花や散るらん 花や散るらん文藝春秋 2009-11-12
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葉室麟著

赤穂浪士異聞と補足しておいてもいい作品
京都と江戸を跨いで公家方から赤穂の浅野内匠頭長矩の刃傷事件と大石内蔵助等のあだ討ちを描いている。吉良上野介、柳沢吉保、浅野長載矩に全く違う面から光を当てているというか面白い光の当て方をしている。この事件の裏に桂昌院叙位の舞台裏を置いて。
この作品には歌舞伎などで気持ちよく見ていたあだ討ち物の面影は毛筋ほども無く、あだ討ち物に付き物のある種カタルシスは望めない。
しかし一つの事件、特に歴史の向こう側、朧になり伝承により様々に変化し庶民の望みまで包みこんで発展したに違いない事件の料理の仕方というものを考えさせられる。この作品は素晴らしいとは思えないのだが、それはこちらのあの討ち入りに対する思いが既に固定されているからかもしれない。ある時こんな文を読んだ記憶がある。誰のだったか覚えていないのだが。 「浅野に対してわるもののように語られる吉良上野だが地元では名君だったと今も称揚されており手厚く法要なども営まれている・・・と、言う事を聞くが、それはあの時代にあっては当たり前のことである。大名つぶしが幕府の命題みたいだった時代にあって、領内を納めるのに問題など起こしたら取り潰しの憂き目に会うと分かっていたときに自分の領内を大事に納めない大名が居たら・・・それはただのバカである。 浅野も吉良も領内にあっては立派な殿様でなければ、いや治世を実際行うブレインがちゃんとしていなくては生き残っていけなかったのだ。そういうわけで立派な殿様だったというのは当たり前のことに過ぎない。」
と、まぁこんなのだったと思う。読み終わって、なんだ吉良擁護の文じゃなかったのかと、肩透かしを食らった気持ちだったけれど・・・。
この作品は気の小さな尊王教育を受けた浅野と野心むき出しに柳沢や桂昌院の意を受けてえげつない任官運動を繰り広げる吉良。
あの事件に大奥の勢力争いがこんな風に絡んでいたかも?あだ討ち事件の後での助命機運が大奥にも有ったという話は聞いたことあるけれど・・・なんてぼうっとしながら・・・こういう話はありか?なんて自問自答していたので・・・乗りそこなった。 主人公の蔵人も咲弥も今一つ造形も性格も印象的にならず、風変わりに設定された事件を追うだけでいっぱいいっぱいだった印象でもある。人が描かれていないんだろうな。物語としては、ふうん、こういう作り方もありえるんだ・・・確かに年表をじっと見てるとこの事件とこの事件がこのあたりでぶつかり合って・・・とイメージは広がる。そういった風景が見えた。 ただもう少しこなれて欲しいな・・・と、思った。