。
ロスリン礼拝堂なんか特に。
あれもこれも見逃した。あそこもここももう一度訪れて見たいわ・・・という気分をなだめるのには最適の1冊でした。
4500円が妥当かどうかじっくり考えて「愛蔵」するか・・・?
でも、図書館にあるからなぁ・・・もう少しすると?待たずに借り易くなるかもしれないし・・・と迷うところです。

博士の愛した数式

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小川洋子著

映画を見た時とても感動したので、きっと「原作はもっと素晴らしいに違いない!」と思いました。
それで帰ってきて直ぐ図書館に予約したのが一昨日ようやく届きました。
期待に違いませんでした。
久しぶりに、きちんと抑制された明快で美しい日本語の物語でした。
てらわず押し付けず、心地よく鼻の奥のじんわり感と共に心地よい豊かな読後感のある素晴らしい小説でした。
私は心密かに絶賛いたしました!(私に絶賛されてもね?)
「東京タワーも良かったろう?」って?
「ええ!」でも、あれは文体も面白く、感動的でしたが、その感動に「直球勝負!」みたいなところが有ったでしょう?
この「博士の・・・」は練り上げられ繊細に構築された緊密な世界がなんともいえない優しさで心の中に浮遊してくる・・・山形の緩い曲線を描く・・・そうね、そんな球筋とでも言えばいいのでしょうか?
面白いわね、豪腕江夏の懐かしいエピソードがちりばめられているのに・・・それがかもし出す雰囲気は静かな美しさだなんて・・・。彼らの物語に精彩を与えていた江夏の挿話が私にセピア色を帯びた懐かしく、帰らぬ日々を思い起こさせました。
限られた時間の中で無限の世界を持つ博士と、素直にその世界を理解しようと寄り添う主人公の優しい心根と、きっと持って生まれたに違いないと思われるような敏い洞察力で博士に向き合うルートとの織り成す世界の不思議は博士の愛する静かさで読む人の心に染みとおってくるようです。
こんな世界を繰り広げる人ってどんな心をお持ちなんでしょうね?
小説と数字って思いもかけない組み合わせで、こんなにも詩的な情緒がかもし出されるなんて、なんかワクワクしましたね。
小川洋子さんという名前は知っていましたが今まで読もうかなと思ったことがありませんでした。
又一つ泉を発見したのでしょうか?
それにしてもと私も深沈と?自分の数学の歴史に向き合ってしまいました。博士のような方に数学を習っていたらどうなっていたでしょう?
私はこの本を食い入るように読んでいても「フェルマーの最終定理」とか「オイラーの公式」とかのことも、その美しさも、博士の書き綴る沢山の数式に見えるレースのような美しさも、本当のところ分からないのです。
それでもこの登場人物たちが跪く数字の美しい世界が存在し得るのだという事を、この本を読んでいる間一度たりとも疑いはしませんでした。彼らは私の中で∞に広がり、そっとしまい込まれて永久に忘れ去られることは無いのだと確信しています。
それにしてもなぁ・・・中学3年の時までちゃんと通信簿で5を貰っていたのに高校のどこで分からなくなったものだか・・・それすらも分からない私です。
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親指のうずき

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アガサ・クリスティー著

クリスティの作品を書くならやっぱりまずはクイン氏だと思っていましたから、それを既に書いてしまっていて「良かった!」と思っています。なぜなら今から書くこの小説はクリスティの作品の中では特に好きとはいえないからです。
クリスティの作品を書くならなら勿論ポワロさんを、ついでミス・マープルをと思いますもの。
でも、先日映画館で「親指のうずき」の映画を予告編で見ちゃったものですから、まぁ、「これも書いてみるか!」ってところです。
映画では「アガサ・クリスティの奥様は名探偵」という邦題のようです。しかもなんとイギリス映画ですらないんですよ、これが。なんとフランス映画なんです。俳優も監督もフランス人。
何で?って思っちゃいますよね。
ところが私が同じクリスティ・ファンにしてしまった友人が「絶対封切られたら見に行こうね。」って言うんです。
だから読み返しておこうかな・・・です。
正直私はトミーとタッペンスのファンではないのです。
シリーズ4作があるのは知っていましたけれど、私がこのシリーズを読んでいた頃には未だ5作目は翻訳されていなかったのでしょうか。今回5作目がある事を知りました。シリーズ全5作です。
1作ごとに二人は円熟し、年とって老いていきます。この作品のファンにはそこがいいのかもしれません。
そして映画の原作になったのは4作目。既にこの夫婦は二人の子どもを育て上げて初老と言われています。
初老って!私と同じ年頃じゃないですか・・・それが初老?
この夫婦探偵は余り好きになれなかったので、1度それもかなり昔に読んだきり読み返したことは無かったので、内容は殆ど覚えていませんでした。
読み返したので、何でこのシリーズにのめり込めなかったか考えているのですけれど・・・テンポでしょうか?
いえ、テンポならミス・マープルだってどちらかと言えばのんびりしていますよね。
推理と言う点で甘いのでしょうか?うーん、彼らはどちらかと言うと諜報員ですからね。そういうことかもしれません。
私は多分ポワロさんにのめり込んだように彼らを好きにならなかったというだけのことかもしれません。
それでもこの「親指のうずき」は今回面白く読めました。
発端がのんびりしているので(英国式お茶の時間的な?)、集中力が途切れるような感じで一気に読みたくなるというほどサスペンスがあるわけではありませんが、老いても?このおてんばのタッペンスの向こう見ずには惹かれました。
好奇心を失っては駄目ですね・・・心しなくちゃ!(でもタッペンスがポカッとやられるのは好奇心は慎みなさいって言う警告?)
物語は発端が冗長だったからか結末も一寸踏ん切りが悪い感じがするのですが、それは二つの時を隔てた犯罪が交差する部分で妙なあいまいさがあるからかもしれません。
だって、結局頭脳犯罪集団を検挙できるだけの証拠が集められたかどうか私には疑問なんですもの。
エクルズ捕まえられますかね?
子供殺しの犯人はとってもはっきりしましたけれど。
多分この夫婦探偵のファンになった方たちは、この二人の阿吽の呼吸に惹かれたんでしょうね。なんとも羨ましいお互いの息の合い方なんですもの。タッペンスが臆面も無く最高の夫で幸せだって言っていたじゃないですか。きっと私は羨ましくて反発したのかも・・・おほほ。我が家には我儘な?トミーと好奇心旺盛な!タッペンスも居ることですし・・・そこそこ年も取ったので?今度は私も彼らを好きになれるかもしれません。他のトミーとタッペンスも読み返してみましょう。
「秘密機関」
「おしどり探偵」(「二人で探偵を」)
「NかMか」
「親指のうずき」
「運命の裏木戸」
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天使と悪魔

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ダン・ブラウン著

「ダ・ビンチ・コード」に続いて私にとって第二作目のダン・ブラウンです。
同じロバート・ラングドンが主人公の作品ですが、この作品の方がラングトン物の第一作になります。
「ダ・ビンチ・コード」のヒットで私もこの作者を知ったのですが、そのヒットによってこの作品も脚光を浴びたようです。
しかし読んでみて驚きました。「ダ・ビンチ・コード」に劣らない面白さでした。読み終わる早さがそれを証明しています。こんな作品にぶち当たると日ごろのあらゆるもやもやが消し飛びます。
舞台・知識・驚愕!すべて申し分の無い盛り沢山さ?です。
バチカン・サンタンジェロ・ティベレ川・パンテオン・・・以前2日間だけさ迷ったローマの景色の記憶を総動員して私も主人公たちを追いかけました。
余りのスリルに、追跡に、疲れ果てて、ラングドンがボストンからローマに飛んで新しい教皇が決まるまでがほんの1日余りの話だということに気付く余裕も無いほどでした。
どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのでしょう?私の乏しい知識では計り知れませんでした。
最初に「事実」として載っているスイスにあるセルンという化学研究機関すら半信半疑です。
それなのにイルミナティと言う友愛結社に関する記載はなんとなく事実だと素直に読めてしまうのはこれが小説だからなのでしょう。
実際フリーメースンとかいう名になれば私でも知っていることが少しはあります。
それに、つい先ごろコンクラーベがありましたね。そのとき仕入れた知識も動員して、そこを足がかりに物語の中に埋没してゆきました。
それにしても「ダ・ビンチ・コード」と同じキリスト教が主題ですが、この宗教のよく言えば奥深さ、悪く言えば鵺の様な怪しさ・・・(キット?第三作目もこれが主題だ!・・・汲めども尽きぬ泉ってヤツだわ)キリスト教徒ならぬ私には想像もつかぬ世界ですから、却って興味が増すという感じでした。この作品でカトリックというものに関して何か知り得たような気がしてしまうくらいです。
この間の「ダ・ビンチ・コード」の映画のボイコット運動は貧しい世界でこそ激しかったと新聞で読みましたが・・・この作品から垣間見るカトリック(教会)は確かに「今危機に瀕している!」という感じをうけましたね。
カメルレンゴの危機意識は当然です。理解できます。
だってバチカンの根底を支えているのは主にヨーロッパの白人人種でしょう?そしてその人たちは世界の標準からいったら裕福であり、危険から遠いところにいる人たちですもの。
そしてヨーロッパの今現在の問題は流入してきた異教徒の難民乃至有色のキリスト教貧民のようですもの。
宗教観も帰属意識も・・・金持ち喧嘩せず!ですよ。
それにしても世界はやはり一握りの有数の金持ち集団に動かされてゆくのでしょうか?
そして憎悪と貧困からイスラム帰属意識の高くなっているアラブがこのままボルテージが高くなると、キリスト教者も宗教意識が高くなって・・・最悪の悪循環が・・・とか考えちゃいました。
・・・そしてそう思うと、こういう時、宗教者(というか、教会)が求めるのはやはり「奇跡に尽きるのだ!」と、納得しちゃった次第です。
この物語は、科学に対してのカトリックの一人芝居でしたが・・・。
この作品で一番面白かったのは宗教と科学に関してのレオナルド・ヴェトラの信念でした。彼が娘に語った幾つもの「教示」でした。私の理解の外かなぁって言う気もしますけれど・・・うーん!でした。
第3作が待たれますが・・・ラングドンって冒険物の主人公の男性としてはちょっと魅力に欠けますよね?図像学者(宗教象徴学)の知識(奥が深そう!)と言う点でだけ魅力を発揮するって・・・面白い冒険小説ヒーローの創造です!
それにしても何時かローマの巨大十字架の道を歩いて、(気を付けて)ベルニーニの作品群も見てこなくっちゃ!
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森は生きている

題名INDEX : マ行 294 Comments »

サムイル・マルシャーク著

暑いですねぇ・・・今年の東京は梅雨が長引いたせいと日光不足っていう感じのせいで真夏気分が今ひとつ盛り上がらなかったような気がします。それなのにじっとり暑くって、最悪ですよ。
ここ数年「気候が不順で・・・」というような挨拶をすることが増えているような気がしませんか?
少なくとも私は手紙の冒頭でこの文句から入ることが多くなっています。
私にとって「不順ですね。」は定例化しているようですが・・・これもそれも温暖化のせいですよ!
北海道のお米が美味しくなるのは歓迎ですが、ぶなの木の北限があがるのも・・・(問題あるのかしら?)私的には歓迎ですが、台風が多く上陸するのも、雨が多くなり過ぎるのも余り歓迎できません。長野のりんごが美味しくなくなるのもね!え?そんなこと有るの?
気候が不順というと思い出すのは「十二月のお兄さんたち」です。
ちゃんと「いるべき時にいるべき時間だけいてね。」とお願いしたくなります。
基本的にはまま娘と同じに4月の精と結婚したい私です。
5月の精と手を打ってもいいな!
小学生の時にこの本に出会いました。それから数年は4月の精さんが私の憧れのお兄さんでした。
こんなクリスマスに一度でいいから出会ってみたいと本気で思っていました。
冬が夏と会って、春が秋と一緒になるなんて「素敵じゃない!」
「まま娘」ってなんか悲壮にドラマチックで健気でロマンチック?
冬の寒い日に学校から帰る道で「燃えろ、燃えろ、明るく燃えろ!消えないように・・・」ってつぶやいていましたっけ。
私の心の中には「十二月の月たち」が囲む大きな豪勢な焚き火が燃えていました。
4月の精に貰った指輪を握り締めているような気分であの魔法の言葉・詩?を暗唱していました。

「ころがれ、ころがれ、指輪よ
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋の高殿へ
そして、冬のじゅうたんの上を
新しい年の焚き火をさして!」

ね、今でも言えるでしょう?
これって、普遍の至高の言葉じゃありませんか?理想的な環境秩序の?

大昔仲代達也さんの奥さんがわがままな女王を演じた舞台を見ました。そして先年お嬢さんがまま娘を、仲代さんが老兵士をした舞台を見ました。なんか不思議に感動してしまいました。
私の傍らを通り過ぎて言った何十もの春や!夏や!秋や!冬や!が私の周りで渦を巻いているようでした。

この物語に漂う詩情を今の子供たちも大事にしてくれないかしら?
「十二月の月たち」を暖かい心で「一月一月を楽しく待つ生活」が出来るためにも、穏やかな地球を失わないで生きるためにも、環境の事を真摯に考えなくてはなりませんね。
それにしても本当に可愛い物語なんですよ!まま娘になって森のりすさんやうさぎさんのお話をこっそり聞いて笑いたいものです。

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