八日目の蝉 八日目の蝉
角田 光代中央公論新社 2007-03
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角田光代著

この作家の本を読むのも初めてです。
読み終えて最後の「著者紹介」で、色々な賞を取った方だと知りました。「遅いよ!」と突っ込まれそうですが、何でこの本を最初に読むことになったのかというと、新聞の書評で図書館に予約を入れたら何百人待ちもだったのでとりあえず!でした。先ず1作読んでからその作家を読み続けるか決めようと思っていますから、他の作品を検索してみなかったのです。この作家のファンだったら先ず何をお奨めしてくれるのでしょうね?
正直なところこの作品は女である私、母親でもある私には重い作品でした。静かに始まって静かに終っていくその合間の切羽詰ったドラマはこの作家の持ち味なのでしょうか?非常に押えた筆致で、うっかりすると読み落としてしまいそうです。何事も無かったみたい!って。こういう事件って何年かに一度、全く同じではないけれど目にするようです。
そういう意味では普遍的な命題でもあるかもと思ったとき何故かドキドキしました。
0章から1章へ、1章の終わりに0章’みたいなのが付いて2章へ。そこで語り手が加害者(というべきか?)から被害者に替わります。
そこでまた思うんですよ。人は何らかのモノに対して加害者でもあるし被害者でもある。そういう二人がまたなんというか、別な意味で別な思いで人生を重ね合わせているんですよ。そこが切ない。ある種トラウマ?を負った過去は人格を作りそこなうものなのか。生きる時には傷つけ、傷つけられるなんて、当たり前の事を正面切って言わなければならないとしたら・・・なんと生きるのって難しいことでしょう。
でも、どんな形であれ寄り合い寄せ合う情や具体的な援助という救いもあるのです。そういう社会の中で自分を自分として認めるには何が必要十分条件か?と考えさせられました。
その意味ではエンゼルさんのスタディは面白いというか手段の一つとなりえるかも・・・と思ってしまいました。が、この手の集団が消え去らず何度も何度も社会面に顔を出す理由もちゃんとあるので、やっぱり人間は悲しいという気分になってしまいました。いやだなぁ。でも物語の二人は(千草さんも含めて3人?家族も含めて6人?)7年以上かかったけれど、脱皮できて?道が見つかってよかったねぇ。
それでも、からっぽ、がらんどう、蝉の抜け殻・・・のイメージはいやだなぁ。
最後のメッセージを書き抜いておきましょう。忘れないように。
「7日で死ぬよりも、8日目に生き残った蝉のほうがかなしいって、あんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど、それは違うかもね。八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどひどいものばかりでもないと、私は思うよ」
この行を思いついたときにこの本が生まれたみたいね。