メリメ著

映画「山猫」を見たので、イタリア半島近くの島のお話を思い出しました。
私にとっては古い友達のようなコロンバ嬢をご紹介申し上げます。
メリメの作品は確か少年少女文学全集に載っていた「マテオ・ファールコーネ」が最初の出会いで、この短いけれど強烈な作品のイメージで作者の名前を覚えて、次に読んだのが「コロンバ」でした。
「コロンバ」で虜になり「カルメン」でため息をついたというところでしたが、彼の作品にはその後出逢っていません。
「カルメン」の方がよく知られているでしょうね。
ビゼーの歌劇「カルメン」の原作です。
でも「ハバネラ」を聞くと私の背中に忍び寄ってくるのはコロンバです。
復讐を成し遂げさせた後に、輝きを放つコロンバの瞳です。
あの曲には何か女の凱歌のような響きがあります。
「コロンバ」は高校生の私が「倫理」の時間に「『コロンバ』と『モンテ・クリスト伯』の中に見る復讐という名のカタルシス」を題材に書いた作文で先生に「褒められた!」忘れられない作品です。
そう、復讐譚です。
コルシカ島を舞台の。
イタリアの長靴の先っぽに、今にも長靴に蹴飛ばされそうにあるのがシシリア島で、ここはイタリアで「山猫」の舞台ですが、長靴に降りかかる雨粒のように長靴の横にあるのがコルシカ島で、ここはフランスで「コロンバ」の舞台です。
マフィアの源はこのイタリア・シシリア島の方だそうですが、「コロンバ」を読んでその復讐心の強さ、熱情、激しい気性、家族郎党の絆の強さなどを読み取ると、このコルシカもマフィアのふるさとみたいじゃないかと思ってしまいます。
そして、私には現代日本を生きる人間の感情・血はコルシカ人のそれと比べると、ただ濁った水のようなものじゃないかしらと思えてしまいます。
コロンバが見せる激しい直情の一本線なこと!
この本を読むと、いやおうなく、私たちの逡巡、思考、見栄、格好、配慮・・・とにかく周りを気にしたり、損得を考えたり、後々の事を思い迷ったり、中途半端な道徳心や、中途半端な教養、様々な付属物や不純物を意識させられます。
「感情というものはこういうものなのだ!」って、人間の原点を突きつけられる思いがあります。
「目には目を・死体には死体を」
今の私たちにはそんなことはあってはならない、許されざることだというのは百も承知で・・・「でもそれは何故?」と思わせるのは、ひとえにコロンバの表現するコルシカ人の「血」の激しさの魅力・魔力でしょうか。
最後にコロンバを見送る農婦が言います。
「あんなにきれいなお嬢さんがどうだろう、眼で魔法をかけるんだよ。」
コロンバの眼がかける魔法はコルシカの育んだ地方色であり、民族性であり、血なのです。
子どもの時に国を離れフランス的な教養を見につけた兄オルソが忘れた(失いかけた)「民族の血」をコロンバの眼は兄から引き出します。
兄が愛したイギリス女性が、兄を感化しようとした愛と洗練された文化性を押し流す勢いでコロンバの直感と直情が走ります。
女の原点がここには有るような感じです。
可愛らしさ、愛情深さ、激しい憎しみ、手段を選ばない策謀、愛するものに仕えるいじらしさ、おまけに美貌までも!
コロンバは、「際立った美貌、二十歳、背が高く、色白で、濃い青い眼、薔薇色の唇、栗色の長い髪を編んで頭に巻きつけ、メッツァーロという黒いヴェールを被り、誇りと不安と悲しみをまとって」私の前に現れた時から私をも虜にした女です。