アサッテの人 アサッテの人
諏訪 哲史講談社 2007-07-21
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諏訪哲史著

さてなぁ・・・?読み終わったからといって何か書けるか?という、雰囲気を心に残す作品。
例えて言えばこちらの立場に応じて大きさやビブラートが微妙に違って返ってくるこだまのような本とでも?
読み終わってからの数日で牛のように反芻していると、毎日私の評価?が日替わり弁当のように変わる。
読み易かった。文そのものは平易だった。構成も分かり易かった・・・「僕」がどのように構成したら分かりやすいか・・・という構成のありようをちゃんと語っているのを素直に受け入れればのことだが。
これが一度引っかかってしまうと難しくなるのかも知れない・・・チェッ衒いやがって・・・風に?
用語に引っかかってしまうと・・・チェッかっこつけやがって・・・風に?
でも素直に叔父を紐解こうとする、最も身近だった僕の試みとして読めば、そこにアサッテの方向に折れ曲がっていった叔父の軌跡が浮かびあがってきて、一つの小説を読み終えることが出来る。
そうしてそうだったと思った日には、私は面白い試みの小説だったなぁ・・・と、満足して読み終わった本を眺められた。
でも使われた言葉に意識が捕らえられた日には、私はしかめっ面になり、これは小説としてというより「存在した一つの意識」への案内と解析の書として文章を再吟味に掛けねばならないと思い直す。
ヤレヤレこの短めな本はある意味面白すぎたのかもなぁ・・・なんて。
この私の読後感想では引用はあまりしたくないのだけれど、気になって頭から去らないものがどうしても有るのだ。
「律のないところでいくら逸脱しても、それは逸脱ではない。・・・
逸脱の本懐がある。(148P)」から書き起こされる「日常の抑圧を排したところにアサッテもまたありえない・・・」まで。
また、P156の「・・・自分の周囲に絶え間なく生起し続ける日常の凡庸さを、より意識して見つめる習慣をつけることであった。現実を覆う凡庸は、意識されることで鍛えられ・・・その定型の強度に対する生理的反動がアサッテを呼び込み・・・」云々で、否応なく日常の凡庸さにどっぷりハマって居心地良く過ごしている私をどきりともさせる。しかしここでアサッテがより明確になり、アサッテの方角へ引き寄せられる生のありように理解が及ぶ。
だけど、だけど、本音を言えばもうこの人生で爆発的な生の覚醒をもたらされたら・・・事だぞ・・・的意識が鎌首をもたげて・・・慌てて本を遠ざけるのである。参ったなぁ・・・。

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これってどういう働きが有るのでしょう。私は先生によく怒られます。「その駄目押しは何?自信がないから余計な駄目を押さなきゃならなくなる!」って。