幸田文 きもの帖 幸田文 きもの帖
青木 玉平凡社 2009-04-07
売り上げランキング : 9990
おすすめ平均 Amazonで詳しく見る
by G-Tools

kimonotyouaya.jpg

kimonotyou.jpg

幸田文・青木玉著
「父・こんなこと」を読んだときにこの作品がある事を知りました。
つい先日も着物を着てお芝居を見に行ったところです。
生前、母は私に「着物を着ない?」と何度も聞いていました。「着ることはないと思うわ」と私は常に答えていましたが・・・母は残念そうに「二人のお嫁さんも着ないって言うのよね・・・ってことは孫も着ないわね?」と。私には娘はいないのですが、母には息子の所に2人の孫娘がいました。
「着物は十分孫の時代にも保つと思うのだけど・・・仕方ないわね」と処分にかかりました。「大島などの紬類は引き取り手があった」と聞いた時も私はなんとも思いませんでした。
それなのに最近着物を着ることが増えてきました。こうなってはじめて母の処分した着物が本当に惜しいと思われるのです。「母の着物を着たかったなぁ・・・」と。
先だってもう三十年以上も着物をきたことのない姑に、姑は娘が三人もいますから当然娘に残したいでしょうから、姑のではなくて、祖母の着物が箪笥の中にそのままになっている事を知っていましたから「要らなかったら・・・?」と、聞いてみましたがやっぱりいただけませんでした。着物というのは何故か血筋の者に受け継いでもらいたいもののようです。その女の心がそれだけ入っているということでしょうか?
幸田さんのこの作品を読んで、女が着物に掛ける情をつくづく知りました。小物一つに至るまで隅々にまでその人その人の美意識も・・・その人そのものが息づいているものなのだと。それだけに私のこの変化が悔しくて堪りません。母が生きているときに母の着物を着てあげる、受け継ぐと言ってあげていたら・・・と思います。しかし処分にかかったのは亡くなるほんの1・2年前のことでした。あれは着物が着てくれる人を見つけてとせがみでもしたのでしょうか?
この間友人が、あなたこの頃着物を着るからと「母ので、今のあなたにはじみすぎるけれど・・・無駄にするのはあまりに惜しいから」と濃い鼠色の着物とそれに合う帯を一組下さいました。私の紅型の娘の頃の帯を合わせるといい感じに映えるようでした。
この作品ににじむ幸田さんの着物への愛情が心にしみるようでしたから、そして着る人のいない着物を哀れに思う気持ちが良く分かるようになりましたから、ありがたく使わせていただこうと思っています。