父・こんなこと (新潮文庫) 父・こんなこと (新潮文庫)
幸田 文新潮社 1967-01
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 幸田文著

これも齋藤さんの本「読書入門」で知って読み始めたのですが、紹介文が良かったのです。掃除の仕方を教え込むお父さんって・・・それもあの厳しさ?って、なんかよくない?って気がしたものですから。幸田文さんは次女さんで、露伴の晩年子供を連れて父の所に帰ってきて、そのまま娘と共に父を看取った方で、そのときの事をまとめた作品と、その後の父の思い出を集めた作品集です。
身につまされて心に迫り、痛々しいと心から思ったのは私の行く道でもあるからかもしれません。今私も老いていく厳しかった父を見つめているからでしょうか。
「父に愛されない娘だった」と述べていらっしゃるのですが、それだけになお更父との様々なことがきりりと心に刻み込まれたのかもしれません。愛された子供は安心感の中で神経が休まるからでしょうか思い出がほんわかしてきつく刻み込まれないような気がするのです。細かな描写が出来るほど、様々な状況が生き生きと書き綴られれば書き綴られるほど、彼女の心への刻まれ方が想像されるようです。
しかも刻まれた分彼女はそこから記憶を丁寧に丁寧に汲み上げ続けたのでしょうね・・・そこが痛々しさの生じる所以かもしれません。
しかし読んでいると露伴がこの娘をとても理解していたように思われてなりません。露伴はこの娘をわかってその性に応じて教育したつもりなのではないでしょうかと、思われてならないのですが。
母を失った娘にあれだけの家事指南をする、様々な遊びの記憶を残してやる・・・文豪の顔ではない父の顔がとても愉快に浮かび上がってきました。といっても私は露伴の作品は読んでいないのです。
今更・・・と思う反面、こんなオヤジが?どんな作品を残したのか、興味をそそられてもいます。それにしても水拭き掃除の仕方のところはとても懐かしかったですね。私が母と廊下の雑巾がけをしていた頃よく注意されたことでしたが、その雑巾がけというものをしなくなってどのくらい経つのでしょう?今はフローリングの床といえども雑巾での水拭きをするお宅は少ないでしょう。今我が家には畳の部屋も無い。幼い頃に教わってきたことのあらかたが必要が無くなってしまったのですね。八雲の「ちんちん小袴」なんぞもふと遠くなってしまった教えだなぁ・・・と懐かしい気持ちは湧き上がってくるのですけれど、わが子の世代にはもうこの作品の機微に心を揺さぶられる私の感傷はもう理解不能だろうなぁ・・・という感慨の方が強くなってしまいます。
「面倒がる、骨惜しみをすると言うことはケチだ」この言葉は前日読み終わった志村さんの本からも漂ってきた精神です。日本の女性たちは骨惜しみをしなかったから美しかったのだと妙に納得のいった今週の読書でした。見た目には今の女性たちの方が美しく見えるかもしれないのにねぇ・・・。志村さんの本の中の、以前は「豊かに貧乏してきた」それに比べて今は「心貧しく富んだ生活をしている」という一節がここでも甦ってきたのです。