ロザムンド・ピルチャー著

この物語は一口に言うならばスコットランドのストラスクロイという村の二つの家族を中心とした長編群像劇だろうか。
様々な年代の男女が織り成す、ある年の5月から9月の間の物語である。
クロイ館のバルメリーノ家の夫婦、夫の妹、娘とそのボーイフレンド、息子、の一家と・バルネード荘のエアド家の夫婦、その母(姑)、娘とそのボーイフレンド、息子、忠実なナニー(乳母)の家族を中心に、平和な穏やかな生活の中でそれぞれごく善良で普通の人々が屈託を抱えて生きている様がつづられる。
私たちが人生の途上で直面する問題と変わらない問題が短いスコットランドの夏に表面化し、それを家族の愛情と信頼と努力で克服していくといってしまったら余りに簡単だろうか?
スコットランドの現状、金銭問題、夫婦の愛情問題、子どもの教育問題、放蕩娘の帰宅・・・と人生における岐路が交差する。
しかしそれは特別なものやセンセーショナルなものではなく、私にとっても身近な問題だから、自分にひきつけて感情を揺さぶられながら読むことになる。
ここに登場する女性たちの生き様は丁度私の人生の色々な時代を反映しているようで、私にとって見知らぬものでも他人事でもない。
その等身大の女性のそれぞれにいじらしい生き方がこの作品を輝かせている。
アレクサは私が少女期を脱した頃「そうありたい!」と思った姿を彷彿させるし、ルシラは私がまだ若かった頃「そうしたい!」と思った生き方を体現しているし、イザベラの現状は私が通ってきた道そのものだし、ヴァージニアは女として私が「持っていたら!」と思ったものをすべて持ちながらそれだけでは幸せにはなれないという事を教えてくれる。
そして、ヴァイオレットはこの先私が「なりたい!」と目標にしたい姿を見せてくれる。
スコットランドの気まぐれな陽光が、今は暗くて荒れていて何とか凌ごうと思っている時に、いきなり頭上にきらめくように、人生にも何時どんな時にきらめきが訪れるかと期待させてくれる。
そう、例えばロティが体現するような悪意が私たちの身について離れない時があっても、家族が揃えば、家族が愛情を持ち合ってさえいれば、何らかの光が現れるのだと言う事を素直に信じさせてくれる。
確かにこの物語は甘い!
でも、こんな明るい見通しのある世界を信じてみたい。
ピルチャーさんの作品には南国の生活が描写されることが多く、この作品でもパンドラのマヨルカ島での生活が描写されている。
その南国の太陽の明るさが物語の底にたゆたって、バックグラウンドミュージックのように暖かさを奏でているような気がする。