ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版

題名INDEX : タ行 258 Comments »

ダン・ブラウン著   角川書店

さて、以前に「ナルニア国物語のスペシャル・エディション版」について書いてみたことがありますが、これも一寸似ています。
「本」を読むだけの「本」ではありません。
内容に基づいて、図や絵や資料が写真で挿入されているのです。
そこが「ヴィジュアル」ということです。
したがって本は分厚く重い!
「スペシャル・エディション・ナルニア国物語」ほど大きく、重くないのがまぁ、救いです。これなら何とか?持って読めないことはありません。
しかもとても親切です。売れると、こういう本も出るから楽しいですよね。
この本をもう一回読み直してみたいと思っていたので、図書館の目録にこの本を見つけて申し込みました。
実際読み直してみたら、見落としていたこと大発見!って、感じです。
こういう本だと、吹っ飛ばして?読めないので、かえっていいかもしれません。
面白ければ面白いほど、先へ先へと、すっ飛ばし読みしてしまうんですもの。
これなら集録してある写真をじっくり見ながらなので、吹っ飛ばせません。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をじっくり見ながら、なるほど確かに隣にいるのは女性に見えるとか、腕の数を数えながら読めて、なるほどこの余分の1本の腕は?とか、Mの字を辿ることも出来るというわけです。
サン・シュルピス教会のローズ・ラインの写真も、武器にされてしまったその教会の燭台も、その場で実際の物の写真を見ながら、実感?できます。
ルーブルにある「岩窟の聖母」と、ナショナル・ギャラリーにある「岩窟の聖母」を並べて比べながら見ることも出来ます。
ちなみに私は数年の時を隔ててですが、この作品をどっちも実物を見ているのです。にもかかわらず、この本で読んだ時、当然?のことながら、その違いを思い出せたわけありません。
初めからこの違いの知識を持って見に行ったわけではありませんでしたからね。やっぱり必要に迫られてしっかり比べてみないと普通分かりませんよ・・・って、いい加減なのは私だけ?
あの当時レオナルドには「二枚の「岩窟の聖母」があるんだ!」くらいの知識しかなくて、違いが何によるものだか全く知りませんでしたから。
それでも美術館にある絵なんかは美術書で見つけやすいし、見たことあったりしますけれど、めったに見られない写真が収録されているのが嬉しかったです。
「太陽崇拝とキリスト教の融合」のところで「エジプトの太陽神の頭上の円盤がカトリックの聖人の光輪に化した。」と読む時、直ぐその前のページにはエジプトの太陽神のレリーフとカトリック教会の聖人のレリーフが並んでいれば、「なるほど!」が簡単。
象徴の図柄とか、教会の内部写真とか、オプス・ディの本部とかカステル・ガンドルフォとかロスリン礼拝堂とか見る機会なんてまず無いですものね。
アナグラムも綴りが横にちゃんと書かれていれば理解もしやすいというわけです。
「天使と悪魔」を読んだらローマに行きたくてたまらなくなったように、だからこの本を再読してしまうと「パリ」と「ロンドン」へ行きたくてたまらなくなります。
ロスリン礼拝堂なんか特に。
あれもこれも見逃した。あそこもここももう一度訪れて見たいわ・・・という気分をなだめるのには最適の1冊でした。
4500円が妥当かどうかじっくり考えて「愛蔵」するか・・・?
でも、図書館にあるからなぁ・・・もう少しすると?待たずに借り易くなるかもしれないし・・・と迷うところです。

天使と悪魔

題名INDEX : タ行 359 Comments »

ダン・ブラウン著

「ダ・ビンチ・コード」に続いて私にとって第二作目のダン・ブラウンです。
同じロバート・ラングドンが主人公の作品ですが、この作品の方がラングトン物の第一作になります。
「ダ・ビンチ・コード」のヒットで私もこの作者を知ったのですが、そのヒットによってこの作品も脚光を浴びたようです。
しかし読んでみて驚きました。「ダ・ビンチ・コード」に劣らない面白さでした。読み終わる早さがそれを証明しています。こんな作品にぶち当たると日ごろのあらゆるもやもやが消し飛びます。
舞台・知識・驚愕!すべて申し分の無い盛り沢山さ?です。
バチカン・サンタンジェロ・ティベレ川・パンテオン・・・以前2日間だけさ迷ったローマの景色の記憶を総動員して私も主人公たちを追いかけました。
余りのスリルに、追跡に、疲れ果てて、ラングドンがボストンからローマに飛んで新しい教皇が決まるまでがほんの1日余りの話だということに気付く余裕も無いほどでした。
どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのでしょう?私の乏しい知識では計り知れませんでした。
最初に「事実」として載っているスイスにあるセルンという化学研究機関すら半信半疑です。
それなのにイルミナティと言う友愛結社に関する記載はなんとなく事実だと素直に読めてしまうのはこれが小説だからなのでしょう。
実際フリーメースンとかいう名になれば私でも知っていることが少しはあります。
それに、つい先ごろコンクラーベがありましたね。そのとき仕入れた知識も動員して、そこを足がかりに物語の中に埋没してゆきました。
それにしても「ダ・ビンチ・コード」と同じキリスト教が主題ですが、この宗教のよく言えば奥深さ、悪く言えば鵺の様な怪しさ・・・(キット?第三作目もこれが主題だ!・・・汲めども尽きぬ泉ってヤツだわ)キリスト教徒ならぬ私には想像もつかぬ世界ですから、却って興味が増すという感じでした。この作品でカトリックというものに関して何か知り得たような気がしてしまうくらいです。
この間の「ダ・ビンチ・コード」の映画のボイコット運動は貧しい世界でこそ激しかったと新聞で読みましたが・・・この作品から垣間見るカトリック(教会)は確かに「今危機に瀕している!」という感じをうけましたね。
カメルレンゴの危機意識は当然です。理解できます。
だってバチカンの根底を支えているのは主にヨーロッパの白人人種でしょう?そしてその人たちは世界の標準からいったら裕福であり、危険から遠いところにいる人たちですもの。
そしてヨーロッパの今現在の問題は流入してきた異教徒の難民乃至有色のキリスト教貧民のようですもの。
宗教観も帰属意識も・・・金持ち喧嘩せず!ですよ。
それにしても世界はやはり一握りの有数の金持ち集団に動かされてゆくのでしょうか?
そして憎悪と貧困からイスラム帰属意識の高くなっているアラブがこのままボルテージが高くなると、キリスト教者も宗教意識が高くなって・・・最悪の悪循環が・・・とか考えちゃいました。
・・・そしてそう思うと、こういう時、宗教者(というか、教会)が求めるのはやはり「奇跡に尽きるのだ!」と、納得しちゃった次第です。
この物語は、科学に対してのカトリックの一人芝居でしたが・・・。
この作品で一番面白かったのは宗教と科学に関してのレオナルド・ヴェトラの信念でした。彼が娘に語った幾つもの「教示」でした。私の理解の外かなぁって言う気もしますけれど・・・うーん!でした。
第3作が待たれますが・・・ラングドンって冒険物の主人公の男性としてはちょっと魅力に欠けますよね?図像学者(宗教象徴学)の知識(奥が深そう!)と言う点でだけ魅力を発揮するって・・・面白い冒険小説ヒーローの創造です!
それにしても何時かローマの巨大十字架の道を歩いて、(気を付けて)ベルニーニの作品群も見てこなくっちゃ!
Read the rest of this entry »

東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン

題名INDEX : タ行 104 Comments »

リリー・フランキー著

図書館に予約して千人待ちを超えたのは初めて。
ハリー・ポッターで600人待ち、ダ・ヴィンチ・コードで500人待ちっていうのはあったけれどね。
これってどういうのでしょうね?私みたいに気の長い人が世の中にはこんなに居るってことでしょうか?
おかげさまで待つこと後900人余り・・・というところで貸していただけたのでこうして、来年?を待たずに感想を書けるわけです。
貸してくれる時、彼女は「今までで最高に泣けた!」と、言っていましたからどうやら「広告の通りらしいぞ!」と、あらかじめ心の準備?をすることが出来ました。それが良かったのかどうなのかは分かりませんが。

「オカン」・・・「オカン」かぁ、「オカン」ねぇ・・・私が子供の頃は「かぁちゃん」と「おかぁちゃん」と「おかぁさん」が3分のⅠずつって感じだったなぁ。
参観日に当てられた子が「かぁちゃんが・・・」と言いかけたら、後ろに居たお母さんが慌てて「おかぁさんって言いなさい。すいませんねぇ、先生、躾がなってなくって。」と大声で言ったので、教室中大爆笑しちゃったのを思い出した途端、母の思い出がぞろぞろぞろぞろ這い出てきてしまったのには参ってしまった。
本を読みながら本の中の「ボク」の思いに泣けて、自分の母の思い出に泣けた。
それにしてもリリーさんの世代ならお母さんへの思いをこんなに素直に書くなんて有り得なかっただろうに・・・?
「オカン」だから言えたのかもなぁ?
転勤で地方を回っていたせいか、まとめて数日休めると必ず夫は実家へ家族連れで帰った。
「留守にするのでお願いします。」と近所に声をかけると「よく帰るねぇ、ご主人マザコンなのね。」と、何度か言われた。「アア、そうなのか、これがマザコンかぁ?」と、思ったものだ。
しかし娘が母と付き合い、父を大事にしても「優しいお子さんで!いいわねぇ。」と、言われるだけなのに、男の子が親を大事にするとおかしげに言われるのはつまらないわねぇ。(私も言っちゃったなぁ、スマンこって!旦那様)
娘を持った友人たちは、娘が結婚しても娘と遊んでいるくせに、その娘が夫の故郷に連れて行かれると「可哀相、うちの婿、マザコンじゃなけりゃいいけど?」なんて言ったりする。
「おい、おい?」と息子しか持たない私は思う。
他人のことなら見えるんだけど・・・。
この本を読んだ人が皆、素直に「大事な者は大事!」と思うことが大事!と思えるとといいなぁ・・・、でも「女の子の読者の方が圧倒的に多そうだぞ?」と危惧もする。だって、女は自分が見えないものねぇ(へへ)。
男の子の方が争いがいやで、「女の軍門に下る平和」を選ぶ率が高そうだからなぁ・・・なんて、自分を含めて(自戒します・できるかな)周りの女を見回している。
リリーさんも当時独身だったからだなぁ・・・?なんてウラヤマシサも自分から隠そうとしてみたり。
「筑豊の子」と言えば、私の世代は「にあんちゃん」を思い出すだろう。「にあんちゃん」を思い出すと、あの当時の筑豊の厳しさも甦えって、リリーさんの「オカン」や「オトン」の道程が忍ばれる。
「オカン」は並々ならぬ、並々以上の、最大級でも追いつかぬほどの、愛情をすべて息子につぎ込んだのだろうけれど、「オカンの人生は18のボクから見ても小さく見えてしまう。それはボクに人生を切り分けてくれたからなのだ。」というところで、そう感じてくれただけで「オカン」はもう満足しただろうなぁと思える。
息子たちの「臍の緒」は私にも宝。いやいや、取り出すのはやめとこ。
読み始めた時にはこの文体が感情を韜晦してくれるだろうと思ったが、後半すっかり流されてしまった。
お母さんは息子から小さく見えなければいけないのに、夫の母も私の母も私もちょっと(丸々と!)太りすぎだよなぁ・・・とため息をつくことで、かろうじて堰を保とうとしていた・・・。
面白い文章、表現、観点もこの本の中には溢れていた!この文体で、素直に読ませるなんて、不思議だなぁ?

Read the rest of this entry »

天国までの100マイル

題名INDEX : タ行 164 Comments »

浅田次郎著

短編集「鉄道員」を読んだので何か長編をと思って本棚を見ていたら、浅田さんの沢山ある中のこの本が目に留まった。
多分TVドラマ化されたのではないだろうか?
名前に記憶がある。が、内容は覚えていない。
取り上げてぱらっとめくったら、懐かしい「ファイヴ・ハンドレッド・マイル」の歌詞が。
「私の時代だ!」と、とっさに思ったのだけれど、何が私の時代なのだろうね?
今、現在だって私の時代には違いなかろうに。
人は青春を過ごした時代こそが自分の時代だと思えるのだろうか?
そうしたら「心のありようで人生いつでもが青春!」などとほざく輩の自分の時代って随分長いことになる・・・けど?なんて屁理屈を心の中で繰り広げながら・・・それでもヤッパリ今青春時代真っ只中にいる人は今が「自分の時代だ!」なんて意識していないだろうからなぁ・・・なんて・・・ただのぐだぐだね。
それでも縁のものだからこれを読むことにする。
読んでいるうちに「あぁ、このお母ちゃん、八千草薫さんだったんじゃないかしら?西田敏行さんが出ていたような・・・このしょうもない三男坊を演じたのか、あの神の手の医者の方を演じたのか?う~ん、思い出せないけれど・・・」
読み終わったら、丁度横山秀夫さんの本の事を書いた後だったから、「いやぁこの二人の作家から受ける印象は正反対だ!」と思ったのだが、浅田さんだって全部が全部こんなに汚い地上からホンワリ足が離れたような優しい小説ばかり書いているわけでもなかろうと思いなおした。
読んだのはまだたった2冊なんだものね。

人生の極限、死を目前にした母と、人生の崖っぷちに立ってしまった息子が織り成すには「なんと優しい結末が用意されたことだろう!」と思うと救われる。
「一生懸命の思いって一生懸命思えばいいんじゃないかなぁ!」なんておかしな科白だが素直にそう思えてしまった。
私も何かに追い詰められた時はこのお話を(そうお話なんです)思い出して「一生懸命になりたい方へ向かって一生懸命になればいいんだね?」と、自分に念を押してみたり。
前向きな気分が押し出されてくるようだ。
それにこのお話ヤッパリ「私の時代」の色を帯びていたから、妙に嬉しい感じもした。
そういえば、バブルの絶頂期には珍しい話でもなかったけれど、ご主人に天国を見させてもらって破産してその後離婚なさった知人がいた事を思い出した。
今頃この主人公の安男さんもきっといい味わいの男になっていそうだから、彼女たちもそうなっているかもしれないなぁ・・・かえって大きな波に洗われる事も無かった私など、味わいはないんだろうなぁ・・・何ていう感慨も。
「母にならなければ一人前の女じゃない。」なんて、男の目線のせりふだと思っているけれど、ここにいる母は戦後を潜り抜けた紛れも無い母で、普遍的な母の造形だとも思う。
男が理想化した母であり、洗脳された母性の匂いもあるけれど、その一方で私の母の世代の典型的な母だと懐かしくも思う。
それにしても戦争を潜り抜けた人とか、女手一つで子どもを育て上げた人は強い!
でも強くならなかった人が結局は幸せなのかも知れないなぁ。
この母もマリも男の子守唄だ、「お伽の子守唄」だわ。

願わくば、すべての病院に神の手を!すべての医者に神の心を!
あ、神の心は怖いかな?
Read the rest of this entry »

ドリトル先生航海記

題名INDEX : タ行 323 Comments »

ヒュー・ロフティング著

今朝方全く思いがけないことに、ドリトル先生の巨大透明巻貝の中に入ってゆったり海底散策をしている夢を見た。
それだけ今朝の目覚めが心地よかったということだろうが、こんな夢初めてだし・・・三屋清左衛門のびっしり汗にまみれて目覚める夢よりか「なんぼか素敵!」だとは思うものの・・・すっかり忘れていた本だったから、余りに唐突といえば唐突!
布団の中で清左衛門さんと同じに、暫くその因って来るところを顧みるという作業に没頭してしまった!
ひょっとして昨日、旭川の動物園の白熊やペンギンやアザラシが泳いでいる映像をたっぷり見て、行ってみたいなぁ・・・と思ったからかもしれないなぁ?と、思い当たった。多分?
私自身子供の頃読んで好きな本だったから、二人の息子にも読んでやって、更にシリーズ全部の本を揃えたのだが(10冊以上あっただろう)、子供たちがよく読んだのは結局最初の1冊だけだったようだ。
子どもよりむしろ私の方が楽しんでシリーズを読んだのかもしれない。
その本たちはもう大昔に?甥の所に越して行ってしまったので確認できないが、沼のほとりのバドルビーの長閑で忙しい明け暮れの楽しく面白かったこと!
登場する動物たちの抱える様々な問題の多彩なこと、ドリトル先生のところに持ち込まれる問題の思いがけない解決と、そこに至るまでに先生がする心遣いや見せる優しさや機転、奇想天外でふくよかな楽しさに満ちていた。
動物たちの日常から、奇妙奇天烈な動物の登場など、おかしかったことといったら!
「おしつおされつ」なんていう動物がいたなぁ。
それに絶滅したはずの私が夢に見た透明大貝や月からの蝶や緑のカナリア、物凄く長寿の大亀もいたなぁ、どうしたらこんな話を思いつくんだろうと感嘆したっけ。
トトとかガブガブとかチープサイドとか動物の名前も可愛くて。
私の方が先生の助手に名乗りを上げたいと思っていたことなどを覚えている。
もう大分前になるがそのドリトル先生が映画になると言うことで楽しみにしていたら、ナント!来たのはエディ・マーフィーのドリトル先生だった。
「嘘!」
「え、なんで?」
「どんなドリトル先生が出来たの?」
「換骨奪胎って、こういうこと?」と、あっけにとられたっけ。
エディ・マーフィーだから「おかしくないはずは無い!」んだけれど、
どうにも・・・いや、どうしたらいいんだろ?どうも出来ません!
若い頃はただ思いっきり笑って見られたエディだけれど、年を取ってくるとどうにもいけない。
彼を楽しむのにはエネルギーが要るんですね。
「よほど調子のいいときじゃなければくたびれちゃって見られるものではありません!」という感じなのだ。
でもドリトル先生はきっと幾つになっても読めるし、エネルギーがなくなってきた今こそ読むには絶好の本かも知れない。
今の私に必要なのはドリトル先生のような辛抱強い優しさと、柔軟な頭と、どんな奇妙な出来事にも対処できる機転のようだ。
それさえあればどんな老後も鬼に金棒!
「いい本を思い出したなぁ!」と、得をした気分の朝だった。
Read the rest of this entry »

ダ・ヴィンチ・コード

題名INDEX : タ行 207 Comments »

「ダ・ヴィンチ・コード」 作 ダン・ブラウン

出版されて、新聞の新刊案内で読んで、間もなく図書館で予約した。
しかし待てど暮らせど・・・
問い合わせれば、「後数百数十人待ち」と言われた。
「なるほど」と、爆発的な人気に実感が伴った。
2005年年末、ようやく順番が回ってきた。
3日で読み通した。その間家事一切停止状態。
面白かった!
最近こんな勢いで読んだ本があるだろうか?
読んでいる間中、頭の奥底の方でサッチモが「モナリサ・・モナリサ・・」と歌っていた。
キリスト教徒の読者ならこの本に対する好悪ははっきり二分されるだろう。
キリスト教徒に何の縁もない私には推理物としての興が感想の第一である。
しかもその底にあるキリストの結婚という大前提は衝撃的ですらある。
ある意味で宗教の祖という者はすべての信者と結婚しているようなものだ。
私は世界中でキリスト教ほど手に負えない物は無いと常々思っている。
「世の中の大半、いや殆どすべての戦争はキリスト教のせいだ!」
キリスト教もユダヤ教もイスラムも根は同じである。
そもそも宗教というものが無かったら人間はどれだけ争いの種を少なく出来ただろうか?と考えてしまうのだ。
あー反論は想像がつく!
でもね!
キリストの結婚という一事でさえ十分激しい論争を招き、その結果戦争へという事態だって招きかねない(いや招く)くらいのものだ。
勿論これはキリスト教圏では古くからあった論争の一つではあるらしい。
部外者の私から見れば、もしイエス・キリストがあの世界最古の女性職業を持つマグダラのマリアと結婚していたのだとすれば、それは究極の愛、偏見の無い愛、最高の許しである愛だと思うのだが、ある種のキリスト教徒にはその愛は到底受け入れられないものの様である。
カトリックの坊さん以外は殆どの聖職者が結婚している事を思えば、またキリスト教徒における家庭生活の重みと言う事を考えれば、キリストの結婚は許されて然るべきだと考えるのは当たり前ではなかろうか。
だが実際は、「むしろイエスの結婚こそが人生において偏見の無い無私の手本ともなるだろうに。」などと考えることも許せない宗教者が多いようだ。
ま、その辺はさておき、この物語の人を引きずりこむ点は主人公の二人の組み合わせにも負うところ大である。
全く専門知識の先鋭化ということには限が無い。
暗号専門家の頭脳の中を覗いてみたいものだ。
謎を解くということの中にあるカタルシスは最高だ。
だからこそ謎(暗号)を解くタイプの推理小説は永遠に不滅なのだから。
ポー、コナン・ドイル、ルブラン、クリスティ・・・作品を送り出した推理小説作家は引きもきらない。
その中にあってもキリストの結婚という重大事を主題にすえたこの作品にこの作家の性根の凄さを垣間見ることが出来る。
挑んだハードルは物凄く高かったと思うがそれを見事に飛び越えて、更に最高のエンターテイメントが付け加わっているのだから!
「スリリング」という言葉を思い出した。
子供の頃は本を読んで夢中になると登場人物の様子(顔立ちや姿)をよく想像したものだが、映画好きとなった現在私はよく頭の中で役者さんの配役をする。
この役はあの人に、この役はこの人に・・・。
そうするとその人が立ち上がって私の中で物語が進行していく。
しかし今回は遅れを取った。
図書館で配本順位を待っている間に、映画化が決まり配役も発表されてしまった。
オドレイ・トトウがヒロインなのは分からないでもない。
ごくフランス人らしい女優さんだから。
でも彼女の今までの作品からするとあの知性的な雰囲気にどう迫れるのかなと、ちょっと危惧を抱いてしまう。
何しろ「アメリ」が余りにも印象が強烈だったので。
その分楽しみは大きいと思おう。
さて、トム・ハンクスはどうだろう?・・・微妙・・・?と考えていたら映画館で予告編を見てしまった。
イメージの全然違う彼が居た!
紳士然としておじ様になったトムが!
プライベート・ライアンのトムとも、フォレスト・ガンプのトムともグリーン・マイルのトムとも・・・どのトムとも違った・・・トムが。
正直驚いた。
これだから俳優さんに魅せられる。
映画に魅せられる!といったもんだ!
どうやら彼らの「ダ・ビンチ・コード」楽しみになってきた。
でも見る前に忙しい時に吹っ飛ばして読んでしまった原作をまず読み直したい。
映画で違ったイメージが住みついてしまう前に、私のオリジナル・イメージを作っておきたい。
その価値が十分にある作品だ、これは!

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン