ル・グウィン著

原語で読んだわけではないので・・・こんなこと言うと妙におかしいな!と、自分でも思いますけれど、この乾いた、淡々とした文章、妙にいいですねぇ。これは翻訳者の手柄なのでしょうか?
それとも原文が素直な分かりやすい文章なのでしょうか。
対象が小・中学生だとしたらそうかもしれませんね。
でも実際読んでみると私(大人のつもりだけど)も得るところもあり楽しく読めました。
年代記って感じでした。
ゲドが成長し老いてゆく一生の物語らしいです。
しかも波乱万丈のはずの物語です。それなのにこの静かな語り口はどうでしょう!
読む私も気持ちのはやりにせかされることなく偉人の生涯を読むように読んでいましたね、振り返ってみれば。
「指輪物語」のような壮大さとも違い、「ナルニア国物語」のようなファンタスティックとも違い、でも不思議な魔法を感じさせてくれましたよ。
丁度太古の物語を淡々とした語りで聞くような品位を感じました。
何気ないけれど凄い科白がいっぱいちりばめられていて、ある意味「人生を深遠に・だけど簡単な言葉で語っているぞ!」っていう感じです。
「自分がしなければならないことは、しでかした事を取り消すことではなく、手を付けた事をやり遂げることだった。」どうです?
当たり前すぎるって?それではこれはどうです?
「ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。全てをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。」何か感じない?
ユックリ読んでいくとどこかに今の自分の指針になるものが隠れているような気がして、じっくり読んでいきましたが、それでも(その意味で)読み落とした大事なフレーズがあるのではないかとドキドキしました。
どの年齢層の人でも、多分自分が必要とする、またはハット閃く何かを見出せる羅針盤のような物語だと思いました。
どの偉人よりも何かを与えてくれる偉人伝でしたね。それに不思議な旅行記でもあってね。
ふうわんと嬉しい気持ちに支配されて本を閉じました。
その意味では「Ⅱ」もそうでした。
最も図書館から最初に「Ⅱ」が届いちゃったので、サッパリ何を書きたいのか読ませたいのか「?」だけだったんです。「Ⅰ」を読んで納得!
この本は「Ⅰ」から読むのがお薦めです!って?大体「Ⅱ」から読む人なんて普通居ませんよね。
図書館さんももう少しお利口なシステムお願いしますよ!
ゲドはこの作品では触媒です。
テナーが自分に目覚めていき進路を選び取る物語でした。
テナーはゲドに会うことである意味で生き始めたのですから。やはり「Ⅱ」もゲドの歴史物語の1部でもあるのでしょう。
本当は全部読み終えてから書くべきだと思いましたが、この先はまだ暫く来ないと思われるので、とりあえずです。「Ⅲ」が届くのをワクワクしながら待っているのです。