指輪物語

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J・R・R・トールキン著

さて、なんといって書き始めたらいいか?
そもそもこの物語について書いてもいいのだろうか?
随分悩みました。
私自身に限ってみれば、お勧めしたくてしょうがないくらいの本です。
でも、なんといっても長すぎます。
この物語を読むに当たって、まず「ホビットの冒険」や「シルマリルの物語」を読んでくださいなんて言ったら、モットモットモット大変です。
全部読めばあなたはトールキンが作り上げた大宇宙・一つの壮大な歴史・別世界の大叙事詩の見届け人になれますが。
それはそれは素晴らしい世界です。
ところがこの物語が映画化されたので、本は読んでいなくとも、この物語を映画で楽しんだ友人が何人かいたので、
「本はもっと面白いわよ!」
「映画の補足にもなるし、イメージがぐんと膨らんで指輪物語の世界がビビットになるわよ。是非お薦めよ。」
なんて、薦めてしまいました。
私の本の選択眼を信頼してくれている二人の友人が早速評論社の文庫本9巻を買い込んで挑戦しました。
でもお一人は一巻を読み終える前に
「あんた本当にあれ面白いと思ったの?」と言ってくるし、
もうお一人は
「駄目だ!名前が頭に入ってこないんだもの。映画なら顔で分かるけどさ。オーランド・ブルームは覚えた(綺麗な人よねぇ!)けど、
役名はなんだったか、だいたいあの人間じゃない種類ってなんだっけか?」なんて言って、どうやらブックオフ行き?
で、もう一人
「ちょっと長すぎてさ、本屋で立ち読みしたら、読み通す自信が無くなったから、あなたの借りてまぁ一応挑戦してみるわ。」
と言った友人がいたのですが、彼女は6ヶ月かかって何とか読み終えたのです。
でも「ちゃんと分かったかは自信が無いわ。」ですって。
3人の共通項は50代。
ふーむ、確かにカタカナの名前は強敵ですし、また登場人物の量?は半端じゃありませんから。
だから、お若い方に(頭の中が?)お薦めしたいと思います。

「すっごいなぁ!」とタダタダ私は感心してしまいます。
一人の人が天地創造から人間の世になるまでの壮大な歴史を作り上げてしまったんですものね。
しかも飛びっきり想像力に満ち溢れていて、とびっきり勇壮なんですもの。
ホビット族とかエルフ族とかドワーフ族とかエント族とか人間族とか魔法使いまで沢山の種族を作り上げた上にその言語まで創造してしまったんですもの。
どきどきしながら読み進んで、はらはら手に汗握って、夢中で応援してしまいます。
それにあの地図!
一生懸命彼らの辿った道を指で追いながら読みたいのですけど、足りないところ、見付からないところがあって(出てくるすべての地名が載っているわけでは無いのです)、自分の想像力で補わなければならないのもそれはそれで面白いのです。
そして種族のそれぞれの家系にまで目が向くと又そこには面白い興味深いものがあるのです。
この物語の登場人物の中で私のお気に入りはアラゴルンとサムです。
アラゴルンの指輪の旅が始まるまでの長い苦闘の生活と彼に付き纏っているなんともいえない憂愁、この旅が始まってからのサムの使命に対する無私の無垢の奉仕、忠誠心が私を魅了するのです。
「ああ、こんなに意志強く真一文字に生きられたら!」なんて思ってしまうのは、私が全くその正反対の生活をしているからに他ならないのですけれどね。
私の送っている、又送ってきた生活には無いすべてのものがこの物語にはぎっしり詰め込まれているのが嬉しいのです。
私の中にあるロマンチックな感情が最後のアラルゴンの王位継承とアルウェンとの結婚、そしていずれ訪れる別々の死に過剰に?反応してしまうのです。
この恋の場合アラゴルンよりアルウェンの選んだ路の方が過酷ですよね。
私にはそう思われて、アルウェンの為に涙を流すのですけれど、成就した余りにも甘美な恋は美しすぎて、私の流す涙も又甘いのです。
旅の間にフロドの負った永遠に癒されない痛手も私の心を揺さぶりますし、ピピンとメリーの二人には笑わせてもらいましたし、ギムリとレゴラスの種族を超えた深い友情にも感動させられますよね。
最もこの旅の仲間の取り合わせそのものが意義も魅力もあるのですけれど。
この長い物語の中から一体どれほどのものが汲み取れるかは読む人それぞれのお楽しみでしょう。
そしてきっと汲みつくす事は出来ないほどいっぱいお楽しみの可能性があるでしょう。
冒険が好きなら、虜になるのは簡単!
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高慢と偏見

題名INDEX : カ行 160 Comments »

お正月に「プライドと偏見」という題で映画が公開されましたから、
その原作であるこの本を読んだ人も多いかもしれませんね。
私がはじめて読んだのは学生時代でしたが、彼女の作品は「エマ」と「高慢と偏見」と「分別と多感」が図書館には並んでいました。
実際オースティンは42歳に満たない短い人生の中で6篇くらいの作品を残しているだけです。
私が「高慢と偏見」を見つけた頃には未だこの3冊しか翻訳されていなかったのかも知れません。
でもその頃たまたま手に取ったこの作品は、私の人生を通しての愛読書となり、多分これからも折に触れて私は手に取ることでしょう。
18世紀後半から19世紀初頭のイギリスの田園で繰り広げられるこのドラマは21世紀になった今でもちっとも色あせることなく読む人に色々なものを与えてくれるようです。
物語愛好家にはロマンチックな恋物語を、モットまじめに人生を考えたい人にはちょっとした人生のヒントを、人生を厳しいと感じている人には人間の愛すべき滑稽さとその中にある救いを与えてくれるのではないかしらと思います。
私にとっては只「楽しい時間を!」です。
人生がちょっぴり色あせたと思う時、私の周りがちょっと厳しいと思える時、只単純に体調が思わしくない時、私はこの物語を手に取ります。
「エマ」の方が傑作だという人も入るようですが、「エマ」は私にはきつい時があって、体調の充実しているときには「エマ」を読み直すことが出来ますが、「高慢と偏見」はどんな時でも「OK!」なのです。
むしろ辛い時の慰めにお勧めしたいくらいの作品です。
今と全く時代相も、社会相も違う世界なのに、ここに生きている人々はそんな事を蹴飛ばして私に慰めと勇気を与えてくれるのです。
勿論「結婚」にいたるのが人生の幸せだなんていう幻想はもう私だって抱いていません。
だから彼女たちの、いえ特に、彼女たちの母の世代の結婚観は大いに笑えます。
でも、あの時代違う階層の人との結婚は非常に難しく、本当に上手くめぐり合わなかったら同じ階層の人との結婚も難しく、しかも結婚できなかったら男の兄弟の厄介になって人生を終えなければならないと言う状況に置かれやすかったという事を思えば彼女たちの結婚観を笑えませんね。
日本の江戸時代も似たようなものでしたが。
今と全く女性の置かれていた立場が違うと言うことは読む前に念頭に入れておかねばなりません。
しかしやはりこの物語には人間の普遍的なものがしっかり根底にあるのです。
だからこの色とりどりの姉妹たちの誰かに読む人は共感をもてるでしょうし理解も出来るような気がします。
ジェーンの心の美しい佇まいに心引かれ尊敬もし、又主人公のエリザベス(リジー)の心の闊達さと行動力と自分を素直に飾り気無く表現する生き生きとした姿勢に心引かれもするのでしょう。
間違いをおかし右往左往し、自由自在に人をけなしたり、いい加減に評価したりする過ちを私もしょっちゅう犯しているのですから。
そしてそれにちゃんとしっぺ返しを喰っちゃうんですから。
だからあちらこちらで笑っちゃえもするんですよね。
色々な人物に大いに笑って、ちょっと成り行きにはらはらして、終わりで「よかった!」と、胸をなでおろして。
にっこり本を閉じられるのです。
私の「永遠の一冊?」の一つです。

オリバー・ツィスト

題名INDEX : ア行 185 Comments »

作 チャールズ・ディケンズ

「映画が来る!」
というので、それもあのロマンスキー監督の作品として。
しかも80億円という制作費の殆どが当時のロンドン再現の為に費やされたと聞けば、読み返したくなるのも当然?
何しろ前回読んだのは40年以上も昔のことなのだから、もう殆ど覚えていない。
覚えているのは「孤児が泥棒家業の末、優しい人に引き取られて幸せになったという簡単すぎるあらすじとなって!」である。
その再現された当時のロンドンというものだけでも見る価値はある。
しかし昔読んだ人間としてはやはりここはディケンズ氏に敬意を表して再読しておくべきだろう。
というわけで早速図書館に行ってみれば、なんとちゃんと書架に「オリバー」は鎮座ましましていた。
「ナルニア国物語」が図書館で予約(したのは映画館で予告編を始めてみた半年以上も前である)してから未だに届かないというのに、これはどうしたことだろう?
最も読み始めた3行でもう既に回答は私の中では出ていた。
今時好まれる簡易な始まりではないのだ。
物語はいかにも持って回った小難しいひねくれた表現から始まっているのだ。
しかしである。
「とにかく読み進んでください!」
と、私は言いたい。
物語の流れに飛び乗ってしまうと、そこには波乱万丈の少年の人生が本当に様々な悪人善人の仲に繰り広げられているのである。
果たしてこの物語の主人公はこの少年だったのだろうか?という気持ちが最後には浮かび上がってくるかもしれない。
社会の底の底、ロンドンの下層階級、それも実に劣悪な環境の中を這いずり回っている多くの悪人たちの生き生きとした描写は、このおとなしく美しい顔に生まれついた少年の可憐な哀れさを押しのけて勢いがあるのである。
人間の性は生まれながらに決まっていると作家は思っていたのだろうか?
あの環境で、生まれて、育って、小突きまわされて、なおかつ清純な気質と愛情豊かだった親の気質を捻じ曲げられずに人は育つことが果たして出来るのだろうか?
それがとても疑問に思えるぐらい、フェイギンとその一党は紛れも無く本の中で生きているのである。
あの影響力を受けないであの幼い少年が生き延びていけるのは信じがたい。
しかしその一点でまた読む者は心打たれてしまうのである。
ああでありたい!
ああなんと健気なことか!
なんと善良で哀れみに満ちた人々が一方には居ることか!
人の世の善に心打たれもするのである。
だからお読みください。
色々なことが今読んでも古くはなく、人の一面を余すところなく表現しきっている見事さに、作者の技量の凄さを感じ取れるはずですから。
心をこんなにも動かしてくれる作品はそうはないのですから。

ダ・ヴィンチ・コード

題名INDEX : タ行 207 Comments »

「ダ・ヴィンチ・コード」 作 ダン・ブラウン

出版されて、新聞の新刊案内で読んで、間もなく図書館で予約した。
しかし待てど暮らせど・・・
問い合わせれば、「後数百数十人待ち」と言われた。
「なるほど」と、爆発的な人気に実感が伴った。
2005年年末、ようやく順番が回ってきた。
3日で読み通した。その間家事一切停止状態。
面白かった!
最近こんな勢いで読んだ本があるだろうか?
読んでいる間中、頭の奥底の方でサッチモが「モナリサ・・モナリサ・・」と歌っていた。
キリスト教徒の読者ならこの本に対する好悪ははっきり二分されるだろう。
キリスト教徒に何の縁もない私には推理物としての興が感想の第一である。
しかもその底にあるキリストの結婚という大前提は衝撃的ですらある。
ある意味で宗教の祖という者はすべての信者と結婚しているようなものだ。
私は世界中でキリスト教ほど手に負えない物は無いと常々思っている。
「世の中の大半、いや殆どすべての戦争はキリスト教のせいだ!」
キリスト教もユダヤ教もイスラムも根は同じである。
そもそも宗教というものが無かったら人間はどれだけ争いの種を少なく出来ただろうか?と考えてしまうのだ。
あー反論は想像がつく!
でもね!
キリストの結婚という一事でさえ十分激しい論争を招き、その結果戦争へという事態だって招きかねない(いや招く)くらいのものだ。
勿論これはキリスト教圏では古くからあった論争の一つではあるらしい。
部外者の私から見れば、もしイエス・キリストがあの世界最古の女性職業を持つマグダラのマリアと結婚していたのだとすれば、それは究極の愛、偏見の無い愛、最高の許しである愛だと思うのだが、ある種のキリスト教徒にはその愛は到底受け入れられないものの様である。
カトリックの坊さん以外は殆どの聖職者が結婚している事を思えば、またキリスト教徒における家庭生活の重みと言う事を考えれば、キリストの結婚は許されて然るべきだと考えるのは当たり前ではなかろうか。
だが実際は、「むしろイエスの結婚こそが人生において偏見の無い無私の手本ともなるだろうに。」などと考えることも許せない宗教者が多いようだ。
ま、その辺はさておき、この物語の人を引きずりこむ点は主人公の二人の組み合わせにも負うところ大である。
全く専門知識の先鋭化ということには限が無い。
暗号専門家の頭脳の中を覗いてみたいものだ。
謎を解くということの中にあるカタルシスは最高だ。
だからこそ謎(暗号)を解くタイプの推理小説は永遠に不滅なのだから。
ポー、コナン・ドイル、ルブラン、クリスティ・・・作品を送り出した推理小説作家は引きもきらない。
その中にあってもキリストの結婚という重大事を主題にすえたこの作品にこの作家の性根の凄さを垣間見ることが出来る。
挑んだハードルは物凄く高かったと思うがそれを見事に飛び越えて、更に最高のエンターテイメントが付け加わっているのだから!
「スリリング」という言葉を思い出した。
子供の頃は本を読んで夢中になると登場人物の様子(顔立ちや姿)をよく想像したものだが、映画好きとなった現在私はよく頭の中で役者さんの配役をする。
この役はあの人に、この役はこの人に・・・。
そうするとその人が立ち上がって私の中で物語が進行していく。
しかし今回は遅れを取った。
図書館で配本順位を待っている間に、映画化が決まり配役も発表されてしまった。
オドレイ・トトウがヒロインなのは分からないでもない。
ごくフランス人らしい女優さんだから。
でも彼女の今までの作品からするとあの知性的な雰囲気にどう迫れるのかなと、ちょっと危惧を抱いてしまう。
何しろ「アメリ」が余りにも印象が強烈だったので。
その分楽しみは大きいと思おう。
さて、トム・ハンクスはどうだろう?・・・微妙・・・?と考えていたら映画館で予告編を見てしまった。
イメージの全然違う彼が居た!
紳士然としておじ様になったトムが!
プライベート・ライアンのトムとも、フォレスト・ガンプのトムともグリーン・マイルのトムとも・・・どのトムとも違った・・・トムが。
正直驚いた。
これだから俳優さんに魅せられる。
映画に魅せられる!といったもんだ!
どうやら彼らの「ダ・ビンチ・コード」楽しみになってきた。
でも見る前に忙しい時に吹っ飛ばして読んでしまった原作をまず読み直したい。
映画で違ったイメージが住みついてしまう前に、私のオリジナル・イメージを作っておきたい。
その価値が十分にある作品だ、これは!

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