オリバー・ツィスト

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作 チャールズ・ディケンズ

「映画が来る!」
というので、それもあのロマンスキー監督の作品として。
しかも80億円という制作費の殆どが当時のロンドン再現の為に費やされたと聞けば、読み返したくなるのも当然?
何しろ前回読んだのは40年以上も昔のことなのだから、もう殆ど覚えていない。
覚えているのは「孤児が泥棒家業の末、優しい人に引き取られて幸せになったという簡単すぎるあらすじとなって!」である。
その再現された当時のロンドンというものだけでも見る価値はある。
しかし昔読んだ人間としてはやはりここはディケンズ氏に敬意を表して再読しておくべきだろう。
というわけで早速図書館に行ってみれば、なんとちゃんと書架に「オリバー」は鎮座ましましていた。
「ナルニア国物語」が図書館で予約(したのは映画館で予告編を始めてみた半年以上も前である)してから未だに届かないというのに、これはどうしたことだろう?
最も読み始めた3行でもう既に回答は私の中では出ていた。
今時好まれる簡易な始まりではないのだ。
物語はいかにも持って回った小難しいひねくれた表現から始まっているのだ。
しかしである。
「とにかく読み進んでください!」
と、私は言いたい。
物語の流れに飛び乗ってしまうと、そこには波乱万丈の少年の人生が本当に様々な悪人善人の仲に繰り広げられているのである。
果たしてこの物語の主人公はこの少年だったのだろうか?という気持ちが最後には浮かび上がってくるかもしれない。
社会の底の底、ロンドンの下層階級、それも実に劣悪な環境の中を這いずり回っている多くの悪人たちの生き生きとした描写は、このおとなしく美しい顔に生まれついた少年の可憐な哀れさを押しのけて勢いがあるのである。
人間の性は生まれながらに決まっていると作家は思っていたのだろうか?
あの環境で、生まれて、育って、小突きまわされて、なおかつ清純な気質と愛情豊かだった親の気質を捻じ曲げられずに人は育つことが果たして出来るのだろうか?
それがとても疑問に思えるぐらい、フェイギンとその一党は紛れも無く本の中で生きているのである。
あの影響力を受けないであの幼い少年が生き延びていけるのは信じがたい。
しかしその一点でまた読む者は心打たれてしまうのである。
ああでありたい!
ああなんと健気なことか!
なんと善良で哀れみに満ちた人々が一方には居ることか!
人の世の善に心打たれもするのである。
だからお読みください。
色々なことが今読んでも古くはなく、人の一面を余すところなく表現しきっている見事さに、作者の技量の凄さを感じ取れるはずですから。
心をこんなにも動かしてくれる作品はそうはないのですから。

ダ・ヴィンチ・コード

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「ダ・ヴィンチ・コード」 作 ダン・ブラウン

出版されて、新聞の新刊案内で読んで、間もなく図書館で予約した。
しかし待てど暮らせど・・・
問い合わせれば、「後数百数十人待ち」と言われた。
「なるほど」と、爆発的な人気に実感が伴った。
2005年年末、ようやく順番が回ってきた。
3日で読み通した。その間家事一切停止状態。
面白かった!
最近こんな勢いで読んだ本があるだろうか?
読んでいる間中、頭の奥底の方でサッチモが「モナリサ・・モナリサ・・」と歌っていた。
キリスト教徒の読者ならこの本に対する好悪ははっきり二分されるだろう。
キリスト教徒に何の縁もない私には推理物としての興が感想の第一である。
しかもその底にあるキリストの結婚という大前提は衝撃的ですらある。
ある意味で宗教の祖という者はすべての信者と結婚しているようなものだ。
私は世界中でキリスト教ほど手に負えない物は無いと常々思っている。
「世の中の大半、いや殆どすべての戦争はキリスト教のせいだ!」
キリスト教もユダヤ教もイスラムも根は同じである。
そもそも宗教というものが無かったら人間はどれだけ争いの種を少なく出来ただろうか?と考えてしまうのだ。
あー反論は想像がつく!
でもね!
キリストの結婚という一事でさえ十分激しい論争を招き、その結果戦争へという事態だって招きかねない(いや招く)くらいのものだ。
勿論これはキリスト教圏では古くからあった論争の一つではあるらしい。
部外者の私から見れば、もしイエス・キリストがあの世界最古の女性職業を持つマグダラのマリアと結婚していたのだとすれば、それは究極の愛、偏見の無い愛、最高の許しである愛だと思うのだが、ある種のキリスト教徒にはその愛は到底受け入れられないものの様である。
カトリックの坊さん以外は殆どの聖職者が結婚している事を思えば、またキリスト教徒における家庭生活の重みと言う事を考えれば、キリストの結婚は許されて然るべきだと考えるのは当たり前ではなかろうか。
だが実際は、「むしろイエスの結婚こそが人生において偏見の無い無私の手本ともなるだろうに。」などと考えることも許せない宗教者が多いようだ。
ま、その辺はさておき、この物語の人を引きずりこむ点は主人公の二人の組み合わせにも負うところ大である。
全く専門知識の先鋭化ということには限が無い。
暗号専門家の頭脳の中を覗いてみたいものだ。
謎を解くということの中にあるカタルシスは最高だ。
だからこそ謎(暗号)を解くタイプの推理小説は永遠に不滅なのだから。
ポー、コナン・ドイル、ルブラン、クリスティ・・・作品を送り出した推理小説作家は引きもきらない。
その中にあってもキリストの結婚という重大事を主題にすえたこの作品にこの作家の性根の凄さを垣間見ることが出来る。
挑んだハードルは物凄く高かったと思うがそれを見事に飛び越えて、更に最高のエンターテイメントが付け加わっているのだから!
「スリリング」という言葉を思い出した。
子供の頃は本を読んで夢中になると登場人物の様子(顔立ちや姿)をよく想像したものだが、映画好きとなった現在私はよく頭の中で役者さんの配役をする。
この役はあの人に、この役はこの人に・・・。
そうするとその人が立ち上がって私の中で物語が進行していく。
しかし今回は遅れを取った。
図書館で配本順位を待っている間に、映画化が決まり配役も発表されてしまった。
オドレイ・トトウがヒロインなのは分からないでもない。
ごくフランス人らしい女優さんだから。
でも彼女の今までの作品からするとあの知性的な雰囲気にどう迫れるのかなと、ちょっと危惧を抱いてしまう。
何しろ「アメリ」が余りにも印象が強烈だったので。
その分楽しみは大きいと思おう。
さて、トム・ハンクスはどうだろう?・・・微妙・・・?と考えていたら映画館で予告編を見てしまった。
イメージの全然違う彼が居た!
紳士然としておじ様になったトムが!
プライベート・ライアンのトムとも、フォレスト・ガンプのトムともグリーン・マイルのトムとも・・・どのトムとも違った・・・トムが。
正直驚いた。
これだから俳優さんに魅せられる。
映画に魅せられる!といったもんだ!
どうやら彼らの「ダ・ビンチ・コード」楽しみになってきた。
でも見る前に忙しい時に吹っ飛ばして読んでしまった原作をまず読み直したい。
映画で違ったイメージが住みついてしまう前に、私のオリジナル・イメージを作っておきたい。
その価値が十分にある作品だ、これは!

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