辰巳八景 辰巳八景
山本 一力新潮社 2005-04-21
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山本一力著

八景、八話、江戸情緒満点の深川を舞台のお話です。
深川近くの堀端に住んでいるから「読みたいでしょう!」とわざわざ知人が持ってきてくださった本です。作家さんも私と同じ区の堀端にすんでいらっしゃるらしいですね。
なるほど、私の地元の2・3百年以上前の情景満載!・・・って?うちはその頃海の中だわ。
風情・情緒は確かに江戸の気分満載で舞台も人々も時代をしっかり感じさせてくれます。でも、何かもう一つ物語りに乗れなかったのです。どの1話をとっても。気分良く情緒にポトンと浸れないんですね。言葉も情景描写も実にたくみにしっかり選ばれている感じ、時代考証もきっと確かなんだろうなぁ・・・という感じは濃厚に漂っているのに?
考えるに、むしろ時代考証をし過ぎて、それに囚われて話が年号でぶつ切りになるからかしら?何代目が何年に・・・とか言う記述で?でもその記述がなければ何十年、いや百年にもわたる一家の歩みは語れないだろうし・・・1話づつが本当は長編に仕立てるべき物を端折ってしまったからではないか?短編にするために?急ぐ余り何代目がどうして何代目がどう繋いで・・・という走り方をしたのが飲み込みにくい部分になってしまった?だから余りそういう部分に力を入れていない物語の方がまだおもしろく読めたのかもしれない。
一つの物語に書き込まれる商店の代々の変遷がこの物語一つ一つの眼目なのではあろうけれども、作家は江戸に何代も代を重ねた商家を縦線にそれに絡む江戸の庶民の哀歓をこそ描きたかったのだろう。
その縦線がある意味で物語の連綿性?を損なっているような気がして・・・だってその辺りが読みづらかったのだもの・・・と私はぼやいている。一つ一つのその屋の家業は面白かったのだけれども、共感しやすい庶民・町やの人々の物語を切ることになってしまったよう。
例えば一番読みやすくて好感を抱いた「石場の暮雪」はそういう商家の長話が無かったし、「やぐら下の夕照」もその点があっさりしていたせいか読みやすいと思い共感を感じられた。
さくらさんに好意を持った「木場の落雁」はさくらの成長話と商家の生き抜く智恵の両立が割合上手くいっているとは思うものの、やはり水に油が流れ込んでいる軽い違和感が読みにくさを読後に残した。ここまで描くならじっくりと長編乃至は中篇にまで育てても良いのではなかろうかと。
つまりこちらは短編として、読みやすい江戸情緒を単に求めていたのに対して作家には読者に江戸時代という時をきっちり意識させる時代物を書くぞという矜持がはっきりあったということかもしれない。私みたいに読みやすい作品、乗りやすい作品、溺れやすい作品を期待する読者は全くこの作家には迷惑な読者かもしれないなぁ?特にこの作品では。
周五郎さんや正太郎さん、周平さんとはまた違う丁寧さ・こだわり方がこの作家の持ち味なのかもしれない?この辺りが好き好きというところだろうか。