北原亜以子著

北原さんの小説を始めて読んだのは「深川澪通り木戸番小屋」で、続けて何作か読んだのだから、その頃はもう女性の時代小説作家としてすっかり人気作家になっていらしたのだろう。その後「天保六花撰」で勢いが止まってしまった。作家のではなく私の勢いだが。「天保」ははっきり言って私の好みではなかったので「澪通り」の続きがでてくれないかなぁ・・・と、思いながら、お捨さんも笑兵衛さんも木戸番小屋を離れたのだから続きはないと諦めてしまっていた。
NHKで「慶次郎」を見てああこんな作品も有ったのだなとは思ったのだがTVで見る彼らの世界は妙に持ってまわって捻ってまわっている?って感じがして・・・なんかこう素直にうんうんと頷ける感じがもう一つ遠い。薄ぅーくいやーな情の押し付け、厄介すぎる勘繰りが被っているような、痒いところを掻き過ぎてくれてるような?これは読むには億劫そうだなぁと思った。そんなわけで以来北原さんの作品をチェックするのを忘れていた。そしたら見つけました。澪通りの続編を。
でも、これはどういう位置付けになるのでしょう。お捨さんは相変わらず健在でころころ転がるような声で笑っておられました、木戸番小屋で。(ともあれ、作者に殺されてなくて良かった!)
ほっとしました。中島町の木戸番小屋へ行けばあの二人が微妙に癒しを含んだ方向転換の風を吹かせているのだなぁ・・・でしょうか。
この小屋の前を通り過ぎて行く女たちは皆自分の足でおぼつかないながらも、かたくななりともお江戸の町でちゃんと生きているのだけれども、この小屋を通り過ぎた後〈何かながらも〉は憑いていた物を脱ぎ捨てて、以前より軽やかな、晴れやかな足取りになっていくようで、そこがこのシリーズの読後感のいいところなのだろう。
私とそう変わらない?年頃のお捨さんがどうしたら女神のような、他人への触媒のような存在で在れるのか?いい年をしてまだ棘だらけで自分だらけの私は頭を垂れてしまうのです。木戸番小屋のこの不思議な夫婦に、だからどうぞ何時までもそのままの存在でいてくださいと願うしかありません。何時か私がそこへたどり着けるまで。