ロング・グッドバイ ロング・グッドバイ
レイモンド・チャンドラー 村上 春樹早川書房 2007-03-08
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レイモンド・チャンドラー著
             村上春樹訳

海外の作家の作品を翻訳者の名前で検索しようなんて思ったことも無かった。
確かに、誰が翻訳したもので読んだかということは翻訳書の場合ズーッと後々まで後を引くことはある。
私にとって外せないのは、堀口大学訳の「ルパン」物。但し堀口さんはルブランの全作品を翻訳していないらしく、他の訳者で読まなければならないものがあるのが、最初のルパンを堀口さんで読んだ私とすれば残念。同じく「赤毛のアン」も村岡花子さんとは切っても切れない。しかしそれは皆、たまたま最初に読んだ時の翻訳者がその人だったために過ぎない。そしてそれなりに個性があった!から。
この作品は多分学生時代に「マルタの鷹」などのダシール・ハメットの作品群と一緒に読んだっきりの作品だ。あの頃面白く読みはしても何度も何度も読み直したい作品にはならなかった。何しろ読みたい本が目白押しだった。最もそれは今も変わっていないけれど。
しかも村上春樹さんの膨大な作品群の中の1冊さえも私は読んでいないというのに・・・?何で今この人の翻訳だからといって読もうという気になったのか?ミーちゃんハーちゃんだからにすぎないのでしょう!よ。
図書館で翻訳者の名前で検索できるんだ!今「新訳」を謳う本が多く見られるから役に立つかも?でもなぁ・・・?いずれにしても私には久しぶりの翻訳小説だ。
翻訳者の違いによるのかもしれないが、昔読んだ時はこんなに寄り道というか薀蓄というか蛇足というか・・・主筋に関係ない話がこんなに膨らんであったのか気が付かなかったよ・・・という気が先ずした。司馬遼太郎さんの本も晩年になればなるほど筋から離れた薀蓄が多くなって、それは時には面白く読めたが、時には「邪魔だなぁ・・・」というため息にもなったっけ。
ふっとそれとオンナジジャン!と思ってしまった。そして訳者の長い後書きの中で訳者がその部分を痛く気に入っていて、やはりその部分がチャンドラーのチャンドラーらしさを際立てているらしいと思ったのだが。若かった頃には私はその部分をすっ飛ばして筋を読んでいたのだろうか。膨らんでしまった、または膨らませざるを得ない作者の傾向嗜好を楽しめる読者ではなかったのだ。
それでもフィリップ・マーロウの名をサム・スペードと共に忘れることは無かったのだから、主人公の魅力には十分惹かれたのだろう。
実際読み直してみて、多分この数十年間の時も彼の魅力は全然減じることは無かったのだなぁと改めて思っている。男の究極の姿勢として頷ける気がする。彼の姿勢を貫く様は一つ一つの彼の科白が際立たせる。その姿は女性が愛しさを感じずにはいられない不器用さを備えていて・・・可愛い!
こういう男と永遠に付き合える女性はいないかもしれないが、彼に惹かれない(または反発と同義?)女性もまたいないだろうと思われる。
図書館に帰そうとして玄関に置いておいたら、目ざとく見つけた息子が「いいな、いいな、読む時間があって。読みたいのにコッチは時間が無いんだよ。」と、ぼやいた。そういえば学生時代の彼の本棚では村上さんがひしめいていたっけ。だからこの本だけ読む気になった私はなんとなく・・・なんで?・・・申し訳ないような気持ちになってしまったじゃない。